【TPP芸人】中野剛志准教授らによるISD条項デマ
- 中立かつ客観原則
- TPP総論
- トンデモ論者の捏造手口
- 安全の根拠
- 仲裁定手続
- 中野剛志准教授によるデマ事例
- 中野剛志准教授以外によるデマ事例
- 歴史
- 導入目的
- 米韓FTA
- まとめ
- 京都大学法学部ゼミ生共同論文
- 概要
- 未だにデマに騙されている人へ
- 国際投資仲裁/投資家対国家紛争(仲裁)に関する条文(ISDS条項又はISD条項)
- おまけ
- 程度の低いデマ
中立かつ客観原則
ここでは中立的な立場で事実関係を検証する。 賛成か反対かという結論は先に立てず、現実に起きた出来事、確実に起き得ること、一定程度の期待値を示す根拠のあることを中立かつ客観的に検証する。 可能性レベルの物事を論じるためにも、無視できない可能性があることを示す根拠を重視し、根拠のない当てずっぽうや思い込みや伝聞等の不確かな情報は、それが妄想に過ぎないことを示した上で門前払いとする。 賛成論でも間違いは間違いと指摘するし、それは反対論でも同じである。 ここでは賛成論にも反対論にも与しない。
TPP総論
長期的視野では話は別だが、短期的視野で見ればTPPに参加するかしないかは大きな問題ではない。 それよりも、TPPとは全く無関係な混合診療完全解禁がもたらす患者の治療機会喪失の危険性やイレッサ訴訟の行く末によるドラッグラグ・未承認薬問題の悪化の方が、遥かに大きな問題であろう。 だから、TPPよりも重要な争点において国民に不利益をもたらす政策を党員に強要する日本維新の会は落選運動の対象とせざるを得ない。 混合診療の完全解禁を公約とする日本維新の会およびみんなの党には一切の主導権を握らせてはならない。 そのためには、これらの党に対する落選運動が必要なだけでなく、与党とこれらの党との連携も絶対に阻止しなければならない。 具体的運動の詳細は自民党への抗議方法を見てもらいたい。
トンデモ論者の捏造手口
一部のトンデモ論者は、原典中の重要事実を隠蔽したり、物事を混同させて原典にはない“事実”を捏造したりする。 それは、あらゆる分野におけるトンデモ論者の常套手段である。 とくに、言語の壁のために、原典にあたって事実関係を検証することが難しい東洋では、こうした捏造に騙されやすい。 しかし、まれに、日本語の原典が使用されている場合もあり、この場合は日本人にも検証しやすい。
TPPを推進する立場であると思われる小寺彰東京大学大学院教授も、先進国間のISD条項については否定的であり、先進国との間でISD条項を締結することについて強い警鐘を発している(「投資協定仲裁の新たな展開とその意義」22頁)。
長く投資協定のほとんどが先進国・途上国間で結ばれた。 投資はおもに先進国から途上国に流れるために、先進国がこの手続で訴えられることはなく、本稿のような問題はあまり意識されなかった。 しかし、米国・カナダという先進国関係にも適用されるNAFTAや、日韓投資協定のような先進国間の投資協定が生まれ、また途上国から先進国への投資も行われるようになると-Mazzini事件ではチリの投資家のスペインへの投資が問題化した-、先進国に対して投資協定仲裁が発動され、投資協定仲裁の隠れた問題が浮かび上がってきたのである。
投資協定中に投資協定仲裁を置くか否かは、上記の諸要因や自国投資家の態度(正式の紛争処理を好むか否か等)や自国の事情(投資協定仲裁への対応可能性等)を総合的に考慮して決定するほかないと言えよう。 投資協定である以上、投資協定仲裁は置かなければならないと考えるような、教条的かつ短絡的な態度だけは取るべきではない。
引用された文章を読んだだけでも分かる通り、小寺教授は、「教条的かつ短絡的な態度」、すなわち、盲目的に仲裁を置くべきとする考えを否定しただけであって、「先進国間のISD条項については否定的」な主張はしていない。 もちろん、「先進国との間でISD条項を締結することについて強い警鐘を発している」こともない。 小寺教授は、「隠れた問題」とだけ表現しており、他の利点や欠点と程度の比較もしていなければ、許容可能な問題であるかどうかについても一言も触れていない。 小寺教授はこのDiscussion Paper(討議資料)全体において仲裁制度の利点も欠点もバランス良く挙げており、「隠れた問題」はその中のひとつの過ぎないのである。 以上のとおり、存在しない反対論が捏造されている。 ちなみに、この捏造をした人は自称弁護士である。
これは、まだ、情報源を明らかにしているだけマシな方だ。 情報源を隠匿されると、母国語の裏付け資料でさえ、探すのは容易ではない。 原典が明らかであれば、他国語の資料でも時間をかければ翻訳は可能だろう。 しかし、隠匿された他国語の裏付け資料を探すのは非常に困難である。 web上にある全ての他国語情報を手当り次第に翻訳して目的の情報を見つけることは、砂漠の中の一円玉を見つけるよりも難しい。 だから、情報源が明らかでない情報は鵜呑みにすべきではない。
安全の根拠
最後に少し補足しておくが、ネット上では「安全だという根拠がないから危険だ」と騒いでいる者がいるが、そんなことを言い出したら新しいことは何もできなくなる。 中野剛志准教授らが流布するデマには、一応の根拠らしきものは提示されているから、主張に必要な形式だけは整っている。 ただし、その根拠らしきものが明らかな間違いであることは、先に示したリンク先で詳しく説明したとおりである。 とくに、中野剛志准教授はその間違いを自覚しながら主張しているフシがあるので極めて悪質であるが、それはここでは一先ず置いておく。 それに比べて、根拠を示して主張するという形式さえ満足しない「安全だという根拠がないから危険だ」という主張は箸にも棒にも掛からない妄言である。 事実、内国民待遇、公正衡平待遇義務、間接収用のいずれの仲裁判断事例においてもおかしな判断は見られないし、人命・環境保護も認められている。 一部分の文言だけ切り出せば一見するとおかしな判断基準を採用しているかのように見える仲裁判断事例もあるが、全体を見れば、いずれも、妥当な判断内容である。 たとえば、「規制の目的を考慮する必要はなく、規制の効果の程度だけで判断する」としているように読める文言があっても、実は、規制の目的の不当性についてちゃんと言及しているから、不当な規制の賠償を命じた事実が読み取れる。 既に400件以上の仲裁判断事例が積み重ねられているが、その中で、明らかに不当な判断をくだした事例は1例も指摘されていない。 仮に、今後、不当判決が生まれる可能性があるとしても、そのたった1件の不当判決を避けるために、400件以上の妥当な判決を無視して、弱者救済の手段を潰して強者を守るべきという主張は明らかにおかしい。
仲裁定手続
このISDとは、ある国家が自国の公共の利益のために制定した政策によって、海外の投資家が不利益を被った場合には、世界銀行傘下の「国際投資紛争解決センター」という第三者機関に訴えることができる制度である。
しかし、このISD条項には次のような問題点が指摘されている。
ISD条項に基づいて投資家が政府を訴えた場合、数名の仲裁人がこれを審査する。 しかし審理の関心は、あくまで「政府の政策が投資家にどれくらいの被害を与えたか」という点だけに向けられ、「その政策が公共の利益のために必要なものかどうか」は考慮されない。 その上、この審査は非公開で行われるため不透明であり、判例の拘束を受けないので結果が予測不可能である。
また、この審査の結果に不服があっても上訴できない。 仮に審査結果に法解釈の誤りがあったとしても、国の司法機関は、これを是正することができないのである。
米国丸儲けの米韓FTAからなぜ日本は学ばないのか 中野剛志[京都大学大学院工学研究科准教授] - ダイヤモンド・オンラインP.4
これも故意に誤解を生む表現が使われている。 この文章では、あたかも中立性に欠け、かつ、十分な審理が為されないように見えるが、実態は真逆である。 「審理の関心は、あくまで『政府の政策が投資家にどれくらいの被害を与えたか』という点だけに向けられ、『その政策が公共の利益のために必要なものかどうか』は考慮されない」に至っては、真実と真逆の完全なデマである。
- 仲裁人の選定方法が中立的かつ高度(仲裁人は条約、商業、工業等の様々な専門知識を要求される)となるような制度が整備されている。
- 審理を左右する最も大きな要因は協定違反の有無であって「政府の政策が投資家にどれくらいの被害を与えたか」ではない。
- 協定の条文に沿って「その政策」の妥当性も判断される(協定で認められた範囲の政府の裁量権は当然認められる)。
- 仲裁判断の法的判断の要約は必ず公開されるし、仲裁判断そのものも相当数が公開されている。
- 仲裁判断は協定の条文に沿って判断されるので、協定の条文からの予想は可能である。
- ICSID仲裁に先例拘束性はないが、先例を参照する仲裁判断例は多い。
- 日本の裁判手続も、判例を重視する法規定はあるが、判例拘束性の法規定はない。
- 判例拘束性を持たせることは、当事国の同意なしに協定を変更することに等しいので、国家主権の侵害となる(国家主権侵害を批判しておいて国家主権侵害を求めるのはダブルスタンダード)。
- 上訴制度があっても最終審での「法解釈の誤り」は正せない(例:日本の民事訴訟法ではそうなっている)。
- 確定判決に「法解釈の誤り」を含むかどうかは、最終審の正確性の問題であって、上訴制度の有無の問題ではない。
- 上訴制度の有無は判断の一貫性の問題であるが、これには様々な議論があり、OECD加盟国では上訴制度に反対の意見の方が多い。
- 中立性を保つために第三者機関に判断を委ねたのに、一方の当事者である「国の司法機関」が「是正」できては制度が無意味になる。
- ただし、NAFTAの事例では「国の司法機関」は取消や再審の判断ができる(取消や再審決定後は、第三者機関に差し戻される)。
詳細はISD条項に書く。
中野剛志准教授によるデマ事例
このISD条項は、米国とカナダとメキシコの自由貿易協定であるNAFTA(北米自由貿易協定)において導入された。 その結果、国家主権が犯される事態がつぎつぎと引き起こされている。
要するに、ISD条項とは、各国が自国民の安全、健康、福祉、環境を、自分たちの国の基準で決められなくする「治外法権」規定なのである。
米国丸儲けの米韓FTAからなぜ日本は学ばないのか 中野剛志[京都大学大学院工学研究科准教授] - ダイヤモンド・オンラインP.5
以下で詳細に検証するが、ISD条項は、協定違反の有無を認定するだけなので、原理的に「治外法権」にはなり得ない。 NAFTAの仲裁定事例には、中野剛志准教授らが挙げた事例にも、経済産業省が公開している資料にも、言いがかり訴訟で企業側が勝った事例は1件も見当たらない。 中野剛志准教授は、訴えの正当性に関する情報を故意に伏せて、あたかも、「国家主権が犯される事態がつぎつぎと引き起こされている」ように見せ掛けているだけなのだ。 中野剛志准教授は、何故か、事件を特定するために必要な具体的名称を出さない。 「ある神経性物質」「ある燃料企業」「ある米国の廃棄物処理業者」「ある米国企業」と、何の物質か、どの企業か、特定する情報は悉く伏せられている。 金額は具体的に提示しているのだから、うろ覚えで書いているわけではあるまい。 中野剛志准教授は、情報を検証するために必要な事実を故意に隠しているのではないか。 具体的に検証されたら嘘がバレるから、故意に、情報を隠蔽しているのではないか。
Etyl事件
たとえばカナダでは、ある神経性物質の燃料への使用を禁止していた。 同様の規制は、ヨーロッパや米国のほとんどの州にある。 ところが、米国のある燃料企業が、この規制で不利益を被ったとして、ISD条項に基づいてカナダ政府を訴えた。 そして審査の結果、カナダ政府は敗訴し、巨額の賠償金を支払った上、この規制を撤廃せざるを得なくなった。
米国丸儲けの米韓FTAからなぜ日本は学ばないのか 中野剛志[京都大学大学院工学研究科准教授] - ダイヤモンド・オンラインP.5
