ふと思う、無への道程ブログの動機
もう無への道程さんが自殺したと思われた時から、一年半ほどがたちました。早いものです。
ふと思い立って「無への道程」でググってみたんですが、定期的に彼を気にし取り上げる新たなブロガーの人がいますね。それだけ、彼の「カウントダウンをして消えていく」というスタイルが人々に与えた影響は大きかったのだろうなと思います。
彼がカウントダウンをしたのは、そうすることで助けの手が差し伸ばされるかもしれないという甘い期待を抱いていたのではないかという考えが思い浮かびました。
助けの手というのはもちろん「死ぬんじゃない」なんていう言葉ではありません。「金がない程度で死ぬなんてバカらしい、俺は金が余ってるから、君に上げるよ」という、具体的な助けの手です。
残りがどんどん減っていくが、言葉ではいくらでも批評されるのに、誰一人として具体的な手を差し伸べてくれない。せいぜい「働け」程度。社会なんてしょせんそんなもんだよねと悟りきって、死を選べたのかどうか……。
いや、そう思ってるのは私自身ですね。月数万円で生活できるのにと書いておけば、どこかに物好きな人がいて「それぐらい上げるよ。本当にそれだけで生活できるか、見せてほしいもんだ。毎日ブログで生活を公開してくれれば、その実験に付き合ってあげるよ」という物好きで奇特な人の出現を、ずっと待ち続けていた。
もしも今、そういう話を持ち込む人がいたら、ほいほいと乗ってしまうかもしれません。危ないですねぇ。臓器売買とか(笑)。気をつけないといけませんね。
自活するというのは、そういう危険を避けるという意味もあるんですよね。社会的に認められる行為(労働、合法的不労所得)をすることで、他人に漬け込む隙を見せない。
社会的に認められない、もしくは認められづらい行為(ニート、引きこもり、生活保護受給)で生きようとするほどに脇は甘くなり、危険が増す。そのことがわかってる人が多いから、生活保護をもらうよりも、ワーキングプアでも自活して生きていこうとする人が多い。だからこそ、社会というのは成り立っているのかもしれません。
彼を、まじめに死に直面せずにそういう期待を抱いていたなんて言っては、彼を支持する人に怒られそうです。甘いのはいざお金がなくなっても動こうとしない自分であって、潔く死を選んだ彼ではないのですから。
放射能を恐れて海外に逃げ出した人の多くが、ツイッターやブログをやっています。カナダ、バリ島、チェンマイ……。仕事を見つけ、自営業をはじめ、結婚相手を見つけて家族を持った人、いろんな人がいます。
不思議と、ダメだったので逃げ帰ってきたという話は、みかけませんね。フェイドアウトしていった人はいくらでもいますし、その中にはおそらく、海外生活を維持できずに帰国した人もいると思います。私も同じですから。だけど恥ずかしいので、公開せずに消えていく道を選んだのでしょう。
そんな中で相変わらず「落ちていく」過程を公開してる私というのは、我ながら不思議なもんだなと思います。匿名ペンネームだから出来る話であって、実名だったらとっくに恥ずかしくなって止めていたかもしれません。
他のブログで「なぜ身バレをそこまで気にするのか」と書かれたことがあったんですけど、こういうことだと思いますよ。あとはいざ社会福祉に頼ることになったら、変な横槍を入れてもらいたくないというのもありますけど。
「おたくの自治体に生活保護を申請した○○という男のブログ、知ってます? 奴は働けるのに働こうとせず言い訳を重ねてるだけです。不正受給ですよ」などと言われて路頭に迷ったら、やりきれません。
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