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1級身体障害者でフリーライターで家庭教師なよくわからない人間、だいちゃん(∀)の勉強法とか雑談ブログ

『言葉』には『霊的』な力が宿っている――「子供」や「部下」を伸ばす魔法の言葉がけ


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美しい 醜い

photo by Sam Antonio Photography

 

幽霊とか占いとか全く信じていません。夢の無い人間ですみませんね。

どうも、だいちゃん(∀)です。

 

「死ね」という言葉を言簡単に使う人間がいる。

インターネットの書き込みでも使われているし、実際に話す時にも「しね」という言葉を使う人間がいる。でも、こんな言葉は簡単に使ってはいけない。

 

世の中にはさ、使っている側は気軽に「しね」って言っているだけでも、その言葉によって本当に死にたくなり、実際に自殺をしてしまう人がいる。簡単に使う人は、そういう人が世の中にいるということも想像出来ないのか。言葉の力を舐めすぎだ。言葉だって立派な凶器になる。言葉、舐めんな。

 

刃物で人を刺すのと、「しね」という言葉で人を刺すの、どこに違いがあるというんだ?

刃物で人を刺した場合、血が流れる。それはいけないことだというのが理解しやすい。言葉というものは、どれだけ傷つけても目に見えないから想像出来ない人間がいるのだろう。

 

 「言葉」にはとてつもない力がある

「水からの伝言」という本にはこのようなことが書いていた。

例えば、水で人工的に結晶を作る時に「ありがとう」や「平和」などの綺麗な言葉をかけると美しい結晶が出来る。逆に、「しね」や「戦争」などの汚い言葉をかけると醜い結晶が出来る。

これに関しては科学的な根拠が一切無い、ニセ科学説のほうが大多数だし私もそう思っている。しかし、人間のストレスに関しては心理学や脳科学などで似たような事例が立証されている。

 

人は「死ね」などの汚い言葉を使うと、使った人本人がストレスを受けている。使っている人によっては、人を傷つけることが楽しい、というような狂った人もいる。楽しい気持ちになっているのかもしれない。だが、人間の「脳」というものはそんなに単純なものじゃない。本人に自覚が無いだけで、しっかりとストレスを受けている。

逆に、綺麗な言葉は、使った人本人にも癒し効果がある。ストレス発散になるということらしい。

だから、嫌いな人間の悪口を言うのは、ストレス発散になっているようで、あまり言い過ぎると逆にストレスになっていて逆効果だ。汚い言葉ばかり使う人は、その人自身も醜い人間になっていく。

 

逆に、綺麗な言葉をよく使う人は、言葉によるストレスを最小限に抑えることが出来る。それに、言葉遣いは人間性を見られるし、見た目などの「表面」にも現れる。だからヤクザの幹部などは必ず言葉遣いを丁寧にしている。

 

「言霊」というものも案外バカに出来ない

例えばさ、教育と称して自分の子供や会社の部下に対して「バカ」だとか「無能」だとか「ダメ」だという言葉がけをしていると、例えどんなに能力のある人間でも、育たない。本当にダメな人間になってしまう。

「自分は無能な人間なんだ」

という気持ちになってね。

古来より言葉には「霊的な力」が宿っていると言われている。そのことを「言霊」という言葉で度々、本などで紹介されていたりする。

 

本当に霊的なものが宿っているかは置いといて(私は、そういう霊とかなんとかっての嫌いだし、信じていません。)、言葉というものは、口にしたことがある程度は現実になるような気がするのは、私だけではないはずだ。気持ちの問題で「思い込み」による力も大きいのだろうけれど、その「思い込み」が良い方向にも悪い方向にも働くことがある。

それだけの力を持っている。だから、「霊的な力」が宿っている、と「神」という存在が権力として行使されていた時代には言われていたのだろう。

 

だから、「無能」だって言葉をかけ続けられて生きてきた人は自分を無能だと思ってしまう。どんなに可愛くても、イケメンでも、ブサイクだ醜い奴だ、と言われ続けて生きてきたら、そういう風に思い込んでしまう。

そうやって、本当にダメな、ブサイクな、可愛くない人間になっていってしまう。ダイヤモンドの原石がダイヤモンドになる前に崩壊してしまう。なんて勿体無いことなのだろう。

 

もっと褒め上手が世の中に増えるべき

日本人は褒めるのがヘタすぎる。心にも思ってないのになんでもかんでも褒めるのはただのお世辞だから、あまり使う必要はないだろう。そんなものは見抜ける人間は簡単に見抜けるから。

しかし、相手の良いところを見つける癖をつけて、それを褒めるようにする。そういう「褒める」は、凄く大切だと私は思っています。

 

子供相手にしても、部下相手にしても、恋人相手にしても、批判からは何も生まれない。

 

「相手の為に言っている。だからこれは批判じゃない」

という言い訳を自分にして、汚い言葉を使う人、悪口を言う人間がいる。私自身もそういうところが無いとは言えません。(私は意識して使わないように気をつけていますが……。)

 

そういうのは、ただの「八つ当たり」にすぎない。どんなに言い訳をしても、だ。

八つ当たりからは何も生まれない。

そういう「八つ当たり」が相手の為になっていることがあるのは、言った人のおかげではなく、それを受け止めた人間がプラスに、自分の為になっている、という風に受け止めることが出来たからだ。言われた人の努力の成果だ。そこを勘違いしてはいけない。

 

・「汚い言葉」は、人の心を醜くする。

・「綺麗な言葉」は、人の心を美しくする。

 

このことを、絶対に忘れないようにしたいものですね。

だいちゃん(∀)