株式と金利は競争関係にあります。
いまもし銀行にお金を預けたとき年率5%の金利がつくとしたら、一月一日に預けた100ドルは一年後には105ドルになります。
その環境下では、今買った株の値段が最低5%上昇する見込みがなければ、株を買うより銀行にお金を預けておいた方が得ということになります。
ところが金利がどんどん上がっている局面では大体、株は下がります。金利が上昇するほど、株で勝つのは難しくなってしまうのです。(このことは、後で検証します)
株の投資家は、このように「今、銀行にお金を預けておいた方が得だろうか? それとも銀行からお金をおろして株式市場に投入した方が有利だろうか?」ということを常に考えています。
市中金利が高くなるほど、株式投資のハードルが高くなり、たんに銀行にお金を預けておくのを上回るリターンを得ることが難しくなるのです。
1957年、ソ連がスプートニク号の打ち上げに成功します。アメリカの先を越して、ソ連が人工衛星を打ち上げたということは、そのロケットに核弾頭を積めば、アメリカにも核爆弾を打ち込めることを意味しました。

このことにアメリカ人は大きなショックを受け、宇宙開発で後れを取ってはいけないという号令が飛びます。アメリカの宇宙開発関連予算は大幅に増やされ、学校教育も科学の授業を重視する方向に改められます。
このような切羽詰まったムードの中で、予算増額の恩恵を受ける航空宇宙関連、エレクトロニクス関連の企業の株が人気化したのです。マーク・ファーバーの名著『相場の波で儲ける法』によると、そのとき「~トロン」、「~ニクス」、「エレクトロ~」などの名前がついた企業の株が、軒並み上昇したそうです。これは1990年代のドットコム・ブームのとき、末尾に「~ドットコム」という名前さえついていればなんでも上昇したのと同じような感覚です。
ここで特筆すべきことは、当時(①)、金利は低く、投資家はどちらかといえばデフレを心配していたということです。

これはある意味、リーマンショック以降の状況(⑩)と似ています。実際、当時ほど政策金利が低かったことはリーマンショックが起きた2008年以降までなかったのです。
1929年にニューヨーク株式市場が大暴落を起こして以来、株式は危ないという認識が投資家の間にしっかりと定着しました。その関係で株式利回りは債券利回りより高かったです。
利回りが高いということは、それだけ人気が無く、その投資対象が売られているということです。あるいは信用が無いという風に言い換えてもよいでしょう。
サラ金などの高利貸しはべらぼうな金利を要求します。それは借り手が信用されていないからです。大暴落以降、株式利回りが、ずっと債券利回りより高かったということは、つまりそれだけ株が信用されていなかったということなのです。
そして30年ちかくかけてようやく人々は株式への信頼を取り戻します。マーク・ファーバーは「1958年はS&P500 の利回り、つまり株式の利回りが、トリプルA国債利回りを初めて下回った」と指摘しています。つまりようやく株式に人気が戻ってきたのです。
スプートニク・ショックの直後に物色された銘柄群は、今風の言い方をすればハイテク株であり、ちょうど現在のグーグルやフェイスブックのような、ネット株ブームに相通じるものがあります。そしてその時の金利は、今とおなじように、きわめて低かったのです。
ちょうどこの頃、プロのダンサーで世界を巡業していたニコラス・ダーバスという人が株式投資の本を出し、人気を博します。「ダーバス・ブーム」が起こるわけです。大恐慌時代以来、長い間、アメリカの一般大衆にとって株式市場は邪悪な存在であり、自分に関係ない、縁遠い存在だったのが、ニコラス・ダーバスという「株タレント」が登場したことで、初めて庶民が株式に注目したというわけです。
実は新しく株式市場に参加する個人投資家が増える一方で、大恐慌時代以来、ずっと塩漬けにしてきた株を売る個人投資家も多かったので、グループとしての個人投資家は株式を売り越していました。その反面、新しく登場したのは銀行の信託部、生命保険会社、年金などの機関投資家です。なかでもミューチャルファンド、つまり日本で言う投資信託は、新しい株式市場のプレーヤーとして注目されました。
