0109話
空に黒い雨雲が漂い、いつ雨が落ちてきてもおかしくない天気。まだ多少の残暑は残っている為か生温い空気が周囲へと漂う中、ギルムの街の警備隊隊長でもあるランガは鬱陶しそうに空を見上げていた。
「全く、嫌になる天気だねぇ。降るならさっさと降って欲しいんだけど」
そんな言葉を聞いたランガの部下は呆れたように口を挟む。
「そんなことを言っても、隊長はいざ雨が降ってくると今度は早く晴れて欲しいとか言うんじゃないですか?」
「……」
部下に突かれた点が図星だったのか、厳つい顔に苦笑を浮かべながら照れ隠しに頭を掻くランガ。
そんな時、今までランガと話していたのとは別の部下が唐突に声を上げる。
「隊長、馬車を発見。こっちに向かって来ます」
「ありゃ、この時間帯ってのは珍しいね。まさか盗賊ってことはないと思うけど。御者の姿に見覚えは?」
現在の時刻は昼を過ぎて午後になってから少ししたくらい。もう数時間程すれば依頼を終えた冒険者達や、暗くなってモンスターに襲われないうちにギルムの街に入りたい商人や旅人達が大量にやって来る時間になるが、基本的にこの時間帯に誰かがやってくるというのは珍しい。
まぁ、珍しいとは言っても毎日数人程度は来るのだが。
「御者は……えーっと、確か見たことありますね。以前ギルムの街にいた冒険者です。ただ、最近はダンジョンの方に行ってた筈ですが」
「あぁ、なるほど。ダンジョンから来たならこの時間帯に来てもそうおかしくないか。……そう言えばダンジョンに向かった商隊や、ダンジョンから出発した商隊が襲われているって話はどうなったっけ?」
「ここ最近は聞きませんね。えーっと……ほら、隊長の担当であるグリフォンを従えた冒険者。レイとか言いましたっけ。あの人がどこかの貴族らしい人達と出発してからは殆ど被害が……あ」
何やら唖然とした部下の様子に、視線を向けるランガ。
「どうしたんだい?」
「今話した、貴族の馬車。それってあの馬車じゃありませんでしたっけ?」
部下の視線の先にはつい今し方発見した馬車。まだかなり遠くにある馬車だが、警備兵としてこのギルムの門を守っているランガにしてみればその馬車を確認するのはそう難しくもない。
だが馬車を見つけることが出来るのと、その馬車を見分けることが出来るというのは話が別な訳で。
ましてやエレーナ達が乗っている馬車は目立たないような魔法効果も付与されているので余計に区別をつけるのが難しかった。
「そうだったかな? でもあの時は冒険者じゃなくて、あのとんでもない美人な貴族の部下らしい人が御者をしてたと思うけど」
美人という言葉を口に出した途端、その場にいた殆どの者がエレーナの姿を脳裏に浮かべたのが感嘆の溜息を吐く。
「……美人、だったよな」
「ああ。この街では到底みることが出来ないレベルの美人だった」
しみじみとエレーナの美貌を思い出しながら馬車が近付いてくるのを眺める。
「あの美人が姫将軍だって噂があったけど……本当かな?」
「うーん、どうだろうな。確かにあの顔といい、生唾物の身体付きといい、立ち居振る舞いといい、姫将軍だと言われればあっさりと納得出来るけど……そんな高名な貴族が何でわざわざこんな辺境に来る必要があるんだ?」
「そりゃダンジョンに向かったんだから、ダンジョンに何か用があったんだろうさ」
部下達の話を聞きながら馬車を眺めていたランガは思わず苦笑を浮かべる。
警備隊の隊長という立場である為に、ランガ自身は他言無用と口止めされた上でラルクス辺境伯にエレーナ・ケレベル公爵令嬢、即ち先程の話題に上がっていた姫将軍が来るという話を聞いていたからだ。幾ら他言無用とは言っても、あれ程の華がある人物だけにその素性が知れ渡るのは噂レベルではあるがそれ程時間が掛からなかった。
「ほら、2人共。そろそろ馬車が到着するから無駄話はそこまでにしておくように。あの馬車に乗っているのが貴族だとしたら、そんな話を聞かれたりしたらどうなるか分かるだろう?」
「あ、そうですね。すいません」
「了解です」
2人の無駄口を止めさせてから数分、馬車が正門前に到着する。同時に馬車の後ろから姿を現したグリフォンを目にして警備兵達は予想が間違っていなかったことに満足気に頷くのだった。
