米紙ニューヨーク・タイムズは今月20日、船を捨てて脱出した旅客船「セウォル号」のイ・ジュンソク船長(69)に対し「セウォル号の悪魔」と表現した。同紙は「タイタニック号沈没事故(1912年)以来の『船長は船と運命を共にする』という誇らしい伝統が破壊された」と辛辣(しんらつ)にに批判した。このように、各国のメディアは100年前のタイタニック号沈没事故を例に挙げ、イ船長を「船員の恥」として激しく非難している。タイタニック号とセウォル号の沈没の過程について比較すると、その理由が見えてくる。
タイタニック号沈没事故では、女性の生存者の比率は74%、子どもは同じく51%だった一方、男性は20%にとどまった。また乗務員全体の生存者の比率は23%(男性22%、女性87%)にすぎなかった。タイタニック号では「女性と子どもの客>男性客>女性乗務員>男性乗務員」の順に脱出するという順序が守られた。スミス船長は脱出命令を下した後、救命艇のセッティングを最後まで指揮し、最後の救命艇に乗るよう勧めた部下の声に耳を傾けず、沈みゆく船に残った。航海士3人も船長と共に犠牲になった。機関士や火夫(蒸気機関のボイラーの火を扱う職業)たちは、船底部分に水がたまるまで、ボイラーに石炭を投入し発電機を回し続けた。そのおかげで、タイタニック号では沈没の2分前まで電灯が灯り、乗客たちは明るい船内から脱出できた。火夫たちもまた、船と運命を共にした。船の設計に関わったトーマス・アンドリューズは、海に投げ出された乗客たちがつかめそうな物を次々と海に投げ続け、自らは命を落とした。専属の楽団員8人は「乗客たちを安心させるため、できることをやる」といい、沈没の10分前まで演奏を続け、全員が犠牲となった。彼らは皆、生死の瀬戸際にあって「乗客が全員脱出するまで船を守る」という船員としての名誉を最後まで守ったのだ。