この事件の真相はISD仲裁事例のEtyl事件を参照のこと。 中野剛志准教授の話を真に受ければ、Etyl社がとんでもないモンスター企業に見える。 しかし、中野剛志准教授は重要事実を隠していたのだ。
- 添加物の国内での使用や生産を禁止せず、海外からの輸入と州を越えた取引だけを禁止していた。
- 「MMTの流通を禁ずる新法」はカナダ国内通商協定(カナダの国内法)に違反する法律で、カナダ国内の州からも提訴された。
- 規制理由は、人体や環境の保護ではなく、自動車のシステム保護であった。
- 国内通商協定違反を正当化するほど危険性を示す証拠は何もなかった。
- 仲裁定判断が下されたのではなく、カナダ政府が非を認めて和解した。
この事例は、カナダ政府に一方的に非があった事例であり、企業側の損害賠償請求は正当であった。 また、カナダ政府が法律を廃止したのは、カナダ政府の国内判断であり、ISD条項とは関係がない。 そもそも、和解により仲裁定判断が示されなかったのだから、この事件ではカナダ政府には国外部からの強制力は何ら作用していない。 ISD条項とは無関係に、国内法違反だとするカナダ国内の州からの提訴が認められたから、法律を廃止したのである。 つまり、規制撤廃は完全なカナダの国内問題として処理されており、ISD条項によって国家主権が犯されたとする主張は全くのデマである。
S.D.Meyers事件
また、ある米国の廃棄物処理業者が、カナダで処理をした廃棄物(PCB)を米国国内に輸送してリサイクルする計画を立てたところ、カナダ政府は環境上の理由から米国への廃棄物の輸出を一定期間禁止した。 これに対し、米国の廃棄物処理業者はISD条項に従ってカナダ政府を提訴し、カナダ政府は823万ドルの賠償を支払わなければならなくなった。
米国丸儲けの米韓FTAからなぜ日本は学ばないのか 中野剛志[京都大学大学院工学研究科准教授] - ダイヤモンド・オンラインP.5
この事件の真相はISD仲裁事例のS.D.Meyers事件を参照のこと。 中野剛志准教授の話を真に受ければ、S.D.Meyers社がとんでもないモンスター企業に見える。 しかし、中野剛志准教授は重要事実を隠していたのだ。
- この規制の実体は、事業の実施場所に対する規制ではなく、カナダ国内業者への事業委託を強制する規制であった。
- 「ある米国の廃棄物処理業者」は、輸出を禁止されるとカナダ国内での自社処理が不可能だったようである。
- カナダ国内でPCB廃棄物の処理そのものを許可された業者はカナダ国内企業1社しかなく、その企業は米国企業より競争力が劣っていたため、この企業を保護するためにはPCB廃棄物の輸出を禁止する必要があった。
- 有害廃棄物の輸出入は国際法上も実態上も輸入国側の環境問題であって、輸出を規制する「環境上の理由」はない(とくに、カナダから陸路のまま輸出できる対米輸出は規制の必要が全くない)。
- NAFTAも仲裁定も、正当な理由のある環境保護規制は認められるとしている。
- NAFTAでは、環境保護を理由とした規制を認めているが、環境保護と投資促進を両立すべきとなっている。
- 仲裁定は、規制を口実にした外国企業の排除を禁止しているが、本当に必要な環境保護等の規制は認められるという判断を示している。
- 仲裁定は、環境保護は口実であり、本規制がカナダ国内企業の保護を目的としていると認定した。
- カナダ政府は仲裁判断取消の国内訴訟を起こした(NAFTAでは国内裁判所で取消判断が可能)が、カナダ連邦裁判所は仲裁廷の判断が合理的だったとしてカナダ政府の請求を退けた。
本件では、環境保護に偽装した不当な差別を行なったのだから、カナダ政府の行為には、国内法的にも、道義的にも、何ら正当性はない。 本件は、どこからどう見ても、カナダ政府が一方的な加害者であり、企業側が善意の被害者である。 もしも、同様のことを日本の地方自治体が行なえば、日本の最高裁判所が同じような判決を下してもおかしくはない。 ただし、国際法の判断には踏み込まずに、かつ、行政の裁量権を広く認める可能性もあるが、それは、国内裁判所の管轄権の限界=ISD条項の必要性を示すだけであって、本件の政府の行為の正当性を意味するものではない。 つまり、この事例は、極めて中立かつ公正な仲裁判断が下された事例であり、ISD条項の建前通りの有用性を示す事例である。 少なくとも、この事例にはISD条項に伴う懸念は全く見られない。
Metalclad事件
メキシコでは、地方自治体がある米国企業による有害物質の埋め立て計画の危険性を考慮して、その許可を取り消した。 すると、この米国企業はメキシコ政府を訴え、1670万ドルの賠償金を獲得することに成功したのである。
米国丸儲けの米韓FTAからなぜ日本は学ばないのか 中野剛志[京都大学大学院工学研究科准教授] - ダイヤモンド・オンラインP.5
メキシコではアメリカのメタルクラド社がゴミ処理施設を作ろうとした。が、近所の住民が環境病を起こしたことで地方自治体が建設許可を却下したらISDによって訴えられ、メキシコ政府は莫大な賠償金を支払うことになった。
この事件の真相はISD仲裁事例のMetalclad事件を参照のこと。 中野剛志准教授の話を真に受ければ、Metalclad社がとんでもないモンスター企業に見える。 しかし、中野剛志准教授は重要事実を隠していたのだ。
- Metalclad社は許可取得済みのメキシコ企業を買収し、連邦政府からも許可を得ていた。
- 連邦政府と地元大学が行った環境評価では、適切な技術をもって施設が建設されれば有害廃棄物の埋立に適しているとの結論を得ていた。
- 「有害物質の埋め立て計画の危険性」は住民運動にのみ基づいていて、具体的根拠がなかった(「近所の住民が環境病を起こした」という事実は存在しない)。
- 有害産業廃棄物に関する許認可権を持たない州や市が、しゃしゃり出て来て、Metalclad社の活動を妨害した。
- 地方政府は連邦政府の許可を拒否できないと説明していたはずの連邦政府は、州や市の妨害行為を知りながらも黙認した。
- その結果、Metalclad社の廃棄物処理事業は事業中止に追い込まれ、多額の損害が発生した。
- メキシコ政府は仲裁判断取消訴訟を起こしたが、カナダのブリティシュ・コロンビア州裁判所(仲裁地の裁判所)は権限喩越を認定して一部の仲裁判断を取り消しただけで、残りの判断と賠償部分は取り消さずにメキシコ政府の請求を退けた。
これに対して、民意がないがしろにされるとする批判は的外れである。 その理由は次の点に集約される。
- 国内法も条約も、どちらも、同等の民主的立法手続に則って採択されるものであるので、双方とも等しく遵守しなければならない。
- 国内法や条約に従うことが不合理となったのであれば、平然とそれに違反するのではなく、適切な改正手続をとるべきである。
- 政治への民意の反映は、民主的立法手続に則って行なわれるべきであって、国内法や条約に違反する恣意的な判断を正当化しない。
- 国内法や条約は、その国の主権において採択されている以上、その内容の責任はその国の政府が負うべきであって、その責任を善意の第三者に転嫁するのは不当である。
- 住民運動は声高な集団によるものであって、「住民運動=民意」ではない(声高な少数派参照)。
民意を口実にしても、それは、国内法や条約に違反して良い理由にはならない。 国内法や条約に反する民意があるのであれば、適正な民主的立法手続に則って、国内法や条約を改正すべきである。 国内法や条約を改正しないうちに、民意を口実にして、行政が恣意的な判断で国内法や条約に違反することは許されないことである。
国内法も条約は、民主的立法手続に則って、その国の主権において採択されている以上、その内容の責任はその国の政府が負うべきものである。 政府や公共団体は民意を反映した政策を実施する義務や責任があるかも知れない。 しかし、政府や公共団体にどんな義務や責任や責任があろうとも、それは、第三者にとって謂れのない義務や責任を背負わされる理由にはならない。 国家の主権による選択として、他国と約束を交わした以上、民意は約束違反の口実にはならない。 その約束の内容が不都合になったなら、正規の手続を用いて脱退するなり改正するなりすることが正当な主権行使であって、当事国一国の都合によって相手国に無断で約束事を反故にすることは認められない。
本件の本質は、政府が民意を汲み取ることの是非ではなく、政府の行動目標がどのような手段によって達成されるかの問題である。 政府の目的の内容がどれだけ民意を正確に反映していたとしても、それは不正な手段の言い訳とはならない。 言い替えると、政府は、どんな目的を達成する場合であっても、正当な手段をとるべきである。
第三者である企業の権利を補償もなしに制限するのであれば、それは、その企業が義務や責任を背負うべきものでなければならない。 その企業自身の非違行為や政府の規制とは無関係な経営リスク(自然環境の変化、社会情勢の変化等を含む)等の正当な理由があるのであれば、権利制限も仕方がない。 あるいは、緊急避難的に止むを得ない場合も、政府の責任は免責される。 しかし、Metalclad社の許可取消にはそうした正当な理由は一切なく、ただ、風評だけに基づいて、何ら許認可権を持たない州や市が法的根拠もなく妨害を行なったのである。
そして、「住民運動=民意」ではないことも強調しておく。 住民運動は、声高な集団による活動であって、住民の総意でも過半数の意志でもない。 民意は、住民投票や、争点を絞った選挙によって確認されるものであって、声の大きさで確認するものではない。 民意ですらないのだから、当然、住民運動は規制の正当な口実にはならない。
以上のとおり、本件のメキシコ政府の行為には、国内法的にも、道義的にも、何ら正当性はない。 そして、企業側には何の落ち度もないばかりか、精一杯の誠意を示したにも関わらず、逆に、裏切られている。 本件は、どこからどう見ても、メキシコ政府が悪意ある加害者であり、企業側が善意の被害者である。 もしも、同じことを日本の地方自治体が行なったら、日本の最高裁判所も同じような判決を下すだろう。 つまり、この事例は、極めて中立かつ公正な仲裁判断が下された事例であり、ISD条項の建前通りの有用性を示す事例である。 少なくとも、この事例にはISD条項に伴う懸念は全く見られない。
中野剛志准教授以外によるデマ事例
ADMS事件(コーンシロップ事件)
このISD条項をめぐっては、過去にこんな事例が……。
1997年に起きた、コーンシロップ事件。
アメリカの企業がメキシコで、砂糖の代替品となる甘味料を生産していましたが、メキシコ政府が、砂糖以外の甘味料を使うものに対し、課税を行ったのです。
アメリカ企業は、これはメキシコ政府が自国の砂糖を優遇するものだと、国際機関に訴え、メキシコ政府が敗訴しました。
このISD条項について、政府は「TPP参加国から、日本企業を守るためには重要だ」などという見解を示しています。
この事件の真相はISD仲裁事例のADMS事件を参照のこと。 この話を真に受ければ、訴えた企業はとんでもないモンスター企業に見える。 しかし、また重要事実が隠されていたのだ。
- 「砂糖の代替品となる甘味料」(HFCS)を生産するメキシコ系企業が存在しなかった。
- 仲裁定は、メキシコの砂糖産業を保護する意図があったと認定した。
この事例は、実質関税を掛ける協定違反行為としてメキシコ政府に一方的に非があった事例であり、企業側の損害賠償請求は正当であった。 つまり、この事例は、ISD条項が建前通りに適切に機能した事例であり、ISD条項の有用性を示す事例である。
水資源
資料のページ二でありまして、NAFTAにおいてこのISD条項で一企業、投資家が国を訴えた紛争解決事例、一番最後の行で、サンベルトウオーター対カナダ、一九九九年の事例を御覧いただきたいと思います。 これは、カリフォルニア州の企業、サンベルトウオーターがカナダ政府をNAFTA条約の第十一条に基づいて提訴をした案件でありまして、この損害賠償請求の金額は当時百五億ドルという非常に膨大なものであります。