特にキューバ危機で市場が急落した際に、当時フィディリティ・キャピタル・ファンドという投信を運用していたジェラルド・サイというファンドマネージャーが超強気に転じ、僅か三カ月で+68%という驚異的なパフォーマンスをあげます。これがカリスマ・ファンドマネージャーのはしりです。
彼はその後、フィディリティから独立し、マンハッタンファンドという会社を設立します。彼がこのファンドを立ち上げた1965年はミューチャルファンドの設立ブームになり、フレッド・アルジャー、フレッド・メイツ、ジョン・ハートウェルなどの若いファンドマネージャーが続々と新しいファンドを立ち上げ、いわゆるゴー・ゴー・ファンド時代が到来します。
ゴー・ゴー・ファンドのマネージャーたちは主にコングロマリットの株を買い上げました。リットン・インダストリーズ、ガルフ&ウエスタンなどがそれです。もともと株価収益率(PER)が高いそれらのコングロマリットが、株価評価の低い企業を買収すれば、買収先企業の純利益がコングロマリットに加算されるので、即座に一株当たり利益を押し上げる、英語でいえばアクリーティブな買収になるわけです。
しかしインフレ圧力の増大で1969年に金利が高くなると、そのような買収による成長がやりにくくなり、コングロマリット・ブームは終焉します。
1971年から72年にかけてニューヨーク株式市場で「ニフティ・フィフティ」という興味深い現象が見られました。「ニフティ」というのは「ちょっといかした」という意味です。つまり直訳すると「ちょっといかした50銘柄」ということになるのです。
いまもし銀行にお金を預けたとき年率5%の金利がつくとしたら、一月一日に預けた100ドルは一年後には105ドルになります。
その環境下では、今買った株の値段が最低5%上昇する見込みがなければ、株を買うより銀行にお金を預けておいた方が得ということになります。
ところが金利がどんどん上がっている局面では大体、株は下がります。金利が上昇するほど、株で勝つのは難しくなってしまうのです。(このことは、後で検証します)
株の投資家は、このように「今、銀行にお金を預けておいた方が得だろうか? それとも銀行からお金をおろして株式市場に投入した方が有利だろうか?」ということを常に考えています。
市中金利が高くなるほど、株式投資のハードルが高くなり、たんに銀行にお金を預けておくのを上回るリターンを得ることが難しくなるのです。
1957年、ソ連がスプートニク号の打ち上げに成功します。アメリカの先を越して、ソ連が人工衛星を打ち上げたということは、そのロケットに核弾頭を積めば、アメリカにも核爆弾を打ち込めることを意味しました。
このことにアメリカ人は大きなショックを受け、宇宙開発で後れを取ってはいけないという号令が飛びます。アメリカの宇宙開発関連予算は大幅に増やされ、学校教育も科学の授業を重視する方向に改められます。
このような切羽詰まったムードの中で、予算増額の恩恵を受ける航空宇宙関連、エレクトロニクス関連の企業の株が人気化したのです。マーク・ファーバーの名著『相場の波で儲ける法』によると、そのとき「~トロン」、「~ニクス」、「エレクトロ~」などの名前がついた企業の株が、軒並み上昇したそうです。これは1990年代のドットコム・ブームのとき、末尾に「~ドットコム」という名前さえついていればなんでも上昇したのと同じような感覚です。
ここで特筆すべきことは、当時(①)、金利は低く、投資家はどちらかといえばデフレを心配していたということです。
これはある意味、リーマンショック以降の状況(⑩)と似ています。実際、当時ほど政策金利が低かったことはリーマンショックが起きた2008年以降までなかったのです。
1929年にニューヨーク株式市場が大暴落を起こして以来、株式は危ないという認識が投資家の間にしっかりと定着しました。その関係で株式利回りは債券利回りより高かったです。
利回りが高いということは、それだけ人気が無く、その投資対象が売られているということです。あるいは信用が無いという風に言い換えてもよいでしょう。
サラ金などの高利貸しはべらぼうな金利を要求します。それは借り手が信用されていないからです。大暴落以降、株式利回りが、ずっと債券利回りより高かったということは、つまりそれだけ株が信用されていなかったということなのです。
そして30年ちかくかけてようやく人々は株式への信頼を取り戻します。マーク・ファーバーは「1958年はS&P500 の利回り、つまり株式の利回りが、トリプルA国債利回りを初めて下回った」と指摘しています。つまりようやく株式に人気が戻ってきたのです。
