ノームコア Normcore (たまにはファッション的時事ネタ)

服が好きなひとがその時々の流行と全く無関係に生きることは不可能で、自分なんかはその流行の中からつまみ食いして自分のフェイバリットリストに加えていってるんだけど、先日の読売新聞の夕刊で中野香織さんが今後のトレンドとして「Normcore ノームコア」という単語を挙げていた。


中野香織氏の記事をjapan-indepth.jp/から引用します。

2月末に「ニューヨーク・マガジン」が紹介した「次なるトレンド」が、またたくまにインターネットをかけめぐっています。新しい装いは新しいことばとともに。ニューヨーク発の最先端のトレンドは、新語と共に現れました。「ノームコア(Normcore)」です。
ノーマル(Normal)とハードコア(Hardcore)を組み合わせて作られた新語で、いわば、「筋金入りのふつう」。郊外のショッピングモールで買い物をしたり子供のバスケットボールの試合を観戦したりする時に、ふつうの人がごくふつうに着るような普段着。大衆のなかに完全に溶け込んでしまう、バリバリにふつうな装い。
ブランドが一切表に出てこない、ファッションステイトメントのかけらもない、おそろしいほど普通の服。これがノームコアということらしいです。スタイルアイコンは、たとえば、スティーブ・ジョブズ。
多くの人はせせら笑うでしょう。なんだ、私、とっくの昔に最先端だわ~と。
地球上の大半の人はなんの気負いもなく、昔も今もノームコアなのですが、このトレンドのポイントは、ファッション界のインサイダー周辺の人々がそのように装い始めたということ。個性的でエッジが効いたファッションで注目を浴びていたファッショニスタが、集団に埋もれる「ふつう」がかっこいい、と評価していること。昨日までルブタンのヒールをはき、グッチの新作ジャケットを着ていた人が、スニーカーにはきかえてグレーのパーカを着て表参道のカフェにいる、みたいなことなのです。タレントさんのオフですか? 失礼。
見方によってはそれほどバカっぽい話なのですが、多くのファッショニスタがこのトレンドを支持し、話題にしているということに、興味を覚えます。
ファッションで個性を主張しようなどというプロパガンダが行き渡るあまり、見渡せば、どいつもこいつもおしゃれで小ぎれいになり、結局、なんだか同じに見える。みんながみんなファッションに気を遣うあまり、かえって没個性になってしまうという皮肉。そんな砂漠のような虚しいファッションシーンに疲れ果てた人が、ファッションに無頓着な(と見える)ノームコアにほっと安心を覚えるのは無理からぬ話です。そもそも、他人とは違うという個性の主張など、ほんとうに必要なのでしょうか? それよりもこの「シェア」の時代、大勢のなかに紛れ、多くの人々とつながり、同じ目線でなにかを共有することのほうが幸せなのではないか?「他とは違う自分」探し疲れ。いっそ無になりたい。そんな感情の変化がこのトレンドの背後に潜んでいるように感じられてなりません。
とはいえ、歴史家の目でこのトレンドを眺めてみれば、これもまたアメリカらしい「ヒップ」の系譜に連なるんでしょうね。ヒップとは、スラング辞典の定義をかいつまんで紹介すれば、「商業的・政治的および物理的現実のいっさいから離れ、社会的・道徳的関わりからも自由な、真のアイデンティティを守ろうとすること」。
ヒップの反対語は、スクエア。律儀でまじめなこと。たしかに、ファッション誌の教えを守るなんて、スクエアだね。忠実に守ることでアイデンティティの危機に陥ってしまう(=アナタがなくなる)のは自然なことですね。なにが「かっこいい」ことなのかわからなくなった人は、これでも読んで勉強しましょう。
ジョン・リーランド著『ヒップ ―アメリカにおけるかっこよさの系譜学』。
600ページ超の大著です。アイデンティティを守りながらかっこよさを獲得するために、アメリカはそれだけ悩み続けてきたということです。




