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特集第5部 冨安徳久の人的ネットワーク |
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葬儀業界の坂本龍馬
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[2011-04-05 23:33:25] |
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冨安は、人に尽くすことを大切にしている。アトミック代表取締役の鮫島敦は「冨安さんには高い志と大胆な戦略がある」とその魅力を語り、ライフデザインギアサプライ代表取締役の服部憲和は「坂本龍馬の影響が大きい」と推察する。一方、アクションパワー社長の大津たまみは「優しさだけでなく厳しさも併せ持っている」、駿台トラベル&ホテル専門学校葬祭マネジメント学科専任教員の福田充は「地道な努力家だ」と、何事にも真剣に向き合う冨安の姿に感心する。そんな冨安に、メディアサポート社長の横田明彦は「一緒に葬儀業界を変えていきたい」と情熱を燃やす。(文中敬称略)
◆ともに葬儀業界を変革したい
メディアサポート 代表取締役社長 横田明彦 Akihiko Yokota
「飛び抜けて明るく、生き生きしている」。今から20年ほど前、横田は冨安と出会い、衝撃を受けた。「これまでの業界人とは真逆のイメージだ」。横田はその頃、葬儀会社の東海典礼で病院営業をしていた。当時の葬儀業界で働く人は暗く、若い人は少なかった。だが、冨安は違う。元気いっぱいの笑顔で、若々しい。
横田にとって冨安はライバルの存在だった。横田が営業先の病院に行くと、毎回のように「同業他社に冨安という凄い男がいる」という話を聞いた。一体どんな男なのか、一度会ってみたかった。そんなある日、偶然営業先で冨安と出会う。「とにかく明るい雰囲気がとても印象に残った」と横田は当時を振り返る。その後、度々営業先で出会い、話をする仲になった。
冨安は横田に「葬儀業界をよりよく変えたい。独立して、ティアという会社を創ろうと思うんだ。一緒にやらないか」と誘った。横田は「やりたい」と直感的に思った。冨安の高い志と情熱に、心が突き動かされたのだ。
ただ今の状況を抜け出すのは難しい。横田は当時、ライバルの葬儀社で取締役も務めていた。そう簡単に辞めるわけにはいかない。しかし不透明な葬儀業界を変えたいという思いは同じだった。「彼なら、業界を変えられる。一緒にできることがあるなら、手伝いたい」と思った。
冨安がティアを創業後、苦しい状況が度々訪れた。特に大変だったのは、同業他社からの嫌がらせである。冨安は当時、名刺に携帯電話番号を載せていたため、イタズラ電話が頻繁に掛かってきた。誹謗中傷の電話に、冨安は精神的に参っていた。それを知った横田は、電話会社の知り合いを冨安に紹介し、別の携帯電話を用意してもらった。それ以降、嫌がらせの電話も収まり、冨安が仕事に集中できる環境が整った。「冨安さんの心の負担を少しでも取り除けてよかった」と横田は振り返る。
ティアはその後、同業他社の圧力をものともせず、急成長を遂げていく。
その勢いに後押しされるように、横田も2000年4月、葬儀会社の帝都典礼(現・帝都葬祭)を立ち上げた。日本の首都を意味する「帝都」を社名に冠することで、「常に日本の葬儀業界の最先端を進んで行きたい」という想いを込めている。ティアと同様、真心の込めた葬儀を提供し、葬儀会社の格付け機関JECIA(ジェシア)の最高評価である五つ星を取得。その実績を元に、ドラマや映画の葬儀シーン設営なども手がけていった。
その代表例の一つが、TBSの大ヒットドラマ「華麗なる一族」(2007年、木村拓哉主演)である。同ドラマの葬祭シーンはすべて同社がプロデュースした。「白夜行」や「ROOKIES(ルーキーズ)」などの人気ドラマをはじめ、東京放送、テレビ朝日、NHK、日活映画撮影所などからドラマや映画の葬祭シーンを受託している。
2004年6月には、霊柩自動車の運送事業を展開するメディアサポートを設立。葬儀社などから委託を受け、24時間365日対応で病院や自宅から葬儀会場、葬儀会場から火葬場へと遺体を搬送する。冨安が最も信頼する霊柩運送事業会社で、主力の取引先でもある。09年11月4日には、日本証券業協会の証券市場「グリーンシート」へ株式公開した。
「ティアさんから数多くの仕事をいただき、私どもの会社も成長できた」と横田は言う。ティアは名証セントレックスから名証2部に指定変更し、さらなる飛躍を遂げている。メディアサポートも今後、名証セントレックスやジャスダック上場を目指す方針だ。
