これが、安倍首相が胸を張る「歴史的な一歩」か。これが、公明党の山口那津男代表が言う「画期的」な試みなのか。

 1885(明治18)年に内閣制度が発足して以来初めて、閣議と閣僚懇談会の議事録が公開された。そのこと自体は歓迎したいが、公開のあり方は到底満足できるものではない。

 公開された4月1日の閣議では、「武器輸出三原則」に変わる「防衛装備移転三原則」が決定された。憲法の理念に基づく、戦後日本の平和主義のひとつの重要な転換点である。

 ところが議事録によると、閣議では関係閣僚が、新原則の適切な運用に関して「決意表明」するにとどまっている。安倍首相も「新たな原則の趣旨を分かりやすく説明し、国民的理解を促進することが非常に重要であると考えております」。

 所要時間12分。A4判で実質4枚。内閣の最高かつ最終的な意思決定の場である閣議の現実がこれなのか。にわかには信じがたい空疎さである。

 かねて閣議は極めて形式的で、閣僚懇談会でも突っ込んだ議論はほとんどされないと言われてはきた。しかし本当にこの程度のやりとりしか行われていないとすると、この国の意思決定はいったいどこで行われているのか。根本的な疑問が頭をもたげてくる。ただ問題はそれ以前に、本当にこの程度の発言しか出ていないのか、検証のしようがないことだ。

 公開は法律で義務づけられたものではなく、閣議決定に基づいている。公開されるのは議事録といっても陪席した官房副長官らが発言要旨を記録したメモであり、どのような基準に基づきまとめられているのかわからない。首相は「現行法の下で速やかに公表した方が情報公開の観点で望ましい」としているが、何か勘違いしていないか。

 議事録の作成と公開は「サービス」ではない。公文書管理法第1条は、公文書を「健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源」と位置づける。誰が、なぜそのような意思決定をしたのか、過程を記録し後世の検証に堪えられるようにする。

 その歴史に対する責任を等閑視し、検証不能なものをどんなに速やかに公開したところで、何の意味もない。

 公文書管理法を改正し、閣議や閣僚懇のほか国家安全保障会議(日本版NSC)など重要な意思決定に関わる会議も議事録作成を義務づける。一定の年月が経てば原則公開する。

 そこに踏み込んで初めて、「歴史的な一歩」が刻まれる。