[Normcore ノームコアの明らかな誤用]
blogネタとして原典も読んでみました。
New York Magazineのコラムが発端のようでhttp://nymag.com/thecut/2014/02/normcore-fashion-trend.htmlが元記事です。
そしてその元ネタとなったK-Holeレポートはkhole.net/からPDFをダウンロードできます。
超拙訳でよければ2編ともtkjが翻訳したものがありますのでご希望の方にはあげまーす。

確かに中野氏はこの二つをすっきりまとめてくれています。

でもOriginal Articleを読むと、ファッション界隈で使われ始めた「ノームコア」ははっきり言って誤用です。

本文中でも「ノームコアは特定のルックのことでなくアティテュードを指した言葉だ」とはっきり言っていますが、K-HOLEのレポートの最後にこんな画像があります。

youth mode1

多分ノームコアを理解するにはこれがいちばん大事な図で、本当にノームコアを理解する為にはその周辺概念とでも言うべきAlternative、Acting Basic、Mass Indieまで理解しないと把握できないんじゃないかと思うのです。

tkjの理解では、alternativeを特徴付けるのはEvasion(回避)とsameness(同一性)なので、これはいわゆる普通の人。
ひとと同じものに安心感を抱くし、ちょっと避けたいなっていう気持ちも当然ある。
どちらかと言えばsameness優位のひとが多いのかな。
この回避の度合いが強くなってくるととなりのAct Basicに移行する。

Act Basic、このひとたちはEvasion(回避)とDifference(相違性)だから、いわゆる普通のこだわりさん。
なるべく他人とはかぶらないものを探している。
他人との同一性を回避して相違性も少し確立できた人たち。
tkjは明らかにここに属する(と自分で言ってみる)。
ただ、同一性を忌避しているわけじゃないので、クリアカットには分類できない様な気もする。

Act Basicが相違性を突き詰めて称賛を受けるまでになるとこれはMass Indieになる。
Mass Indieってつまりはサルトリアリストなんかに載るようなファッショニスタ(好きじゃない言葉だが)みたいな人たちでしょ、多分。

この考え方で言えば、パタゴニア〜、ニューバランス〜とか個々のアイテムの組み合わせでノームコアどうこう言ってる人たちはAct Basicでしかないことになる。

K-Holeのレポートではノームコアの特性として、柔軟で他人とうまく関われアイデンティティに固執しない、オープンマインドなひとのこと、となっていて、ひいては服装だって人と同じでも気にかけないという論理展開だ。

はっきりと「彼がノームコアだ」という明言はないけど、そのレポートの中にはジョブズの名前を見つけることが出来る。
その考えでいくと彼をノームコアというにはちょっと違和感がないだろうか。
他人とうまくやることを彼は考えていただろうか(自分の考えに相手を従わせることを「うまくやる」と定義するなら考えていただろう)?
他人との関係性における柔軟な心や、同一性を認めること心が彼の中にあっただろうか?
もし完全にスタイルだけを取り上げてノームコアと言っているのであれば、それは大きな自己矛盾だと言わざるを得ない。
ノームコアは見た目のスタイルじゃない、生きる上での姿勢だと言っているのだから。

K-holeのレポートとはいくぶん解釈が異なってしまいそうだが、tkjは、ノームコアのいちばん大切なところはたぶん「コア」のところであって、ハードなコアを持ってない限りはどんだけ没個性的なスタイリングをしてもそれは全然ノームコアじゃなくて、ただの普通の人なんじゃないだろうか?と読み取る。

改めて「Hard-Core」を手元の英和辞典で引いてみると「本格的な、筋金入りの、マニアな」といった表現が並んでいる。
ここは「本格的なノーマル」「筋金入りの普通」と訳してもいいんだろうけど、個人的な語感としてhardcoreがnormalの直接の形容詞だとするとと違和感を感じてしまう。
”何かに特化した能力を持つ「筋金入りの」「本格的な」人間”が選んだ(行きついた)ノーマルさ、というのが正しい訳ではないだろうか。

ジョブズが近年なしたことのすごさは改めて挙げるまでもない。
世界最大級にハードコアなジョブズのあのスタイリングがクールに映ったとしても、それは全然不思議ではない。
そう、ちょうど耳の聞こえない作曲家が作りあげた壮大な交響曲が、世界に美しく高らかに響き渡ったように。

