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04月22日朝日新聞デジタル朝刊記事一覧へ(朝5時更新)

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震災3年 糸井重里さんインタビュー

 東日本大震災から3年。人手不足や資材高騰から、被災自治体で基金の残高が急激に増えていた。決算決算データの分析からは、復旧事業が進まない中、復興の具体像も描けない被災地の姿が浮かび上がった。

  糸井重里さんが主宰するインターネットサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」は2011年11月に宮城県気仙沼市に事務所を設け、継続的な支援をしている。現地でニット衣料品の会社を立ち上げ、現在は新たな名所としてツリーハウスをつくるプロジェクトが進行中だ。元々、過疎に悩んでいた被災地が、復旧から復興に進むには何が必要か。糸井さんに聞いた。(聞き手・奥山晶二郎)

復旧から復興へ「カマボコの先を」

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 なぜ復旧だけではなく復興が必要なのでしょう?

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元々あったものをきれいにしても、価値は生まない

 結局、津波が来てわかったのは、被災地の問題は地方全体の問題だったということなんです。観光一つとっても、東京から長い時間をかけて人が来るような場所が、震災前にどれだけあったのか。元々あったものをきれいにしても、価値は生まないんです。(地元の名産の)かまぼこで止まらず、かまぼこの先を考えなければならない。

【関連リンク】ほぼ日刊イトイ新聞 - 気仙沼のほぼ日


糸井重里さんが主宰する「ほぼ日刊イトイ新聞」が気仙沼につくった拠点。地元の様々な情報を発信している。



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 政府は集中復興期間を5年と区切り多額の税金を投入しています

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嫉妬されてもいい

 速度感は必要だと思います。追いつめないと、ジャンプしない。一方で、考える時間がないと損得で動いちゃう。短期的な損得に飛びついてしまう。

 

 まずは、モデルケースがないといけないと思っています。僕らは先回りして動いている。誰かを説得することしていない。嫉妬されてもいいから、「あいつら、何でうまくやったんだ」と思われるようにやっています。

【関連リンク】お金でたどる震災3年 巨額予算の行方

サムネイル写真 被害を受けた自治体でお金は上手に使われているのか。住まいは、仕事は、産業は。震災3年を、お金でたどる。

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 気仙沼ニッティングは、被災地以外の人が移り住んで会社を立ち上げました

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それは同時にプリズムでもある

 住み込みでやれる人が見つからなかったら、やらなかった。入らないとできないことがある。現状は、小さな結晶です。でもそれは同時にプリズムでもある。気仙沼ニッティングの活動を通して、次の事業ができるんじゃないか。そう思っています。

【関連リンク】28歳、被災者と紡ぐニット

サムネイル写真 外資系企業で働いていた28歳の女性が東日本大震災の被災地で新たな事業に挑戦している。一緒に働くのは津波の被害を受けた地元の女性たち。親子ほど年が離れ、境遇も異なる両者が織り成すのは手編みのニット商品だ。

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 東北にツリーハウスをつくるプロジェクト「100のツリーハウス」は、商業目的の参加も歓迎しています

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商業、大いに結構

 被災地との関係は、清く正しく美しくとは限らないという例を作りたかった。気仙沼ニッティングも、やっぱりきれいなんですよ。だから、ツリーハウスでは商業、大いに結構。まったく宣伝のためにツリーハウスがあってもいい。それは「100つくる」と言ったからできる。いっぱいある中なら、商業的なものもつくれるんです。

【関連リンク】100のツリーハウス。 - ほぼ日刊イトイ新聞


糸井重里さんが「100のツリーハウスを作ろう」と呼びかけたプロジェクト



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 被災地が東京で勝負するのに必要なことは?