「私も冨安さんとともに葬儀業界を変革したい。同じ志を持つ者同士、これからも一緒に頑張っていきましょう」
◆マザー・テレサのように社会を変える人
アトミック 代表取締役 鮫島 敦 Atsushi Samejima
冨安の書籍「心の角度を幸せに 『さよなら』の現場で学んだ愛」(中経出版)や「1%の幸せ あなたのココロを磨く45の気づき」(あさ出版)をプロデュースしたのが、鮫島敦である。
鮫島は出版プロデューサーとして、ワタミ会長の渡邉美樹の書籍を始め、これまで数々のベストセラーを生み出してきた。冨安を知ったのは、2007年の春。次世代の企業家を紹介する本を創ろうと考え、日本中のベンチャー経営者の情報を収集した。その時、冨安の存在を知ったのである。
資料を読む中で、冨安の志に感銘を受けた鮫島は、冨安に手紙を送った。すると、数日後に冨安から電話がかかってきた。「お手紙ありがとうございます。今度東京に行くので、一度お会いしましょう」と冨安は言った。「手紙を送ってもそういう反応はめったにないので、驚いた」と鮫島は言う。
二人は赤坂エクセルホテル東急のラウンジで待ち合わせた。「ホテルのカフェでコーヒーでも飲みながら話そう」と鮫島は考えていたが、冨安は「コーヒーの価格が1000円を超えて高いですよ。外の喫茶店に行きましょう。その方が安いですから」と言った。「その一言で冨安さんは信頼に値する人だと直感した」と鮫島は振り返る。
「成功する創業経営者の特徴は、お金の使い方がシビアで細かいこと。同時に、高い志と大胆な戦略を持っています。その相反する両面を持っている企業家が本物のリーダーです。冨安さんはまさにそういう企業家でした」
その後、交友が深まり、冨安の書籍を作ることになった。二人で作った1冊目の書籍は、08年5月20日に発売した「1%の幸せ」である。経営者の本を作る場合、たいていはライターが聞き書きする。だが、冨安は自分で執筆した。「タイトルの付け方や文章のテンポ、リズムがとてもいい。冨安さんはカリスマ作家、あるいはカリスマ編集者になる才能もある」と鮫島は太鼓判を押す。
書籍は好評で、共同制作の2作目である「心の角度を幸せに」を2010年6月7日発売。作家の村上龍も快く推薦文を寄せ、話題を集めた。
冨安の魅力は「私心がないこと」だと鮫島は分析する。例えば、名古屋で友人や経営者の交流会があると、冨安は時間の許す限り参加する。参加者たちとともに食事し、冗談を言いながら、その場を明るく笑顔にする。
「冨安さんは、それが仕事につながったり、ネットワークになるということで、参加しているわけではありません。損得ではなく、ひとりの人間として交流を深め、人の為に尽くすことを大切にされています」
知人の経営者が悩んでいると、いつも相談に乗る。「諦めない限り、夢は叶う」が冨安の口癖だ。
「彼の声は透き通って聞きやすい。それは本心から言葉を発しているからです。感情が言葉に乗っているから、多くの人の心に響くのです」
現在は3冊目の制作に取り組んでいる。今度のテーマは、命のバトンタッチだ。
「冨安さんは、葬儀を通じて、人の想いをどうやって次世代に伝え残していくかを考えています。人々の思いをつないでいくような、そんな本を作りたいですね」
鮫島がプロデュースした渡邉美樹の書籍「きみはなぜ働くか。」(日本経済新聞出版社)は約20万部を売り上げ、渡邉の代表作になった。「冨安さんの本もベストセラーにしたい」と鮫島は意気込む。将来は、書籍だけではなく、冨安の講演会の映像をDVDやウェブ配信で提供していきたいと考えている。
「冨安さんは、企業家という枠組みを超えて、マザー・テレサのように社会を変える人です。彼の想いをこれからも書籍などを通じて広く伝えていきたいですね」
◆大胆かつ地道な努力家
駿台トラベル&ホテル専門学校葬祭マネジメント学科 専任教員 福田 充 Mitsuru Fukuda
福田充は1999年から綜合ユニコムの発行する葬儀業界専門誌「フューネラルビジネス」の編集長を務め、現在では駿台トラベル葬祭マネジメント学科の教師として未来の葬祭専門職業人を育てている。
福田と冨安の出会いは2000年に遡る。名古屋で急成長中の会社があるという噂を耳にした福田は、早速ティアに対して取材をした。
葬儀業界は地域に密着しており、土地ごとに慣習や儀式に対する考え方が大きく異なる。その中でも名古屋は伝統的な冠婚葬祭互助会の大手がひしめく地域だ。
「冨安さんは全国的に見ても一番厳しいと言われる名古屋で展開していき、葬儀費用も格安に抑えると言うのですから、業界内では革命児と噂されていました」
伝統と信頼が重視される葬儀業では、葬儀場が新しく綺麗だという理由だけでは消費者に選ばれない。そのため、一般に目標の経営数値を達成するまでに3年かかると言われている。