逆にコアさえ持っていれば、そのコアが大きければ大きいほど、付随するものも光り輝く。
コアとはつまり物語のことなのだ。
見た目のノーマルさに付随した極めてアブノーマルな物語。

だからAlternativeの隣にはNormcoreが書いてはあるけど、この2つの距離は相当遠いし、ファッション軸で語る限りそれまできっちりファッション的Mass Indieとしての地位を確立できていない人間がsamenessを採り始めるとそのコアの部分が弱すぎて(周囲が認めるところの)ノームコアにはなれない。

結果的に到達するのがノームコアであって、意図的なノームコアというのは若干の自意識過剰だ。


例を出すなら、(好き嫌いは別にして)中田ヒデ(=超一流のMass Indie、K-Holeの言葉を借りれば「Mass Indie überelites)みたいなこれまでのサッカーとかの業績という意味合いでのコアとファッショニスタとしてのコアを持っているひとが、これまでとは違ってなんてことない格好にたどり着いたのなら、それはまさにノームコアと呼べる。

そしてノームコアと聞いて僕が思い浮かべるのは、コレクションの最後に出てくるデザイナーたちのあの素っ気ない格好だ。
ついさっきまでそのランウェイでは華々しくそしてめまぐるしく煌びやかなスタイリングのモデルたちが闊歩していた。
それらを構成する洋服群を作った張本人とは思えないほどにシンプルな格好をしているデザイナーたち。
あれこそがノームコアだ。

逆の例を出そう。

「FRUiTS」みたいな雑誌に1〜2回載っただけのようなひと(=differenceの比重が高いMass Indie、もしくはDifference側に傾いたActing Basic)が、他の人と同じような格好をし始めたら、それは周囲の耳目を全く集めないただのダサいにひとに成り下がる。
それは本来の意味でのノームコアじゃない(ノームコアじゃないっていう例として挙げただけでもちろんそういう変化によってそのひとが満足感を得られるならそれは決して間違った行為ではない)。

ジョブズの例をまた使うなら、そこら辺の名もなきおっさん(=Alternative)が黒タートル(たとえそれがイッセイミヤケ製であろうとも!)、リーヴァイス、ランニングタイプのニューバランスを身に着けていても、非難されることはないにせよ少なくとも称賛はされないだろう。

両者ともにそこには誰の目にもわかりやすいコアが見当たらないからだ。

結局のところ、ファッションとしての個性をどんなに消し去ろうとも、非ファッション的個性からは離れられないというこのジレンマ。
ファッション軸から離れれば離れるほどにむしろ非ファッション的個性の強度を必要とする。

同一性を認める(どんなに頑張ったところで自分と他人にそれほど大きな違いがないということを生きる上での基本認識にする)という精神的スタンスは、個人的にはけっこう大事だなとは思うけれど。


[そしてノームコアは一人歩きを始める]
上で述べたように、目立たない格好をしたからといってそれがすなわちノームコアでは全くないんだけど、この生き馬の目を抜くファッション業界ではそんなのは大した問題ではない。

未来の決して明るくないように見えるアパレルの世界は、たぶん次のトレンドを常に探し続けている。
今までの日本なら多分シティボーイだ。

そこにやってきたノームコア。

どんな誤用だろうが誤解釈だろうが、今ファッションはノームコアという耳障りのいい、しかも敷居の低そうな素敵な言葉を手に入れたのだ。

このキャッチーなタームは、誤ったまま一人歩きを始め、ウィルスのように拡散し、トレンドとなるだろう。

これまでだってちゃんとあったけど言語化されていなかったスタイルがノームコアという単語の形になって可視化した途端、トレンドという形で消費され始める。

自然発生的なトレンドも確かにあるんだろうけど、ほとんどのトレンドには仕掛人が多分いて、このノームコアも若干作為的な何かを感じる。

K-HOLEもCutもこのノームコアの誤用と一人歩きすらも予想していたとしたら?

