0110話
ラルクス辺境伯の館の前で馬車が止まり、その扉が開いてレイ、アーラ、エレーナの順番で姿を現す。
また、馬車の影からはセトも姿を現してレイの隣へと並ぶ。
そんな3人と1匹。いや、御者として雇われている冒険者も含めると4人と1匹を出迎えるようにしてラルクス辺境伯のダスカーが前へと進み出る。
「エレーナ殿、よく戻って来てくれた。レイも、よくエレーナ殿を守ってくれたな」
「……いえ、俺がもっと強ければ死なせる人数を少なくすることも出来たのですが」
レイのその言葉に、馬車から降りてきた者達の数を確認するダスカー。
確かに一行の面子からはギルムの街を出発した時に比べてキュステとヴェルの姿が消えており、代わりに御者に新しい冒険者の男が加わっている。
「いや、それでもレイに依頼したのはエレーナ殿の護衛だ。その護衛対象であるエレーナ殿が無事に戻って来たのだから文句はない。……エレーナ殿、取りあえず中で色々と話を聞きたいのだが構わないか?」
ダスカーの言葉に頷き、御者の男へと視線を向けるエレーナ。
「すまないが馬車をラルクス辺境伯に預けておいてくれ。その後は明日の朝9時の鐘が鳴る前に出発する予定だから準備の方はしっかりとしておくように。これは報酬とは別の取りあえずの一時金だ。今日はゆっくりと羽根を伸ばしてこい」
そう言い、目配せをするとそれを受けたアーラは御者の男へと銀貨数枚を手渡す。
「い、いいんですかい? 報酬とは別にこんなに……」
「構わん。今回は色々と無理をさせているからな。英気を養っておけ」
「ありがとうございます。では、お言葉に甘えさせて貰います!」
ペコリと頭を下げ、屋敷の者達に案内されるように馬車を運んでいく御者の男。セトも既に慣れた風にその馬車の後を追いかけていく。
それを見送り、ダスカーはエレーナ達を案内するように屋敷の中へと入る。
そして辿り着いたのは以前も会話をしたダスカーの執務室だった。
(……そう言えば、ここに入った途端にキュステに襲い掛かられたんだったな)
レイもまた、決して愉快ではないがそれだけに強烈に印象に残っている思い出を脳裏で蘇らせながら、ダスカーと向かい合うように来客用のソファへと座ったエレーナの背後へとアーラと共に立つ。
ダスカーによる指名依頼でエレーナの護衛をしているレイの立場なら、本来であればダスカーの背後に立つのが正しいのかもしれない。だが現在はまだダスカーから依頼完了を告げられておらず、それ故にエレーナの護衛としての立場を取ったのだ。
そんなレイの様子に律儀な奴だと内心苦笑をしつつも、メイドに紅茶を持ってこさせて早速話を始めるダスカー。
「さて。無事に戻ってこられたということは、まずはおめでとうと言ってもいいのかな?」
「そう……だな。色々と中途半端な結果にはなったが、ある程度の目論見は達成しつつも、それとは全く違う問題が起きたというのが正しい所か」
「……妙な表現だな。詳しい話を聞かせて貰っても?」
ダスカーの言葉に話すべきかどうかを一瞬迷ったエレーナだったが、何しろラルクス辺境伯の領地にあるダンジョンで起きた出来事である。
(それに……)
背後に立つレイへと視線を向けるエレーナ。この街の冒険者であるレイはエレーナの騎士団への誘いを断ったのだからまず間違い無くギルムの街に残る筈であり、そうなれば当然その領主であるダスカーはダンジョンで何があったのかを聞き出すだろうと判断したのだ。
それは姑息だとかそういう話ではなく、この地を治める領主としては当然の選択であるとエレーナにも理解出来ていたのでそれ程迷わずに口を開く。
「まず今回の最大の目的であった継承の儀式。これに関しては7割程ではあるが無事に成功した。7割程とは言っても、継承した魔石が我が家の家宝であるエンシェントドラゴンの魔石であった為にそれ程予想外の出来事ではないだろう」
呟き、今まで抑えていた魔力を一瞬だけ解放するエレーナ。
その瞬間、執務室の中にはエレーナを中心として魔力の奔流が迸ってテーブルの上に乗っていた紅茶のカップがカタカタと揺れ、ダスカーもまた目の前にいる侯爵令嬢から受ける強烈な圧力に怯むのを感じた。
「……まだ制御し切れていないがこんな具合だ」