一体これは何がどうしたかといいますと、実は、カナダの州政府でありますブリティッシュ・コロンビア州政府がこのサンベルトウオーターと契約を結んで、数億万ガロンの水の輸出の契約をしたと。 それをブリティッシュ・コロンビア州政府があるとき停止をしたために、利益が損なわれたということでサンベルトウオーターがカナダ政府を訴え、賠償請求として百五億ドルを請求したという案件であります。
佐藤議員の説明が不足していて、このケースの訴えが妥当かどうか判断できない。 この事件の真相はISD仲裁事例の水資源を参照のこと。 2010年09月段階では未だ係争中であったようだ。 残念ながら決着がついたかどうかの資料を見つけることができなかった。 佐藤議員も「請求したという案件」と言うだけで、どのような決着がついたか説明していない。 つまり、佐藤議員は訴えられることだけを問題視しているのである。 そんなことが問題になるのならば、我が国の裁判制度も廃止しなければならないではないか。 自民党も野党になるとこんな無茶苦茶なことを言い出すようである。
UPS事件
カナダの場合、「カナダの郵便局は国家の補助をもらうから公平ではない」ということでアメリカの民間宅配会社からISDで訴えられ、莫大な賠償金を払うことになった。
この事件の真相はISD仲裁事例のUPS事件を参照のこと。 この事件の仲裁廷は、宅配事業と郵便事業は「同様の状況の下」にないとして訴えを却下している。 つまり、「莫大な賠償金を払うことになった」という事実は完全な捏造である。 また、訴えの理由は「カナダの郵便局は国家の補助をもらうから公平ではない」という理由でもない。
Azurix事件
アジュリは1999年、ブエノスアイレス地域の水道を30年間運営する権利を取りました。 その時から水道水がまともに供給されず、翌年には毒性バクテリアまで検出されました。 地方政府は2001年、アジュリ社の運営権協約を終結させました。 当然ですよね。 しかしアジュリは仲裁手続きを申請、2006年7月にアルゼンチン政府から米国-アルゼンチン投資協定に基いて1億6500万ドルの賠償金を受け取りました。
この事件の真相はISD仲裁事例のAzurix事件を参照のこと。 この事件においても重要事実が隠されている。
- 水道品質の低下は、Azurixのせいではなく、州が契約上の義務である水道品質の維持のために必要な水源の工事を行なわなかったせいである。
- 小売物価指数その他の理由による料金改訂は契約上認められていたが、州が正当な料金値上げを妨害した。
- 途上国の水道事業の民営化と不当廉売の解消は国連のミレニアム開発目標(貧困と飢餓の撲滅等)を達成し、途上国の劣悪な水道環境を改善するために必要不可欠であった。
- 州は、水道品質の低下の責任をAzurixに擦り付けて、料金不払い運動を扇動した。
これらが事実であれば、政府側の行為は極めて悪質であり、同情の余地はない。
Aguas del Tunari事件(コチャバンバ水戦争)
コチャ・バンバ市の上下水道運営権を安値で獲得した米国系多国籍企業のペクテル(Bechtel)社は、わずか1週間で水道水の値段を4倍近く上げました。 当時コチャバンバ市民らの月平均所得は約70ドルでしたが、水道水価格は20ドルまで上がりました。 所得の3分の1を水道水に使うハメになったのです。
水を使うのが怖くなった庶民たちは水道水をあきらめて、雨水を受け貯めるために家に雨水を貯めるための受け皿やバケツを設置しました。
するとベクトル社は「雨水を受けられないように法を作れ」とボリビア政府を圧迫しました。 結局、コチャバンバ市の警察が撤去作業に街中を回ることになったとか。
政府が警察まで動員しなければならなかった理由も投資家-国家訴訟制も(ISD)でした。
この事件の真相はISD仲裁事例のAguas del Tunari事件を参照のこと。 この事件においては、事実関係の捏造が見られる。
- ベクテル子会社の契約は1999年9月で2001年4月に撤退しているが、わずか7ヶ月で法施行までこぎ着けるのはほぼ不可能。
- 料金値上げに対して、住民たちは平和的に「水道水をあきらめ」たのではなく、すぐに暴動を起こした。
- 「コチャバンバ市の警察」は暴動への対処を行なったのであって、「雨水を受けられないように法」に従ったわけではない。
- 途上国の水道事業の民営化と不当廉売の解消は国連のミレニアム開発目標(貧困と飢餓の撲滅等)を達成し、途上国の劣悪な水道環境を改善するために必要不可欠であった。
本件は、政府には悪意はないが、住民の無理解と暴力による事件であり、ベクテル子会社は完全な被害者である。
Phillip Morris事件
2001年12月カナダ政府がタバコの箱に「マイルド味」と表記するのを禁止する規制を導入しようとしました。 すると米国の煙草会社のフィリップ・モリスが自由貿易協定違反とし抗議書を送りました。 カナダ政府は投資家-国家訴訟制(ISD)にともなう賠償金負担を推定してみた結果、規制案を撤回することにしました。
この事件はISD仲裁事例のPhillip Morris事件とは少し違う事例であるが、カナダが「規制案を撤回」した事実は存在しない。
カナダ政府は、1962年に
喫煙と健康被害との因果関係を示す医学調査
平成19年度受動喫煙の健康への影響及び防止対策に関する調査研究委員会報告書 資料2諸外国の職場における受動喫煙規制 2-1カナダ - 中央労働災害防止協会安全衛生情報センター
を公表し、
1986年に
総合的な喫煙対策戦略
平成19年度受動喫煙の健康への影響及び防止対策に関する調査研究委員会報告書 資料2諸外国の職場における受動喫煙規制 2-1カナダ - 中央労働災害防止協会安全衛生情報センター
を打ち出してから、煙草規制は年を追う毎に強化されている。
1997年に制定されたたばこ法(保健省の所管)は、たばこ関連商品の製造、販売、ラベル表示、販売促進方法に関する規制を定め
平成19年度受動喫煙の健康への影響及び防止対策に関する調査研究委員会報告書 資料2諸外国の職場における受動喫煙規制 2-1カナダ - 中央労働災害防止協会安全衛生情報センター
た。
さらに、
包括的たばこ規制戦略
禁煙とたばこ依存症治療のための政策提言第4章国内事情や利用可能な資源に合わせた禁煙戦略の選択 - 厚生労働省
により、2001年から
健康に関する警告
禁煙とたばこ依存症治療のための政策提言第1章禁煙を支える環境 - 厚生労働省を義務づけ、その規制は
2001年9月19日から10月10日まで実施
禁煙とたばこ依存症治療のための政策提言第1章禁煙を支える環境 - 厚生労働省
された調査では禁煙に効果があったとされている。
新たな規制に対してその妥当性を検討した可能性は否定しないが、その場合も、当時の知見において各規制項目の妥当性を精査したにすぎない。 そして、妥当と判断された規制は行なわれており、「規制案を撤回」したとする事実は存在しない。 煙草会社にとっても、「マイルド味」表記禁止だけを阻止しても全く意味がない。 尚、2005年2月27日に発効したたばこの規制に関する世界保健機関枠組条約第11条第1項(a)では、各国は「ロー・タール」、「ライト」、「ウルトラ・ライト」又は「マイルド」の表示を禁止することが認められている。 2011年9月22日、カナダ政府はPromotion of Tobacco Products and Accessories Regulations (Prohibited Terms)でlightやmildは煙草広告の禁止用語に指定した。
ISD仲裁事例でも人命・環境保護規制は認められており、政府が必要な「規制案を撤回」することはあり得ない。 WTOの衛生植物検疫措置/貿易の技術的障害規定でも国際基準に沿った規制は認められる。
不法居住者
1997年グアテマラの鉄道運営権を取り出した多国籍企業RDCは、グアテマラ政府が鉄道付近に住む不法居住者を退去させないことを睨み、財産権を侵害されたとしグアテマラ政府を相手に国際訴訟を提起しました。
ここまで来ると、何が言いたいのか意味不明である。 「不法居住者」に占拠されていることを告げずに物件を売却すれば、日本の民事訴訟でも重要事実不告知で損害賠償を認められ得る。 そうした事実を告知しない方が不誠実であろう。
国内訴訟
とんでもない言い訳をしてくる場合もあります。 ペルーの鉛生産会社ド・ラン・ペルーの最大株主であるレンコ社は、ペルー国民が鉛中毒問題でド・ラン・ペルー社を相手に訴訟を提起して勝訴したことに対して「ペルー政府が不公正に扱った」としてFTAの投資家-国家訴訟制を根拠に訴訟を提起しました。
これも全く意味不明である。 国内裁判が中立性を欠いていたなら、それに対して不服を申し立てるのは当然の権利である。 そして、どのような事実に対してどのような法理でどのような判決をくだしたのかが分からなければ、国内裁判が中立であったかどうかは検証できない。 それこそが本件の核心となる重要事実であろう。 しかし、引用元には、その重要事実が一切記載されていない。 それなのに、「とんでもない言い訳」とは何を根拠に言っているのか意味不明である。
その他
詳細はISD仲裁事例を参照のこと。 企業側が勝訴している事例もあり、敗訴している事例もある。 いずれも、仲裁判断におかしな所は見られない。 これらの事例のように、実際に被害があったとしても、訴えれば何でも認められるわけではないのだ。 「審理の関心は、あくまで『政府の政策が投資家にどれくらいの被害を与えたか』という点だけに向けられ」は大嘘である。 仲裁廷は、ちゃんと、協定の趣旨に沿った判断をしているのである。 これら事例では、協定違反の有無を判断基準としている。 言うまでもなく、日本の国民皆保険制度は国内企業も外国企業も対等であり、事後規制でもないため、NAFTAの条文であっても「国民皆保険制度で損害を受けた」とする訴えが通る余地は全くない。
妄想事例
米韓FTAの最も大きな問題は韓国の医療保険制度の崩壊である。 アメリカで特許が切れた薬に関して韓国内では複製薬の製造を許可してその値段を抑えていた。 しかし大手の多国籍製薬会社がISDで韓国政府を訴え、販売を止めさせれば、当然薬代は値上がりし、韓国は財政難で医療福祉を縮小せざるをえなくなるだろう。
これは、「韓国の医療保険制度」の話なのに「アメリカで特許が切れた薬」としているなど、かなり稚拙なデマである。 パリ条約では「各国工業所有権独立の原則」を定めており、各国の特許制度は独立している。 それは韓国の特許制度でも変わらない。 つまり、米国の特許は米国でしか効力を持たないので、「アメリカで特許が切れた薬」であるかどうかと「韓国の医療保険制度」は関係がない。
また、パリ条約では、内国民待遇の原則が定められおり、締結各国とも自国民も他国民も対等に扱う。 もちろん、特許期間についても内国民待遇に従わなければならないから、韓国企業が開発した薬も米国企業が開発した薬も同じ特許期間になる。 つまり、特許切れ医薬品については、韓国企業も米国企業も完全に対等であり、ISD条項での訴えが通る余地はない。
そもそも、ジェネリック医薬品を認めることは国の規制ではない。 医薬品に限らず、特許が切れた製品は誰でも自由に製造販売できる。 そうした自由を制限するならば、それこそが規制行為になる。 ジェネリック医薬品を規制しないことを問題視したとしても、国が規制をしないことに対してISD条項で訴えられるとする根拠はない。
歴史
このISD条項は、米国とカナダとメキシコの自由貿易協定であるNAFTA(北米自由貿易協定)において導入された。
米国丸儲けの米韓FTAからなぜ日本は学ばないのか 中野剛志[京都大学大学院工学研究科准教授] - ダイヤモンド・オンラインP.5
随分とずるい書き方である。 実際には、ISD条項はNAFTAよりも約30年前から導入されたのであり、NAFTAが初めての事例ではない。