多分これからアメリカでは上辺のスタイルとしてのノームコアが少しずつファッションインサイダーたちを浸食していく。

そしてすぐに消費され尽くして飽きられて、どっかの媒体が「やっぱりお洒落が好き!」みたいな特集を組むところまでが予定調和的にもう透けて見えてる。

それすらも俯瞰してみるなら、その誤用が独り歩きして広まる様こそ、とてつもなくモード的/ファッション的であって、逆説的にファッションとしては正解であるとも言えるかもしれない。

「ノームコア≠ノームコア的スタイル」という方程式が「ノームコア≒ノームコア的スタイル」に浸食され、やがて「ノームコア=ノームコア的スタイル」に完全に置き換わるまで大して時間はかからないだろう。
というか、始まりからすでにそうなっている。

思想的にアナーキーでもなく音楽ジャンルとしてのパンクをやっているでもないパンクス的スタイルの人が「パンクス」と呼ばれるように。

そんな変化が見られる前に、スタイルとしてのノームコアがあっさりと退場してしまう可能性だって十分にあるのだけれど。


[誤用ノームコア=GO OUT+BEGINなんじゃね?]
社会的クラス=階級の存在しない、人口総ノームコアと言っても言い過ぎではない日本では、すでに購買層もマーケットも存在しているわけだけど、要は定番品とアウトドア着てりゃノームコアになんだろうと思う。

雑誌で言えば、BEGIN+GO OUTあたり。

だってユニクロはなしでしょ?
みんなとの同一性を謳っておきながら普通に見えて実は普通じゃない服じゃなきゃダメでしょ?
そしてその部分を「ハードコア」だと勘違いするんでしょう?
「普通に見えるでしょ??でもねこのスウェットはね吊り編みでホールガーメントで手染めで特殊染料で」とか喜々として身に着けてる服にまつわるエトセトラを語りたいんでしょ?

tkjは全然ノームコアじゃないけど、物語のある服が着たい気持ちはやっぱりあるもの。

それを一般に敷衍して語るなら、やっぱりBegin的定番品とアウトドアしかないじゃん。

もうちょっとだけファッションリテラシーがある層に訴えかけるなら、ハイブランド以外の多くのブランドはすでに(誤用)ノームコア的だからそれを選んだっていいと思うけど、ぱっと思いつく範囲でYaecaとかマーガレットハウエルあたりはこれから起こるかもしれない「ノームコアマーケティング」とでもいうべきものに大いに利用されていく気がする。


[やっぱり最後は自分]

結局のところどう言い繕ってもノームコアって、他人との同一性を認める、という観点が逆説的に他人との関係性から離れられてなくて自意識過剰。
いや自意識過剰は全然問題じゃない。
tkjも他人から見たら過剰な自意識のかたまりに見えるはず。
事実その通り。

要は、そこをうまくカモフラージュするために、自分を偽る為にノームコアなんて言葉をスケープゴートにするべきじゃないってことだ。

ほんとにノームコアりたかったら、何かに没頭して光り輝くハードコアを得て、その過程で洋服なんて気を遣ってる余裕はないから全身ユニクロにするしかない。

ユニクロでなくても、「洋服に気を遣わなくて済むような」定型が自分の中に自然発生するはずだ。

それが出来ないくらいならこんなまやかしのトレンドに乗ってノームコアのふりなんかしないで、素直に「洋服が好きだ!!」と叫んだらいいんだと思う。


いつだってファッションは螺旋を描いて進んでいく。
ある方向に振れれば、同じ強度で逆のベクトルに振れようとする。

どんな時でも大事になるのはやっぱりその螺旋の中心にまっすぐと立つ、価値観という軸なのだ。

その一方で人間なんてすごく不安定で二義的な存在なんだから、時にはトレンドに乗ってもいいし、どこまでも突っぱねる権利もあるし、もしくはそのときどきのトレンドすべてに乗っかるのだって立派なポリシーかもしれない。


そういうたくさんのことを飲み込んだ上で他者の多様な価値観を認め、自己と他者の同一性、相違性を認めて生きていくべきだ。

そういった姿勢になにかとくべつな名称がついていないからといって、個人的には何の痛痒も感じないし、世界はちゃんと進んでいく。
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[ 2014/04/03 03:26 ] 雑記 | TB(0) | CM(10)

力作ですな!