ギルムの街の正門に着くまでは馬車の影になる位置で敵やら盗賊やらの襲撃を警戒していたセトは、警備兵達の中に顔見知りであるランガの姿を見つけて嬉しそうに喉を鳴らす。その様子にランガも思わず笑みを浮かべてその頭を撫でる。
「やぁ、セト。久しぶりだね。元気だったかい?」
「グルルゥ」
セトの頭を撫でている間にランガの部下達が御者をしている冒険者からギルドカードを受け取ってチェックしており、ランガもまた馬車を軽くノックする。そうして扉が開き、見えた顔は予想通りにレイのものだった。
「やぁ、レイ君。どうやら依頼の方は無事に完了したようですね」
「あー、まぁ、完了はしたが無事と言うか……」
口籠もるレイの様子に珍しく依頼を失敗したのかとも思ったのだが、馬車の中からエレーナが顔を出してくるのを見ると軽く首を傾げる。
ラルクス辺境伯から聞いたレイの依頼は姫将軍の護衛だった筈であり、その護衛対象が特に怪我をしている様子がないのを見る限りでは依頼は無事に達成したと見てもいいのではないだろうか、と。
「依頼自体は無事に達成したんだが、パーティメンバーを数名失ってしまってな」
レイにしても、さすがにエレーナの仲間の1人がベスティア帝国に寝返っていたという話を漏らす訳にもいかずにそう誤魔化す。
だがキュステを失ったのは事実であり、それ故に苦い気持ちを抱いているのは変わらないのだ。
「そう、ですか。ご愁傷様です。でもレイ君が無事に戻って来てくれたのはギルムの街の護衛兵としては歓迎すべきことですよ。……っと、無駄な話をしてすいません。ギルドカードを」
ランガの言葉に頷き、ギルドカードを差し出す。
エレーナ達に関しては出発前にラルクス辺境伯から受け取った書類がある為、特に何の問題も無く門を通ることが出来るのでレイと御者として雇っている冒険者のギルドカードの確認と、セトに対する従魔の首飾りを掛けただけであっさりとギルムの街中へと入っていく。
「で、どこに向かえばいいんですかい?」
ギルムの街に入り、御者として雇った冒険者が馬車の中へとそう声を掛ける。
雇われた当初はグリフォンであるセトに対して怯えていたりしたのだが、さすがに何日も一緒に旅をしたり野営地で共に過ごせば苦手意識が無くなったのか、今ではセトを撫でる程度は出来るようになっていた。特に見張りで神経を張り巡らせなくてもいいというのが冒険者の男にとっては助かったらしい。普通に考えてランクAモンスターのセトがいるこの一行に襲い掛かってくるモンスターは知能の低い物が殆どで忙しくなかったというのも護衛兼御者として雇われた男にしてみれば渡りに船だったのだろう。
そんな御者の男の声に、馬車の扉が開いてレイが顔を出す。
「領主の館に向かってくれ」
「……うわ、さすが貴族だな」
普通の冒険者であればそうそう簡単に領主の館に行ったりはしない。レイのように領主から指名依頼を受けた者が寄る程度だ。
「残念ながら俺は貴族じゃないがな」
「知ってるよ、お前さんもギルドカードを門で出してたじゃないか。それに貴族らしさを感じられないしな」
「……貴族らしさ?」
馬車を領主の館へと向けながら男が呟く。
「ああ。育ちの良さとか、黙ってても滲み出る雰囲気とかそういうのだな」
「それはそうだろうな」
御者の言葉に思わず苦笑を浮かべるレイ。
何しろ滲み出る雰囲気というのはその者が育ってきた環境が作り出すものだ。日本の、しかも東北にある山奥の田舎町と言ってもいい場所で自由奔放に育って来たレイにとって、そんな風に貴族的な雰囲気が滲み出るというのはまず絶対に有り得ないのだから。
「あーーーっ! セトちゃんがいるぅっ!」
内心でそんな風に考えていると、唐突にそんな子供の声が聞こえて来る。
声の聞こえてきた方へと視線を向けると、そこでは数人の子供が馬車と共に歩いているセトへと近寄ってその背を撫でたり干し肉やサンドイッチといった食べ物を与えたりしていた。
そしてそのセトという声が周囲へと聞こえると、見る間に1人、2人と街の住人達が集まってくる。
集まってくるのは殆どが子供だが、中には若者や大人、老人達の姿もちらほらと見られた。
