ラノベガー
ラノベガアー。
はいはい、お薬の時間ですよ。
・一般小説のラノベ化とラノベの先鋭化
ここ10年、もしかしたら5年くらいの傾向として、一般小説のライトノベル化がある。
ライトノベル作家が一般小説に進出するという形で始まり、気づいたらかつてはラノベとして扱われていたような作品が一般小説として出版されるようになる。米澤穂信、有川浩、冲方丁、桜庭一樹などがここに当たる。今では彼らもラノベ作家とはみなされないだろう。そして次第に、かつてはライトノベルとして出てきたような作品が最初から一般小説として出るようになる。似鳥鶏、仁木英之、森見登美彦、機本伸司あたりは、世が世ならラノベ作家としてキャリアをスタートしていただろう。一般文芸から出た作家がライトノベル的な作品を、表紙がアニメ絵だったりキャラの立て方がライトノベル風だったりする作品を、文庫という形で出すことも増えてきた。
元ラノベ(ジュブナイル)読み的にはスルーしてもいい話題なのだけれど、勘違い増田がトラバで書かれると、ツッコミたくもなる。
増田のいう
・ラノベ作家が→一般小説に
・過去のラノベ作品→一般小説に
んー、「そんな装備で大丈夫か?」と聞いてやりたくなる理論武装。
米澤穂信の場合
米澤穂信のデビュー作「氷菓」は、スニーカー・ミステリ倶楽部から2001年発売される。
「え?じゃあラノベで合ってんじゃね?」
いやいや、ところがこのスニーカー・ミステリ倶楽部はコケる。
これレーベルは、角川スニーカーというラノベ寄りのラインなのだけれど、中身は想定する対象年齢を上げた(そうだ)純パズラーなミステリを出すレーベルだったわけです。
当時、ラノベの勢いが下がり90年代後半のミステリ隆盛(すぐ下降線で入れ替わるのだけれど)の際に「読み口が軽くて主にラノベを読む読者にも読まれそうなミステリ」ということで刊行されたが、残念ながら表紙絵が地味過ぎて売れず。
・ラノベ史探訪(14)-『氷菓』とスニーカー・ミステリ倶楽部と | ライトノベル研究会
その後、米澤穂信は東京創元で「小市民シリーズ」などを刊行。
そして「氷菓」がアニメ化、コミック版も出されることになる。
だから米澤穂信は確かに経歴だけ見れば
ラノベ→ミステリ→ラノベ?(アニメ化)
なんだけれど現実的な実情を加味してみると
(ラノベ/ミステリ)→ミステリ→ラノベ/ミステリ
が正しく感じる。
()なのは全然地味だった上に当初刊行されたのが「スニーカー・ミステリ倶楽部」という時代変化に生まれたあだ花(キマイラ)であり、米澤穂信が知名度的に「元ラノベ作家」と認識されてる印象はない(当時、ミステリ読みのあいだで「スニーカー・ミステリ倶楽部の氷菓はかなりおもしろい」という話は出てた記憶がある)。
その上、米澤穂信は「氷菓」以外はすべてミステリ畑で処理される作品を書いているのだけれど、「進出」って「今まで書いていなかったジャンルを書くこと」のようなニュアンスなわけだが、デビューからミステリな米澤穂信を指して「ラノベガー」とは、何をいうんだろうね。
単にアニメ化でラノベイメージがついただけだが……。
もしかすると「折れた竜骨」がラノベだ!とかいうのかな。
【2001年 角川文庫】
2001年~ずっとこの表紙で出てた小説を「ラノベ」と思わない。
(スニーカー・ミステリ文庫で)当時読んだとき「私、気になります!」千反田えるを、京アニがあんなにきらきらと作るなんて想像もしてなかった。
当時の印象では「ラノベを意識したラインなのに本格的にミステリだな」くらいの印象。
それからずーっと 創元推理を主戦場にしてた作家でしょう。
最初に出てたスニーカー・ミステリ文庫版なんて今や古本屋すらあまり見かけない。
今では彼らもラノベ作家とはみなされないだろう。
いや、最初っからラノベ作家ではなかったですけれど。
レーベルがラノベ寄りだっただけであってね。
もしアニメ化されなければこの増田が言及することもなかったろう。
だから実際的には「もともとミステリ作家であり、ラノベになった」という印象が強い。
ただWikipediaを元に語ってると増田みたいな感じの話になるんだろうが。
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【2012年 角川コミック・エース】
「メフィスト」というミステリとラノベの密月
「ラノベ」というものはあいまいなものであって、ラノベレーベルから出てりゃあラノベであって中身がラノベ的だとかどうだとか、もともとそんなところで区分されてないからこそ「あいまい」だったわけだ。