ノームコアは、それ自体矛盾を孕んでる言葉ですよね。
他の概念で考えてみると分かりやすいです。

「粋な男になる」こんなキャッチコピーがありました。
でも、目指した時点で粋は雲散霧消。手に入ることはありません。

元ネタの英文は、ジョブズを例にあげてるのでもわかる通り、偉人や有名人の業績以外の部分(人格や服装)を持ち上げて、美的に抽象化、イメージ化し、自らの訴えたい概念と結びつけ、ノームコアという言葉の商品価値を上げようとしてるだけのように思います。
ジョブズがノームコアな人間なんて、悪い冗談ですよね。

ノームコアは、ファッションの世界で解脱したふりをした人達が、他人より優位に立つための武器として、暫くは語られるのでしょう。
そして、tkjさんの言うとおり、暫くお金を生み出すことになるのでしょう。

その点、マルジェラの錬金術はクレバーだった。
語り過ぎないことによって、ファン達が拡大解釈し、勝手に謎解きをし、無いところに意味を見つけ、無いはずの価値が付くのを待つ我慢を知っていた。
おまけに解答を与えないことにより、価値を長く維持する術も知っていた。
全くあっぱれなマーケティングです。

粋を語れば野暮になる。
いやー、本当にファッションってめんどくさいですね。
でも、ファッション大好きだぜ‼︎

つらつらとめんご。
[ 2014/04/03 17:04 ] [ 編集 ]

Re: 力作ですな!


さすが赤い水性さん。

僕も最後までマルジェラを引き合いに出そうか迷いました。
ただ、マルジェラに関してはどうにも愛憎半ばする、というのが正直なところで、どうしてもマルジェラをdisってしまいそうになるので(ひいてはマルジェラフリークを)、あえて挙げるのをやめました。

マルジェラ・・・・、うん、マルジェラ好きなんですけどね、もちろん。
ガチンコのノールールバウトにも強く、興業的プロレスもうまくやるマルジェラ。

うーん、マルジェラマルジェラ。
[ 2014/04/03 18:37 ] [ 編集 ]

では代わりに一言

マルタン・マルジェラ=ヒクソン・グレーシー説。
もちろん皮肉です(笑)。

決して、ヒョードルでもGSPでもない。
[ 2014/04/03 22:17 ] [ 編集 ]

Re: では代わりに一言

格闘技ファン以外にはちょっとわかりにくいユーモラスな例えですね!!
もちろん、ホイスVS桜庭を生で見た俺には容易にわかりますよ!!
[ 2014/04/03 23:21 ] [ 編集 ]

激しい!

tkjさんこんにちは!

ノームコア…それとなくツイッターなんかで誰かが呟いていたような。これからのトレンドに組み込まれていく「キーワード」。
私の地頭がかなりアレなので全文理解するのが難儀ですが、図解をひも解いてもらったことでかなり理解につながって、

”ほんとにノームコアりたかったら、何かに没頭して光り輝くハードコアを得て、その過程で洋服なんて気を遣ってる余裕はないから全身ユニクロにするしかない。”

という一文で、「ああなんだそういうことか」ってピーンときました。

それからヤエカ、マーガレットハウエルっていう誤ノームコアに巻き込まれていきそうなのはすごくイメージしやすかったです。
ヤエカ、というブランドは見たこともさわったこともないんですが、ファッション誌(特に女性誌)によく登場して、そのスタイリングに一種の優しさを感じてはいたんですが。
マーガレットハウエルは、結局マーガレットおばさんのライフスタイルみたいなものですから、むしろノームコアな人がデザイナーって感じかもしれませんね(思いついたことを言っただけです)自身、まったく興味がなかったマーガレットハウエル、最近はモノによってはスゲエツクリだったりスゲエソザイだったりするので必ずチェックしてます。アウトレットだけど

長々とすみません。勉強になりました!
[ 2014/04/04 09:24 ] [ 編集 ]