スプートニク・ショックの直後に物色された銘柄群は、今風の言い方をすればハイテク株であり、ちょうど現在のグーグルやフェイスブックのような、ネット株ブームに相通じるものがあります。そしてその時の金利は、今とおなじように、きわめて低かったのです。
ちょうどこの頃、プロのダンサーで世界を巡業していたニコラス・ダーバスという人が株式投資の本を出し、人気を博します。「ダーバス・ブーム」が起こるわけです。大恐慌時代以来、長い間、アメリカの一般大衆にとって株式市場は邪悪な存在であり、自分に関係ない、縁遠い存在だったのが、ニコラス・ダーバスという「株タレント」が登場したことで、初めて庶民が株式に注目したというわけです。
実は新しく株式市場に参加する個人投資家が増える一方で、大恐慌時代以来、ずっと塩漬けにしてきた株を売る個人投資家も多かったので、グループとしての個人投資家は株式を売り越していました。その反面、新しく登場したのは銀行の信託部、生命保険会社、年金などの機関投資家です。なかでもミューチャルファンド、つまり日本で言う投資信託は、新しい株式市場のプレーヤーとして注目されました。
特にキューバ危機で市場が急落した際に、当時フィディリティ・キャピタル・ファンドという投信を運用していたジェラルド・サイというファンドマネージャーが超強気に転じ、僅か三カ月で+68%という驚異的なパフォーマンスをあげます。これがカリスマ・ファンドマネージャーのはしりです。
彼はその後、フィディリティから独立し、マンハッタンファンドという会社を設立します。彼がこのファンドを立ち上げた1965年はミューチャルファンドの設立ブームになり、フレッド・アルジャー、フレッド・メイツ、ジョン・ハートウェルなどの若いファンドマネージャーが続々と新しいファンドを立ち上げ、いわゆるゴー・ゴー・ファンド時代が到来します。
ゴー・ゴー・ファンドのマネージャーたちは主にコングロマリットの株を買い上げました。リットン・インダストリーズ、ガルフ&ウエスタンなどがそれです。もともと株価収益率(PER)が高いそれらのコングロマリットが、株価評価の低い企業を買収すれば、買収先企業の純利益がコングロマリットに加算されるので、即座に一株当たり利益を押し上げる、英語でいえばアクリーティブな買収になるわけです。
しかしインフレ圧力の増大で1969年に金利が高くなると、そのような買収による成長がやりにくくなり、コングロマリット・ブームは終焉します。
1971年から72年にかけてニューヨーク株式市場で「ニフティ・フィフティ」という興味深い現象が見られました。「ニフティ」というのは「ちょっといかした」という意味です。つまり直訳すると「ちょっといかした50銘柄」ということになるのです。
具体的にはポラロイド、ゼロックス、エイボン・プロダクツ、イーストマン・コダックなどの、ごく一握りの成長株に人気が集中しました。
これらの銘柄は一度買うと後は押し目なくどんどん騰がったので、ワン・ディシジョン・ストックと呼ばれました。
そこではインスタント・カメラやモービルホームのようにまったく新しい製品やサービスや娯楽で、これまで存在しなかった需要を切り拓くことが行われました。したがってそれらの新しい企業の成長余地に関しては予測が立てにくく、証券会社が分厚いレポートを出して投資ストーリーを解説しました。
投資家は利益ではなく、ディズニー・ランドの入場者数やモービルホームの販売数などの、新しい投資尺度で投資判断するようになりました。ちょうどこれはドットコム・ブームのとき、サブスクライバー数などの、利益以外の尺度で投資が正当化されたのと同じです。
そしてそれらの新しい市場に関する調査を得意とする、機関投資家向けリサーチ・ブティックと呼ばれる証券会社が登場しました。
さて、ニフティ・フィフティという成長株の独歩高現象が起きた背景として、1969年にいったん高くなった金利(②)が再び下落し、1971年頃は再び超低金利に戻っていた(③)ことを指摘しないわけにはゆきません。
つまり債券からの投資家資金獲得の競争は激しくなかったのです。行き場を失ったお金が、ごく一握りの、成長を出している銘柄に集中したわけです。これはグーグル、アマゾン、フェイスブック、テスラ、ネットフリックスなどの特定銘柄に人気が集中している現在の状況によく似ています。
