ふぶきの部屋

侍ブロガー、ふぶきが宝塚とドラマ、皇室からワイドショーまで語ります。連載中の小説もお見逃しなく。

東宮家の現状  おさらい 雅子妃入内の経緯 1

2013-07-26 12:09:35 | 皇室報道

 夏休みの「課題」企画、結構好評なので続けさせて頂きます。

夏はお勉強しつつ遊ばなくちゃね

 

先に「東宮家の現状は誰の責任か」という問題提起をいたしました。

その結果、沢山の意見が寄せられ、おおむね「両陛下に責任があるのではないか」という事になります。

その理由として

 皇太子夫妻の非常識な行動や態度を叱責できないから。

 皇太子夫妻の非常識な行動や態度を止める事が出来ないから。

 皇太子夫妻を庇うような言動が多いから。

です。

一方、「両陛下の責任ではない」「そう思いたくない派」の方たちの理由は

 50を超えた「大人」の言動や行動に80歳の親の責任を問うのは間違っている

 結婚するまで皇太子は「普通」だった。ゆえに配偶者である雅子妃が全面的に悪い(小和田家も)

 皇太子夫妻の結婚を黙認した国民にも責任があるのではないか

です。

どちらの意見も正しいのです。でも視点が違うんですね。

前者は問題の根本は皇太子の誕生、あるいは今上の結婚、ひいては戦争にまで遡って考えます。

後者は、あくまでも「結婚後」の皇太子夫妻に焦点をあてた考え方です。

 

その後、「誰にどう訴えかければ東宮家の現状を変えられるか」という問題提起をしました。

みなさん、一番は「安倍総理にメールなり投書なりして訴えて行く」「宮内庁にメールを送る」等の意見が

多かったと思います。

正直、庶民の私達にはそれしか出来ないというのはあります

そうはいっても、3月に突如小和田恒氏が安倍総理に会い「政府専用機を貸せ」と言われた時、たった7分の

面談ではあったけど断れなかった事からすると、安倍総理に期待するのは無理なのかもと。

 

私達は東宮家の惨状を「日本の未来に関わる事」であると思い、色々議論したり葛藤したり、悲しんだりしている

わけですよね。勿論、個人的に交通規制を受けたり学習院の学友達のように直接被害をこうむっている人達も

いるわけですが。

しかしながら、天皇・皇后両陛下ないし宮内庁はこれらの問題を「私事」ととらえているのではないかという疑問が

わきます。「天皇家という一家の問題」として処理するなら、東宮家問題はただの「本家と後継ぎの喧嘩」とか

財産争いのような下世話な話になってしまう。

本家本元がそうとらえている場合、私達は口を出す事は出来ません。

長男夫婦が家業をさぼって遊んでばかりいる。それも家の金を使いたい放題で。

次男一家はそんな長男夫婦が作った借金を自転車操業しながら返済している。

長男夫婦の一粒種の娘は障害があるにも関わらず、「健常」だと言いはってしつけや療育をさせないので

今や野生児状態。次男一家には将来の跡取りが生まれた。

しかし、金遣いが荒く、仕事をしない長男夫婦をなぜかかばい続け、模範的な次男一家には

「文句をいうな。黙って働け。後継ぎは長男に決まってる」と社長夫婦は譲らず、そのくせ「ちゃんと仕事を覚えてくれない」

と嘆く・・・・というような図式ですね。

問題なのは、普通の商家ならいいけど、この場合の「家の金」というのが税金という公金であるという事です

「税金」で暮らしているという事を人一倍考えている筈の両陛下が皇太子一家がそれを無駄に使う事は

許しているという矛盾が国民を怒らせるし、失望させるし、批判の的になってしまうのです。

 

