0142話
レイ達がパミドールの工房から出ると、すぐに近くで寝そべっていたセトが気が付き喉を鳴らして近寄ってくる。
そのセトを撫でながら周囲を見回すレイだったが、つい先程ナイフを右肩に刺された男も、そしてセトによって気を失わされた数人の盗賊らしき男達の姿も既に消え去っていた。
「さすがに仲間を見捨てるような真似はしなかったのか」
感心したように呟き、一瞬だけ気絶していた者達を確保しておけば良かったか? と思ったレイだったが……
(いや、ここに来ているのはどうせアゾット商会の尻尾でしかないしな。いざとなったら切り捨てられるだけか。得られる情報と獅子身中の虫。リスクとリターンを考えればリスクの方が大きいだろう)
そう結論づけ、すぐに気を取り直して視線をブラッソへと向ける。
「さて、どこでムルトから事情を聞く?」
「うーむ……儂等の宿か?」
「けどそうするとセトがなぁ。完全に冒険者向けの宿だから、従魔用の厩舎とかもないし。かと言って結構長時間になるだろうから今みたいに外で待ってて貰うってのもセトにとってはちょっとなぁ」
ブラッソとフロンの言葉を聞き、最終的にレイが思いついた場所は1つしかなかった。
いや、正確に言えば領主の館に行って事情をぶちまけるという手段もあったのだが、もしここで領主のダスカーを巻き込んだ場合は自らの危機を悟ったボルンターが予想外の暴走をするのでないかと脳裏を過ぎったので却下した。
「なら夕暮れの小麦亭に行くか。俺の泊まっているあの宿ならセトが使っている厩舎があるからその辺は問題無いだろうし、一応高級な宿屋として有名だから恐らくボルンターも物騒な手段に出られないだろう」
何しろギルムの街を支えていると言ってもいい行商人達や、それを護衛する傭兵団が泊まっているのだ。そこに襲撃を掛けるような真似をすればギルムの街の評判が落ち、ひいては他の街との武器取引をしているアゾット商会もまた損失に受けることになるのだろうから。
この時、レイの頭の中ではボルンターとは言えども幾ら何でもそんな真似はしないだろうと判断していた。自分とのやり取りでは欲に溺れた老害としか判断出来なかったが、それでもこのギルムの街の武器取引を仕切っている立場なのだからその程度の損得勘定は働くだろうと。
それはある意味では間違ってはいない。だが最大の誤算は、ボルンターが自分の地位を弟のガラハトに奪われる危険性を察していたという一点だけがレイの予想外の展開だった。
即ちここで暴れて多少ギルムの街の評判が落ちるのと、自らの地位を守ること。この両者を天秤に掛けたボルンターがどちらを選ぶのかと言われれば……それは考えるまでもないことだったのだ。
ガラハトの考えを知らないレイにとっては無理もなかったのだが……それが結局争いを表面化させる結果となる。
「そうだな、確かに夕暮れの小麦亭ならそうそう下手な真似も出来ないだろう」
フロンが頷き、ムルトを背負っているブラッソもそれに同意するように頷く。
「グルルルゥ」
「ん? セト、どうした?」
早速夕暮れの小麦亭へと向かおうとしたレイ達だったが、セトが一行の前に出て地面にしゃがみ込む。まるで乗れとでも言ってるかのように……
「いや、違うな。なるほど」
しゃがみ込んだまま背後へと向けてくるセトの顔で、何を言ってるのか分かったレイはムルトを背負っているブラッソへと視線を向ける。
「ブラッソ、セトがムルトを運んでやるって言ってるぞ」
「む? そうなのか? 別に重さはそれ程ではないんじゃが……」
「どうせならこれでも運んでくれると助かるんだけどな」
ブラッソの背負っているムルトへと視線を向け、次いでそのムルトの武器でもあるハルバードや脱がせたレザーアーマーへと視線を向けるレイ。
「あぁ、それなら俺に任せろ。そのままだと色々と邪魔だしな」
「そうか。そう言えばレイにはアイテムボックスがあったな。事態の進展が早くてすっかり忘れてた」
納得した表情で手渡してくる槍とレザーアーマーを受け取り、ミスティリングに収納する。
「……こいつもアイテムボックスに収納出来たら便利なんだけどな」
セトの背へと乗せられているムルトを見ながら、思わずといった様子でフロンが呟く。
「さすがに生きてる人間はちょっと無理だな。ハーピーの死体を収納したように、死んでいるんなら問題無く収納出来るんだが」