投資を巡る「投資家対国家」の紛争手続は、各国においてBITが締結され始めた1960年代には、既に協定に盛り込まれていた。 しかし、当初は提訴による受入国との関係悪化や仲裁手続の実効性等に対する懸念から、投資家による仲裁付託件数は非常に低い数字で推移した。 1996年、NAFTAにおける「Ethyl事件」(米国企業が、カナダ政府による環境規制がNAFTA上の「収用」に該当するとして主張)において仲裁に提訴され、カナダ政府が米国企業に金銭を支払って和解したことが注目を集め、また、時期を同じくして、1995年から開始されたOECDにおける多国間投資協定交渉において投資協定仲裁が大きな問題になったこともあって、投資協定仲裁への関心が高まった結果、1990年代後半からは仲裁手続への付託件数が急激に増加した。
以上の諸規定は、投資に関する条約規定に反する当事国の行為によって損失を蒙った投資家が国家をICSID(投資紛争解決センター)仲裁に訴えることができる旨を規定している。 文言の微妙な違いはあるが、このような規定が多くの投資協定に挿入されている。 個人が国家を国際仲裁に訴えるという手続は、投資家が国家と締結するコンセッション契約に書き込まれることはあったが、国家間の条約中に書き込まれるのは投資協定がはじめてであり、その後も他の分野には類例がない。 WTO協定をはじめ通常の条約においても、条約上の紛争処理のメカニズムとして、国家対国家の紛争処理手続(WTO紛争解決手続や国際司法裁判所への自動的な上訴手続)が採用されているが、個人(企業)対国家の紛争処理手続が採用されているのは、投資協定または自由貿易協定の対応規定に限られている。 しかもこの仕組みは1960年代に投資協定が結ばれ始めた時点から協定に備えられていた。
確かに、中野剛志准教授は「初めて」とは書いておらず、記述が嘘だとまでは言えない。 しかし、「〜において導入された」では、予備知識がなければNAFTAで初めて導入されたと読むだろう。 「おいて」の後に「も」を入れず「導入」と書くならば、そのような誤読を狙ってるとしか思えないような書き方である。 毒素条項だと印象づけたいがために、投資協定において一般的な条項であることを隠し、特殊な条項であると思わせようとしたのだろう。
導入目的
米国はTPP交渉に参加した際に、新たに投資の作業部会を設けさせた。 米国の狙いは、このISD条項をねじ込み、自国企業がその投資と訴訟のテクニックを駆使して儲けることなのだ。 日本はISD条項を断固として拒否しなければならない。
米国丸儲けの米韓FTAからなぜ日本は学ばないのか 中野剛志[京都大学大学院工学研究科准教授] - ダイヤモンド・オンラインP.6
認容額の大部分は、実際に収用された額の賠償にすぎない
国際投資仲裁概略および批判の検証 - 同志社大学司法研究科
ので「自国企業がその投資と訴訟のテクニックを駆使して儲けること」は原理的に不可能である。
係争費用や勝率を考慮すれば、故意に損害を発生させてまで仲裁判断に持ち込むのは、割に合わない。
そもそも、ISD仲裁は、協定違反に積極的にペナルティを与える制度ではなく、違反による損害が救済する目的であるので、投資後の規制に対してのみ効力を発揮する。
規制後に投資して失敗したなら、それは投資家の自業自得であるから、当然、損害賠償の対象とはならない。
となると、「自国企業がその投資と訴訟のテクニックを駆使して儲ける」ためには、投資対象国が将来導入するだろう規制をを予測して投資しなければならなくなる。
そんなことは現実的に不可能だろう。
仲裁定を買収すればどうか。
しかし、買収は国内裁判でも起きる問題であるし、ISD条項のとおり仲裁メンバーの不正は取消請求(NAFTAは国内裁判所が審議する)の理由として認められているから、殊更問題視することでもない。
決してバレない偽の証拠を捏造したらどうだろうか。
そのような場合は国内裁判でも捏造を見抜けないから、それは、国内裁判であるか中立的な仲裁を用いるかの問題ではない。
部外者が被害者を装って提訴する事例については、ISD仲裁事例のEurope Cement事件において、厳しい判例が出されている。
NAFTAにおいては「米国の狙いは、このISD条項をねじ込み、自国企業がその投資と訴訟のテクニックを駆使して儲けること」は歴史的事実からも不可能である。
当初は提訴による受入国との関係悪化や仲裁手続の実効性等に対する懸念から、投資家による仲裁付託件数は非常に低い数字で推移
2011年不公正貿易報告書第5章投資 - 経済産業省P.597
していて、
1996年、NAFTAにおける「Ethyl事件」
1995年から開始されたOECDにおける多国間投資協定交渉
2011年不公正貿易報告書第5章投資 - 経済産業省P.597
が注目されたことで付託件数が急増したなら、
1992年12月に署名し、1994年1月1日に発効した
北米自由貿易協定 - Wikipedia
NAFTAの署名・発効時には、米国政府には「自国企業がその投資と訴訟のテクニックを駆使して儲ける」ことを予想することができない。
つまり、NAFTAでは米国政府にとっても「自国企業がその投資と訴訟のテクニックを駆使して儲ける」ことは予想外だったのだ。
また、米国企業に有利に解釈したS.D.Myers事件、Pope and Talbot事件(いずれもISD仲裁事例参照)において
仲裁判断に対しては、米国内を中心に批判の声が挙がった
このような批判を受ける形で、2001年8月1日に、NAFTA自由貿易委員会(NAFTA_Free_Trade_Commission)は、NAFTA11章について覚書(Notes_of_Interpretation_of_Certain_Chapter_11_Provisions)(「貿易委員会覚書」)を公表した
NAFTA加盟国が危機感をもって対処した
投資協定仲裁の新たな展開とその意義 - 経済産業研究所P.14
の事実を見ても、米国政府も積極的に毒素条項を解消しようとしている。
それなのに、どうして、TPPでは「米国の狙いは、このISD条項をねじ込み、自国企業がその投資と訴訟のテクニックを駆使して儲けること」と言えるのか。 米国の陰謀?TPPお化けのとおり、中野剛志准教授の主張は陰謀論としてもお粗末過ぎる。 ISD仲裁事例を見れば分かるように、勝率で見ても、とくに米国が有利とする根拠はない。
それどころか、政府は、日本の国益を著しく損なうISD条項の導入をむしろ望んでいるのである。
米国丸儲けの米韓FTAからなぜ日本は学ばないのか 中野剛志[京都大学大学院工学研究科准教授] - ダイヤモンド・オンラインP.6
既に説明した通り「日本の国益を著しく損なう」は大嘘である。 多少の損害を被る危険性がないとまでは言えないが、予想される損害は極めて小さい。 むしろ、外国政府による日本企業への不当な扱いへの対抗手段としてISD条項は極めて有効である。
恣意的な政治介入を受ける可能性の高い国や、司法制度が未確立な国の裁判所ではなく、公正な手続にもとづき第三国において仲裁を進めることが可能となる。
冒頭で述べたように、そもそも投資協定仲裁が導入されるようになった理由は、投資受入国政府が投資家にとって不利な措置を取り、また裁判所もそれを追認してしまう、という意味で、適用法のレベルおよび裁判所の実際の判断のレベルにおいて投資家に不利な状況が形成されているという認識があったためである。 国際商事仲裁においてもこのような意味での中立性の問題が指摘されるが、そこで指摘される問題は、ある国の裁判所がその国の国民が有利になるような判断を下すのではないか、あるいはそうでなくてもある国の国民はその国の法制度・慣習などに詳しいのに対して、他国の国民はそのような情報を有していないために結果として不利になるというような裁判所の判断レベルの問題であった。 投資協定仲裁の場合、裁判所が政府が独立していないためにこのような裁判所の判断レベルの問題がより大きなものになると予想されることに加え、例えば国有化のような措置について投資家に不利な立法がなされ、それが裁判所の判断の基準になるという意味で、適用法のレベルで投資家が不利に扱われるという可能性が生じる。 これに対し、仲裁廷は国家の主権の下にはなく、また先に見たように判断に関しても仲裁人の選任などのプロセスを通じて中立性を確保しようとしているために仲裁廷の判断のレベルでの中立性はある程度確保されており、また適用法に関しても特に近年は国際法を適用する場面が多くなっているために、投資受入国法を適用する場合に比べ、相対的には中立的な判断を下す可能性が高い。 もちろん、仲裁廷が適用する国際法が常に中立的といえるかどうかは自明ではないが、投資受入国政府「寄り」になっている投資受入国法と比較すれば中立的であると見なしうるだろう。
例えば、かつての開発途上国の中には法制度そのものがまだ十分に整備されておらず、透明性を欠いており、また裁判官の教育も十分に行われていないという国は存在しただろうし、そうであれば裁判所の判断は不安定で予測不能なものであっただろう。 これに対し仲裁廷では、仲裁人は一般に十分な経験をつんだ弁護士や法学者、あるいは国際的な裁判所の裁判官等から選ばれており、また適用法そのものも国際法であれば投資協定や一般国際法などの比較的内容が明確なものであるため、上のような開発途上国の裁判所に比べれば判断の安定性、予測可能性は格段に高いものと予想される。 もっとも、投資協定に関しての仲裁判断はまだ一貫したものにはなっておらず、なお不安定な状況であるため、仲裁廷が常に投資受入国裁判所に比べ判断の安定性・予測可能性が高いとは限らない点には注意が必要である。
たとえば、安全を口実にした規制は可能である。 もし、これが、外形上は協定に違反しない手段を用いて、実質的に協定を骨抜きにする手段だったらどうだろうか。 それに対して、実質的な協定違反でないか中立的機関に判断してもらう条項を設けることは、非常に合理的で妥当な提案である。 NAFTAの規定には拡大解釈の余地があるが、ISD条項を設けることそのものに問題があるわけではない。 日本政府が「ISD条項の導入をむしろ望んでいる」のは当然のことであり、「日本の国益を著しく損なう」どころか、日本の国益を守るために必要な措置であると考えられる。
「途上国相手に必要なだけなら米国相手にはISD条項は必要ない」と言う者もいる。 しかし、TPPには途上国も参加している。 それに対して、彼らは「TPPじゃなく日米FTAにすればいい」と言う。 しかし、日米FTAならば、尚更、ISD条項は必須である。
ちなみに私が通産大臣秘書官として携わった日米自動車交渉(二国間)は、世界の耳目を集める一大ニュースとなり、日米交渉では稀な「ガチンコ」の「熾烈な」交渉となったが、そのわけは、米国が、あろうことか市場経済のルールに反する「数値目標」を要求してきたからだ。
すなわち、「日本車に占める米国製の部品のコンテンツ(含有)率をいついつまでに何%にまで増やせ」「米国車を扱う日本でのディーラー数を何年までに何店舗にしろ」といった理不尽な要求だった。 およそ、自由主義経済国で政府のコントロールの及ばないことまで要求してきたのだ。
米国の陰謀?TPPお化けのとおり、米国が理不尽な要求を突きつけてくることは良くあることである。 これまで、米国は、ISD条項のとおり、何度も対日貿易制裁を発動してきた。 歴史的事実を見れば、米国政府が、米国の国内産業を脅かすほどの技術力・生産力のある国に対して貿易制裁措置を発動することは十分考えられる。 そして、何の抑止力もなければ、米国政府は、そうした貿易制裁措置を自由に発動できてしまう。
では、貿易制裁措置に対する対抗手段として国内裁判所は使えるだろうか。 司法は立法や行政から独立して政府介入を心配する必要がないなら、国内裁判所は使えるだろうか。
我が国では、
日本国憲法第九十七条第二項
日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする
