2日連続、僕の躁うつ病体験・病気にならないとあまり経験しない話を僕から語っていこうと思う。
昨日、僕がネットでタレコミをくれた人の情報を自慢のマイミク軍団にお持ち帰りして、審議を行った。
僕の病名をピタリと当てたナースさんに、学生・浪人生の頃に研究所の手伝いをし、多分野の科学に精通した科学者さんの二人に次のような質問をぶつけた。
「ネットで言う、かまってちゃんが【境界性パーソナリティ障害(通称ボーダー)】というれっきとした精神疾患だと聞いたけど、どうなの?」
コメントをくれた人(精神科勤務の看護師)、ナース(精神科も経験がある友人)、科学者の3人で診断結果が割れた。
コメントをくれた人はボーダーだと断言。(ただし、理解はできない様子)
僕の意見はナースと近くて「診断は出るだろうけど、治す気がない人が多い。下手をすれば、変だと言いながら全然病院に行かないから病気だと認めない。」というご意見。
特に割れたのが科学者の意見。
彼はボーダーではないと断言した上で「パーソナリティ障害の自己愛性」「パーソナリティ障害の演技性」では?と指摘。(※一つ一つwikiを読むだけでもバテるから、各自で調べてね。僕にはそんなタフネスはない)
これ、めんどくさいことに科学者が間違ってるとか、ナース二人が間違ってるというわけではない。看護師さんの意見は診断の現場で起こっているし、いつものナースがいうことはとても現実だ。そして、科学者の意見をいう医者もいる。
精神科のややこしいところは軽症・重症にかかわらず判断が割れることだ。医者の判断や思想次第では病名さえつかないこと、大げさな病名が付けられて大量の薬が出ること…もありえるのだ。
今回は実体験の中で揺れ動いた時期の話を語ることで、精神疾患をこじらせた時の辛さや、医療や科学の不確実性を語っていきたい。
- 僕の躁うつ病診断は二人目の医者で出た
精神科に行くようにアドバイスしたナースの見立てを全面的に信用して「躁うつ病+発達障害(アスペルガー)」という診断名が僕には出ると思って心療内科に始めに行った。
ナースが紹介した病院に始めに行ったのだが、3回行って一向に診断名を出す傾向も感じられず、それどころか応急処置のような中途半端な処方箋を長い間書かれた。
ナース曰く応急処置としては妥当だという判断で、今の担当医曰く「言うほど効果ないよ」という渋い薬、診断しか出してくれない状態が1ヶ月半続いた。
しびれを切らした僕の周りの関係者全員が「医療機関買えないとこの得体のしれない体調不良がずっと続いていく」と、別の医療機関でなおかつ妹を見た実績のある場所に診断先を変えた。(ただ、診断に時間がかかること自体は精神疾患ならよくある)
すると僕がちょうど躁状態でコミュニケーションが大雑把になっている時に行ったこともあり「双極性障害(躁うつ病)ですね。心療内科ではなく精神科の分野なので精神科に行きましょう」という話になり、今行ってる大学病院への紹介状を書かれた。
大学病院に行ったところ…ここで別の診断結果が出て僕は唖然とした。
この時の医者は今の担当医ではなく、そのボスに当たる人だが、この人がナースや躁状態を見て判断を下した医師が下した「躁うつ病」という見立てを否定した。
「抑うつ病の兆候は見られるけど、躁うつ病ではない。また、軽度なものだ。」
ややこしいけど、精神科に行くとよくこの「軽度」という表現が用いられる。本人は極限状態のつもりで「軽度」と言われるのだから、殺意さえ芽生える話だ。
ここで言う「軽度」とは「精神疾患の中では穏やかな部類」という意味であって、「軽いからすぐ治る」「医療はいらない」という怪我や風邪に下す診断の「軽度」とは意味が違う。
医者に軽度と言われ、本人がそう思っていても精神障害者の2級や3級に相当するようなことはざらにあり、克服できなくて社会復帰できない人も多くいる。
