老いてさまよう:「私」知る人どこに 都会の施設に2年、訪れる者なく

毎日新聞 2014年04月19日 東京朝刊

昼食後、ソファでくつろぐ太郎さん=大阪市内の介護施設で2014年4月7日、梅田麻衣子撮影
昼食後、ソファでくつろぐ太郎さん=大阪市内の介護施設で2014年4月7日、梅田麻衣子撮影
太郎さんが保護時に着ていたトレーナー(手前)とダウンジャケット=大阪市内で2014年4月7日、銭場裕司撮影
太郎さんが保護時に着ていたトレーナー(手前)とダウンジャケット=大阪市内で2014年4月7日、銭場裕司撮影

 重い認知症があり2年前に大阪市内で保護されたが名前や住所が分からず「太郎」という仮の名前が付けられた男性について、記者は本人を知る人がいないか、写真を手に保護された大阪市内の住宅街を捜して歩いた。【銭場裕司、山田泰蔵】

 太郎さんが保護されたのは市中心部からほど近い私鉄駅そば。付近のスーパーや歩道には同年代の人が多く、民生委員や町内会長によると、高齢夫婦や独り暮らしの世帯が急増している。「優しそうなおじいちゃん。早く名前が分かるといいねえ」。境遇を説明すると誰もが胸を痛めている様子だったが、身元を知る人はいない。

 保護時の洋服からも探った。デザインに特徴がある水色のダウンジャケットは埼玉県にあるメーカーの商品と分かったが、関西では兵庫県尼崎市や大阪府寝屋川市など4〜5店舗で計300〜500着が販売され、それ以上はたどれなかった。

 大阪市内の介護施設で暮らす太郎さんのベッドは4人部屋の窓側。他の入所者には家族の面会もあるが、太郎さんに訪問者はいない。壁には「お誕生日おめでとうございます! 72歳○○太郎様」と1月に迎えた仮の誕生日を祝う写真付きパネルが飾られている。

 太郎さんはホールのソファにいたかと思えば突然思い立ったように歩き出す。食卓の椅子やベッドなどへと、あまり落ち着かない様子で移動を繰り返す。自分の居場所を探しているようにも見えた。話しかけると笑顔を返すことから、ケアマネジャーの職員は「社交的な方だったのかもしれませんね」と話す。

 成年後見人の山内鉄夫司法書士が以前に面会した際、「結婚していた」と言葉を発したこともあった。「奥さんはどうなったの?」「分からん」「お子さんは?」「子供はもういない」「いないってどういうこと?」「分からん」といったやりとりも。「コーヒー好きや」と話したこともあった。

 だが、最近はこうした言葉を発することが減っている。男性職員は「緩やかだが認知症が進んでいる」という。理解できない問いかけには、頭を抱えてうつむき苦しそうな表情をみせることも多い。

 太郎さんには医療行為に同意できる家族がいない上、成年後見人には同意権限がなく、インフルエンザの予防接種は見送られた。胃ろうなどが必要になった時にどうするか、難しい判断を迫られる可能性もある。

 記者が訪れた今月上旬。「桜、行こか?」。女性職員に散歩に誘われた太郎さんは「行く」と応えた。転倒に備えて職員が腕に手を添える。記者が「デートみたいですね」と声をかけると太郎さんはほほ笑んだ。ピンク色に染まる公園を歩いて椅子に腰掛けると、心地よさそうな表情を浮かべた。

 太郎さんは食べることが大好きで、箸を使って食事を取ることもできる。桜の下を歩いた後はチキン南蛮のランチを満足そうにたいらげた。だが、こうした生活がいつまでできるかは分からない。

 過去を取り戻すことで必ず幸せになるとは限らないが、「このまま最期を迎えるのは忍びない。名前やルーツを取り戻してほしい」。太郎さんを支える人たちの共通の願いだ。

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 毎日新聞は成年後見人らと話し合い、身元が分からないこの男性について情報提供を呼び掛けます。プライバシーに関わることは一部伏せていますが、保護時に着ていたトレーナーの写真などを毎日新聞ニュースサイトに掲載します。情報の宛先は〒100−8051(住所不要)毎日新聞特別報道グループ、ファクスは03・3212・2813、電子メールはtokuhou@mainichi.co.jp。記事へのご意見やご感想もお寄せください。

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