ではそれは誰の責任か・・・・で前述したような結果が出たと。

そこで、さらに一歩踏み込むというか、過去をおさらいしつつ「なぜ今のような状況を招いてしまったのか」

という議論に移りたいと思います。

本来は戦前にまで遡って考えるべきでしょうが、そんな事をしていると夏休みが終わってしまうので

今回は「なぜ雅子妃は入内できたか」という事に焦点をあてて考えてみましょう。

公式には

 昭和61年、スペインのエレナ王女のレセプションに現れた小和田雅子嬢を皇太子が見初める。

 一か月後の日英協会のパーティでも顔を合わせる。

これによって浩宮の雅子嬢への恋心が燃え上がり、何度もプロポーズ。しかし、当の雅子嬢は外務省に入省

したばかりのキャリウーマン。東大に学士入学しオックスフォードに国費留学。

 平成の世になり皇太子が「雅子さんではいけませんか」と申し出。宮内庁が動く。

 足かけ5年とも6年とも言われる皇太子の求婚に雅子嬢、折れれ結婚を承諾。「皇室に外交しに行きます」と

  鳴り物入りで乗り込む。

といった経緯です

一方で、

 実は昭和59年の冬、オックスフォード留学中の浩宮がスイスのコルマールでスキーを楽しみ、その一行の中に

  小和田雅子がいた。

 この年、両陛下は誕生日会見で「結婚は早い方がいい」と発言。

という話もあるのです

コルマールの話が本当だとすると、両陛下はこの時点で皇太子が小和田雅子と結婚したいと思っている事を

ご存じであり、賛成していた・・・風にも感じられるのですが。

 

ここに・・・「ニュースパッケイジチェイス」という小冊子があります。

タイトルが「極秘取材メモから」皇太子妃はこうして決まる」

1990年に発行されています。

 

1990年といえば、秋篠宮が結婚するという事で空前の紀子さまフィーバーがあった年。

それにひっかけて「皇太子妃選び」についてあれこれと書いているんですね。

手のひらの中におさまるような小冊子がまだ我が家に残っていた事が奇蹟ですが・・・・

多分、某大型掲示板の情報源の中にこれも含まれているだろうと思います。

この本の内容についてはのちのち詳しくレポしますが、当時のお妃候補は

 久邇晃子(旧皇族・皇太子のまたいとこ)ー学習院

 伏見宣子(旧皇族・父はモービル石油部長)ー学習院

 住友愛子(父は住友信託銀行役員、母は鷹司家)ー学習院

 島津彩子(父は新日鉄、母は旧男爵家)ー学習院

 坂本敦子(父は今上の学友、祖父は貴族院議員)ー学習院

 草刈智子(父はサッポロビール幹部、母は一条家と伏見宮家の流れをくむ)ー学習院

 渋沢肇子(父はソニー役員。祖父は子爵)−聖心女子

 小林詔子(父は富国生命役員、母方は牧野伯爵の流れ)−学習院

 古河美佐子(父は電工会社役員、祖父が男爵。母方は元閣僚)ー学習院

 北野裕子(父は北野建設社長、母方は元貴族院議員」−聖心女子

 清水美佳(父は清水建設部長、母は紀宮のピアノ教師)−学習院

 三井智子(三井総家の出身)−学習院

 服部聡子(セイコーの服部家)−聖心女子

 三井史子(三井家の分家)−聖心女子

 豊田由美子(トヨタ自動車家、母は皇后の学友)−聖心女子

 三田麻紀子(父は日立製作所会長)ー聖心女子

 小和田雅子(父は外務省外交官、父方はチッソ社長)

 波多野真理(父は外務省、旧華族の流れをくむ)

 吉野直子(父はクレディスイス信託銀行社長、母はハーピスト)

 → 旧皇族

 → 旧華族

 → 財界令嬢

 → その他

 宮内庁が候補に挙げたお妃候補はざっと70人だそうです。その中でもマスコミに取り上げられた回数が

  多い人が上記という事で、私も久邇、渋沢、三井、服部・・・の名前はよく覚えています。

  ここで、「旧皇族」出身の女性が2人というのが多いのか少ないのか、どう思われますか?

