一カ月も更新をお休みしてしまいました。
始めたばっかりのブログだったのにね。
でも、ようやく気持ちが落ち着いてきました。
生活はまだばたばたしているけれど、自分の気持ちをようやく整理できるような気が、今しているので、プライベートなことですが書きます。
就職してから、もうすぐ丸一年。
希望していたディベロッパーの仕事に就ける会社に就職して、販売員としてお仕事をすること半年、思っていたよりもかなり早く、憧れの開発の部署へ配属されたのが10月。
3年はモデルルームで働くだろうと覚悟して就職しただけに、このサプライズ人事はかなりの驚きでした。
半年だけでは販売を経験したと言うには短すぎるし、それまではモデルルームでこじんまりと少人数でお仕事をしていた私にとって、本社で、男性に囲まれて、多くの関係会社の方たちとお仕事をすることは、大きな大きな不安でした。
9月の、モデルルームへの最終出勤日は、お仕事が終わってから仕事の荷物のお引越しを済ませ、涙ながらにお世話になった先輩たちへお礼を伝え、寂しさと不安を抱えて家まで帰りました。
期待2割、不安8割で始まった、開発のお仕事。
男性だらけの職場になる、というのが不安の大きな要素でした。
もともと男社会な業界だということもあり、「女にこの仕事ができるわけがない!」と考えるような人が、上司や先輩だったらどうしよう、と心配していました。
特に、1年目の新入生にはOJTという制度に基づき、1人の先輩がマンツーマンでお仕事を教えてくれるのですが、そのOJTがどんな人なのか、それこそ生死を分けるほどの大問題で…。
販売の頃は3年目の女性ということで、歳も近く性別も同じ先輩だったのですが、新しいOJTは10年先輩の男性ということで、上手く信頼関係を築けるか、かなり緊張していたと思います。
開発のお仕事では、一つひとつの計画を、基本的には1人か2人の担当しかつかないため、基本的に仕事の内容や行動・移動などはOJTと一緒、仕事の質問もOJTに聞かないと、他の人はわからないという状況。
自分の仕事生活を大きく左右する人になると、前もってわかっていたため、嫌われないようにだけはしよう、と思っていました。
結論から言うと、周りの人には本当に恵まれた職場でした。
直属の上司からは、配属初日に「マンションは女性が選ぶ決定権を持っていることが多いもの。女性の目線でものづくりをすることも、今後は必要になると思う」と、女性として働くことを応援して頂きました。
OJTの先輩は、本当に、心から尊敬できる人でした。
仕事ができて、面白くて、人望があって、優しい人。
言葉を並べてしまうとそれまでだけれど。
やることなすこと、見るもの聞くこと、出会う人たち、全てが全く新しく、何もわからない状態の私に、いろいろなことを、教えてくれました。
手取り足取り教えるタイプの人ではないけれど、ずっと一緒にいて、沢山話をして、仕事ぶりを見ている中で、私が受け取ったもの、学んだことは多かった。
何のためにこの仕事をしているのか、この事業の成功のために皆どう行動すべきなのか、多くの専門家を束ねるディベロッパーとしてどうふるまうべきなのか。
仕事への姿勢や考え方を、根本から教えてもらいました。
移動中の電車の中、お酒の席、ゴルフなどで話した笑い話の数々。
仕事が嫌、会社に行くのが嫌なんて一回も思わずに、毎日沢山笑いながら仕事をしていました。
OJTが社交的で人望がある人だったおかげで、社内外問わず、私をかわいがってくれる人たちが大勢できました。職場でも可愛がってもらっています。
一つのマンションが出来上がるまで、土地の契約から竣工、引き渡しまで2~3年はかかるマンション事業。土地の契約までも長い長い時間がかかります。
その性質上、ディベロッパーとして一通りのことがわかるのに5年、立派に仕事ができるようになるためには10年前後はかかると言われているこのお仕事。
まだまだ半年しか働いていない私は、これからもOJTから、その仕事ぶりから、話から、沢山重要なこと、大切なことを学ぶつもりでいました。
ところが。