今回は硬派ですね!しかしファッションて凄いですねぇー!ジョブズみたいな恰好もアイコン化してファッションのうねりに取り込んでしまうんですから。
でもそういえばファッションてそーゆー所ありますよね。スクエアやハードコアの特色を上手く取り込んでファッションとして地慣らしして。それを自身のコアであるかのように、私ら一般に取り入れやすい形に落とし込んでくれる。
例え昔ヒップだったものでもスクエアに取り込んで現在の私らも違和感を抱かなくなってしまうんですから。ある意味宗教ですねw
私はそんな昔ヒップだった人のスタイルに現代スクエアになっているファッションを見かけると、おぉファッショニスタだなぁって感じてしまいます。

しかしノームコアという新たな立て看板を手に入れて実践するファッショニスタ達は、結局そこに他者のノームコアファッションと違う特色をちりばめて自己表現をする流れになりそうですね。

そして私のような無頓着なオッサン層は、無意識に手にとったノームコア服を着て。更にノームコアという立て看板の後光を受けてますます怠惰になってゆきそうですw

よし、今年も胸を張ってポロシャツにジーンズで外を歩けるぞっ!??
[ 2014/04/04 11:18 ] [ 編集 ]

Re: 激しい!

なべこぱんさん

マーガレットハウエルは時々欲しいと思えるいい靴がありますね!

ノームコアについては若干勝手な解釈かなあとは思いつつ・・・・。
ただ何となくマーケティング的匂いがしませんか?
日本で言うなら電通/博報堂が1枚噛んでる的な。

なべこぱんさんの感覚は僕もすごく正しいと思っていて、デザイナーはノームコアなひとが多いように思います。
よくコレクションのランウェイ終わったあと最後に、デザイナーが「スニーカー+デニム+無地Tシャツ」みたいな格好で登場するのをよく見ます。
コレクション中はうごきやすいようにそんな感じなのかもしれませんが、大体デザイナーの人たちって普段から華美な服装をしていないような印象です。
あれはノームコアなんじゃないかと思います。

さてどこまで日本で流行りますかね??
楽しみに見てます。
[ 2014/04/06 01:54 ] [ 編集 ]

Re: タイトルなし

通りすがりのチワワさん

普段はあんまり強い論調の文章は書かないように意識しているのですが、単純にジョブズのスタイリングをかっこいいと思うのならまだしも、いろんな理屈をつけて有名性と権威をファッションに結びつけようとするやり方がかっこいいと思えなかったので。


チワワさんのおっしゃることはごもっともで、(誤解釈された)ノームコアは、あらゆるひとびとが逃げ込める場所を提供していくんじゃないかと思っています。
非ファッション層ですらノームコアというファッション層に入るようになるかもしれませんし、ファッション層にとっては一種の解脱ともとれるし、スタイリングにセンスがなくてもノームコアと言えば許されるし。

どういう流れになっていくのか楽しみです。
[ 2014/04/06 02:14 ] [ 編集 ]

あらためて

生き方ではなくファッション的な意味でのノームコアの正解は、「自分に似合うことを突き詰めた結果としての私的定番を持つ」「それを人には気づかれないレベルでアップデートし続けること」と定義できるんじゃないですかね。

その意味での正解はアルマーニ。
アルマーニのワードローブルームって、黒、紺、グレーのカシミア、シルク、コットン製カットソーとニットの同じものが何十枚と収納されてて圧巻でした。

ジョブズはファッション的には不正解。彼はハードコアなだけなんで。

ノームコアな人と思われたくて、今更、ちょっとこだわりのグレーパーカーを着るとか、ニューバランスを好きでもないのに色違いで買うとかは、ただのファッションかご近所着ですよね笑。
[ 2014/04/23 22:53 ] [ 編集 ]

Re: あらためて

赤い水性さん

僕も完全に同意いたします!

先日記事にちょっと書き足しをしたんですが、コレクションの最後に出てくるデザイナーの格好の多くがシンプルで、彼らこそノームコアなんだと思っています。
[ 2014/04/24 00:12 ] [ 編集 ]

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