「……そりゃあ、アイテムボックスじゃからのう。死体はアイテム、即ち物扱いと認識されておるのじゃろうが命があるのはアイテムと認識されないんじゃろうて」
背負っていたムルトをセトの背に乗せたブラッソの言葉に頷くフロン。
そんな様子を見ながら、一行はレイの泊まっている宿屋である夕暮れの小麦亭を目指して移動を開始するのだった。
「人通りの少ない場所を通れば襲撃される可能性もあるからな。表通りを通っていくぞ」
「うーむ、レイの言い分も分かるが……まぁ、確かに裏通りよりは人通りが多いか」
ブラッソの心配は、夜になって表通りと言えどもそこまで人通りが多くないというものだった。もちろん本人が言っていたように裏通りとは比べものにならないのだが、それでも昼間程ではない。中途半端に人が多いだけに、もし襲撃された場合は周囲にもたらす被害もまた大きくなるのだ。
そんなブラッソの心配を鼻で笑って否定するフロン。
「ブラッソの心配も分かるが、レイとセトにあそこまで一方的にやられて手も足も出ないまま逃げだしたんだ。襲撃を掛けてくるような根性はないと思うがな」
「その万が一を心配してるんじゃ、馬鹿者が」
慎重なブラッソと、積極的なフロン。そんな2人の話を聞きながらもさりげなく周囲を見回すレイ。
「……襲撃するしないと言うのはともかく、見られてるのは間違い無いな」
そう、パミドールの工房を出てからここまで絶えず誰かの視線を感じていたのだ。ただし見られているというのは何となく分かるのだが、その視線が何処から飛ばされているのかと言われれば首を傾げざるを得ない。そんな状態だった。
「恐らくムルトの背後から襲い掛かろうとしていた時の奴等だろうな。あるいはムルトに矢を撃ち込んだ奴の可能性もあるが」
「グルルゥ」
レイの言葉に、セトが喉の奥で鳴きながら視線を周囲へと向ける。通りの屋根、少し離れた場所にある建物の影、そして背後。
その視線の先に何が……否、誰がいるのかは一目瞭然だった。レイを誤魔化せる程の技量を持つ程に気配を殺せるとしても、さすがにランクAモンスターであるグリフォンを誤魔化すのは無理だったのだろう。
「なるほど、3人となると計算は合うな」
「グルゥ?」
こっちから仕掛ける? という雰囲気で小首を傾げるセトに小さく首を振るレイ。
何しろ昼間よりは少ないとは言っても、それなりに人通りはあるのだ。しかも当然の如く酔っ払いも多い。そんな中で大立ち回りをしたらどうなるのかは、さすがにレイにも想像がついた。
「騒ぎになるからな。大暴れはもう少し待て」
「グルルゥ……」
レイの言葉に小さく頷くセト。そんなセトの頭を撫で、監視の視線を感じつつ通りを進み、やがて馴染み深い夕暮れの小麦亭が見えてくる。
「ほう、ここが……」
「確かに大きい宿だな。俺達にはちょっと手が出せない程度には」
「そうか? 言う程高価な訳じゃないんだがな。っと、セト、助かった」
「グルゥ」
セトの背から未だに意識のないムルトをブラッソやフロンに協力して貰いながら背負う。
「そういうのは金に余裕があるからこそ言える言葉だよな」
「いや、今は確かに多少の余裕はあるが、俺がここを選んだのは殆どやむを得ない事情って奴だったからな」
「やむを得ない事情?」
「ああ。セトの厩舎の問題があって、それを許容出来るのはここだけだった訳だ」
「……なるほど」
心底納得したといった様子のフロンと、宿の方から流れてきている酒の臭いに目を輝かせたブラッソを引き連れて宿の中へと入っていく。
「あら、レイさん。おかえ……まぁ、随分と大人数で。それにその人は?」
夕暮れの小麦亭の女将であるラナがフロンとブラッソ。そしてレイが背負っているムルトを見て尋ねてくる。
「知り合いだが、ちょっと酔い潰れてな。俺の部屋で介抱する。それよりも食事を……」
そう言いつつ食堂の方へと視線を向けるが、さすがにかき入れ時なのだろう。泊まり客やあるいは単純に料理を目当てで食事をしに来た者で席は殆ど埋まっており、レイ達が座るような場所は残っていない。
それに関してはラナも分かっていたのだろう。申し訳なさそうに、そのふくよかな顔を下げてくる。
「すいません、ご覧の通りちょっと今は……」
「そうだな、なら部屋まで何か適当に食べ物を持ってきてくれないか? こいつらの分も頼む」
「ちょっ、待てレイ! お前、ギルドに行く前にあれだけ食べて、まだ食う気か!? っていうか、まだ腹に入るのかよ!?」