となっているので、法令上は、条約違反の法律に対して憲法第九十七条第二項違反を理由とした違憲立法審査が可能である。
ただし、法律と条約との整合性を何処まで裁判所が踏み込んで判断して良いか、という点については議論の余地があろう。
一方、米国憲法第6条では
憲法と憲法に基づいて作られるアメリカ合衆国の法律と条約を国内の最高法と定義
Wikipedia:アメリカ合衆国憲法
している。
つまり、米国の憲法上は、連邦法と条約は対等であり、条約に違反することを根拠として連邦法を無効とすることはできない。
国内裁判では
投資家に不利な立法がなされ、それが裁判所の判断の基準になるという意味で、適用法のレベルで投資家が不利に扱われるという可能性
投資協定仲裁手続のインセンティブ設計 - 経済産業研究所P.10
があるとされるが、米国憲法下の裁判では「投資家に不利な立法がなされ、それが裁判所の判断の基準になる」が現実になりかねない。
また、米国には陪審制があるから、政府介入よりも日本人・日本企業に不利な結果を招くことが予想される。 陪審制では、法的な正当性よりも陪審員の印象が判決を大きく左右する。 日本人・日本企業は陪審制でのノウハウに乏しいだけでなく、自国贔屓のために陪審員の印象が悪い状態で裁判を戦わなければならない。 よって、米国の裁判制度で戦うと、政府介入以上に日本に不利な判決が出る可能性が高い。 米国の裁判制度に比べれば、中立的な第三者機関に判断を委ねた方が遥かにマシだろう。
米韓FTA
米韓FTAに関するデマの詳細はTPPと米韓FTAに書いてある。
まとめ
それどころか、政府は、日本の国益を著しく損なうISD条項の導入をむしろ望んでいるのである。 こうなると、もはや、情報を入手するとか交渉を有利にするといったレベルの問題ではない。日本政府は、自国の国益とは何かを判断する能力すら欠いているのだ。
米国丸儲けの米韓FTAからなぜ日本は学ばないのか 中野剛志[京都大学大学院工学研究科准教授] - ダイヤモンド・オンラインP.6
既に説明した通り、ISD条項がない方が「日本の国益を著しく損なう」ことは明らかである。 外務省や経済産業省の資料を見る限り、日本政府はISD条項についてしっかりと勉強していることが分かる。
Commented by su-mi さん
こんばんは。
>「ISD条項に反対せよ」と言うのではなく、「投資に関する条文が、NAFTAのようにならないよう、注意せよ」と言うべきだろう。
おおいに合点いたしました。
「解説FTA・EPA交渉」(外務省経済局EPA交渉チ-ム編著)という本を読んでいるのですが、仲裁機関のICSIDも透明性を高めて、一貫性のある判定をするように改革をしていること、そのことによって仲裁案件が増加していること、今や投資協定の数が2500を超えていること(OECD推定)からさらに「国対投資家の紛争」は増えることが予想される、と書かれています。
以上、日本政府は、少なくとも、ISD条項の問題を分析し対策を練ったうえでTPPに臨んでいることが分かる。 つまり、「日本政府は、自国の国益とは何かを判断する能力すら欠いている」は全くのデタラメである。
京都大学法学部ゼミ生共同論文
京都大学法学部2012年度前期演習(国際機構法)の論文ISDS 条項批判の検討―ISDS 条項は TPP 交渉参加を拒否する根拠となるか―(濵本正太郎教授監修)は非常に良くまとまっているので一読をお勧めする。 その概要を箇条書きにしてみた。
- 投資仲裁において問題とされる違反は主に次の4つである。
- 収用の際の補償義務違反
- 公正衡平待遇違反
- 内国民待遇違反
- 義務遵守条項違反
- 条約の自由な締結は主権の行使であって主権侵害ではない。締結した条約を誠実に遵守し、違反による損害賠償等の義務を負う。
- 「主権侵害」論は、条約締結行為への反対意見に過ぎない。
- 投資家にとっての不安を解消することが、投資受入国にとっても投資家にとっても利益となるから、国際投資仲裁が規定されている。
- 投資受入国は当然に外国資本の導入を望んでいるから協定を締結する。
- 投資受入国が国内法・政策をいかようにも変えられるが、これは投資家にとってリスクとなり、投資を躊躇する要因になる。
- 投資受入国の司法制度は十分に整備されていても、投資家にとって裁判で不利益な扱いを受ける不安を完全に解消することはできない。
- 投資家がリスク回避のために投資を断念すれば、投資受入国も外国からの投資を国内に呼び込んで経済を活性化する機会を失う。
- TPPと米国標準との類似点は多いが、それは日本にとって一方的に不利なことを意味しない。
- 外国人投資家だけが国際投資仲裁を受けられることは過剰な権利とは言えない。
- 外国人投資家が政府から不公平な扱いを受けることは、外国人投資家特有のリスクである。
- 国内企業は経済団体の活動等を通じて国内政策形成に関わることが可能だが、外国人投資家には難しい。
- 外国人投資家投資家の選択肢を減らしたければfork in the road 条項や放棄条項を設ければ良い。
- 国際投資仲裁の前に国内救済の完了を要求することも協定の規定次第で可能。
- 自国から相手国に投資を行う企業にも同一の権利が与えられている。
- 仲裁人が法的責任を負わないことは大した問題ではない。
- 中立性の維持のためには国家や他の機関から独立し、特定の判断について直接的な責任を追及されないことが望ましい。
- 多くの仲裁人は学者や弁護士を業としており、あまりに不合理な判断を下すことは、実際的なリスクを伴う。
- 双方が仲裁人を選任できるから、仲裁人の資質を検討して慎重に仲裁人を選任すればよい。
- 仲裁人に必要とされる資質を明らかに欠く場合は、相手側が選任した仲裁人を入れ替えることを要求できる。
- 仲裁廷は環境・健康を軽視していない。
- Metalclad事件、S.D. Myers事件、Tecmed事件、Ethyl事件、Phillip Morris事件のいずれも、国家の裁量を否定しておらず、環境規制等を隠れ蓑とした不当な政策事例である。
- Chemtura事件では仲裁廷は政府規制を支持した。
- 仲裁廷は、国家の同意していないような義務を「創造」したとは言えない。
- 第三者機関である仲裁廷に条約の解釈を任せたのは国家自身である。
- 仲裁廷は事案に応じて妥当な解釈を採用し、国家の意思をくみ取る十分な努力を行っている。
- Tecmed事件では「創造的解釈」が国家の主権を脅かしていない(むしろ逆)。
- Occidental事件では事件の特質に着目し注意深く規範を選択することで、当事国の意思を裏切らない妥当な結論を導いたと言える。
- Pope and Talbot事件では、義務違反の判断後に示された遡及効を持たない「解釈ノート」との整合性について賠償額算定判断時に言及しており、当事国による仲裁廷の一定のコントロールが為された事例である。
- 手続は完全に透明とは言えないが、完全に秘密で非公開でもない。透明性と当事者の保護・仲裁手続の迅速性・公平性とのバランスをどうするかは当事国が政策的に決定する問題である。
- ICSID の仲裁手続は数ある国際仲裁規則の中で最も透明性に秀でている。
- 仲裁手続の登録情報の公開を義務付けており、ウェブサイト上で公開されている。
- 仲裁判断の殆どは、公表されている。
- 仲裁判断の公開には全当事者の同意が必要だが、判断の抜粋は迅速に公開される。
- 紛争一方当事者による公開は禁止されていないため、各国政府ウェブサイト や判例集などで公表されている。
- 口頭弁論に関しては、いずれかの当事者が反対しなければ、仲裁廷の判断で第三者への公開が可能。
- この規則が制定された後、136件中゙11件が公開されている。
- 書面資料については、判決形成過程を公開する国はないので、これが公開されないことを批判することは現実的ではない。
- 仲裁廷は当事者との協議により第三者の書面の提出を認めることが出来る。
- UNCITRALでは透明性向上について検討中である。
- 仲裁手続は協定で自由に決められるので、個別の投資協定で透明性の向上を図ることは可能である。
- ICSID の仲裁手続は数ある国際仲裁規則の中で最も透明性に秀でている。
- 直接的に協定を結んでいない第三国の企業が協定を結んだ国にペーパー企業を設立して間接的に投資する「条約漁り」を認めるかどうかは当事国の政策上の問題である。
- 逆のことを可能にする協定が存在しないか、あるいは、その協定で迂回投資が禁じられている場合は一方通行になるので、投資受入国にとっては都合が悪いが、それは投資家の罪ではない。
- 「条約漁り」は協定で禁止されていない限り、それは当事国の意思である。
- 当事国は「条約漁り」を協定の保護対象から外す利益否認条項を設けることが可能。
- それでも、敢えて、投資家の範囲を広く設定するのは「条約漁り」であっても投資受入国に経済的メリットがあるからである。
- 仲裁廷が先例の拘束を受けないか否かは問題の本質ではない。
- 国際司法裁判所や日本の裁判所も判例の拘束力はなく、投資仲裁に限った話ではない。
- 先例が絶対に「正しい」という保証はなく、機械的に従うと不合理な結果を招く恐れがある。
- 判例法の国イギリスにおいても厳格な先例拘束性は1966年に放棄された。
- 実際は、過去の先例を数多く引用し、それに依拠しない場合はその理由を示すことが多い
- 協定の解釈の食い違いは、当事国が解決すべき問題である。
- 2600余りの投資協定が実体義務を抽象的にしか規定していない。
- CMS事件、LG&E事件、Enron事件、Sempra事件では同一事案に同一条約を適用したにも拘わらず仲裁廷の判断が食い違ったが、これは、例外条項がの曖昧で仲裁廷に解釈が丸投げされたせいである。
- 独自の協定である以上、他の協定の解釈と同じ解釈を当事国が常に期待しているとは考えられない。
- 協定の書き方が悪くて当事国の意図が誤解されたなら、それは起草した当事国の責任である。
- 2600余りの投資協定が実体義務を抽象的にしか規定していない。
- 事実認定が仲裁廷によって食い違うことについては解決は難しい。
- 仲裁費用は、便益の比較において論じられるべきであって、個別の仲裁での賠償額等はそれだけでは意味を持たない。
- 費用配分が合理性を欠かないようにするための法的枠組が投資仲裁には用意されている。
- ただし、発展途上国などが金銭的リスクを背負いきれない場合については処方箋はない。
- 上訴制度導入の是非は、制度上の選択の問題である。
- 仲裁人を紛争当事者自身が選任するから、不当判決は生じ難い。
- 個別的に設置される投資仲裁は法解釈の統一の必要性が乏しい。
- 時間やコスト増加を伴う上訴制度は仲裁制度に合わない。
- 同意の必要な国が多過ぎて上訴制度の導入は困難。
- そもそも仲裁判断は、一方当事者にとっては当然に「不服」なものとなる。
- 裁判所の構成、明らかな権限踰越、裁判所の構成員の不正、手続の基本原則からの重大な離反、判断理由不記載とうによる取消手続はある。
- 判例の統一は、仲裁判断の公表の促進とその相互批判によって図るしかない。
- TPPのISDS条項は、条約交渉に参加するか否かにとって決定的な議論ではない。
- 国際制度は不完全なものであるのが通常であり、その不完全さによる害悪の程度を考慮すべきであって、あらゆる不完全な制度を拒否していては国家や社会そのものさえ存在を許されない。
- 投資仲裁制度の「不完全性」は、多くの場合条約のつくり方次第で十分にセーフガードされうる。
- 問題の立法的解決がある程度可能であれば、条約交渉に参加しない理由とはならない。
概要
ISD条項については[TPP交渉への早期参加を求める国民会議]が簡潔明瞭に説明している。
TPP Q&A 上級編
ISDS条項(投資家と投資受入国の紛争解決手続き)で理不尽な理由で国が外資に訴えられて、巨額の損害賠償を命じられるのでは?
