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二十一回目ゲスト 渡辺真也
さん(SHINYA WATANABE)
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1970(昭和45)年8月10日生まれ。
代表番組
めちゃ2イケてるッ! はねるのトびら ナイナイライブ
くりいむナントカ 虎の門 〜などなど
ちょっとした趣味
趣味がないんですよね・・・
9月に子供が生まれ、父親になる予定です。
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| 高須 |
『めちゃイケ』の片岡飛鳥から、えらく推薦されての登場です(笑)。 |
| 渡辺 |
いや、そういうのヤバいっすよ。やめましょうよ。
なんにもおもしろいことないですよ。 |
| 高須 |
そんなことないよ! 第一、この業界に入ったきっかけからして
おもろいくせに! |
| 高須 |
もう何度も聞いているのに、また聞いてしまいます。
「渡辺はどうやって放送作家になったんやったっけ?」 |
| 渡辺 |
えーっと…(苦笑)。
1993年だったでしょうか…フジテレビとニッポン放送が主催した
『100万円テレビコント大賞』というようなタイトルの深夜番組がありまして…。
そこで優勝したのかきっかけで、この道に入りました…。
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| 高須 |
出た、伝説の特番!(笑)
僕はたまたまその番組、テレビで見てた。
まだお笑いが作り物全盛の時代だったから、コントを書ける作家を
探して育てようってことで、コンテストをやった。
そういうのをやるってことはちょっと小耳に挟んでたんだよね。
ウッチャンのいとこの作家の「あんちゃん」(内村宏幸氏)が
審査員長をやるとかでテレビに出るから、これは見なきゃと
放送作家周りは結構注目してたんじゃないかな。 |
| 渡辺 |
伊集院光さんとウッチャンナンチャンが司会を務めるっていう時点で、
会社的に相当チカラ入ってたのかな、とは。 |
| 渡辺 |
決勝に残ってたのは10人くらいでしたけど、総数までは覚えてませんね。
それなりにたくさん応募はあったんじゃないかと思うんですが。
予選の時点で100人くらいに絞られてました。 |
| 高須 |
予選で100人っていうと、けっこう応募総数は多かったんじゃないかな。
どんなテーマでコント書いたか覚えてる? |
| 渡辺 |
覚えてますけど、死ぬほど言いたくないですね!(笑)
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| 渡辺 |
まぁ、昔のことだからいいんですけど…いや、あんまりよくないですけど…。
確か、職業安定所みたいなシチュエーションの連作で、
就職希望の人と面接官がいて、入れ代わり立ち代わり希望者が来る。
希望者「あのー、わたし、ボクサーになりたいんですけど」
面接官「…2×3は?」
希望者「8」
面接官「はい、合格」。 |
| 高須 |
あー、なるほどなるほど(笑)。面
接官ボケね(笑)。 |
| 渡辺 |
いったいどこか新しいコント作家だよ、みたいな内容でした…(苦笑)。
決勝では自分たちの書いたコントを、ジュンカッツやオアシズといった
若手の芸人さんが実際に演じてくれるというシステムで。
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| 渡辺 |
そうです、そうです。もうなんというか…苦しい、逃げたい(笑)。
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| 高須 |
針のむしろ状態やな、そんなん(笑)。
で、コントが終わってコメント求められて、なんて言うた?
ボケたりしたの? |
| 渡辺 |
いや、もう「感動しました」とかしかいえないわけですよ。
僕は10人中10番目だったんですが、前の順番の人が
コメントでボケてすべってたりしたから、もうやめとこうと(笑)。
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| 渡辺 |
結局、優勝者は2人ということになって、賞金は山分けになりましたね。
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| 高須 |
あれ、そうだったっけ?2人いたっけ?
なんだかピリッとしなかったんやなぁ。もう1人の人はこの業界にいる?
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| 高須 |
そっかぁ…。華やかに賞をとっても、残っていくのはほんの一握りやったり
するんだねぇ。で、そのあとは? |
| 渡辺 |
そのあと、当時『とぶくすり』をやってた作家の伊藤さんに
声をかけてもらって「タダでもよければ台本書いてみる?」と言われて、
そのまま…。もともとコント大賞いただく前に、僕はアルバイトしながら
『とぶくすり』にコントを書いてちょこちょこ送ってたんですよ。
コント大賞に応募したのも、伊藤さんのススメがあったからで。
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| 高須 |
それは素人として、局に台本を送り続けてたの?
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| 渡辺 |
そうです。でも、「作家やってみる?」と声をかけてもらうことは
なかったんですね。て、賞をとった事でチャンスがめぐってきて、
無料だろうがなんだろが「やらせていただきます!」と。
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| 高須 |
そして、すべてが始まったってわけか。
すごいなぁ、最初から自分の力で積極的に切り拓いたんやなぁ。
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