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2009/01/29

元と源は同源?

私の研究テーマは多い。ひとつに絞らず、いろいろな方面から仮説を証明してゆくことが求められている。そのなかでも、ジンギスカンが義経であるという証明は非常に困難である。

なぜなら、関係するすべての人たち、つまり、ジンギスカン本人ですら、その出自を隠そうとしていたからだ。しかし、日本人の武将がたまたま満州へ渡り、偶然大活躍をして、大モンゴル帝国を築いたと考えるのは漫画でしかあり得ない。それには奥州藤原三代が、なぜあれほど繁栄していたのか。そして、なぜ金を多く保有していたのか。どうして藤原の姓を名乗る事ができたのか、などを検討しなければならない。

昨日述べた中に、藤原氏は鮮卑族ではないだろうかという仮説を提示した。鮮卑だとすれば、北魏、渤海などのころ、アムール河を下り、ハバロフスクからサハリン経由で青森までたどり着くことは、韓半島から対馬を経由するより、はるかに安全で早く到着できたであろう。

つまり、古代において、大陸と列島のメインルートはこちらであった。これは栗本氏の特に強調しているところである。

北魏の王家、拓跋氏は自分の身内を貴族とし、他の鮮卑族と区別するため元氏を名乗った。これは拓跋氏が中華思想に染まってきた証拠に他ならない。ここで重要な事がわかった。その拓跋氏の所へ、禿髪(とくはつ)氏が河西王国がつぶれたために逃げ込んできた。もともと同族であった北魏の王は彼等を歓迎し、「源」と名乗ることを許した。王、大武帝は彼に「そちたちは、朕と源を同じくする。事に因りて姓を分かつ。今は源氏と為すべし。」と述べたという。つまり、元と源は同族としたのだ。

源頼朝は伊豆に流され、平家に監視されていた時、北条家は彼を貴種だと認めたからこそ危険を顧みず、自分の娘、北条正子を嫁にやったのだ。つまり、源頼朝は坂東武者達には貴種中の貴種だったのである。彼の父親は八幡太郎義家、その兄弟には高麗次郎義網、三男に新羅太郎義光というのがいる。その名前で出身地が判明するはずもない。つまり、韓半島を代表する家系なのである。

義経が頼朝の兄弟という証拠はどこにもない。頼朝がそれを認めただけの事である。歴史小説と歴史とは違う。ただ、頼朝は奥州から下ってきた義経を利用しようとしたに違いない。

ちょっと話がそれるが、義経がは鞍馬寺に預けられ、修行を積んだことはおそらく事実だろう。この鞍馬寺は天狗で有名だが、この天狗はいうまでもなく突厥の王、テングリ・カカンから来ている。つまり、鞍馬寺は突厥の在日大使館だったのだ。なぜ清盛がそこへ預けたのかは謎である。

北魏王家の血を引く若武者を、突厥のエージェントたる鞍馬天狗が教育し、日本を去るときに、突厥の身元保証書を発行し、さらに大金持ちの鮮卑王の家系、藤原氏がそれを裏書すれば、蒙古の地においてもそれは貴種であったはずだ。彼、義経は大陸の支配者に気に入られ、大モンゴル帝国の表の顔として指名され、君臨したのである。彼も大きな組織の傀儡だったのではないか、と言うのが私の解釈である。

以前にも述べたが、彼は日本において北条氏が源家を絶滅させたことを知っていた。きっとすぐにでも日本へ攻め入り、北条氏を亡ぼしたかったに違いない。その遺志を継いだのがフビライで、彼はおそらく北条氏の首を差し出せと要求したはずだ。びびった北条氏は、思わず使者を切り捨ててしまった。いくらなんでもこれでは戦争は避けられまい。困った北条氏は、傀儡である天皇家に泣きついた。元寇は神風が吹いたといわれるが、そうではあるまい。

元に命令された高麗には、同族の日本と戦う気がなかったのだろう。彼等、高麗軍は日本へ上陸すると全員が逃亡したと言われている。真実はいかに?

さて、義経の姓は源氏であり、見事大帝国を築いた時、その国の名を元とすることは、まことに当を得た事だったと言えまいか。どうです、姫?

コメント

マヨさん、こんにちは。
義経=ジンギスカン説については、マヨさんと違い認められなかった説ですね。
そもそも義経は実存していたの?かどうかは置いといて考えてみると、初めて義経ジンギスカン説を唱えたのはシーボルトだと言われていて、その後明治に入って末松謙澄がケンブリッジ大の卒業論文に論じ、大正13年にはあの有名な小矢部全一郎の『成吉思汗ハ源義経也』が刊行されていますね
しかし、小矢部氏は陸軍通訳官としてもあり、その説が大陸侵略をめざす当時の日本の恰好な材料となったことや、蒙古の先祖が日本人であるとすれば、侵略を合法化できる切り札にもなりかねなかった事などを考えると素直にこの説を信じられませんでした。
また、故松崎陽医学博士が日本の勢力下にあった内蒙古で軍医をしておられた時、モンゴルの王公の一人に「『成吉思汗は義経也』などという説をなす者がありますが、どうお考えですか」と質問されたら、「日本はわれわれからチンギス・ハーンまで取りあげるのですか」というおだやかな返事が返ってきたそうです・・・。
この記事を読んでから、ジンギスカン説の熱が私のなかでは醒めていきました。
専門的な研究はマヨさんにお任せして、私は義経を「判官びいき」やロマン化して楽しむ説に変わりました~^^;