A 解答
- ISDS条項は、企業の財産が補償なしに一方的に国有化された場合などに、その国の裁判所ではなく、中立な第三者に仲裁を求めるために、数十年前からある制度です。
- 国が訴えられて負けるのは、国が約束したルールを破った場合のみです。
- 日本は、これまで20以上の経済連携協定や投資協定でISDS条項を入れていますが、約束したルールを守っているため、訴えられたことはありません。
- これまでにISDS条項で外国政府が訴えられて負けた例は、約束したルールを守っていないためです。ISDS条項自体に問題があるわけではありません。
- なお、日本の裁判所に企業(外資系企業も含む)が国を訴えることは、ISDS条項とは関係なくできます。
ISDS条項(投資家と投資受入国の紛争解決手続き)で理不尽な理由で国が外資に訴えられて、巨額の損害賠償を命じられるのでは? - TPP交渉への早期参加を求める国民会議
TPP Q&A 上級編
ISDS条項で国内規制や制度が変えられるのでは?
解答
- ISDS条項は、企業の財産が補償なしに一方的に国有化された場合などに中立的な解決をするために、数十年前からある制度です。
- 仮に国が負けても、求められるのは金銭賠償であり、法律や制度の変更を強制されることはありません。
これはかなり分かりやすい。
未だにデマに騙されている人へ
詳細は別途説明するが、ISD条項に関する情報の誤りを簡潔にまとめると次のとおりとなる。
- ISD条項とは、政府による協定違反によって損害を受けた企業を救済する手続にすぎない。それ以上でもそれ以下でもない。
- 協定違反がなければ損害賠償は認められないため、原理上、言い掛かりをつけても勝ち目がない。
- 協定違反による損害の救済制度への不服は、国家間の約束を破る権利を主張するのに等しい。
- 守る気のない約束を結んで平然と約束を破る行為は詐欺であり、詐欺を行なう権利を要求することは不当である。
- 国家間の約束をキチンと守ればISD条項は恐れるに足りない。ISD条項を恐れるのは約束を守らない国だけである。
- ISD条項と毒素条項は無関係な問題である。
- ISD条項は、仲裁定の手続を定めているだけなので、毒素条項にはなりえない。
- ISD条項の問題と主張されていることは、実は、全てISD条項以外の条項の解釈の問題である。
- 仲裁定における各条項の解釈については問題となり得る解釈もあったが、その解釈の適用例として実際に著しく不合理な仲裁判断となった事例はない。
- 事実関係を歪曲または捏造して著しく不合理な仲裁判断であるかのように偽装された事例はあるが、事実関係を丁寧に紐解くと、それらは一方的な被害者に対する当然の救済策であると分かる事例ばかりである。
- 損害賠償が認められた事例のほぼ全てに政府側の故意または著しい過失による協定違反が認められる。
- 損害賠償請求額の一部について協定違反との因果関係が認められないなど請求額が過大な場合は、賠償額はキッチリ減額されている。
- 条約法に関するウィーン条約において、条約および当事国間で合意のある関連文書の文面通りに解釈すべきとなっており、当事国間の合意のない解釈は認められていない。
- 文面通りの解釈が想定外の解釈だったとしても、その文面を見て合意しているのだから、それはその解釈を想定しなかった当事国の責任である。
- 条約は当事国間の合意によって成り立つものであるから、当事国間の合意のない解釈を採用すると、当事国間の合意をなし崩しにできるので良くない。
- 文面通りの解釈に問題があるなら、当事国間で新たな関連文書を合意すれば良い。事実、解釈に問題があったとされるNAFTAの事例では新たな合意文書が結ばれている。新たな合意文書の切っ掛けとなった仲裁事例2件はいずれも米国企業に有利な解釈であった。
- 以上のとおり、約束を守ることが当然だと考えるなら、ISD条項を目の敵にする理由はない。
ISD条項によって主権が侵害されるとか、未だにデマに騙される人が後を絶たない。 ISD条項が危険だと言う人は、酸性雨の主成分で、海岸線を浸食し、温室効果を引き起こし、毎年多数の死者を産むDHMOも規制するよう呼び掛けるべきだろう。
デマ | 真実 | |
---|---|---|
歴史 | NAFTA(1992年12月署名)で初めて導入された。 | 1960年代に投資協定が結ばれ始めた時点から協定に備えられていた(詳細後述)。 |
導入目的 | 自国企業がその投資と訴訟のテクニックを駆使して儲けるため。 | 協定違反への対抗手段(詳細後述)。 |
国家主権 | 国家主権が犯される事態がつぎつぎと引き起こされている。 | 原理的に国家主権を犯すことはできないし、犯された事例もない(詳細後述)。 |
手続 | 中立性に欠け、かつ、十分な審理が為されない。 | 制度的にも極めて中立的で、審理も充分に為されている(ISD条項)。 |
仲裁結果 | 常に米国に有利な結果が出る。 | 公開された仲裁結果には、とくに米国が有利とする証拠がない(詳細後述)。 |
米韓FTA | 韓国にだけ適用される。 | 双方に適用される(TPPと米韓FTA)。 |
ソース付きでデマを解説しているページを見ても、洗脳が解けない人がいるのは驚きである。 中野剛志准教授らの主張がデマだと分かった後も「ISDが濫用される危険性がある」と言い出す人はTPP洗脳継続の原理を読んだ方が良い。 まともな判断力がある人なら、常識的に考えてあり得そうもないことが事実だとする主張を見て、それを検証もせずに鵜呑みにはしない。 出典を確認することまでは叶わなくとも、反対意見に目を通すまでは判断を留保するのが、常識人の行動である。 その他、中野剛志准教授らの主張には自己矛盾も多々あり、少し注意深く文章を読めば、その胡散臭さにはすぐに気がつくはずである。 CIAの文書に「人々にUFOを信じさせなくする方法」(嘘に真実を少しだけ混ぜた噂を流しておいて、しばらくしてから嘘をばらすと人々は白けて関心を失う…とか)というものがあるらしいが、中野剛志准教授らの主張はその第一段階そのものにしか見えない。 どうでもいいが、調べてみたらこのCIAの文書は実在しないらしい。国防のために未確認飛行物体を調査したロバートソン委員会のまじめな報告書だったのに、何処をどう取り違えたのか「UFOを馬鹿にするように大衆を洗脳する作戦=プロジェクト・ディバンキング」として噂が広まったらしい。
補足しておくが、次の3つは全くの別問題である。
- TPPに賛成すべきか反対すべきか。
- 中野剛志・東谷暁・三橋貴明らが完全なデマを流布していること。
- 人々を扇動するためにデマを流布して良いかどうか。
中野剛志准教授らの主張がデマであることは、TPPに賛成すべき理由とはならない。 そして、仮に、TPPに反対すべきだったとしても、それはデマを流布して良い理由にはならない。 TPPに反対していることが問題なのではなく、反対する手段としてデマを流していることが問題なのだ。 本当にTPPに反対すべきであるならば、デマではなく、反対すべき真の理由を説明すべきである。
TPPに懸念事項があるのは事実だが、それは次の4つに大別される。
- ほぼ確実に起こる懸念事項
- 確実でないが警戒すべき懸念事項
- 可能性がないとは言えないが警戒するほどでない事項
- 現実的にあり得ない事項
たとえば、漁業補助金の原則禁止は1番目、例外なき関税撤廃は1〜2番目である。 しかし、それら以外の反対論の多くは3〜4番目である。 中野剛志准教授らの流布するデマはほぼ4番目(現実的にあり得ない事項)である。 「ISD条項によって主権が侵害される」などというデマを信じている人は、より簡潔にISD条項を説明したISD条項を読むことを勧める。
こちらのページは、中野剛志准教授らの流布するデマに対して個別に反論することを目的としているので、全体として何が言いたいか分かり難いかも知れない。 簡潔明瞭に分かりやすい説明を必要とする人は、ISD条項を見てもらいたい。 ISD条項にも手続的には瑣細な問題がないわけではない。 しかし、中野剛志准教授らの主張するような国家主権の侵害だの治外法権だのの類いは完全なデマである。 国家主権は国際法に沿った範囲で認められるのであり、条約や協定の議論に参加して締結するかどうかを選択する権利こそが国家主権の行使なのであって、自ら締結した条約や協定に違反する国家主権など初めから存在しない。 存在しないものを侵害することなど不可能である。 そして、条約や協定が自国の同意内容から勝手に変えられてしまうことこそが国家主権の侵害なのであり、そうした実質的な国家主権の侵害を防ぐためにISD条項等があるのである。
尚、中野剛志准教授には故意にデマを流布している疑いがある。
早稲田大学政治経済学術院の若田部昌澄教授によれば、中野剛志准教授は
きわめてきっちり経済学を理解して
よりよく生きるための経済学入門第14講TPP再説とグローバリゼーションP.1 - 筑摩書房
自説にふわさしい理論を的確に選んで
「そう言われればそうかな」と思ってしまうようなところを突いて論を展開してくる
反面教材としてはなかなか悪くない
よりよく生きるための経済学入門第14講TPP再説とグローバリゼーションP.6 - 筑摩書房
人だそうだ。
国際投資仲裁/投資家対国家紛争(仲裁)に関する条文(ISDS条項又はISD条項)
TPPお化けとして、ISD条項が国民皆保険制度を崩壊させるとするものがある。
「国民皆保険制度」の存在が、外資保険会社に損害をもたらした、と外資保険会社が判断すれば、日本国政府を訴えることができるというとんでもない条約。
保険に関わらず、何にでもイチャモン付ける事が可能な印籠。
結論を先に言えば、「何にでもイチャモン付ける事が可能な印籠」は大嘘であり、この「外資保険会社」の訴えは通らない。 その詳細は既に説明した通りである。
このISD条項についても、もちろん政府マスコミは口を塞いでいます。
これは全く事実に反している。
- 包括的経済連携 - 国家戦略室
- 経済連携協定(EPA) - 財務省
- 環太平洋パートナーシップ(TPP)協定交渉 - 外務省
- 日本からの輸出でEPA/FTAを利用する - 経済産業省
- 環境と経済連携協定に関する懇談会 - 環境省
- 「日本抜きのアジア経済秩序はあり得ない」 - 日本経済新聞
- 水説:「日中韓」とTPP=潮田道夫 - 毎日新聞
- TPPと「ISD条項」 - 自民党河野太郎議員
- TPP:ISD条項は治外法権か? - 民主党金子洋一議員
- TPP交渉参加の是非を考えるために その3 - 自民党おはら舞議員の秘書
- ISD条項を議論するための資料集 - 個人ブログ
役所も国会議員も秘書も、ちゃんと説明する人は説明しているのである。 個人のブログまで探せば情報はいくらでもある。
事実、検索エンジンで検索してもほとんど検索結果が出てこないような状況。
「検索エンジンで検索してもほとんど検索結果が出てこない」のは検索ワードが間違っているかららしい。
なお、経済産業省をはじめとする我が国政府の公表資料では、「ISD条項」という表現は使われておらず、「投資家対国家紛争(仲裁)に関する条文」といった表現が多く使われている。 また、これを含んだより広い概念として「国際投資仲裁」という用語も使われる。 よって、「日本政府はこれまでISD条項について無防備だった」という物言いも正しくない。 そういう非難をする者が、ググるときにキーワードを正しく設定していないだけなのだ(笑)
おまけ
ISD条項 - ニコニコ大百科がいつの間にかまともな内容に修正されている件について。
で、内容がほとんどこのページのパクリな件について。
ていうか、このページの冒頭で「無断転載しても結構です」と書いていた件について。
ていうか、ていうか、このページも実は他所からパクリまくりな件について。