  旧華族が8名いますが、どれも祖父とか母方に華族がいるというだけで、鷹司とか

  九条、一条という五摂家もいない状態ですね。

  いわゆる昔から「お妃」を出す家柄からは、マスコミに取り上げられるような令嬢がいなかったという事なのか

  早々に辞退してさっさとお嫁にいったとか?それにしても、今にして思えば不自然かなと。

 旧皇族2人の中で渋沢さんはわりと早く消え、最後まで残ったのが久邇晃子さん。彼女は香淳皇后の実家の

   家柄であり、母方は新興貴族の名門の家柄、さらに代々神宮祭主の家柄。この冊子には「保守派が最も賛成

   する人」と書かれています。

 本人も妃候補に挙がった時点で「覚悟」しており、マスコミに絶対に素顔を撮らせず、生活ぶりはいたって質素。

   哲学を学ぶ才媛。昭和天皇が吐血して入院後、「早く浩宮の結婚を」という事で、婚約を急ごうとしたのでは

   ないか・・・とみられたが、当の浩宮が乗り気でなかった為に外れる。

 波多野真理さんの経歴はおおむね小和田雅子と似たような感じ。父親は現学習院院長で外務省国連大使。

  いわゆる小和田派です。この冊子にはジュネーブに留学中の彼女を見る為に礼宮と紀宮がスイスへ公務で

   行った・・・と書かれています。本人にその気がなかったので外れたと。

 宮内庁は財界人の令嬢を早々にお妃候補から外したがっていたようです。なぜなら「会社の看板」を背負っている

   女性は「万人に支持されにくい」と見たから・・・らしいけど、じゃあ、日清製粉社長令嬢の正田美智子さんは

   どうなんだよーーとひとしきり

 両陛下がイチオシだった女性が吉野直子さんだったと書かれています。

  その理由が「父親が世界的なバンカーで母はハーピスト。彼女自身も天才的なハーピストである」から

  ですが、それ以上に「外国暮らしが長い」事がお気に入りの理由にされているんですね。

  要するに「外国暮らしが長い」≒国際性を身に着けている。語学力がある。+彼女の場合は財界でも政治でも

  ない「芸術分野」の一人者という事で「万人の支持を得る」と考えられたのではないかと。

 冊子には、数々のお妃候補が登場する事によってわかった点が2つあると書かれています。

1 東宮や若手の皇族、浩宮の周辺が考えるお妃候補には、官僚や学者の家族まで含まれている。

2 これからの皇族の役割として外交を重視する考えがあり、宮内庁も支持している。

この冊子がいわゆる左翼系だったとしたら、このように解釈するのも当然だろうなと。でも、当時はそれが

左翼系の考え方だとは誰も思っていませんでした。むしろ「国際性」(いわゆるグローバル)「語学力」「学歴」は

「出来る女性」の条件になっていたと思います。

 いわゆる保守派としてこのお妃候補の人達を見ると、

 血筋より学力・語学力・海外暮らしが重要視

 旧皇族・五摂家などの旧華族との繋がりが薄い

 いわゆる「皇室外交」重視、国内公務軽視の傾向が見える

 多産系かどうかが重要視されない時点で「世継ぎ」問題を軽視

という風に見えてしまうのですが・・・・・

 

皇太子と小和田雅子の出会いについてこの冊子は、いわゆる今まで語られていた事を踏襲しています。

ついでに書くなら、高円宮が非常に協力した事。

雅子嬢の祖父が水俣病を出したチッソの会長であった事については

元々銀行マンだった江頭氏は興銀からチッソに派遣されただけ」それが「三代にわたって汚点なし」

に触れるのはおかしいじゃないかと記者が詰め寄ったが、宮内庁は「必ず問題になる」と言ったらしい。

(問題になってますよねーー)

宮内庁が消極的な姿勢(反対したとは書いてない)の中、浩宮だけは結婚に向かってまい進したたそうですが

雅子嬢はオックスフォードに留学が決まって、話は消えたというのが1990年当時。

当時、お妃選考にあたっていたのは、東宮大夫、東宮侍従長、東宮侍従。

1980年代後半から外務省出身の東宮侍従が増えて行きます。

雅子妃入内の下地はすでにできていたのかもしれませんね。

 

それでも、この冊子に書かれていない事があります。

本当の所、両陛下は小和田雅子入内についてどう考えていたかという事です。

そして「3代にわたって汚点なし」の筈の規定が、どのように覆されていったのか。

なぜ、小和田雅子は皇太子妃になる事が出来たのか。

 

若い方は想像して欲しいし、私達と同年代の方々はあの頃を思い出しつつ考えてみてください。

「なぜ両陛下は小和田雅子入内をお許しになったのでしょうか」と。

 

 

 

 

ジャンル:
ささやき
キーワード
小和田雅子 コルマール 貴族院議員 学習院院長 ジュネーブ 正田美智子 東宮侍従長 クレディスイス 日立製作所 またいとこ
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37 コメント

