(cache) この人に聞きたい│稲葉剛さんに聞いた(その2)「すべての人に」最低生活を保障する憲法25条のラディカルな理念│マガジン9

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2012-09-19up

この人に聞きたい

稲葉剛さんに聞いた(その2)

「すべての人に」最低生活を保障する
憲法25条のラディカルな理念

今年に入ってからも各地で頻発する、餓死・孤立死の事件。一方で、いわゆる「生活保護バッシング」の広がりを受けて、多くの政党が生活保護の切り下げや要件厳格化を打ち出すなど、「最後のセーフティネット」が大きく揺さぶられようとしています。そもそも、生活保護とは何のためにある制度なのか。そして「バッシング」の背景にあるものとは? 生活困窮者への支援活動を続けるNPO「もやい」の稲葉剛さんにお話を伺いました。

いなば・つよし
1969年広島県生まれ。1994年より東京・新宿を中心に路上生活者の支援活動に関わる。2001年、NPO法人自立生活サポートセンター・もやいを設立し、幅広い生活困窮者への相談・支援活動に取り組む。現在、もやい代表理事、住まいの貧困に取り組むネットワーク世話人、埼玉大学非常勤講師。著書に『ハウジングプア』(山吹書店)、共著に『貧困待ったなし!―とっちらかりの10年間』(もやい編、岩波書店)、『わたしたちに必要な33のセーフティーネットのつくりかた』(合同出版)など。

貧困の連鎖を生む「扶養義務の強化」
編集部

 今回の「バッシング」を受けて、現政権も生活保護制度の改正に言及しはじめています。特に強調されているのが、親族による「扶養義務」の強化です。

稲葉

 厚生労働省が策定を進めている「生活支援戦略」の中にも「生活保護制度の見直し」という項目があって、「扶養可能な者には適切に扶養義務を果たしてもらうための仕組みの検討」と書かれています。しかし、こうした「扶養義務」に関する議論は、実は60年以上前にすでに決着がついている話なんですよ。

編集部

 60年前?

稲葉

 現在の生活保護制度が制定されたのは1950年ですが、その前に、1946年制定の旧生活保護法という法律がありました。そこには、扶養義務者である親族に経済的な余裕があって扶養できる人は保護の対象から外す、という欠格条項があったんです。それが1950年の改正で削除され、扶養義務は受給の「要件」ではなく受給に「優先する」という書き方になった。
 つまり、親族による扶養は生活保護に優先するけれども、保護を受けるために「親族の扶養が受けられない」ことを申請者が証明する必要はないということ。当時の厚生省社会局保護課長・小山進次郎は、海外諸国の制度を調べた上で、先進国では徐々に扶養を家族間に任せるという考え方から国が責任を持つという考え方に進化してきている。この法律にもその考え方を採用した、と述べています。

編集部

 つまり、私的な扶養から公的な扶養に移っていくことが「進化」だという認識がその時点で共有されていたわけですね。

稲葉

 なぜ扶養を生活保護受給の要件にすべきではないのか。それは、そうすることで結果的に保護を受けられなくなる人たちが出てしまうからです。例えば、生活保護を受給するには扶養義務者が「扶養できない」証明が必要だとなったら、まず困るのはDVや虐待の被害者です。今でもすでに、DV被害者が生活保護受給の相談に行ったら、「配偶者に連絡する」と言われて申請をあきらめるといったケースは多いんですが、それがさらに増えかねない。

編集部

 DVでなくても、「親族に知られるくらいなら」と、申請をためらう人はたくさんいるでしょうね。

稲葉

 また、扶養義務の強化は、貧困の連鎖防止という考え方にも逆行します。
 残念ながら今の日本では、貧困家庭に育った子どもはどうしても学歴が低くなりがちで、一般家庭では9割を超えている高校進学率も、生活保護家庭では約8割にとどまるというデータがあります。それを改善するため、厚労省も生活保護世帯の子どもたちの学習支援活動に力を入れていて、進学率が徐々に上がるなどの効果も出てきていたんですね。
 ところが、扶養義務が強化されれば、生活保護世帯の子どもたちは、経済的に自立できた後も一生親の扶養を背負わないといけないことになる。これは、せっかく進められてきた貧困の連鎖防止の活動の足を引っ張ることになります。
 そもそも、裕福な家庭に育てば扶養義務なんて求められないし、むしろ親から援助を受けている人だって多い。政治家だって二世議員なら親から地盤を譲ってもらったりと、親から「もらう」一方です。扶養義務を強調することは、生まれ育った環境による経済格差をますます拡大することになりかねません。

