東京レター
東京で暮らす外国人たちが、手紙スタイルでつづる「東京生活」
【社会】三原橋地下街 保存の道探る
現存する地下街としては国内最古とされ、近く取り壊される予定の東京・銀座の三原橋地下街を保存、再生しようと、若者や専門家らが動き始めた。レトロな魅力をインターネットラジオで発信してきた学生と、その動きに呼応した地元建築家や研究者らが「三原橋の将来を考える会」を発足。地下街を残す可能性を探る。 (小林由比) 「(銀座)中央通りはギラギラしているけど、ちょっと入るとある、昭和の香りが残る場所。歴史が醸成し、今からはつくれないものがあるんだと感じた」。東京芸大大学院生の大絵晃世さん(26)は二十五日、東京・神田で開かれた座談会で建築家らにこう話した。ネットのラジオ番組で、地下街の商店主や客らの声などを伝えてきた学生グループの一人。座談会は、その活動を振り返る展示の一環だ。 地下街は一九五二年十二月に完成。三十間(さんじっけん)堀川と呼ばれた水路を埋め立てた後、川に架かっていた三原橋の橋桁を残したまま造られた。飲食店や映画館、パチンコ店などが入る娯楽施設として使われてきた。 しかし、地権者の都は耐震性への不安などを理由に閉鎖を決定。昨年三月に中核施設「銀座シネパトス」が閉館、多くの店も立ち退き、現在営業する二店舗も来月閉店予定だ。 地下街の上にある晴海通りは、橋の名残で太鼓橋のように盛り上がっている。都は、これを平らにすることを検討。「地下街を残すことは不可能」と説明するが、具体的な取り壊し時期などは決まっていない。 大絵さんたちは、地下街を「音」で残そうと店主や街の人たちを取材し、昨年四〜八月にネットラジオで配信してきた。その活動の過程で出会った、中央区の建築家でつくる日本建築家協会(JIA)中央地域会のメンバーがこれに共感し、専門家の立場から地下街の価値を検証し始めた。 同会の山本浩三さん(77)は、地下街を設計したのが帝国ホテルの旧本館を手掛けた近代建築の巨匠フランク・ロイド・ライトの直弟子、土浦亀城(かめき)であることなどから、検証の価値があると指摘する。「江戸から続く水の都の歴史や庶民文化の生き証人。過去のものとして忘れ去ってしまうのはもったいない」 座談会に出席した法政大の陣内秀信教授は、旧万世橋駅の遺構を再開発した商業施設の例などを挙げ「地下にもぐっていった時の感動もある。楽しい場所にできるのでは」と活用を提案した。「三原橋を学術的な立場からも評価している方たちとつながることができてうれしい」と大絵さん。考える会は今後、地下街を生かした街づくりの検討を都に申し入れる予定だ。 ラジオ番組の展示は二十九日まで、千代田区神田錦町のギャラリー「KANDADA3331」で。正午から午後六時。 PR情報
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