「そんな中で冨安さんは地域での認知度を上げるため、会館が開く2、3カ月前から地域の状況を調べて個別訪問を行っていました。チラシや広告を出すにしろ、原則は汗水流した営業をベースにしていらした。そうした地道な努力、考え方がしっかりしていて、若いのにしっかりしているな、という印象を受けました」
当時の冨安のモットーは「生涯無休」で、大胆なビジネスモデルを展開しつつも地道な努力を続けていた。そうした冨安の姿勢に福田は感銘を受け、東京でも冨安を紹介したいと強く思ったという。そこで毎年開催されている葬儀業界のイベント「フューネラルビジネスフェア」での講演を依頼した。
「冨安さんのお話を聞いて、非常に感動したと評価する同業者の方が多くいらっしゃいました。そうした好評もあってフェアでは数回に渡ってご講演していただきました。冨安さんの講演の聴講者数230人の記録は未だ破られていません」
冨安の講演は特に若い経営者に評価された。
葬儀業界は2000年前後に異業社参入が盛んになり、社会的な職業として注目を浴びるようになった。そのためサービスや教育の体系化が求められるようになり、葬祭マネジメント学科の設立につながった。福田はこれからの葬儀業者に必要な資質についてこう語る。
「葬儀業はご家族が一番辛くて悲しい時にお手伝いする仕事なので、心遣いが必要です。それと同時にプロとしての自覚も必要なのです。葬儀業は一期一会で、それぞれに思いを込めて取り組む必要がある一方で、一つ一つ切り替えないといけない仕事です。そういった意味で学生には心体共に柔剛を併せ持った人物になって貰いたいと思っています」
以前の業界内には、流れ作業の様に葬儀を行う風潮があったと福田は言う。その意識を変えようと声高に主張して来たのもまた冨安であった。葬儀業の未来に対する理想が、現在の教育体系の礎になっているのだ。
ティアに求めるのは東京進出だと、福田は期待を込めて語る。
「東京では葬儀会館を用意するにも、場所は狭く、値段が高い。さらに火葬場も民営が中心であるために料金が高くなります。冨安さんに期待することは、一番人口が密集していながら消費者として最も不便をしている東京に進出して、ティアの成功モデルで展開していってもらうことです」
◆包容力溢れる先輩経営者
ライフデザインギアサプライ代表取締役 服部憲和 Norikazu Hattori
2011年4月、東京ビッグサイトで「実験&挑戦のベンチャー・中小企業展」が開催される。これは、ベンチャー企業を中心に、日本市場の縮小に怯まずアジアやアメリカにマーケットを求めていこうという趣旨のイベントである。主催は、服部らの運営する経営者の交流会「レゾンデートル」。出展企業150社、来場者約4000名を見込む。
「冨安社長には、このイベントに顧問という形で参画いただき、セミナーもお願いしている」と語る服部は、起業して間もない頃に冨安と出会った。
服部は愛知大学の経営学科を卒業後、住宅設備機器メーカーに入社し、15年間の営業職を経て2007年に起業。同年7月にレゾンデートルを立ち上げた。その定例会での講演をお願いするため紹介してもらったのが冨安であった。
服部は冨安の第一印象について「笑顔が素敵で、冨安社長に後光がさしているように見えた」と振り返り、その魅力について、第一に包容力を挙げる。
「講演を中心に様々なお願いをしましたが、まず断られたことはありません。起業したばかりで何の実績も無いにもかかわらず、会ったその場で講演依頼を快諾していただいたのには感激しました」
また、何事も諦めない強さも冨安の魅力だ。やると決めたら、必ずやり遂げる。「起業後10年でティアを上場させると前々から話されていたが、結局上場までにかかった期間は10年に満たない」と服部は驚く。
08年1月の初講演後も交友関係は続いた。冨安は、服部らの製作した講演時のビデオやDVDを気に入り、セミナーのビデオ製作を依頼した。「起業した当初は、様々な所で仕事をもらわなければ首が回らない。そうした中で仕事をいただけたのはありがたかった」と、服部は冨安のささやかな心遣いに感謝する。
今ではイベントの関係もあり隔月で顔を合わせるが、雑談になるとよく坂本龍馬の話をする。冨安の影響で服部も龍馬が好きになり、今では「坂本龍馬」と名の付く書籍は必ず読む程になった。「冨安社長も坂本龍馬に影響された部分が大きい。私心が無く、様々な場面でサポートして下さるのはそのためだろう」と服部は推察する。
服部が冨安と話した中で印象深いのは、「一得一失」という言葉である。この言葉について服部は「一生懸命やることで時間や労力が失われるが、その分大きなものを得られる。逆に、努力もせずに何かを得たところで他のものを失ってしまう」と解釈し、「何事にも諦めずに一生懸命取り組む心構えを、この言葉から教えていただいた」と語る。