身内がうつ病になった時に「軽度」という診断を聞いて「なーんだ」とか思わないで欲しい。重度だったらそれはもう自宅から出られないとか、一人で生活できないとかそういうレベルになってくるからね?(調べた限り、精神障害者の1級については本当にその部類だそうで、役所に代理の人が来るレベルらしい。直に見たことない)
話を医者の話に戻す。
診断名が他の医療関係者と違うだけではなく、その医者がとんでもなく威圧的で、話を聞くなんて場所でさえなかったから当時の僕は「こいつとナースなら僕はナースを信用する。」の一点張りで大学病院信仰で大学病院へいけ、大きな医療機関へ行けとほざいてた周辺の人間にほとんどぶちきれた状態で議論してた。
今思えば、こどもっぽい話だ。でも、病名も処置もわからない体調不良が2ヶ月も続いて精神状態が増々淀んでいた人間がブチ切れたくなったり、すがるものを求めたり、人によって言うことが違うことに困惑したりする気持ちも少しはわかってほしい。
診断中の2ヶ月とそれ以前の1ヶ月の合計3ヶ月の間、摂食障害・睡眠障害・頭痛・思考力の低下によりブログ作成はおろか、4桁の足し算でさえ頭痛と苦悩が襲う状態が続いたら人は…些細なことで「殺してやる」とでも言いたげな目つきになる。
当時、そのことをブログに書いた際、理解のない匿名投稿者(増田)に「うつ病の診断がほしいだけなんでしょ?」と言われて、増田嫌いの僕が「お前にわかれとは言わないけど、その批判はナースが僕と3年もいて誤診したと言ってるのと同じだぞ?彼女は僕が認めたプロだぞ?」とキレたのは言うまでもない話。
ナースに絶対の信用をおいていたことと、その医者が診断名を出す気配はおろかまともに会話できる気さえしなかったため、医者を変えてもらい2ヶ月。
自分が病む経緯や病んだと感じるようなエピソードを丸々話すだけの日々が続き、やんでからもう半年は経とうかという頃にやっと薬の適正量が決まって治療する方向へと向かっていった。
結論は途中でおおよその見立てを言った医師の言う通り「躁うつ病」であり、なおかつナースの言った通り「発達障害」付きだった。
「偉い人が言うことが正しい」と文系の人は考えるかもしれないが、偉い人の判断だけが違って、一番長く見てた連中の判断が一致した判断が両者一致した。
別にいまいま僕に違う判断を下した医者に悪口を言うつもりはない。
ただ、僕が言いたいのは「精神疾患とは自分が病んでることを人に理解してもらい、適切な処置をしてもらうだけでも大変な時間がかかり、復帰やリハビリにも更に長い時間がかかる。」ということ。
「医者が合わない」なんてカリカリしている人が言うのだから、身内でさえ「君のわがままだよ」と言いたくなるかもしれない。
けど、精神科は具体的な数値や処置を行うのではなく、話すことで判断を下す主観的な診断が主になることから「医者の判断が信用できない」「医者の聞き出し方と自分の話し方が合わない」ことは致命的なのだ!
逆に、主観的だからこそ自分に見合った処置をしてもらえる医者がいる可能性もあるし、違う診断が出てもそういうものだと知っていれば、多少は我慢できる。
だから、これから精神科に行く人/または付き添う人に伝えたくてこの記事を贈る。同じ現象でも違う判断が出ること、見立てが人によって違うことはあるかも知れないけど、精神疾患の治療とは判断が分かれ、時間のかかるものだ。
それを「気長にやろう」と思える気持ち、準備や支援を持ちあわせて治療に臨めることがどれだけ楽か…。そんなことを自分の体験から感じ、また専門家達の話を聞く度に思うのです。
うつ病を取り扱った映画に「鬱には納豆が効く」という話が出てきたので、今日は納豆を貼りました。月曜から夜ふかしにも「できたての本格的な納豆」が出てきたことがありますが、ああいうの食べてみたいです。
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