当時、ニューヨーク市場の平均PERは11倍程度でしたが、ニフティ・フィフティだけは平均して50倍のPERがついていました。
1972年3月に発表されたボッシュ・アンド・ロムの決算が落胆すべき内容で、株価が一日で-30%下落したのをきっかけに、その後はほんのちょっとした悪いニュースでも機関投資家は容赦なくニフティ・フィフティの株を叩き売りました。
しかも1973年には第一次オイルショックが来て石油価格が急騰します。OPECのカルテルが成功した理由は、それまで低金利が長い間維持されており、潜在的なインフレ圧力が蓄積されていたところへカルテルの宣言が出されたことによります。
インフレ退治のために金利が引き上げられる(④)と、高PER株はたちまち人気離散し、投げ売りの対象になりました。代わって石油株などが人気化したわけです。
こうして見てくると、物色対象の変遷は、金利や景気の変動が深くかかわっていることがお分かり頂けると思います。
そこで金利、景気と人気セクターとの関係を図解したのが、下の図です。

いま不景気のどん底で金利がいちばん低い水準まで下がっている状態はこの図のいちばん左になります。
そこから少し景気が強くなりはじめるとハイテク株や金融株が人気になります。基本、2013年から2014年にかけての相場は、このオレンジ色の部分だと思ってください。
しかし今後景気がさらに強くなり、金利が上がり始めると物色の人気は工業株や消費循環株、英語でいえばコンシュマー・シクリカル株へと移るわけです。典型的なコンシュマー・シクリカル株は自動車株です。
現在のところ未だフェドファンズ・レートは0.25%に据え置かれたまま(⑩)ですので、一気に物色対象がハイテク株、金融株などから工業株や素材株へ移って行くかどうかは微妙なところだと思います。
でも量的緩和政策である債券買い入れプログラムが今年いっぱいかけて整然と縮小されてゆくということは、来年6月頃にはフェドファンズ・レートは上がり始めると考えるのが自然であり、ちょうどニフティ・フィフティの相場が永遠に続かなかったのと同様、現在のネット株相場も試練を迎えると考える方が自然なのです。
相場をやっていて特に難しい局面は、政策金利のベクトル(方向)が変わるときです。
最近の例で言えば、去年の5月にバーナンキ議長が債券買い入れプログラムの縮小をはじめることをほのめかしたとき、市場が荒れました。
もちろん最初に利上げされるときも投資家は苦しいのですが、そこは株式投資家にとって「最大のリスク」が襲いかかる瞬間ではありません。
冒頭で「金利がどんどん上がっている局面では大体、株は下がります」と書きましたが、相場や経済にとって最も怖い瞬間というのはFRBが金利をどんどん引き上げて、最後にようやくインフレの息の根を止める前後です。フェドファンズ・レートのグラフで言えば、⑤、⑦、⑨あたりになります。
⑤はイラン革命があったときです。
⑦ではドットコム・バブルがはじけました。
⑨ではサブプライム・バブルがはじけ、リーマンショックへとつながってゆきました。
相場のテーマはその時々の世界情勢や新技術の登場によって決まる面があるので、我々には予想できません。
しかし或るテーマが定着するかどうかは、ある程度、金利や景気の状態によって決まります。どんなにエキサイティングな成長ストーリーがあっても、金利が高い環境下では、それはテーマとしては定着しないのです。
このように金利サイクル、景気サイクルと、相場のストーリーを組み合わせることによって、それが大きなテーマとして花開くかどうかを考える習慣をつけてください。
これらの銘柄は一度買うと後は押し目なくどんどん騰がったので、ワン・ディシジョン・ストックと呼ばれました。
そこではインスタント・カメラやモービルホームのようにまったく新しい製品やサービスや娯楽で、これまで存在しなかった需要を切り拓くことが行われました。したがってそれらの新しい企業の成長余地に関しては予測が立てにくく、証券会社が分厚いレポートを出して投資ストーリーを解説しました。
投資家は利益ではなく、ディズニー・ランドの入場者数やモービルホームの販売数などの、新しい投資尺度で投資判断するようになりました。ちょうどこれはドットコム・ブームのとき、サブスクライバー数などの、利益以外の尺度で投資が正当化されたのと同じです。