ていうか、ていうか、ていうか、出典明記が重要なんだと言い訳しておきたい件について。
そんなことよりも、このページよりも文章が分かりやすい件についてwww
とりあえず、ID:d/5fxSQlu9乙! できれば次も直して欲しい。
これはアメリカ・カナダ・メキシコによる北米自由貿易協定(NAFTA:ナフタ)で導入された。
ISD条項は投資協定では古くから導入されているものであって、NAFTAで初めて導入されたわけではない。
反論:ISD条項は外国政府の不当な差別から自国企業を守るために締結されるのだから、「治外法権的」な条項であるのは当然のことである。
単なる条約の遵守を「治外法権的」と表現するのは正しくない。 正しくは、「国内法より優先する条項であるのは当然のことであるが、締結した条約の遵守を求めることを治外法権とは言わない」と書くべきだろう。
「投資家を損させた」と判断されたため、カナダ政府が有罪となり、上告がないため
MMTの事件では、カナダ政府が自発的に非を認めて和解したので、仲裁定判断には至っていない。
その後、メキシコが地下水汚染を防ぐため、アメリカの廃棄物会社Metalcladの設置の許可を取り消した
許可を取り消した合理的根拠が示されていないから、仲裁定は「メキシコ行政府の対応に透明性が欠如していた」と認定したのである。 英語版Wikipediaによれば、「地下水汚染」は風評に過ぎず、知事による環境調査でも適正処理が確認されたとされる。 中野剛志准教授らは、故意にその事実を隠している。
このような紛争件数が200件を超えている
「紛争件数が200件を超えている」ことが問題になるなら我が国の裁判制度も撤廃すべきとなる。 「200件」の多くが濫訴だと言うなら上告がないことを問題にするのは矛盾している(OECDは濫訴が増えることなどを理由に上告制度に反対している)。
- 治外法権の復活 「ISD条項」参照
- 薬価規制撤廃、混合診療解禁による医療の崩壊
しかし韓国はこの米韓FTAで、様々な条文に塗りこまれたISD条項により現代の不平等条約とも言われる条項に合意した。
米韓FTAについては、ISD条項が適用されていないとするリンク
さらにTPPへはラチェット規定が盛り込まれることも確実視されている。 これは米韓FTAにも盛り込まれている。
ラチェットとは自転車の車輪のように、片方向にしか回転しないラチェットレンチのことである。 つまり国際条約に基づいて、国内法や規制を緩和したら、いかなる理由があろうとも再度規制することができないのである。つまり自由化の一方通行にしか法改正を認めない。
- 規制緩和で日本では使用禁止されている農薬やポストハーベストを許可した。
- 輸入作物の農薬が原因で、病気になった人が急増した。医学的にも証明された。
- ラチェット規定のため、もとに戻すことも一部の法改正すらも許されない。
これらは明らかな間違い。
- 協定違反へのペナルティを与えることしかできないISD条項では原理的に治外法権は不可能。
- 「薬価規制撤廃、混合診療解禁による医療の崩壊」のリンク先には議題になる可能性がゼロとまでは言えない旨が記載されているだけで「薬価規制撤廃、混合診療解禁」の根拠となっていない。
- 米韓FTAでは米韓双方にISD条項が適用され、その他の条項も同様なので「現代の不平等条約」とする根拠がない。
- 「米韓FTAについては、ISD条項が適用されていないとするリンク」では中野剛志准教授らのデマを暴いているが、「ISD条項が適用されていない」などとは一言も書いてない。
- 米韓FTAではGATT第20条(人命や健康等を理由とするセーフガード規定)等が認められており、健康被害を防ぐ目的でなら「もとに戻すことも一部の法改正すらも許されない」とはならない。
その他、全体的に危険性の針小棒大な誇張と利益の矮小化が見られ、反対論へ誘導しようとする非中立的な文章が目立つ。
程度の低いデマ
ニコニコ大百科(ID:YAOpDsU07n)
316 : ななしのよっしん :2012/02/05(日) 22:54:31 ID: YAOpDsU07n
>>315
うーん、仮にここで誰かが答えたとして、それとそのサイトどちらが正しいのかは君はどう判断するつもりなのかな? 俺が流し読んだ感じでのそのサイトの問題点(これは中野の主張ではないのに注意、俺は専門家でないことにも注意)
・洗脳、デマと露骨なレッテル貼り→テレビや匿名掲示板でよくやってる
・まず最初に結論をぶちあげる(その上で無理やり論理性をもって演繹的に書こうとするから後述が沢山出て来る)→出発点からして公平な立場とは言い難い
・色やサイズで強調→スポーツ新聞がよくやるやつ
・ISD条項についてのデマ(とサイト主が主張する指摘)の出所がバラバラ、雑誌の取材(はしょられる)はまだいいとしてネットのサイトとかも→ISDを問題視する人間全体の主張であるかのような印象操作がされている。 後は広大なネットから勘違いしてる記事見つけて来るだけで完全論破、上記のレッテル貼りを利用するとべんり、ソースはネット(笑)
内容以前にこんな作りのサイトをソースにしてどやと言われても困る。ソースは2chの方がマシなレベル
まず、この人は、後から出た結論を論点整理のために先に説明することと、先にある結論に合わせて論理を組み立てることの違いが分かっていないようだ。 このページに書いてあることは、ISD仲裁事例や制度上の仕組み等からの当然の帰結として導かれる結論であって、その詳細な説明を見れば、結論に合わせたこじつけでないことは明らかである。 そうした中身を読まずに、結論を先に説明している事実を持ってのみ、「その上で無理やり論理性をもって演繹的に書こうとする」「出発点からして公平な立場とは言い難い」と決めつけるのでは話にならない。
要点となる重要部分を強調するのは当然なのだから、それに対する批判も的外れである。 簡潔でないとか、要点から外れているという批判なら甘んじて受け入れるが、強調行為の批判は的外れも甚だしい。
「露骨なレッテル貼り」も的外れである。 中野剛志氏のやり方のような都合の悪い事実を隠すことは、ここでは一切していない。 仮に、「洗脳、デマ」という先入観を持ったとして(詳細を検証せずに結論を鵜呑みにする方が悪いが)、中身を見ればその真偽が確認できるように包み隠さず情報を提示している。 それに対して、中野剛志氏は、自らの誘導する印象を補強するための曖昧なことのみを述べ、印象を覆す事実については一切説明しない。 どちらが「露骨なレッテル貼り」であるかは言うまでもあるまい。
どうして、個別のデマに対して丁寧に解説することが「問題視する人間全体の主張であるかのような印象操作」となるのか意味不明である。 言うまでもなく、このページで解説したデマ以外の情報の真偽は個別に検証しなければ分からない。 個別に検証しなければ分からないからこそ、このページでは、個別のデマに対して丁寧に解説しているのである。 それを「問題視する人間全体の主張であるかのような印象操作」と捉えるなら、このページの趣旨と意図を全く理解していない。 つまり、この人は何も理解しようともせずに、勝手な妄想で人の反論を捏造して、見当違いの主張をしているだけに過ぎない。 「ISD条項についてのデマ」の「出所がバラバラ」なのは、元の情報がバラバラな所にバラ撒かれているからであって、それは反論側の責任ではない。 そもそも、そこで議論されていることは中野剛志氏の主張の妥当性なのだから、そこで、中野剛志氏以外の「ISDを問題視する人間全体」を持ち出してくることが根本的におかしい。
最悪なのは、「ソースはネット」とする「露骨なレッテル貼り」である。 このページにおける反論の根拠資料は、ICSID(国連機関)、外務省、経済産業省、環境省とそれらの外郭団体が主であり、一部に国会議員の主張などを採用している。 いずれも明らかな公式サイトへのリンクであり、リンク先を見れば誰でも内容をすぐに確認できるため、捏造する余地は全くない。 これの何処が「ソースはネット」で「ソースは2chの方がマシなレベル」なのだろうか。
ただし、原文には「ソースは」とだけ書いており、その前のデマのソースについてしか言及していないので、もしかすると、そこで言っている「ソース」とは反論の根拠のことではなく、反論対象の意見のことなのかも知れない。 しかし、仮に、百歩譲って、反論対象の意見が架空の物であったとしても、その架空の意見の中身の真偽は、そのソースの確かさとは全く関係がない。 その架空の意見の中身の真偽を左右するものは、やはり、反論の根拠資料の確かさであることに変わりはない。 「Aがデマであるかどうかはともかく、Aが流布されているとは信じられない」はあり得ても、「Aが流布されている事実が確認できないから、Aがデマであるとは信じられない」はあり得ない。 それなのに、反論の根拠資料の確かさを全く検証することもなく、反論対象の意見の「ソース」だけを問題にして、「ソースは2chの方がマシなレベル」と言っているなら、全く、見当違いも甚だしい。 そもそも、中野剛志氏の主張のソースは、全て、ダイヤモンド・オンラインの署名記事であり、個人で捏造できるものではない。 それなのに、「ソースはネット」で「ソースは2chの方がマシなレベル」とはどういうことか。
317 : ななしのよっしん :2012/02/05(日) 23:06:23 ID: YAOpDsU07n
その上で、サイトの中身についてだが、長々と書いてあるが結局のところデマとする根拠は実は正当なものであるという点しか指摘していない。 上の方でも書いたが「中野の」指摘するISD条項の問題点は国家主権に対して多国籍企業が挑戦できるという「事実」であって個別の事案の正当性は問題ではない。 「悪法も法なり」というのがポリス時代から現代にまで続く国家の前提であって、そのような暴力装置を独占しているからこその国家であって正当性は問題ではない。 さらに付け加えるならば、ISD条項についての「印籠」という例えの意味をそのサイトの主は全く理解していない。 ご老公の印籠は政治的にはなんの権力も保証しない、それと一緒でISD条項違反という印籠が実際に内政干渉を行う事は無くてもそれを口実に他国が圧力をかける事は可能であるし、日本の自動車、農産物の貿易の歴史を見てもそれは明らかであってISD条項はそれに正当性を付与する。 まさしく問題は国家と企業から国家とその企業が所属する国家との間の政治闘争となり、政治力に劣る日本にとっては不利であるというのが「中野の」主張 確かに中野の主張自体は故意に誤解を与えかねない言い方をしてるがちゃんと論理的に聞けば反論が筋違いなのは明らかだ。 だから本の方ではちゃんと書いてあるだろうから本読めよと言った。
最後に治外法権の建前って近代法の整備が遅れている未熟な国家において自国民の権利が保障されないから設けられるというのが建前で ISD条項も貿易についての法整備が未熟で摩擦が起きた場合に備えて設けられるんだそうだな。
実際に治外法権がどのように押しつけられ(政治力の敗北)、用いられたか(人身売買を含む不当な取引、過剰な賠償請求)も含めて良い例えだと思うよ。 そのサイトはそういう歴史的な文脈も無視して中学の先生に教えてもらった通りに「自分の国の法律を適応できない」事だとしてそんなことは無いと言ってるみたいだが
政府の行為の違法性について裁判等に持ち込むことを「国家主権に対して多国籍企業が挑戦」と言うなら、それは、国内裁判においても可能なことである。 適用法規が国内法か国際法(条約含む。また、国際法に規定がない場合は国内法を採用)かという違いはあるが、国内裁判もISD条項に基づく国際投資仲裁も、どちらも企業が政府を訴えることができ、かつ、建前上は適用法規に基づいて中立な判断が行なわれる点については、何も変わらない。 そのことが問題だと言うなら、国内裁判においても企業が政府を訴えることを禁止しなければならないはずである。 それなのに、どうして、国内裁判を問題とせず、ISD条項に基づく国際投資仲裁だけを目の敵にするのか、全く説明になっていない。