平然と食事を注文するレイに、驚愕の表情を向けるフロン。ギルドに辿り着くまでに露店で食べ歩き出来るような串焼きやらサンドイッチや焼きたてのパンやらを大量に買っては食べていたのに、まだ食えるのかと。
だがそんなフロンに対してレイは何でも無いかのように普通に頷く。
「元々俺は燃費が悪いからな。ついでに幾ら食っても太らない体質だし」
「……お前、世界中の女を敵に回してるぞ」
ジト目を向けられるが、それをスルーしながらラナへと視線を向ける。
「あぁ、それとセトの方にも食事を頼む」
「わかりました。では少々お待ち下さいね」
食堂の方から女将を呼ぶ声が聞こえ、ラナは小さく頭を下げてそっちへと向かっていく。
その後ろ姿を見送り、一先ず自分の部屋へ向かおうと階段に足を掛けたところで……
「出来れば酒も持ってきてくれると嬉しいんじゃがのうぅ」
背後からブラッソのそんな声が聞こえてきたが、レイとフロンは一瞬だけ目を合わせて聞かなかった振りをするのだった。
「ここが、レイの部屋……って、殆ど何も荷物がないぞ、おい」
ムルトを背負っている為に、代わりに扉を開けたフロンがレイの借りている部屋の中を見て思わず叫ぶ。
「ベッドとか机とか椅子とかあるだろ?」
レイの言うようにその部屋には普通の宿の部屋にある物は不足無く揃っている。それでもフロンが『何も無い』と表現したのは……
「お前の私物だよ、私物! 普通なら自分の部屋には相応の私物が転がってるだろ!? 武器の手入れ用品とか本とか着替えとか!」
そう。フロンが指摘したように、レイの部屋には私物と思われる物が一切無かったのだ。だがそれも当然だろう。
「ああ、それに関してか。私物とかは全部アイテムボックスの中に入ってるからな。問題無い」
「……ああ、そうだよな。アイテムボックス持ちだもんな。そりゃそういうのも全部入るか」
もう疲れた、とでも言うように呟くフロンの横を通り過ぎて背負っていたムルトをベッドへと寝かせるレイ。
その後は適当に部屋の中の床やら椅子やらに座って一息吐く。
「そうなんだよな、考えてみればハーピーの山から急いでギルムの街に戻ってきて領主の館に直行。その後はギルドに行って、パミドールの工房に。でもってこいつが騒ぎを引き連れてやってきた……と。なんつーか、今日だけで色々と騒ぎが起き過ぎな気がするな」
「はっはっは。まぁ、確かにフロンが疲れるのも無理はないんじゃがな。それでも気の持ちようじゃよ」
「気の持ちよう?」
床へと座り込んでいるブラッソの言葉に、同じく床に座っているフロンが尋ねる。
「うむ。ようは騒ぎが色々と起きたんじゃなく、1日が充実していたと取ればよい。そう考えれば決して悪いことばかりではなかった筈じゃぞ」
「そんなもんかねぇ」
フロンが溜息と共に呟いた時、扉がノックされてレイ達は反射的にそれぞれの武器へと手を掛ける。
「誰だ?」
そんなレイの声に応えたのは、つい数分前に1階で会話したばかりの人物だった。
「ラナです。食事をお持ちしました」
「そうか、悪いな」
一応念の為ということで腰につけてあるナイフをいつでも抜けるようにしながら扉を開けると、そこには大きめのお盆を持ったラナの姿があった。お盆の上には料理が乗せられ、1瓶だけではあるがワインもある。
「このくらいで良かったでしょうか?」
「ああ、助かる。料金は?」
「レイさんの分を除くと銀貨1枚で結構です」
食事の料金としてはそれなりの値段だったが、レイを除いて3人分の料理の量やワインもセットになっているのを考えるとそう高いものもないのだろう。そう判断し、銀貨を1枚取り出して支払うレイ。
(もっとも、後でムルト辺りからその辺は徴収させてもらうがな)
内心でそう呟き、去っていくラナの後ろ姿を見送る。
「……飯……」
そして部屋の中に料理の匂いが漂い始めると、まるでそれを待っていたかのようにベッドの上でムルトが目を覚ましながら寝ぼけたような様子で周囲の様子を見渡していた。
「料理の匂いで起きるとか……いやまぁ、確かにいい匂いはしてるけどよ」
フロンが呆れたようにそんなムルトを眺めているが、正直レイも内心ではそれに同意しながらムルトの方へと近付いていく。

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