姫様、ご丁寧なコメント、ありがとうございます。義経の実在は申し訳ない、確証はないですね。しらべますが・・・、たぶん、あると思うけど。
モンゴルからジンギスカンを奪うのか?でも、もともとモンゴルから来たとしたら、戻っただけでしょ。自分達や相手の立場を考えては歴史の解明はできません。利害はまったく別の次元の問題です。
今の歴史認識は、それなりに皆さんの立場を考えて作られていますから、真実を追究すると、みんなが面白くないかもしれません。しかたないですね。
大陸進出の言い訳に利用というのは大いに考えられますが、陸軍、特に長州閥には、本気で満州を故郷と思い、ロシアから守ろうと考えた人間がいたとおもいます。本当の所はやはり謎ですが・・・。
まあ、もっと証拠をさがします。

マヨさん、はじめてこちらにおじゃまします。
義経~ジンギスカンにおけるマヨさんの推測は正鵠を得ていると思います。
私は義経にロマンはおろか興味を持ったこともありませんでしたが、たまたま知人の主宰する会で義経=ジンギスカン説を主張される七海皓荘氏(ななうみこうそう)氏の講演を聞き、これが数々の歴史的事実や各地に残る記録や伝承に裏打ちされた限りなく信憑性ある説であることを確信しました。(そう:壮+大、荘で代用)

特に印象深かったのは、マヨさんも栗本氏も指摘するように、奥州が北周りでの大陸との独自の太いパイプをもっていたことです。このルート上に義経の足跡が残っている。冬に凍るアムール河は大陸の奥地までをつなぐ交易路。
奥州藤原氏の経済力を支えたのは大陸との交易。藤原三代にわたって湯水のごとく金を使えたのは、アムール河で取れる莫大な砂金と東北の鉄との交換によるもの。頼朝が奥州藤原氏を滅ぼしたあと、ぱたりと金が止まったのは、商人達が手を引いて交易が絶たれたから。
義経を奥州に連れて行ったのは砂金商人だった金売吉次(かねうりきちじ)。
義経~ジンギスカンは奥州で交易の重要性を叩き込まれていたので、非常に商人を大切にした。フビライがイタリアからの商人マルコポーロを優待したのは、広域にわたる流通の自由と安全を保障するのが政治家の役目とする祖父伝来の思想から。そのマルコポーロはフビライの話をもとに黄金の国ジパングと書く。それは平泉のことでした。

細かいことはここにかけませんが、七海氏の著書「ボルテ・チノ」で読めます。但し絶版になっており、私は図書館で借りました。無名の著者なのでネットでも検索できません。

すずさん、ようこそ。さすが詳しいですね。お恥ずかしい限りです。七海氏は初めて聞きました。皆さん良く勉強されていますね、でもこのような論議ができることがネットの良さです。
情報交換することで、私の古代史も研究がすすみます。これからもぜひご指導ください。

マヨさん、姫さん、すずさん、皆様のお話を読ませて頂きながら、以前の私なら「まっさか〜〜^^;」で済ませてしまったであろうこの説が、とても真実味を帯びて来ています。(姫さんご紹介のモンゴルの方のお話も頷けます...)
他にもマヨさんご推薦の「億ウソ」さんのサイトもようやくなんとか最近までかかって読み、頭の中がグルグルカオスの日々です (元々教科書に載っていた事くらいしか基礎知識がなかったので...)が、違った目で世の中を見られるなんて、そうそうあったもんじゃないですよね^^;
前から気になっていたのですが、ここで「宗像教授伝奇考」(星野之宣)という漫画作品を紹介させて下さい。(現在はビッグコミック誌上で続編「宗像教授異考録」を連載中)
この宗像教授シリーズは、民俗学教授である宗像伝奇(むなかたただくす)氏が、古代から続く日本と世界の関連を、主に鉄の伝播をメインに追究して行くもので、教科書的な歴史学からは異端・トンデモ扱いされそうな説を自由に拾い上げつつ、星野氏自身の着想も交えながら創作されています。
義経・ジンギスカン説については、
★ビッグ コミックス スペシャル『宗像教授伝奇考』第6集(小学館)
★ビッグ コミックス スペシャル『宗像教授伝奇考』第7集(小学館)
この2冊にわたって展開されています。(サハリン等北方からの鉄と平泉の金のルート、天狗=流星、クビライが目指した大都建設は平泉をもう一度作る事だった...等々)もちろん、マヨさん説の方がずっとぶっ飛んでいると思います^^; すずさんご紹介の七海氏の説も踏まえてある感じです。義経伝説では、現在どの辺まで説が固まっているのか、ひいて言えば、どこまでが義経伝説研究で、どこからが星野氏の着想なのかは、素人の私ではわかりませんが・・・