編集部

 まさに悪循環ですね。

稲葉

 あと、障害のある人たちからの反発も大きいですね。障害があっても地域で自立して生活していくことを目指す自立生活運動は、障害者は施設に入るか親元で一生暮らすのが当然とされていた世の中への異議申し立てとしてはじまったもの。そのための介助の仕組みなども徐々に整えられてきましたが、やはり障害者年金だけではなかなか暮らしていけませんから、生活保護を受給している人はとても多い。ところが、扶養義務の強化ということになれば、「それなら一人暮らしなんてしないで、親元にいろ」という圧力が当然強まってきます。これまでの運動が目指してきた「家族依存からの脱却」に明らかに逆行するんですよね。
 それだけではなく、DVの被害者支援やフェミニズムなどの運動も、そもそもは家父長制に象徴される、社会の問題をすべて家庭の中に押し込めてしまおうという考え方への異議申し立てとして進められてきた側面がある。扶養義務の強化というのは、それらすべてに対するバックラッシュともいえると思います。

自助・共助の強調は、国の責任放棄
編集部

 先日国会を通過した社会保障制度改革推進法案(8月22日に施行)にも、そうした方向性がはっきりと反映されています。

稲葉

 一番問題なのは、法律の冒頭部分。第2条の「基本的な考え方」にはこうあります。「自助、共助及び公助が最も適切に組み合わされるよう留意しつつ、国民が自立した生活を営むことができるよう、家族相互及び国民相互の助け合いの仕組みを通じてその実現を支援していくこと」。
 つまり、国が主体となって国民の生活を支えるのではなくて、家族でまず助け合ってください、国民が互いに助け合ってください。その仕組みを国が支援しますよ、という言い方。国が国民の生活に責任を持つということを否定しているわけです。例えば貧困による餓死者が出ても、それは自助や共助が足りなかったから。一義的に責任があるのは家族や国民であって、国ではないということになってしまう。これはもう、国による生存権保障を定めた憲法25条の解釈改憲と言えると思います。

編集部

 最低生活保障に対する「国の責任」を回避しているわけですね。

稲葉

 これを読んだとき、「どこかで見たことがあるな」と思ったんですけど、考えてみたらそれは北九州市の事例なんですね。
 1980年代、北九州市は主産業だった炭鉱の閉山などもあって、生活保護受給率が全国で一番高かった。それで、なんとか生活保護費の総額を抑制したい厚生省が市の福祉事務所に官僚を送り込んで、直轄で福祉行政を行っていました。結果として、全国でも一番厳しい水際作戦が展開されたんです。
 のちに元職員が内部告発をしましたけど、全体の保護世帯数をコントロールするために、新規に生活保護の給付を決めたら、同じ数だけこれまで給付していた人を打ち切るということが行われていたそうです。結果、2005年から3年連続で餓死事件が起こって大問題になりました。生活保護を金額とか人数とかいった外枠からコントロールしようとすると何が起こるかというのは、すでにそうして実証済みなんですよね。
 そして、そのとき当時の北九州市長が言ったのが「これからは地域の支え合いを強化していく」ということだった。行政が責任を持って住民の生活を支えるのではなくて、家族や地域の支え合いに責任を転嫁する。今政府がやろうとしていることは、それとまったく同じです。
 そもそも、貧困拡大の最大の要因は自公政権時代の規制緩和であって、それによって非正規雇用が増えたことが現状につながっているのに、自民党などの政治家はそこを改めもせず、問題をすべて「家族」に押し付けようとしているわけで…。単なる「無策」よりもさらにひどいと思います。

「かわいそうだから助けよう」の危険性
編集部

 本来は、前回おっしゃっていた「ナショナルミニマム」の考え方からすれば、国民・住民の生活を支える一義的な責任は、やはり国や地方自治体にあるはずですよね。

稲葉

 その根拠になるのが憲法25条ですが、私はこれは、実は憲法9条と同じくらい「ラディカル」な理念を語っているものだと思っているんです。

編集部

 どういうことでしょう?

