二十一回目ゲスト 渡辺真也
さん(SHINYA WATANABE)
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1970(昭和45)年8月10日生まれ。
代表番組
めちゃ2イケてるッ! はねるのトびら ナイナイライブ
くりいむナントカ 虎の門 〜などなど
ちょっとした趣味
趣味がないんですよね・・・
9月に子供が生まれ、父親になる予定です。
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高須 |
ま、そんなんで無事に代理店の試験に落ちて(笑)、
コントで賞金を獲って、作家の道がスタートしたわけですが。
「とぶくすり」に作家として入ったの? |
渡辺 |
そうですね。だけど、もう本編としては一度終了していて、
時々特番をやってる程度だったんですけど。 |
高須 |
なんで台本を送ったのが、「とぶくすり」だったの?
すごく好きな番組だったの? |
渡辺 |
当時、作り物のコントをちゃんとやってる番組って「とぶくすり」
くらいしかなかったんですよ。やっぱりコントが好きでしたし、
岡村さんの存在感が気になったっていうのもあったかなぁ。
たまたま同い年でしたし。
あと当時から、「この人、イヤな目をしてる」っていうのが、なんとなく…(笑)。 |
高須 |
あぁ、分かるような気がする(笑)。イヤな目、ね。
初めての会議は、じゃあ「とぶくすり」の飛鳥の会議だったの? |
渡辺 |
なにも知らなかったから「テレビの会議ってこんなんなんだ〜、へぇ〜」と
思ってましたね。 |
高須 |
夜の7時から始まって、明け方の4時くらいまで、ずーっと。
フジテレビは三宅さん時代から脈々と長い会議が伝統みたいになってるなぁ。
俺、若い頃は大阪でも仕事持ってたから、フジの会議がとにかくツラくて(笑)。
朝4時に会議終わったら、翌朝10時半の大阪での会議に出なきゃダメで。
会議終わったらサウナ行って、そのまま始発の新幹線に乗って、
死んだように寝て、目覚まし鳴らして起きて…みたいな生活してたわ。 |
渡辺 |
聞きました聞きました(笑)。
『夢逢』とかは、会議の現場でコントの台本を書くから長くなってたって。 |
高須 |
最近はだいぶ緩んできたけど、それでも長いなぁ。
コント台本書いたりして長いっていうんじゃなくて、雑談が多い(笑)。
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高須 |
飛鳥はムダ話大好きやねん。ぜんぜん関係ない話で何時間も盛り上がる。
そんな時間を過ごした上で「さて、さっきの話の流れですが…」と
数時間分を遡る(笑)。今の時間はなんだったんだ、と。
だけど、まぁ、そんな時間が必要なのかな、とも思えるんだよね。 |
渡辺 |
話しながら決めていくことで、ブレを修正してるような感じがしますね。
じっと考えるより、周りと意見を交わしながら詰めていくことで
「あっ、自分ズレてる?」っていうのを細かく確認していってるというか。 |
高須 |
そのやり方は、実はすごく正しいんだよね。ただ、時間がかかる(笑)。
まぁ、年々飛鳥の会議がまじめになっていってる感じはあるけど。
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渡辺 |
さすがに外せないというか…飛鳥さんも担うものが大きくなってきてるから…。
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高須 |
そうやなぁ、遊び心ばかりではいられないっていうのも、ね。
なんか、よくわからないけど「副部長」らしいし。
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渡辺 |
でも、そんな飛鳥さんの若い頃の会議で洗礼を受けたのは、僕にとって
すごくラッキーだったと思ってます。 |
高須 |
そうやね、あの会議さえ乗り切ることができれば、
他の会議は怖くない(笑)。 |
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