春の人事異動に伴い、OJTが地方へ行ってしまうことになりました。
うちの部署の開発担当で1人だけ。地方へ。
本当に、目の前が真っ暗になったような気分でした。
慕っていた先輩がいなくなってしまう悲しさ、今担当している物件がどうなるのかという不安、そしてもう二度と今までのような形で一緒に働くことはできないという寂しさ…。
涙が止まらず、目が腫れてしまうほど。ショックで言葉も出てこないほど。
驚きを隠せない様子の先輩から、「お世話になりました…」と苦笑交じりの挨拶をされたときも、何も言えませんでした。
その日はお仕事の後、職場の人たちと飲みに行きました。大規模な人事異動へいろいろ意見しながら、OJTの先輩の異動に対してみんな寂しさを口々にしながら。
二次会はカラオケ。
そこでOJTとSuperflyの「愛をこめて花束を」を歌いました。もちろん知っていたけれど、きちんと聞いたことはなく、サビしか歌えず…。
「頑張れよ」と励ましてもらったのに、お酒も入っていたこともあって、その晩はここ数年一度もなかったくらい、号泣しました。
翌日、腫れてパンパンの目をしたわたしのところに、心配した同期から連絡がありました。
その同期からは、「今更変えられるものでもないし、残りの3週間かけてゆっくり覚悟を決めていかなきゃね。きっと先輩もショックはあるだろうし、支えてもらった分、支えてあげなきゃね。」
とメッセージをもらいました。
確かに、その通り。泣いてばかりだったけど、思いもよらなかった場所に異動になって一番驚いたのは先輩だろうし、それなのに泣いている後輩の面倒を見なくてはならないような、そんな状態にしてはいけないと、反省しました。
もう人前では泣かない。
それから毎日、「愛をこめて花束を」を聞いています。聞けば聞くほど、歌詞の一つひとつが私の心境を映しているようで、聞き飽きません。
職場ではあれ以降、毎日以前と同じように笑って過ごしています。でもやっぱり、寂しくなったり不安に思うことは多く、一週間は毎日夜に泣いていました。
追い打ちをかけるように、今まで2人で担当していた二つの物件を、4月以降は1人で担当することに決まりました。一歩先からは、未経験の業務のオンパレード。周りの若手の先輩はみんな、2年ほど先輩についてお仕事しているのに、なんで私だけ半年で放り出されてしまうんだろう…。他の先輩からお仕事を学ぶことすらできない。
一気に仕事量が増えました。
1人で事業を回すことになって、今までどれほど先輩に甘えていたか、やっていた仕事が簡単なもので全体のほんの一部だったか、思い知りました。
初めてのことだから、効率が悪いのはある程度仕方なくても、毎日夜遅くなるため、生活も乱れました。
いろんな業者さんへの挨拶回りなどで先輩は忙しくなり、一緒に行動することもなくなりました。
でも、1人で仕事をするということを受け入れるのには、あんまり時間はかからなかった。
その前の先輩の異動であまりにも落ち込んでいたため、これ以上の不安にはこころが鈍くなっていたのかもしれません。
やれと言われたらやるわ。そう、ある意味開き直ったような気持ちで仕事にとりかかることができました。
先輩とも、行動を共にしなくなったことでこころが落ち着いてきたような気がします。
先輩が担当を外れたため、指示や意見を仰ぐことも無くなり、どこか冷たいと感じるくらい冷静になることができました。
やるべきことの多さに頭がいっぱいになっているということもあるけれど。
泣くことも減りました。完全になくなってはいないけど、泣かなくなりました。
これが、受け入れるってことなのかな。
ずっと行動を共にしていて、家族よりも長い時間一緒にいた状態から、急速に距離が離れていくことを、冷静に受け止めること。
この自分の変化は、それはそれで寂しいような気もします。
何事も、「これ!」という正解はなかなかないと思うけど、私が先輩に半年間お世話になったのは事実で、感謝しているのも本当。
残されたのはあと一週間と少しだけだけれど、その時間で、めいっぱいの感謝を伝えたい。
最後の日には、涙ではなく笑顔で送り出したいと思っています。