そんな服部はコンサルティングという仕事柄、ティアを分析し、その強さを3点挙げている。
「まずは人材教育。そして経営理念。さらに温かい社風がティアの強みです。特に経営理念に関しては、冨安社長が起業した頃からたった一人で朝礼をし、その度に口にしていた程ですから、今では会社の末端まで浸透しています」
そして重要なのは、これらが人に伝わりやすいということである。「ティアは理念もビジョンも明確で分かりやすく、好感が持てる。そして経験上、事業内容・理念・強さなどがはっきりと打ち出されている企業ほど業績も良いものだ」と服部は考察する。
服部は重要な局面に至ると、冨安ならどうするかを考え、決断を下すことが多い。判断の軸となるのは「お客様や周りの人たちにどれだけ貢献できるか」である。
「私のような駆け出しのベンチャー経営者たちに、これからも大きな心と熱い魂でパワーを与えていただきたいです」
◆優しさと厳しさを併せ持つ師匠
アクションパワー 代表取締役社長 大津たまみ Tamami Otsu
「優しさと厳しさのある方」
大津が持つ、冨安の名刺にはそう書かれている。大津はその人の第一印象を名刺に書いており、冨安との出会いをこう振り返る。
「笑顔が素敵で、とても優しい印象を受けました。ただお話を聞いていると、生きることに対して誰よりも真剣な厳しさを感じました。『人を殺してしまうのは人間ではない』という言葉は特に衝撃的でした」
06年7月に大津が設立したアクションパワーは、整理収納や家事代行、ハウスクリーニングを提供するおそうじ会社である。二人は2006年10月、社会保険労務士の伊藤麻美を通じて出会った。
「尊敬する社長が時間を取ってくれたから、たまちゃんもおいで」
名古屋在住の大津は以前からティアの存在を知っていた。価格などの明快なプランに魅かれて、03年にはティア甚目寺で会員にもなっている。
07年、同社が名古屋駅前へ事務所を移転した時、冨安は出会って間もない大津の為に、お祝いへ訪れたという。「まだお会いして間もないのに、忙しい合間をぬって来て頂き、とても嬉しかったです」
その後も冨安はまめに顔を出す。大津は毎年、大晦日の朝7時から40名程の友人と共に「本気の忘年会」を開催している。同会は本気で今年一年を楽しんだかという振り返りと、来年の抱負を共有する場である。冨安はここにも毎年顔を出し、「尽生観と志事」、「発心、決心、相続心」という仏教の考えなどについて語っている。
08年夏、大津は親友の父親の葬式に参列した。大津にとっては大切な存在とのお別れであったが、その葬式では一参列者である。そのため葬儀会場の後ろの方の席に座っていたが、思い出がふとよぎって、その場で大泣きしてしまった。尋常ではない空気を察して、ティアのスタッフが大津に声を掛けた。
「お父さんの御遺体まで、手を添えて連れて行ってくれました。そこで私はお父さんの体に触れて『お父さん今までありがとう。私、頑張るからね』と伝える事が出来ました。スタッフの気遣いで、最後のお別れをしっかり出来たのです」
大津の背中を押したのは名前も知らない初対面のスタッフ。その時大津は「冨安社長に学んだ尽生観で社会還元していきたい」と改めて誓ったという。
「思いを形にした本を出したい」
大津の小学生時代からの夢だったが、2010年末に書籍「8秒で幸せをつかむ『片づけ力』」を出版。夢の実現には、大津のシングルマザーや起業家としての経験が生きている。36歳の時、大津は一人で子どもを育てることになるが、仕事が中々見つからなかった。子連れの女性に対する雇用の厳しい現実、お母さんネットワークの大切さを痛感した。
「子育て中の女性が働ける環境、女性の社会進出を支援する組織が必要だ。それなら自分で会社をつくってしまおう」
そうして立ち上げたのが、アクションパワーである。清掃の経験とワーキングマザーとしての思いを融合させた同社は、おそうじ会社を超えた生活支援企業を目指している。
「今後は遺品整理事業を積極化していきたい。例えば、同居者を亡くされたご遺族が遺品整理を終わらすまで、平均8から9年掛かるといわれています。私たちはそのご遺族の思いに心を寄せ、『生きるスペース』に切り替えるお手伝いをしていきたいと思っています」
大津は最後に笑顔でこう話した。
「冨安さんの全ての言葉には毎秒『学び』があります。私は勝手にですが、冨安さんの弟子だと思っています(笑)。これからも弟子として、近くで学ばせて頂きたいです」
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