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成吉思汗は義経ですか?
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- 質問日時:
- 2012/12/14 10:24:59
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- 解決日時:
- 2012/12/29 06:14:10
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ベストアンサーに選ばれた回答
義経が成吉思汗であるはずがありません。
とまあ、一言でおしまいなんですが、それじゃあもったいないんですよ、この話は。
デマ話は、どうして発生し、どうして民衆に広まるのか、という典型例ですから。
豊臣秀頼は、真田幸村と一緒に大坂城を逃れて鹿児島に逃げたそうです。保元の乱で敗れた源為朝は琉球に渡って王になったそうです。庶民に人気のある敗者というのは、「生きていたらいいなあ」が「生きていたに違いない」になるもんです。これは、ちょっとした現政権へのレジスタンス的な感情にも支えられています。「プリンセス・トヨトミ」を観てもらえば分かってもらえますか。別に観なくてもわかりますか。そうですね。
で、義経のはなしも、そのテです。
「義経北行伝説」というのが大昔からあります。東北から北海道にかけて、「平泉から逃れてきた義経一行が、この地に逃れてきて、しばらく滞在したのちに、さらに北に去っていった」という伝説がいっぱい残っていて、義経を祀る神社もいっぱいあります。これだけ沢山証拠があるんだから、義経が生き残ったのは確実だろう、と思いたくもなりますが。もちろん「義経には生きていて欲しい」という庶民の願望が形になったに過ぎません。一種の「神話」です(だから神社にもなるわけですが)。
役行者や弘法大師ゆかりの地は全国にあります。「そんなに旅してたのか」とびっくりするほどです。でも、これは「水戸黄門とおんなじだ」と考えるべきです。日本中どこの町でも、「わが町に大昔エライ人がやってきた、なんかして帰っていった」という伝説が欲しいんですよ。それがあれば観光名所も作れていいでしょう。
しかし、東北や北海道はさすがに、奈良時代や平安時代の偉人は来ません。そりゃそうです、そのころはまだ日本じゃかかったんだから。そこで、岩手県、青森県、北海道で「来そうな人気者」はと考えれば。ちょうどいいんです、義経は。なにせ超人気者だし。「死んだフリして密かに逃げた」のだから、秘密旅行ですから、証拠もなにもなくて当然です。「実は・・・」という伝承だけでいいんですから。
但し、伝説をデッチアゲルためには、ひとつだけルールがあります。「ここで死んだ」と言って墓を作っちゃうのは反則です。だって、そこより北の町に迷惑がかかるでしょ? だから、どこの伝説でも「義経はさらに北に去っていった」ということになるわけです。
そんなわけで、北東北、北海道には「点々と、義経の足跡が残って」おり、全部集めると妙にリアルなことになります。しかもどこにも終点(墓)がない。となれば、もう義経は、樺太から大陸に渡っていったと考えるしかないじゃあないですか。せっかく大陸に渡ったんなら、誰かエライ人になって欲しいじゃないですか。
そんなわけで、みんなが「そうだといいなあ」と言っていることをあえて否定するのは「野暮」ということで、「ロマン」は広まっていくわけですが。
「義経ジンギスカン説」が爆発的に広まったのは、実は昭和になってからです。広めた背後には陸軍がいたという説もあります。なんで? 義経は「中国大陸を征服した日本人」ということになるからですって。こうなると都市伝説みたいなもんですが。戦前の日本人がこの説を熱狂的に支持したのもまた事実です。「判官贔屓」に「国威発揚」の要素が加わってしまったのです。「軍隊にダマされた」という言い方をするのも、どうかというところです。「庶民感情」というのは、必ずしも「弱者の味方」だけではないんです。
というわけで、ちょっとキナくさい話でもあるんです、これは。
あと、ヒマがあったら高木彬光「成吉思汗の秘密」を読んでください。子供の頃にコレ読んで、「義経はジンギスカンだ、絶対!」と思って、友人を説き伏せまくったものです。甘酸っぱい思い出です。
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- 回答日時:2012/12/14 13:17:38
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ベストアンサー以外の回答
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末松謙澄がケンブリッジ大学で、義経=ジンギスカン説を卒業論文にまとめて発表しました。当時、イギリスで日本人について知っている人は少なく、知名度が高い東洋人がチンギスハーンであったので、それに日本の英雄である、源義経をくっ付けたということです。しかし、源義経がチンギスハーンになったという説は以前からあったものなので、独創的な発想ではなかったようです。
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- 回答日時:2012/12/14 18:45:21
平泉で死んで無い可能性はありますが、実際のところ何ともいえません。
が、そもそも義経がジンギスカンであるというのは江戸時代に単なる伝説だったのですが、このネタを古書を捏造する事で流行らせた人間がいたそうです。何のよりどころも無い外国人が遊牧民をみるみる統一するというのはネタとしては面白いですが現実味が無い話だと思います。
あまり真面目に信じると、歴史を捏造して起源の主張しかしない一部の韓国人と同じになってしまいますので注意が必要ですね。
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- 回答日時:2012/12/14 18:11:48
源義経が実は平泉では死んでいない、という説は
当時からあったようです。
戦場で自刃、などというのはどうしても細工の割って入る余地があるので
平泉脱出説でしたら100パーセント有り得ない、とまではいえないでしょう。
しかし、成吉思汗=義経説についていえば
これが登場するのは幕末に入ってからなのです。
江戸時代の間は義経が大陸に亡命して金朝の将軍になって
その子孫から後金=清朝皇室(愛新覚羅氏)が出たという説がポピュラーでした。
清朝皇室の祖先説は国学者や儒学者の支持を集めていました。
鎖国時代の日本で、成吉思汗の名前がどれほど知られていたかは疑問です。
思うに成吉思汗説は、
西洋史の知識を持っていた蘭学者の間から出てきたものではないでしょうか。
日本が開国して西洋史の知識が普及するようになり、
清の重要性が相対的に低下すると、
東アジアでしか値打ちのない清朝皇室の祖先説は見向きもされなくなってしまい、
世界史レベルで通用する成吉思汗説だけが生き残りました。
追記:
「成吉思汗の秘密」をはじめ、
成吉思汗説を支持する人は、
同時に清朝皇室の祖先説(金朝将軍説)も支持していたりします。
金朝はモンゴル帝国に滅ぼされたので、
義経が金朝の将軍でしたら、成吉思汗と戦った立場になるはずなのですがねえ・・・
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- 編集日時:2012/12/14 17:13:06
- 回答日時:2012/12/14 17:08:09
birdea37さん
ジンギスカンは、青年時代までテムジンと
いう名前で、これは漢字で、あてはめると
鉄人と なって、蒙古では鍛冶屋のことを
意味するみたいでジンギスカンは、
族長に出世する前の雌伏時期には、
鉄器を 作って生活していたみたいです。
源義経は、武士で、手先が器用だった
みたいですが、鍛冶屋に転身できるような
人格だったか、どうか。
でも たとえば必殺仕事人の政は、
最初、花屋だったが途中で鍛冶屋に、なったんで
義経が鍛冶屋に転身も不可能じゃ、なさそう。
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- 回答日時:2012/12/14 12:58:55
私は義経ではないと思いますね。
ただ義経が平泉で死ななかった可能性ならそこそこあると思いますよ。
あと、私のノートを参考に読んでおいてください。
http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n135249
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- 回答日時:2012/12/14 10:29:50