「いや、お見事と言うべきだろうな。確かにかなりの力を手に入れたようだ」
そう言葉を返すダスカーだったが、その背にはジットリとした冷たい汗が浮かんでいる。
そして今の魔力を感知したラルクス辺境伯の騎士団員の中でも、特に魔法の心得のある者に小さくない騒動を起こしていたのだが……その辺はダスカー以外に知る由もない。
「しかしそれで7割とはな。……どうやらその7割という所に違う問題とやらがあると見たが?」
「……ああ。ダスカー殿は私が連れていた部下を覚えているか?」
「うむ。先触れとしてやってきたキュステに、もう1人は裏方のヴェルと言ったか。どちらもエレーナ殿の部下だけあってそれなりに腕の立つ様子だったな」
「その中でもヴェルの方が……実はベスティア帝国に通じていたということが判明してな」
「……何?」
ベスティア帝国に通じいてた。その説明を聞き、表情を険しくするダスカー。
「それは事実か?」
「間違い無い。何しろ本人が自慢気に言ったそうだからな」
「……待て。それではエレーナ殿が自分で聞いたのではないということか?」
「そうなる。何しろ儀式の途中でヴェルに魔石を破壊されたショックで気を失っていてな。本来であればそのついでに私を暗殺するつもりだったらしいが、そこをレイに助けられた訳だ。そういう意味ではレイを私の護衛にと選んでくれたダスカー殿には感謝している」
小さく頭を下げるエレーナの様子を見ていたダスカーの視線が不意にその背後に立つレイへと向けられる。
「レイ、エレーナ殿の言ってるのは真実か?」
「はい。ヴェル本人がベスティア帝国に寝返ると」
「……エレーナ殿、ケレベル公爵には?」
そんなダスカーの問いに、当然とばかりに頷くエレーナ。
「当然既に手紙にて知らせてある。運が良ければヴェルの一族であるセイルズ子爵家がミレアーナ王国を脱出する前に追撃も可能だとは思うが……その辺は父上の行動の早さ次第だな」
「そうか。ならこちらから言うべきことはない。だが貴族派から……しかも、ケレベル公爵とも近い人物であったセイルズ子爵が帝国に寝返ったとなると色々と拙い事態になると思うが……」
「父上の求心力低下は免れないと私も思う。だが不幸中の幸いと言うべきか、今は既に秋。ベスティア帝国が戦端を開くにしても恐らく来春になるだろうから、それまでにこちらも態勢を立て直す時間はあると思いたい」
「……敢えて短期決戦を狙ってこの秋から冬に掛けて攻めてくるという可能性もあるんじゃないか?」
「確かに私もその可能性は考えた。だが、これまでベスティア帝国が冬に戦を起こしたということはないし、なによりも雪の中で進軍するというのは兵士が保たないだろう。あるとすれば、少数の精鋭による破壊工作か何かだろうが……幾らベスティア帝国の精鋭であっても所詮少数なら対応は可能だ」
「…………」
エレーナの話を聞き、暫く何かを頭の中で考えていたダスカーはやがて小さく頷く。
「分かった。何かあった場合はこちらでもすぐ対応出来るように準備はしておこう」
「……良いのか? これは我等が貴族派が原因で起きるかもしれない戦だ。中立派であるダスカー殿には……」
そう言い募ったエレーナの言葉に、首を振るダスカー。
「確かに我等は国王派、貴族派、中立派と別れて権力闘争を行っている。だが、その権力闘争にしてもミレアーナ王国があってこそだ。少なくても俺はベスティア帝国に従うつもりはない」
「……すまない」
「何、気にするな。……だが、そう言う事情であるとするのなら今回派遣した冒険者がレイで良かったと言うべきだな。もしこれが普通のランクBやランクC辺りだったら恐らくエレーナ殿はヴェルにやられていただろうからな」
「ああ。その点でもレイを派遣してくれたダスカー殿には感謝をしている」
エレーナの言葉に頷いた時、丁度部屋がノックされて執事が顔を出す。
「旦那様、お部屋の用意が調いました」
「ご苦労。エレーナ殿、とにかく今日は旅の疲れを取るといい。風呂の方も用意してある」
「ダスカー殿の言葉に甘えさせて貰おう。アーラ、行くぞ」
「はい、エレーナ様」
エレーナとアーラが部屋を出ようとし、それに続こうとしたレイだったがその背に声が掛かる。