※2/3(火)NHKBS2で、「蔵出し劇場NHK特集大黄河 オルドスの興亡」(朝7:45〜8:34)という放送があるそうです。(オルドスは、チンギス・ハンの末裔(?)たち。よく中国の漢民族と争っていたそうです:番組紹介より) 昔の再放送らしいですが、タイミング良く感じました次第。

最近TVでも「新説!?日本ミステリー」(TV東京系)という番組で、教科書的な日本史や日本像には無かった情報が流されるようになったと感じています。
http://www.tv-tokyo.co.jp/shinsetsu/
祇園祭りは古代イスラエルの祭りだった、相撲は古代イスラエルの神事だった!?等々。義経伝説辺りも紹介されていたと思います。どんな流れが今起こっているのか(何を人々に知らせようとしているのか)、その辺も興味深く、注意して見て行きたいです。
以上長くなってしまいました、すみません。

月のひつじさん、ひさしぶりです。なんであれ、従来の定説を否定することは大変な反発をまねきます。億うそさんのページも最初見たときは、まったくトンでもページだと思いました。しかし、自分の研究を進めるうちに、従来の比較言語学の学者よりも、むしろ億ウソさんのほうが正しいのではないかと思うようになりました。彼とは研究スタンスが違うので、彼の研究と私の研究を合わせれば、理想的な結果が出る可能性があると確信しています。
現在、シルクロード関連を調べていますが、まさに、急げば回れって感じですね。先は長いけど着実に成果が現れている気がします。
また応援してください。

マヨさん、小矢部氏は小谷部氏です^^;
月のひつじさん、はじめまして。
『宗像教授伝奇考』は第4集ぐらいまでしか
読んでなかったので、また読みたくなりました~^^
水軍については余り書かれていませんねー?
『東日流外三郡誌』では義経は異土船に乗って
唐に逃れた~とあるそうですが・・・。

姫様、あなたは読みすぎです。外三郡誌はどうよ?信じる?私は卑弥呼の扱いを見て、少ししらけました。たぶん、後から書き加えた部分であると思います。半分ぐらいは信じてもいいけど参考程度ですかね。

マヨさん、外三郡誌は残念ながら余り信じられませんね。
義経の渡海についてもう少し詳しく書かれていれば信憑性がでたのにと思ってます。

姫様、私も同様です。いくらかの真実はあっても、後世に書き加えられた部分が判明しない事には価値が半減します。古田氏もこれで追い詰められてしまったようです。ご用心ですね。

すずさま、マヨさま、姫さま、月のひつじの皆様。はじめまして、すずさまには小生の「義経チンギスハーン説」をご紹介戴きかたじけなく厚く御礼申しあげます。お陰様であの講演以降、鎌倉の山波言太郎綜合文化財団(現)さまにより「義経と静の会」が設立、その機関紙「ボルテ・チノ 日本の心」を発刊、現在まで9号出ていますが、当書は、日本の誇る本当の武士道精神と義経=チンギスハーン説の必然性を訴えているものです。この二つのテーマの究明は、特にこれからのわが国の進路において欠かせない「プライドの復権」を意味するものと考えておりますが、みなさまには、いかがお思いでしょうか。
久しい時を置いてのメール参加に、いまさらとお感じの節は、どうかお赦し下さい。また、よろしかったら是非、いろいろな情報をお聞かせください。この場をお借りいただけること。厚く御礼申し上げます。

すずさま、マヨさま、姫さま、月のひつじの皆様。はじめまして、すずさまには小生の「義経チンギスハーン説」をご紹介戴きかたじけなく厚く御礼申しあげます。お陰様であの講演以降、鎌倉の山波言太郎綜合文化財団(現)さまにより「義経と静の会」が設立、その機関紙「ボルテ・チノ 日本の心」を発刊、現在まで9号出ていますが、当書は、日本の誇る本当の武士道精神と義経=チンギスハーン説の必然性を訴えているものです。この二つのテーマの究明は、特にこれからのわが国の進路において欠かせない「プライドの復権」を意味するものと考えておりますが、みなさまには、いかがお思いでしょうか。
久しい時を置いてのメール参加に、いまさらとお感じの節は、どうかお赦し下さい。また、よろしかったら是非、いろいろな情報をお聞かせください。この場をお借りいただけること。厚く感謝申し上げます。

こんにちは。ご無沙汰してます。
私も義経=ジンギスカン説を信じます。
宇野まさみ氏がその証拠を握ってるという噂を聞いたことありますよ。
アンゴルモアの大王の復活は近いかもしれませんよ~(笑)

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