稲葉

 先ほど、今の生活保護法ができたときに、扶養義務に関する欠格条項が削除されたと言いましたけど、実はそのとき、もう一つ削除された欠格条項がありました。それが「素行不良な者」なんです。
 つまり、どんなに嫌な人でも(笑)、多くの人が共感できないと思ってしまうような人でも、最低限度の生活は支える。それが現在の生活保護制度の理念であり、その基盤になっている憲法25条の考え方なんですよね。
 もちろん、その「ラディカルさ」に一般の意識がなかなかついていっていないという部分はあります。例えば、自分が共感できないような人のために、自分が払っている税金を使われたくないという声は当然あるでしょう。でも、じゃあ例えば「素行不良な者」には保護を適用しないとして、「素行不良」とは誰がどう判断するのか、ということです。
 ギャンブルを一切しなければいいのか、余計なことを言わずにおとなしくしていればいいのか。そうして保護の要件に道徳的な価値観を持ち込むことで、恣意的な判断で排除されてしまう人が出てきかねないんです。

編集部

 役所や政府にとって「都合のいい」人だけが救われる、ということになってしまうかもしれない…。

稲葉

 そう。だからこそ、生活保護法が定める無差別平等の原則は重要なんです。
 これについては実は、注目を集めた「派遣村」のときも、すごく危ういなという思いがありました。もちろん、それまでずっと「ない」ことにされていた貧困問題が、派遣村によって一気に可視化されたことの意義は大きかったと思うんですが、一部で「派遣村といいながら、もともとホームレスだった人が混じっているのはおかしい」みたいな批判も出てきたんですね。
 つまり、世間的な意識はあくまで「20~30代の若い男性労働者が、住むところもないような状況に追い詰められているのはかわいそう」。裏を返せば50~60代の、ずっと日雇いで建築現場で働いてきたような、いわゆるホームレスの人たちはその「かわいそう」の対象ではなかった。テレビなどの取材もたくさん来ましたけど、必ず「若い人を」と言われる。彼らは若い人、それも男性にしか興味を持っていなかったんですよね。

編集部

 実際には、それほど若くない世代にも、女性にも同じように「追い詰められた」状況にいる人はたくさんいたわけですが…。

稲葉

 しかも、貧困の問題に注目が集まったといっても、それは「あの人たちはかわいそうだから救済しないといけない」という取り上げ方がほとんどでした。支給されたお金を持っていなくなっちゃった人がいたことに対してもバッシングが起こりましたよね。結局、「かわいそうだから救済しないといけない」という目線は、「かわいそうに見えなければ自己責任で切り捨ててもいい」という考え方に、ころっと転じてしまうんだと思います。

編集部

 「けなげ」で「かわいそう」な被害者像が求められて、そこからはみ出したとたんにバッシングを受ける。障害者や被災者の取り上げられ方にも共通するものがありますね。そうではなく、どんな人であっても最低限の保護を受ける権利がある、というのが25条の考え方なのですが…。

「自分たちの足下で人が死んでいる」ことに衝撃を受けた
編集部

 さて、最後に稲葉さん自身のお話もお聞きしたいのですが、貧困問題などこうした社会的な活動に取り組まれるようになったのはどうしてですか?

稲葉

 私は、両親が広島で入市被爆している被爆二世なんですね。そのときの話などを親から聞いて育ったことで、戦争とか平和とかの問題に関心を持つようになって。大学生のころから湾岸戦争やイラク戦争の反対運動などにかかわっていましたが、貧困問題に取り組むようになったのは1994年ごろからです。

編集部

 それは、何かきっかけが?

