「心の中のガラクタを捨てられないものは、あの店を訪れるといい。いつか、仲間にめぐり逢える」
そんな、マイナーな噂話があった。
誰も気に留めないような、あやふやで不確かな話。
けれど、周りとは少しだけ違う内面をもった彼らはその噂話に乗り、そして仲間を見つけた。
盛夏――
「……何か悪いことねーかな」
ガランゴロンと騒々しく鐘が鳴るなか、今日も「篤志部」の部室で、時守叶(ときもり・かなえ)はつぶやく。
聖天義(せいてんぎ)学園本校舎。
時を告げる鐘の真下、騒音のため学内の誰もが嫌うその場所に、篤志部の部室はある。
しかし学内に、その部を正式な名で呼ぶ者はいない。生徒たちはおろか、教師ですら。
代わりに彼らは、関わりあいになりたくないという苦笑とともに、こう呼ぶのだ。
「ギャング部」
誰が言い始めたのかは、不明ということになっている。
活動内容を怪しんだ生徒会だともいわれているが、実のところいちばん有力なのは
当の部員たちの自称という説である。
そしてその説は、完全に正しい。
なぜなら副部長である叶こそが、名づけ親なのだから。
篤志部――ギャング部の部室には、ご丁寧に額縁に入れられて、こんな言葉が掲げられている。
――邪悪であれ。
「悪が世界を変える」と信じている叶の発案によるスローガンであり、ギャング部のただ1つの行動原理である。
あるときは、子供たちの遊び相手になると称して、若い貴重な時間を奪い――
またあるときは、おばあちゃんの引っ越しを手伝うと称して、お礼にお菓子をせしめる。
これが、彼らの「悪」
学園内で
商店街で
駅前で
街中で
ギャング部の面々は、悪をなす。
なぜなら、悪であることは、仲間であることの証だから。
心の中のガラクタを捨てられない彼らは、悪の名の下にめぐり逢った仲間なのだから。
だから今日も、叶はつぶやくのだ。
「……さて、悪いこと、探しに行くか」
仲間とともに、悪党どもの共和国(ギャングスタ・リパブリカ)での時間をすごすために。