乗客を救うどころか、逆に死の道に追いやることさえした。自分たちは船を離れていながら「居場所から動かないように」という案内放送を流し続けたのだ。放送を信じた人は船内に閉じ込められ、信じなかった人は助かった。案内放送の通り客室にとどまっていた檀園高校の生徒たちは、まだおよそ250人が戻ってきていない。おそらく生徒たちは、大人たちが言った通りにすれば大丈夫だと思ったのだろう。大人を信じる純真さが、子どもたちを犠牲にした。
セウォル号の船長は、明らかに資質に問題のある人物だったようだ。しかしそんな人物を、475人が乗る客船の船長にしてしまうのが、韓国のシステムだ。船長だけでなく、他の多くの船員も早々と船を捨てた。こんな無責任な人々に数百人の乗客の命を任せる韓国は、一体どういう国なのか。
残念なことに韓国には、危機が起こるたびに、責任を持っていて力もある人々が先に逃げ出すという不名誉な記憶がある。6・25戦争(朝鮮戦争)のとき、権力層の子どもたちは避難し、庶民の青年たちは戦場に行って戦った。高官の息子が兵役を免除される比率は、一般人の平均をはるかに上回る。地方の実力者などは、1日5億ウォン(約4900万円)という特等の日当で、監獄の労役を務めた。100年前の英国の船員にも劣る韓国は、文明国と自負できるだろうか。
セウォル号の乗組員29人の中で、乗客の脱出のために最善を尽くしたのは、下級船員のパク・チヨンさん(22)だった。パクさんは最後の瞬間まで駆け回り、ついには遺体で発見された。生徒たちに救命胴衣を渡しながら、当の本人は着用の準備もしていなかったという。父親を亡くして家計のために社会に飛び込んだ、貧しい家の出身の休学生だった。
乗務歴の長い船長や航海士、機関士、操舵(そうだ)手は早々と船を捨て、乗船したばかりの下っ端の新人が最後まで船を守った。危機の責任者は逃げ出し、保護されるべき弱者が次々と犠牲になった。これで果たして、韓国は文明国といえるだろうか。