表紙の絵を変えればラノベにもミステリにもなる。
ミステリだって「謎」があればミステリと呼べるんだから、なんて定義を持ち出せば小説のかなりの作品がミステリに入る。
舞城王太郎なんてデビューは新本格の中枢 講談社ノベルスだけれども今や芥川賞の候補になったり、西尾維新もデビューは同じく講談社ノベルスでいつの間にやらラノベ作家として認識されアニメ化が相次いでる。
両方とも「ミステリの極北」「ミステリ地雷原」メフィスト賞出身ってのが面白い。
つまりあの時代、新本格ミステリムーブメントが徐々にひと段落し、メフィスト賞から森博嗣やゆやたん、舞城や西尾維新らを輩出したその流れってのは雑誌「メフィスト」がミステリ読みの中では異端と思われながらも、ラノベに見られる現代のキャラ消費なんかを盛り込んだ広義の「ミステリ」を延命として確立しようと計っていたからで、狭義のミステリ(新本格でいうところの純パズラ―)だけならミステリもすっかり落ちぶれていたかもしれない。
新本格の作品を評してよく「キャラが立っていない」「キャラが描けていない」と言われていたのに、メフィストの発掘した作家はその逆を行ったことになるのも面白い。
パズラーよりもキャラクター。
出版不況で本が売れないと言われる中で、ジャンルだの定義だの、それに関わって売れない、なんてバカな話。
売れるのであればラノベだろうがミステリだろうが、それらしいパッケージにして売るだけ。
出版社はジャンルなんてこだわってない。
こだわるのは読み手だけ。
栗本薫は、じゃあ何作家だ?、と。
グインサーガは有名だが、SFもミステリだって書いてるしジュブナイルも書いてる。
デビューは評論だから評論家とでも?
野尻抱介の場合
さてここでSF作家 野尻抱介氏作品の表紙絵の変遷を見てみよう。
テーマは、SFとラノベのあいまいな境界。
野尻抱介氏はもともと「クレギオン」のノベライズでデビュー。
発売は富士見ファンタジア文庫というラノベレーベル。
その後、ハードSF「太陽の簒奪者」「沈黙のフライバイ」が話題に。
「南極点のピアピア動画」がヒットし、その流れで早川は「ロケットガール」を現在刊行してる。
【1999年 富士見ファンタジア文庫版】
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【2014年 ハヤカワ文庫版】
今月出たばかりの「ロケットガール」三巻のハヤカワ版。
「ハヤカワ?SF?この表紙はラノベやんけ?!」
と言われるかもしれないが、過去に弘司の表紙を
【1992年 富士見ファンタジア文庫版】
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【2004年 ハヤカワ文庫版】
ゴリゴリのSF作品画にしたんだけれども、これが中身の読み口の感じと合ってなくてですね。
このクレギオンはもっと柔らかい感じの表紙が似合うんですよね。
早川版「クレギオン(2003-2004)」の前後に出た、この「太陽の簒奪者(2002)」「沈黙のフライバイ(2007)」のイメージがこのころ「早川の担当がイメージする」感じだったのかもしれない。
裏の事情は知らない。
でもこの後にファミ通文庫(2001年)のこの表紙を
・[野尻抱介] ふわふわの泉 | ge7u9x | sa.yona.la
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【2012年 ハヤカワ文庫】
なんていうんですかね。
このハードSFを読む読者も何となく手にとれる程度のラノベ感というか。
ゴリゴリの機械ではなく柔らかめのアンニュイな主人公の女性を入れてる感じがね。
早川の狙う微妙なラインなわけですよ。
女性キャラをモロに、ではなくて背景もコミコミの表紙。
【2012年 ハヤカワ文庫】
これなんかもね。
SFマガジンの表紙は
・出た!「南極点のピアピア動画」(野尻抱介著)が文庫化決定 | 初音ミクとかvocaloid(ボーカロイド)News!!
これですからね。
表紙ってとても大事で、それだけで印象も読み手も変わる。
これもラノベで通用しそうな絵でありながら、でもSFらしさは忘れてない。
ロケットガールシリーズのハヤカワ版を見ているとそういう過去の経緯を見て、考えた結果なのかな、などと深読みしてしまうわけです。
表紙変化による印象操作の辺は過去記事で何度かやってるので一部被ってる。
・自薦「ラノベ好きにお勧めしたいミステリ」とラノベとミステリの曖昧な境界と - あざなえるなわのごとし