まるで、現行国際法に拘束されることで「国家の前提」が崩れるかのような物言いだが、それならば、条約を締結したり国際連合に加盟した時点で「国家の前提」が崩れているはずである。 しかし、現状では、日本を含む多くの国が随分前から現行国際法に拘束されているが、それで「国家の前提」が崩れていると言う人は居ない。 もしも、現行国際法に拘束されることで「国家の前提」が崩れるとしても、随分前から崩れているのであれば、それを殊更問題視する必要もあるまい。 問題の本質は、そうした言葉遊びにはなく、現行国際法に拘束されることの妥当性である。 そして、法体系の問題でもある。 下位の法令が上位の法令に従わなければならないことは当然であり、「悪法も法なり」では、下位の法令が上位の法令に違反することを正当化できない。 例えば、政令・省令・規則・条例等は国の法律に従わなければならないし、国の法律は憲法に従わなければならない。 現行の上位の法令に反する下位の法令を設けたいのであれば、平然と上位の法令を無視するのではなく、まず、上位の法令を改正するように働きかけるべきであろう。 条約についても、自国の主権の行使の結果として国会承認を経て締結したもの、すなわち、国家として選択したものである以上、自国の法律より上位の法令として従わなければならないことは当然のことである。 約束を守りたくないなら、はじめから、約束を交わさなければ良い。 自らの意志で約束を交しておいて、守るのが嫌になったからと言って、約束を破る権利を主張することは、窃盗権や殺人権を主張することと同じく、著しく不当な主張である。 後になって過去の約束が不都合になったのであれば、平然と条約違反を犯すのではなく、まず、条約を改正する手続を取るべきだろう。
ISD条項に基づく国際投資仲裁では、適用法規は現行国際法であり、適用法規に基づかない判断を下すことはできない。 よって、現行国際法にない項目に関する圧力に対して「ISD条項はそれに正当性を付与する」ことは不可能である。 確かに、「他国が圧力をかける事」は、ISD条項とも現行国際法とも全く関係なく実施可能である。 しかし、「ISD条項はそれに正当性を付与する」ことができるとすれば、それは、現行国際法に規定されたことだけである(つまり、「現行国際法を守れ」と要求できるだけ)。 現行国際法を適用法規にする以上、現行国際法に規定されていないことに対して、「ISD条項はそれに正当性を付与する」ことは不可能である。 よって、「日本の自動車、農産物の貿易の歴史」「政治力に劣る日本にとっては不利」が事実であるかどうかさておき(たとえば、民主党の江田憲二議員は通産大臣秘書官時代に米国の不当な数値目標要求を突っぱねたと主張しており、その詳細はTPPへの疑問、懸念に答える・・・②貿易自由化はTPPではなくFTAやEPA等二国間交渉で進めるべきだ - 日々是好日に書かれている)、それらはISD条項とは全く関係がない。 ついで言えば、制度を無視した悪用を懸念することは全くの無意味であり、そうした完全な筋違いの圧力が通用するのであれば、それはISD条項があろうとなかろうと同じことである(悪用する側の立場に立てば、利用するものをISD条項に限定する必要はない)。
以上の反論対象が「中野の主張自体」として「本の方ではちゃんと書いてある」中身であるなら、それは「故意に誤解を与えかねない言い方」などではなく、全くの見当違いのデマでしかない。
ISD条項は、上位の法令が下位の法令を拘束する当然の前提に従って現行国際法を適用するものであり、「治外法権」でも何でもない。 そして、現行国際法に拘束されることも、「治外法権」とは言わない。 とくに、条約は、国会承認を経て締結するものであるから、手続上、国内法と同等以上の効力を有するのは当然である。
ただし、もしも、現行国際法を逸脱している事例があれば、それは、「治外法権」や主権侵害と認定できよう。 つまり、「個別の事案の正当性」が、「国家の前提」を脅かすかどうか、「他国が圧力をかける」ための「口実」として「正当性を付与する」かどうかを左右するのである。 そして、「個別の事案」に対して検証した結果として、いずれも、「治外法権」や主権侵害に該当しない正当な判断であった。 中野剛志氏も、当然、そのことを理解していたからこそ、あたかも、不当な訴えが通ったかのように「故意に誤解を与えかねない言い方をしてる」のである。 「国家主権が犯される事態」「各国が自国民の安全、健康、福祉、環境を、自分たちの国の基準で決められなくする『治外法権』規定」「グローバル企業が各国の主権そして民主主義を侵害」に見せ掛けるために必要だったからこそ、故意に、情報を選別しているのである。 そうでなければ、不当に見せ掛ける情報を記載して、かつ、正当性を示す情報を一切記載しないというような不自然な記載の仕方はあり得ない。 仮に、そうした意図がなく、単に簡潔に記載するために情報を削っているなら、「同様の規制は、ヨーロッパや米国のほとんどの州にある」「危険性を考慮して」をわざわざ記載する必要がない。 「個別の事案の正当性」が関係なく、かつ、簡潔に記載したいなら、そのような不当な訴えであるかのように思わせるためだけの情報を記載する必要がない。 もっと言えば、「個別の事案の正当性」が関係ないなら、「個別の事案」の内容を記載する必要性は全くないはずであり、「企業の訴えに対して政府の協定違反を認定して巨額の賠償金の支払いを命じた事案が多数ある」で構わないだろう。 当然、「『その政策が公共の利益のために必要なものかどうか』は考慮されない」という大嘘はつく必要がない。 逆に、簡潔に記載する必要がないなら、「個別の事案の正当性」を示す情報を消す必要はない。 以上のとおり、中野剛志氏の「故意に誤解を与えかねない言い方」は、「個別の事案の正当性」が持論の真偽を左右することを中野剛志氏自身が知っていたことを示している。 それなのに、「個別の事案の正当性は問題ではない」では、最初から用意した結論に固執して話を聞く耳すら持たない態度である。 当の中野剛志氏本人でさえ言い出さないようなアホなことを言っているようでは、彼の擁護などできるはずもない。 ちなみに、中野剛志氏は「米国の狙いは、このISD条項をねじ込み、自国企業がその投資と訴訟のテクニックを駆使して儲けること」と主張しており、「他国が圧力をかける」ための「口実」として「正当性を付与する」ことを懸念している様子は全くない。
「治外法権」に関する「歴史的な文脈」についてもデタラメである。 日米和親条約や日米修好通商条約が締結された当時の日本は、江戸幕府体制である。 当時の日本には一応の法律はあったが、その法律には人権の概念がなく、冤罪等を防ぐことができない。 また、日本独自の身分制度もあり、政府の恣意的な運用の可能性は否定できなかった。 事実、当時の日本の法令である公事方御定書は、建前上は秘密という、法治国家としての罪刑法定主義とは相容れない法律であった。 切捨御免等の時代錯誤の身分制度に基づいた規定もあった(ただし、切捨御免自体に対しては治外法権では対抗できない)。 そのため、外国人にとっては、自国国内法的にも道義的にも全く罪にならないか軽微な罪で済む行為によって、日本では極刑に処せられるリスクがあった。 だから、近代国家にとって、自国の国民を守るため、日本が近代法を整備しない限り治外法権を絶対条件として譲れないのは当然のことである。 外国政府から見れば、極めて善良な自国民が、時代錯誤かつ理不尽な法律や恣意的な運用で極刑に処せられることを黙って見逃せるはずがない。 つまり、「歴史的な文脈」における治外法権は、日本に無理難題を押しつけるためでも、日本を隷属させるためでもなく、ただ、極めて恣意的かつ理不尽な処罰から自国民を守るためだけに必要だったのである。 純粋な貿易目的であっても自国民保護の手段として治外法権が必須であったことが「建前」などではない本音であることは歴史的事実が示している。 事実、これら治外法権規定は、日本が近代化を果たしたことにより、1894年〜1899年の間に撤廃されている。 尚、これら不平等条約とされた条約の最大の問題点は金の海外流出にあるが、これは、米国側提案の通りであれば起こらなかったことであり、条文の修正を求めた日本側の失策によるものである。
そして、現在の治外法権として世間から認識されているものは、外交特権と在日米軍であろう。 国際法あれこれ - 外務省によれば、外交関係に関するウィーン条約により、在外公館に対して、警察権の行使などの執行管轄権が排されているが、治外法権は認められていない。
在日米軍については、基地内部の事件と公務中の事件については、治外法権的な扱いとなっている。 しかし、これらも、日本に無理難題を押しつけるためでも、日本を隷属させるためでもなく、在日米軍の日本政府からの一定の独立性が必要であること等から設けられた扱いである。 実際には、公務外かつ基地外の事件においても米軍の管轄とされるなどの問題があり、改善の余地があるが、それは、運用上の問題である。 それは、基地内部の事件と公務中の事件を治外法権的な扱いとすることの問題ではなく、何が公務中となるかの線引が明確でないことの問題である。
もちろん、治外法権と「人身売買」「過剰な賠償請求」は別問題である。 「人身売買」は近代的な国家では何処でも違法であり、治外法権でも、外国の法律によって違法となる。 言うまでもなく、治外法権で「過剰な賠償請求」は発生し得ない。
以上のとおり、「そういう歴史的な文脈」なるものも、ISD条項と同様、極めて悪質なデマである。 自分は「中学の先生」から誇張された治外法権の問題の説明を受けた記憶はあるが、そこまでデタラメなことを教わった記憶はない。
あと、この人の主張の矛盾も指摘しておこう。 先程は「ソースはネット」だから「ISD条項についてのデマ」の「出所」が信用できないようなことを言っていたが、今回は「中野の主張自体は故意に誤解を与えかねない言い方をしてる」としている。 確かに「言い方をしてる」ことが確認できるなら、「ソースはネット」であるかどうかは全く関係がない。 つまり、この人は、全く関係が無いことを持ち出して言い掛かりで非難していただけなのだ。
322 : ななしのよっしん :2012/02/08(水) 08:41:31 ID: YAOpDsU07n
>>321
なんも深くね-から、指摘した問題点って専門的知識なんて無くても、高校レベルの教養と相手の話をちゃんと聞く態度さえあれば誰でもおかしいって分かる。 それ以前にそのサイト自体胡散臭さが匂い立ってるし
TPPについてのメディア報道に騙されない俺カッコイイ→中野マンセー→中野や信者に騙されない俺カッコイイ→ISD条項は中野のデマ
って風に相手を見下すためならその印籠は何でもいいからこういう事になるんだと思うよ。 鵜呑みにしてるから碌に議論に耐えられないし、すぐ手のひら返す。
ブサヨ的には中野は久しぶりにメディアに出てきた真っ当な保守だから頑張ってほしいな。 昔は馬鹿な兵隊といえば左派の特産品だったけど今やどっちもどっちになってしまって程度の低い煽り合いばかりでまともに議論できなくなってる
以上のとおり、この人の「高校レベルの教養と相手の話をちゃんと聞く態度」すらない浅さが読み取れる。 中野剛志氏を「真っ当な保守」として妄信して「鵜呑みにして」、「程度の低い煽り合いばかりでまともに議論できなくなってる」のだから、「TPPについてのメディア報道に騙されない俺カッコイイ」は、まさに、この人のことであろう。
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