自分がネトウヨだったころ

自分がネトウヨだったころ

元々自分はネトウヨでした。というのも…高校生の頃、一時期引きこもり状態にあったからです。それが大きな原因だったと思います。

クラスで孤立し、家と学校を往復する日々。そーいう中で暇だったというのもあるけど、ネットに依存していました。

特に当時(5年前ほど)出始めた2chまとめサイト。あれは夢中になって読みました。もともと、アニメとか漫画の感想のまとめしか私は読んでいませんでしたが、まとめサイトって仮にそれがアニメ系だったとしても、リンクには韓国のことがいろいろと載っていたり、民主党の批判が普通に表示されるわけです。で、引き込まれるように読みました。

正直、快感を覚えました。というのも…自分には友達がほぼいませんでしたから、話題を共有する相手がいなかったわけです。しかしネットを開けば気軽にそーいう話題を共有できる環境がある。それだけで満足でした。さみしかったのでしょう。

特に見ず知らずの人のことを馬鹿にするのは快感でした。自尊心の低い自分でしたが…そんなじぶんよりさらにダメなようにみえる人を見下せるのは快感でした。

まとめサイトは「歴史的に由緒正しい日本VSそれを妬む歴史の浅い韓国」という構図で記載していることが多いと思います。

まとめサイトを熱心に読んでいた自分は、こんな風に考えていました。

『マスコミでは韓流とか言って「韓国は素晴らしい国」だと言っているけど…。あれは嘘。本当の情報。つまり「裏の情報元」のネットでは「日本にコンプレックスを覚える韓国人」って書かれている。それが多分真実』

『韓国人は日本の文化を乗っ取ろうとしている、歴史を改ざんしている、何かというと日本に文句を言う。日本に逆立ちしても勝てない歴史と文化しかないのにやたらと日本に突っかかってくる国』

 

当時に考えていたことをまとめると3種類に分類できると思います。

①    被害者意識。

②    自分が日本人であるという優越感(特に韓国人に呆れるという見下した感じ)。

③    マスコミ報道では知りえない情報をネットで知ったという「情報通になった気分」。

1に関して言えば「韓国人というよくわからない人」が海外で日本人の悪口を言いふらしている(主に歴史問題)。また日本の文化を勝手に韓国の文化として書き換えている。だから日本人として許せない!といった感覚です。この2点は「強烈に自分の何かを奪われる感覚」を覚えました。

いわゆる「在日特権」についてはあるかも知れないけど…よくわからないから深く考えないという感じでした。正直、不思議と気にならなかったです。

2に関して言えば、「歴史の浅い韓国に生まれると日本をうらやむんだ…。」「韓国に生まれなくてよかったな」という特権意識を感じました。日本人に生まれたことに感謝する感覚(愛国心)よりも「韓国人として生まれるのに比べて、まだ日本に生まれたことのほうがよかったなぁ」という感覚でした。

特に「韓国経済崩壊」とかいう文字を見るたびに、日本も「不景気」と言われてるけど…まだ日本のほうがましじゃないか、韓国人が困っている姿を見るのは楽しいな、自分とは関係ないしと思っていたことを覚えています。対岸の火事を楽しむ感覚でした。

「呆れる」とは、『韓国人は何かと自国の文化を日本と比べようとして無理に誇っているように見えて…無理な喧嘩をなぜ毎回、毎回やるのだろう。むだな努力を毎回して馬鹿で呆れるなぁ』という感じだったと思います。

3に関して言えば、マスコミは本当のことを知らない、でもネットでは真実が書いてある。テレビしか見ない人より自分のほうが情報通なのだという優越感を感じていました。

それだけでなく、内緒話をしている感覚を覚えたこともあります。ネットの中でやり取りする中で「一部の情報通である自分たちが、テレビしか情報を得る手段しかない人たちを下目にこっそりと色んな情報をやり取りしている」という感じですかね。何かを共有しあっている感覚は、当時の孤独な自分の心に沁みました。

そしてなにより大事だと思うのは…。当時の自分は、韓国人、あるいは在日韓国・朝鮮人の方々は、宇宙人みたいなものだという認識であったことです。

自分は、いわゆる住宅地に生まれ育ちました。住宅地ですから…基本、所得とか生活レベルとかってだいたい似たり寄ったりな感じです。小中もそうでした。外国人の子は学校には少なかったと記憶しています。

まぁ今思うと…同級生に台湾系のハーフの人、在日の人(すぐ転校した)がいたことがあるけど…そーいうことは都合よくさっぱり忘れていました。

基本、韓国の人に会ったことも、在日の知り合いも何もいませんでした。

在日という人たちは漠然と一か所にまとまって住む閉鎖的な人たちだと思っていました。日本人拉致などに皆がかかわっているように思っていて、怖い人たちだとも思っていました。通名を使って日本人風に生きるのはなんでだろ?とも思っていました。

 ゆえに韓国人や在日の人の悪口をいくら見ても他人事だったわけです。他人事な以上、今でいう「ヘイトスピーチ」的な書き込みをネットで見ても、少しひどいな…と思っても所詮他人事じゃないかと感じました。

むしろ、自分が日本人であり、そうした言葉を投げつけられない立場であることがうれしかったと覚えています。

自分と関係のない喧嘩、ないしいじめを見ている感じだったでしょうか…。そこに「争い」というスリリングなものを感じて少しの快感を得ることはありましたが…「自分とは関係ない」と思っていました。自分とは関係のない人がいくら傷つこうが知らないと真剣にあの頃、そう感じていました。

ですから、ネットの書き込みで「人が傷ついているという事実」を考えようともしなかったし、だいたい他人事ですから、自分が快感をもっと得るためにやりたきゃやればいいと、とらえて、こういう書き込みをむしろもっと見たいとさえ思っていました。

今思うと、間違っていたな自分と思います。後悔していますね。

  1. guzu69guzuの投稿です