稲葉

 当時はバブル経済が崩壊して、野宿の人が増えはじめた時期でした。特に、新宿駅の地下道にダンボールの「家」がずらっと立ち並ぶ場所があったんですが、1994年の2月に東京都がそれを「目障りだ」というので強制排除するんですね。地下道の一部はフェンスで封鎖されて。そのやり方があまりにひどいということで、仲間とその反対運動にかかわるようになったんです。
 活動しはじめて一番驚いたのは、路上では餓死や凍死が日常茶飯事になっていたことでした。新宿区内だけで当時、年間40~50人が路上で亡くなっていて。福祉事務所の対応も今よりひどくて、野宿の人が病気になって相談に行っても、「あんたはまだ働けるんだから、日雇いの仕事でもして、自分で稼いで病院に行きなさい」と追い返されるような状態でした。だから、「あんなところ二度と行きたくない」と、具合が悪くなってもなかなか役所に相談に行かない人も多かった。
 私自身も、夜回りをして野宿の人たちに声をかけて歩く中で、餓死・凍死寸前の人に何度も出会いました。しかも、救急車で病院に運んでもらっても、差別されてきちんとした治療を受けることもできず、そのまま次の日には亡くなっていく…。湾岸戦争やイラク戦争の問題も重要だけど、実は自分たちの足下で人がどんどん死んでるじゃないか、それをなんとかしなきゃいけないと思うようになりました。

編集部

 それが現在の「もやい」につながっていくんですね。

稲葉

 夜回りや炊き出し、生活保護申請の手伝いなどの活動を続けるうちに、徐々に行政の対応も改善されてきて、野宿生活から抜け出す人も増えてきた。そこで出てきたのが、部屋を借りるときの連帯保証人をどうするかという問題なんです。それで、各地で同じように野宿の人たちの支援をしていたメンバーが集まって話し合う中から、「もやい」が立ち上がったという流れですね。

編集部

 今は、主にどんな活動を?

稲葉

 立ち上げのきっかけであるアパートの保証人提供事業は今も続いていて、11年間で約2000世帯の連帯保証人になってきました。家賃を滞納したときの相談に乗るなどのアフターフォローや、亡くなられる方がいたときは部屋の片付けなども引き受けます。
 あと、生活に困っている人の相談に乗る「生活相談・支援事業」のほか、誰でも気軽に来られる交流サロンを開いたりもしています。貧困状態にある方というのは、経済的な貧困と同時に、保証人を頼める相手がいないことに象徴されるように、人間関係も非常に希薄な状態に置かれていることが多いんですね。生活保護を受けてアパート生活をはじめたけれど、1週間誰とも話をしていない、なんていう人もいる。サロンを通じて、そういう人たちの「横のつながり」もつくっていければと思っているんです。サロンから派生した活動として、フェアトレードのコーヒー豆を元ホームレスの人たちが焙煎して販売する「こもれびコーヒー」事業もおこなっており、居場所づくりの活動は広がっています。

NPO法人自立生活サポートセンター・もやい
こもれびコーヒー(インターネット販売もあり)

〈イベント案内〉
*りんりんふぇす Sing with your neighbors~「THE BIG ISSUE」support live vol.3
http://singwithyourneighbors3.jimdo.com/
日時:10月6日(土)開場 14:00/開演 14:30
料金:2000円 (税込・入退場自由) 会場:梅窓院 祖師堂

*反貧困世直し大集会2012「世の中なんとかしたくない?~あなたの声を聞かせてください。」
http://antipoverty-network.org/
日時:10月20(土)11:00~15:00 パレード出発16時(予定)
場所:芝公園4号地(東京都港区)

(構成・仲藤里美 写真・塚田壽子)

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新党結成で注目を集める「維新の会」の政策集「維新八策」も、
社会保障制度改革の基本理念に「真の弱者支援」を掲げています。
しかし、「真の弱者」とは誰なのか? 誰がそれを決めるのか?
恣意的判断の余地を残した制度づくりは、あまりにも危険です。
「無差別平等」の原則の重要性、
そして「かわいそうだから助けよう」のはらむ危うさに、
私たちはもっと自覚的であるべきなのでは? と思います。
稲葉さん、ありがとうございました。

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