今年は、公的年金に対する健康診断の年だ。

 5年に1度、新たな人口推計が出るのにあわせ、政府が100年を対象に年金の先行きをシミュレーションする。「財政検証」と呼ぶ。

 年金について、国民の不信感は根強い。真っ当な批判もあれば、誤解も少なくない。

 年金のどこに問題があり、どんな処方箋(せん)があるのか。財政検証を前に、皆さんと一緒に考えたい。

■現役の負担に上限

 「100年安心」。10年ほど前、公的年金制度の大きな改革が議論された際、政治の場に登場した言葉だ。

 03年の総選挙で、当時、厚生労働相を出していた公明党が使い始めた。政府としては公式に一度も使っていない。

 この言葉は、現行制度の本質的な理解を妨げ、「年金は破綻(はたん)する」と主張する立場からは格好の批判の対象ともなった。二重の意味で年金への信頼を損ねてきたといえる。

 確かに04年の年金改革は、それまでの制度から考え方を大きく変えるものだった。

 日本の公的年金は現役世代から集めた保険料を、その時点での高齢者に給付することを基本とする。以前は一定水準の年金を確保するため、保険料を引き上げていた。

 だが、そのままだと厚生年金の保険料率は26%近くまで上がる。そこで発想を転換し、現役世代の負担に上限を設けることにした。「お金の入り」に枠をはめ、その範囲内でやり繰りをするという考え方だ。

 04年改革によって、保険料は毎年、自動的に少しずつ引き上げられ、17年度以降は勤め人が入る厚生年金では18・3%(労使折半)、パートや自営業の国民年金では1万6900円で固定される。

 これに国が税金を加え、積立金とその運用収入も使って、おおむね100年間、収支を均衡させる。

■デフレで発動せず

 さらに、急速な少子高齢化でお金の入りと出のバランスが崩れないよう、「マクロ経済スライド」という仕組みを設けた。

 人口の減少や平均余命の伸びにあわせて、年金を自動的に抑える。要は、「稼ぎ手が大変だったら高齢者も我慢する」という、家族なら当然のルールを働かせるわけだ。

 なるほど、これなら「100年安心」と胸を張りたくなったのもわかる。

 問題は、このマクロ経済スライドがほとんど知られず、実際に機能していないことだ。

 認知度の低さは無理もない。04年当時は閣僚の未納問題や旧社会保険庁の不祥事が噴出し、メディアでも制度の中身は十分には取り上げられなかった。

 国会では、「これこそ法案の背骨だ。総理は理解しているのか」とただした民主党の山本孝史・参院議員(故人)に対し、小泉首相が「専門家に聞いてください」としか答えられなかった場面さえあった。

 発動されなかったのは、賃金や物価のデフレ下では適用しないと決めていたからだ。

 年金には別途、物価スライドがあり、過去はインフレにあわせて給付額を上げてきた。ところが、物価の下落に直面し、政治は受給者の反発を恐れ、年金額を引き下げられなかった。

 この据え置かれた2・5%分は、昨秋から段階的に下げ始めているが、マクロ経済スライドは適用されていない。

 その結果、収支のバランスが崩れ、いまの年金の水準は高止まりし、将来世代の年金を下げる構図になっている。

■就業者減へ歯止めを

 04年改革の時点では、長期間のデフレは想定していなかったかもしれない。

 しかし、問題点は09年の財政検証で明らかになっていた。修正を急ぐ必要がある。個人が退職後を見据えたライフプランを立てていても、仕事や家族に変化があれば見直すのと同じだ。

 むろん年金額を減らす見直しに反発は強いだろう。消費増税で基礎年金の財政基盤は強化されたが、年金制度への信頼度が高まったわけでもない。

 年金不信の元を絶ち、安心できる年金水準を支えうる社会をどうつくっていくか。きちんと議論を進める必要がある。

 どのくらい年金が受け取れるかは、その時々の経済力に左右される。

 手を打たないと、働く人の数は30年までに820万人以上減るという推計もある。女性や高齢者を含め多くの人が働ける環境をつくり、就業者の減り方を抑えないと、年金に安心を求めることなど不可能だ。

 こうした覚悟を私たちが持つのに、「100年安心」というスローガンは不要である。

 当時の与党は、政権交代を経て与党に返り咲いた。誤解をただすなら今だ。

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 次回は今月末に掲載します。