「……何だこれ?」
御者の男が唖然として呟く。
この男にしてみれば、セトというのは本来であればこんな場所にいるようなモンスターではない。ランクAモンスターという普通の冒険者ではとてもではないが手を出せない凶悪極まりないモンスターの筈なのだ。だと言うのに、何故か目の前ではまるで愛らしい子犬や子猫を見守るような目をして10人近い街の住人達がセトを撫でている。
「あぁ、やっぱり。セトの様子を見た時の反応からそうじゃないかと思ってたが、ここしばらくギルムの街に戻ってなかっただろ?」
「いや、それはまぁ、そうだが……」
「つまり、セトはこのギルムの街ではマスコット的存在になってる訳だ」
呟くように告げるレイの言葉に、信じられないような物でも見るような視線を向ける御者。しかし目の前で実際にその証拠を見せられてはそれを信じないという訳にもいかず、馬車とセト、そして街の住人へと視線を向け、最後に困ったような視線をレイへと向けてくる。
「あー、もう。マスコットなのは分かったけど、このままじゃ身動き出来ないんでどうにかしてくれよ」
「それもそうだな」
御者の言葉に頷き、御者席から馬車を飛び降りてセトの近くへと歩いて行く。
「悪いがこれからちょっとラルクス辺境伯の館まで行かないといけないんで、セトに構うのはその辺にしておいてくれ。明日からはきちんと街にいる筈だから、構うなら明日以降に頼む」
「えー。折角久しぶりにセトちゃんに会えたのに」
「そうそう、もう少しくらいいいでしょ?」
「こら、余りレイ君を困らせるんじゃないの!」
セトの近くにいた中年の女がレイへと言い募っている子供達に注意する。
「グルゥ」
不満そうな顔をする子供達だったが、セトが鳴きながら頭を擦りつけると渋々と離れていく。
「お兄ちゃん、絶対だからね! 明日セトちゃんと遊ばせてよ!」
「そうだな、明日にはギルドのいつもの場所にいると思うからその時には構ってやってくれ」
「うん、分かった!」
元気に答えると、それを契機にしてセトの周辺に集まっていた住人達はそれぞれの仕事へと戻っていく。
「よし。領主の館へ進んでくれ」
「……お、おう。それにしてもグリフォンがマスコットとか。俺が暫くダンジョンに籠もっているうちにこの街も随分と変わってしまったものだな」
「ま、そのうち慣れるさ」
「グリフォンに慣れるとか、さすが辺境にあるギルムの街だと言うべきなのか?」
「少なくてもこの街の連中は俺がこのギルムの街に来てからそれ程経たないうちにセトに慣れたぞ」
御者の男へとそう告げ、レイは馬車の中へと戻っていく。
「……大変だったようですね」
吹き出しそうな笑みを何とか噛み殺しながらアーラが声を掛け、その隣ではエレーナもまた微笑を口元に浮かべている。
「ああ。俺もまさかここまでセトが人気になっているとは思わなかったな」
「それも無理はない。セトは人懐っこいからな」
エレーナも今回のダンジョンの一件でセトと交流し、その人懐っこさや高い能力に助けられた1人なので、どこか満足そうな顔をして馬車の窓から隣を歩くセトへと視線を向ける。
そうしてセトに関する騒動も一段落すると、それ以降は特に騒ぎもなく馬車はラルクス辺境伯の屋敷へと到着する。
「何度見ても貴族の屋敷というよりは要塞といった雰囲気ですね」
窓から見えるその無骨さに、アーラが思わず呟く。
その隣で同じく視線を屋敷へと向けたエレーナが同意するように頷く。
「そうだな。だが、辺境にある以上はどんな不測の事態が起きるとも限らない。そういう時に街の住民を少しでも多く収容して籠城する必要があるのだろう」
「この街で暮らしていて思ったのは、住民の領主に対する好意度が非常に高かったことだ。辺境伯という立場上領地の中でもここにしか街はないが、だからこそラルクス辺境伯もこのギルムの街を発展させるのに力を入れて、住民もそれを理解しているんだろうな」
屋敷から数名の騎士が出迎えとして出て来るのを見ながらレイの言葉が馬車の中へと響き渡った。

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