そしてそれらの新しい市場に関する調査を得意とする、機関投資家向けリサーチ・ブティックと呼ばれる証券会社が登場しました。
さて、ニフティ・フィフティという成長株の独歩高現象が起きた背景として、1969年にいったん高くなった金利(②)が再び下落し、1971年頃は再び超低金利に戻っていた(③)ことを指摘しないわけにはゆきません。
つまり債券からの投資家資金獲得の競争は激しくなかったのです。行き場を失ったお金が、ごく一握りの、成長を出している銘柄に集中したわけです。これはグーグル、アマゾン、フェイスブック、テスラ、ネットフリックスなどの特定銘柄に人気が集中している現在の状況によく似ています。
当時、ニューヨーク市場の平均PERは11倍程度でしたが、ニフティ・フィフティだけは平均して50倍のPERがついていました。
1972年3月に発表されたボッシュ・アンド・ロムの決算が落胆すべき内容で、株価が一日で-30%下落したのをきっかけに、その後はほんのちょっとした悪いニュースでも機関投資家は容赦なくニフティ・フィフティの株を叩き売りました。
しかも1973年には第一次オイルショックが来て石油価格が急騰します。OPECのカルテルが成功した理由は、それまで低金利が長い間維持されており、潜在的なインフレ圧力が蓄積されていたところへカルテルの宣言が出されたことによります。
インフレ退治のために金利が引き上げられる(④)と、高PER株はたちまち人気離散し、投げ売りの対象になりました。代わって石油株などが人気化したわけです。
こうして見てくると、物色対象の変遷は、金利や景気の変動が深くかかわっていることがお分かり頂けると思います。
そこで金利、景気と人気セクターとの関係を図解したのが、下の図です。
いま不景気のどん底で金利がいちばん低い水準まで下がっている状態はこの図のいちばん左になります。
そこから少し景気が強くなりはじめるとハイテク株や金融株が人気になります。基本、2013年から2014年にかけての相場は、このオレンジ色の部分だと思ってください。
しかし今後景気がさらに強くなり、金利が上がり始めると物色の人気は工業株や消費循環株、英語でいえばコンシュマー・シクリカル株へと移るわけです。典型的なコンシュマー・シクリカル株は自動車株です。
現在のところ未だフェドファンズ・レートは0.25%に据え置かれたまま(⑩)ですので、一気に物色対象がハイテク株、金融株などから工業株や素材株へ移って行くかどうかは微妙なところだと思います。
でも量的緩和政策である債券買い入れプログラムが今年いっぱいかけて整然と縮小されてゆくということは、来年6月頃にはフェドファンズ・レートは上がり始めると考えるのが自然であり、ちょうどニフティ・フィフティの相場が永遠に続かなかったのと同様、現在のネット株相場も試練を迎えると考える方が自然なのです。
相場をやっていて特に難しい局面は、政策金利のベクトル(方向)が変わるときです。
最近の例で言えば、去年の5月にバーナンキ議長が債券買い入れプログラムの縮小をはじめることをほのめかしたとき、市場が荒れました。
もちろん最初に利上げされるときも投資家は苦しいのですが、そこは株式投資家にとって「最大のリスク」が襲いかかる瞬間ではありません。
冒頭で「金利がどんどん上がっている局面では大体、株は下がります」と書きましたが、相場や経済にとって最も怖い瞬間というのはFRBが金利をどんどん引き上げて、最後にようやくインフレの息の根を止める前後です。フェドファンズ・レートのグラフで言えば、⑤、⑦、⑨あたりになります。
⑤はイラン革命があったときです。
⑦ではドットコム・バブルがはじけました。
⑨ではサブプライム・バブルがはじけ、リーマンショックへとつながってゆきました。
相場のテーマはその時々の世界情勢や新技術の登場によって決まる面があるので、我々には予想できません。
しかし或るテーマが定着するかどうかは、ある程度、金利や景気の状態によって決まります。どんなにエキサイティングな成長ストーリーがあっても、金利が高い環境下では、それはテーマとしては定着しないのです。
このように金利サイクル、景気サイクルと、相場のストーリーを組み合わせることによって、それが大きなテーマとして花開くかどうかを考える習慣をつけてください。