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解決済みのQ&A

義経生存説

nityuainotugihasanntyaidayo6さん

義経生存説

モンゴルに渡ってチンギス・ハンになった、はともかく少なくとも蝦夷樺太に逃れたは有り得ますか?

  • 質問日時:
    2008/2/18 21:56:54
  • 解決日時:
    2008/3/4 05:11:10
  • 閲覧数:
    716
    回答数:
    3

ベストアンサーに選ばれた回答

xoow112さん

あまり知られてはいませんが、今では民間の史家の方々のお陰で、
義経についてもいろいろ判ってきました。
義経は、朝鮮の船で満州に逃れ、そこにいた平家の落人達と合流し
(同じ追われる身だったからか)、義経の後からやって来た者も50人ほど
になったようですが、平家側とはソリが合わず、モンゴルに移り、族長の娘と
結婚して、その後、ジンギスカンとなったといいます。
これは、確か史家の鹿島昇氏が述べています。

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ベストアンサー以外の回答

(2件中1〜2件)

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acm090190さん

可能性としてはゼロではないと思いますが、義経はやはり衣川で死んだと思います。

1.平泉に逃げ延びてからも、それが頼朝の知るところとなり、当然、やがて追っ手が来ることはわかっていました。逃げるつもりがあるなら、いつでも逃げるチャンスはあったのに、義経は衣川を自分の死に場所と定め、逃げることも、頼朝と一戦交えることもしませんでした。
2.北海道には義経が逃げ延びた痕跡が沢山残っていると言われていますが、それは、義経が平泉に逃げ延びてから、死ぬまでの間に、旅行気分で北海道に渡って、あちこちに痕跡が残されたとも考えられます。好奇心旺盛な義経のことですから、一度は蝦夷の大地に行ってみたいと考えても不思議ではありません。

義経生存説は、いわゆる判官びいきから生まれたものでしょうが、義経生存説は、逆に義経の名をおとしめるものだと思います。義経は、そんなに命に未練は無かったんですよ。命惜しくてあんな戦はできません。ただ、平家を滅ぼした後は、静御前や臣下たちと、静かに暮らすことだけを望んで、頼朝から逃げていたのです。しかし、最終的にその夢も叶わぬことを悟り、死を覚悟したのです。

l25bxさん

ファンタジーとして楽しむのは結構なことです。
夢がありますから・・・・

お月様にウサギが居る
と同じレベルで楽しめばいいのです。

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