銀座:「昭和の空間」また一つ 最後の店舗、27日に別れ

毎日新聞 2014年04月21日 18時17分

「懐かしさを感じさせる場所なんです」と吉田信三さん。地下道はかつて三十間堀川の底だった=東京都中央区の三原橋地下街で
「懐かしさを感じさせる場所なんです」と吉田信三さん。地下道はかつて三十間堀川の底だった=東京都中央区の三原橋地下街で

 現役の地下街としては国内最古級とされる東京・銀座の三原橋地下街。その中でただ一店営業を続けていた「三原カレーコーナー」が27日(一般営業は25日まで)で店を閉じる。地権者の都は地下街を撤去する方針で、焼け跡の面影を残す「昭和の空間」がまた一つ姿を消す。三原橋の名物主人として知られる同店経営者の吉田信三さん(71)は「東京五輪の年に開業して50年。2020年もここでと思っていたが……」と無念の表情だ。【隈元浩彦】

 東京メトロ銀座駅から晴海通り沿いに東銀座駅方向に200メートルほどいくと、片側3車線の道路を挟んで向かい合う2棟の半月状の2階建て建物が現れる。三原橋地下街はその真下、道路を横断する形で造られている。地下通路の幅は10メートル弱、長さは約44.5メートル。往時は飲食店など10軒ほどの店があったが、今はカレー店以外はシャッターを下ろした。とはいえ、むき出しのダクトや、蛍光灯に浮かんだ薄暗い空間はノスタルジックなムード満点。高級店が並ぶ銀座4丁目とは信じられないほどだ。

 吉田さんは「こんなに色濃く『昭和』が残っている場所はそうそうない。昔はポルノ映画館があってピンクゾーンだなんて言われたこともあったけど、勤め人でにぎわった。働く人たちのオアシスだったんだよね」と、天井を見上げた。

 地下街はもともと三十間堀川と呼ばれた掘割があった場所。戦後、がれきを処分するため掘割は埋め立てられて消えたが、1929年に架けられた「三原橋」は壊されず、その下が地下街として再活用された。都は51年、民間業者の新東京観光に占有許可を出し、52年に現在の地下街になった。その天井が緩やかなアーチを描くのは橋桁が使われている名残だ。

 都道路管理部監察指導課によると、都は2008年、三原橋の老朽化を理由に、同社に明け渡しを求めた。時期は明示しなかったというが、店は順次退去し昨春、名画座「銀座シネパトス」が閉館すると、地下部分は吉田さんが家族で切り盛りする店だけとなった。

 店は20平方メートルほどでカウンターと、テーブルが3席。夜は居酒屋だ。内装は半世紀前の開業当初と変わっていない。一番の思い出は高度経済成長の時代という。「1日に2食はご飯を食べに来ましたよ。『もう一仕事するか』と言いながら職場に向かう。そんな姿を見て、僕も労働のエネルギーを提供しているんだという生きがいを感じたね」

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