編集委員・永井靖二
2014年4月18日17時13分
戦時中、旧日本軍の捕虜234人が死亡した豪州・カウラの暴動から70年を迎える今年8月、現地で開かれる記念式典に、元捕虜の村上輝夫さん(93)=鳥取市=が参加することになった。来日中のカウラ市のビル・ウエスト市長(64)らの招きに応じた。村上さんは「最後の1人になっても交流を続けたい」と語る。
旧陸軍一等兵だった村上さんは1943年10月ごろ、激戦地ニューブリテン島西部でマラリアにかかって衰弱。連合軍に収容され、44年5月ごろ、カウラ第12捕虜収容所へ送られた。「生きて虜囚の辱めを受けず」。そう定めた戦陣訓が、村上さんの頭を離れなかった。
44年8月5日午前2時、日本人捕虜1104人が宿舎に火を放ち、一斉蜂起した。棒きれや野球のバット、食事用ナイフなどを手に、機関銃へ向かって突撃し、掃射を浴びた。村上さんは「『捕虜になるくらいなら死ね』というのが決まりだった。生きる気なんてなかった」と振り返る。
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朝日新聞社会部
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