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買っている人のことから考える

 ヒントはあります。遊び人が変えている。東京で遊んでいたような人が、被災地に戻り、復興の推進力になっている。遊び人は、商品の現場で学んでいた人。真面目にやっているところにかならず日が当たるわけではない。市場は生産地が思っているより、ふざけてて、ぜいたくで、華やかで、時にケチ。買っている人のこと、スーパーで並んでいるところから考える。その違いです。食品加工会社の斉吉商店の斉藤和枝さんは、東京に行商に来るたび、おいしいものを食べて帰っている。

【関連リンク】おかみのさんま [著]斉藤和枝


著者は、宮城県気仙沼市で1950年から続く魚問屋「斉吉(さいきち)商店」の三代目おかみ。津波で、工場、自宅兼本社、支店が全壊した。本書は、地震発生から事業再開までを描く「奮闘記」であると同時に、震災前の気仙沼の暮らしを生き生きと浮かび上がらせる「回顧録」でもある。



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 気仙沼での活動で断念したプランはありますか?

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質として戦えないものを作っても

  街中に看板を作りたかった。津波で流される前にあった通りの名前とかを、可愛い看板にしたらいいんじゃないかと思ったんです。イラストレーターの大橋歩さんにも協力してもらって。でも、悪目立ちしそうだと思って考え直した。行政の仕事のような部分に触っていくというのも、自分の分を超えているなあと。

 デザイン会社も作ろうとして、やめました。色々な地域の特産品の中からデザインが必要なものを探して商品化していく。でも、デザインだけでいいのかって思ったんです。質として戦えないものを作っても羊頭狗肉になってしまう。それはデザインが持つ一番危険なところだから。

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気仙沼に一生懸命になれる理由とは?

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お金出しておしまいにしたくなかった

 震災の後、夜中によく津波の映像を見ていました。覚えておきたかった。自分の中の「何か」も流れたんです。お金出しておしまいにしたくなかった。それまでボランティとかは全然、やらなかった人ですから、今回だけなんです。

 単純に言うと、地方全体の復活は考えていないし、そこまではできない。少し冷たい視線かもしれません。平温でやらないといけないので。社内では、すぐに元がとれるわけではないけど、いつかとれると言っている。じゃないと、何かあるとやめてしまう。やめない理由を、色んなところに碁石打っているような感じです。

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復興支援の活動をする際、心がけていることは?

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ゲタは履いていい

 被災地という立場はアドバンテージなんだけど、本番の試合では負けてはダメだということ。負ける試合を組み立ててはいけない。本番の試合では、被災地か、被災地ではないかは関係ない。東京の会社と対等な勝負をしなければならない。

 

 でも、ゲタは履いていいと思うんです。だって、あんなにひどい目に遭ったのだから。慰謝料にあたるものが上乗せされて、ここにいてよかったと思えるものが必要なんです。その下駄も不公平だと思うから、行政の人は復興ではなく復旧にしちゃう。そこが自分たちと、行政との違うところかもしれない。

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震災の記憶がどんどん風化していきます

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心に借金がある

 被災地以外の人は、心に借金がある。風化するというのはチャラにすること。人ってチャラにしたい。でも、まだ返していない。時々、借用書を送った方がいいですよね。

 返し方には色々あるというのが僕らのスタンス。楽しく、というのは一年目はできなかった。これからはそれができる。そこから手伝うという人が現れる。これまでに2回開いた「気仙沼さんま寄席」。落語家の立川志の輔さんに、たくさん負担をかけてしまっていてどうしようかと思っていたら、お笑い芸人のサンドウィッチマンさんが手伝うと言ってくれた。ジャズミュージシャンの渡辺貞夫さんも手を挙げてくれた。そうしたら一泊二日で気仙沼を回る人が出てくるかもしれない。

 震災の日、「あーっ大借金」って思ったんです。「さあ皆さん返せますか、俺はあの店だけは返しますから」。気仙沼に関わるのは、そういう感じです。自分たちの会社が何のためにあるのか。震災によって、会社の存続理由を考えることができたと思っています。

【関連リンク】チラシでたどる震災1000日


東日本大震災後に岩手県大槌町で配られた折り込みチラシから、復興への歩みをたどります。



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