「レイ、お前は少し残れ。ちょっと話しておきたいことがある」
「……分かりました。ではエレーナ様、俺はここで」
さすがにダスカーの前では馴れ馴れしい言葉遣いをする訳にもいかず、出会った当初の丁寧な言葉遣いをしてエレーナを見送るレイ。
そんなレイを見て一瞬寂しそうな表情を浮かべたエレーナだったが、それも一瞬。すぐに頷き口を開く。
「うむ。レイ、今回は世話になった。お前がいなければ私は恐らくダンジョンでヴェルに殺されて無事に戻って来ることは出来なかっただろう。お前という冒険者と共に行動出来たことを誇りに思う」
「……色々とありましたが、レイ殿に幾ら感謝してもしたりません。その、出会った当初にいきなり斬り掛かって……申し訳ありませんでした」
エレーナの後に続き、アーラがそう言って深く頭を下げて部屋から出て行く。
その背を見送ったレイはようやく依頼が完了したのだと実感することが出来ていた。
「レイ、俺からも礼を言う。よくエレーナ殿を守りきってくれた」
「いえ。ヴェルの正体をもっと早く見抜けていれば……」
「気にするな。人の本性なんてそうそう見抜けるものでもない。あぁ、ほら。いいからそこに立ったままじゃなくて座れ。お前が立ったままだと話しにくいだろ」
「ではお言葉に甘えさせてもらいます」
小さくダスカーに一礼し、ソファへと腰を下ろすレイ。
「で、早速本題だが……」
そう口に出したダスカーの顔に浮かんでいたのはある種の罪悪感の類だった。
「今回の依頼の重要性を考えた場合、本来ならお前はランクCにランクアップ可能な程の功績を挙げている。それは間違い無い。だが……」
「今回の依頼は公に出来ない、と」
「……率直に言えばそうだ。悪いが依頼で知った内容についても暫くの間は守秘義務を付けさせて貰う」
「具体的に言うとヴェルの裏切りですか」
レイが率直に尋ねると、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべつつダスカーが頷く。
「そうだ。貴族ではあまり位の高くない子爵という階級だが、それでも貴族は貴族だ。また悪いことにセイルズ子爵はケレベル公爵の側近としてもそれなりに有名だったからな。そんな人物が国を裏切ったと広まれば動揺が激しい」
「ですが、それだとベスティア帝国が大々的に発表するのでは?」
「確かにするだろうな。だが、それまでにこっちで他の貴族達が動揺しないように手を打った上で発表するのならそれ程問題じゃない。ようは時間の問題な訳だ」
「分かりました。今回の依頼の件はラルクス辺境伯が許可を出すまで口外しません」
「……悪いな。その為にお前を目立たせる訳にもいかないから今回の依頼の功績についても暫く凍結させて貰う。だが、いずれは報いると約束しよう。……今の俺に出来るのは、報酬に多少の色を付けるくらいだな」
報酬、と聞き光金貨2枚だったと思い出すレイ。
「そう、ですね。報酬が増えるのでしたら問題はありません。ありがたく貰っておきます」
「助かる」
その後もダンジョンに関してやベスティア帝国の錬金術のレベルの高さ等の報告をして30分程話すのだった。
「では、そろそろ時間も時間ですのでこの辺で失礼させて貰います」
そう言いながら窓へと視線を向けると、既に薄暗くなってきている。夏ならまだまだ明るい時間帯ではあるが、秋がやって来ている証拠なのだろう。
「そうだな。何度も繰り返して言うようだが、本当に今回の依頼は助かった。レイ、お前がランクDとしていてくれなかったらどうなっていたことか」
「ここはそうですね、とでも言うべきでしょうか」
「はっ、随分と自信家になったもんだ。まぁ、冒険者はそのくらいでいいさ。……あぁ、それよりも明日エレーナ殿が発つ時にはお前もきちんと見送りに来るようにな」
「分かりました、明日の午前9時くらいという話でしたね」
「そうらしいな。……まぁ、何はともあれご苦労だった」
その言葉を聞き、執務室を出たレイはそのままセトと共に宿屋へと戻り旅の疲れを癒すべく、早めにベッドで眠りにつくのだった。

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