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ちょっと大胆な説を (玲子)
2013-07-26 18:59:37
紀子さまがあのような素敵な大和撫子であられたためだと思います。
見た目対局にある雅子、と思い込んで
雅子を推してしまった。騙されたのは実は美智子さま。
雅子の手を取って、わたくしが絶対に苦労はさせませんから、と説得してしまったのだと思います。で、イヤイヤながらを装おって入内。
事実は入る気マンマンだったのでしょうが。
紀子さまが、そこらに居るような普通の娘さんなら、ハリボテメッキに目が眩んだりしなかったはず。紀子さま、ごめんなさい。
Unknown (ふぶき)
2013-07-26 19:57:46
>玲子さま
成程!!騙されちゃったとは・・・
目に見えるようですね。
紀子様が素敵だから。 (美絵理)
2013-07-26 20:29:10
とある掲示板2627 484に
「紀子妃を出せるから、雅子問題がいつまでも片付かない。
紀子妃があれほど有能でなかったら、皇室ももっと早く対処を考えてたはず。
皇室が紀子妃に頼り切ってるのは明白」
って書かれてた。
紀子様があんなに素敵でなかったら、雅子なんかに
美智子様が固執しなかったし、
紀子様があんなに優秀でなかったら、もっと対応を
考えた?
一理あるかもしれないけど。
そんな。だめだよ、秋篠宮家をおまもりしないと。

やんごとないからこそ・・・ (うさみみ)
2013-07-26 21:19:33
天皇皇后両陛下はОのような邪悪な人間なんて御存知ないでしょう
やんごとない方々にとって人を疑うなどもってのほか
まさか皇室に土足でどかどかと乗り込んで来て「準皇族」を名乗り我がもの顔でのさばるなんて 宮内庁まで支配するなんて夢にも思わずってところでは?
仮にも天下の公僕なんですから・・・
まあかく言う私だって、ど庶民ですが外務省のようなお役所の人が反日で国益でないことでも私服を肥やすために切歯やくわんするなんて理解できるまで20年かかりましたから
穢れとは全く無縁の両陛下を愚弄し貶め苦しめたОはまさに国賊!
必ずや天の裁きがあるでしょう
自分に魔力が欲しい今日この頃
呪いの力って本当にあるのかなあ・・・

何故両陛下はお許しになったのか (Emi〜)
2013-07-26 21:42:42
この問いの次に素直に私が浮かんだ言葉は

次男は恋愛で相手を見つけ先に結婚

残された長男の望む相手はおじいちゃんが頑なに拒否した女だけれどまぁ、もう居ないし一途に決めた相手だから嫁に来れば次男嫁よりはハキハキした出来る娘さんだしそろそろ…
立場を忘れた両親が根本甘く考えて許した結婚…

はて?天皇の肩書き飛びましたね…普通の家の長男かわいい夫婦なお話…
馬鹿息子 (mizuno)
2013-07-26 21:48:35
今上天皇、皇后両陛下が小和田雅子の入内をお許しになった理由は、徳仁が小和田雅子との結婚を望んだからだと思います。徳仁殿下に皇族としての自覚がないことは言うまでもないですが、今上天皇、皇后両陛下も家族のことになると、私人となってしまわれるように感じます。玲子さまのおっしゃるように皇后陛下は、息子の為にと雅子妃殿下に言質をあたえたのかもしれません。今上天皇陛下も息子と妻の姿をみるにつけ、先帝の言葉に耳を塞いだのかもしれません。それもこれも「雅子さんではいけませんか」に帰結するのではないでしょうか?
つれづれ (さら)
2013-07-26 21:52:56
両陛下の場合、皇太子殿下が「どうしてもこの方でないと」と固執したことに諦念されたのではないでしょうか。万一、お気に沿わない女性と結婚して後継ぎに恵まれないくらいなら、お好きな方と結ばれるようにしてあげたい、と。

まさかその皇太子様が「どうしてもこの方でないと」と拘られたほどの方(マサコサマ)が実はあまりお子様をお望みでなかったのでは、などと、あの時点では誰も想像できなかったのでしょうね。既に29歳でしたから、スグにでもご出産を、と国民皆が望まれていましたし、そうなると思い込んでいましたから。

あと天皇家では皇后様以外は皆、学習院でいらっしゃいます。紀子様も皇室に自然と溶け込めたのは学習院の教育があったからかもしれません。どこの国にもその王族(皇族)が通う学校があります。イギリスならチャールズ皇太子やウイリアム王子が通ったイートン校のように。日本ではそれが学習院なのですが、皇后様は聖心のご出身でいらしたので、常盤会からの反対もあったとききます。もしかして次男に学習院出身のお妃を迎えたので、長男にはご自身につながる学校の出身者(この場合はフタバ)であれば、話し相手になるかな、とも思われたかもしれませんね。

それにしてもマサコサマのご療養は長くていらっしゃいます。マサコサマは民間ご出身ですが、アイコサマは生まれながらの皇族です。精神に疾患のある実母に10年も育てられた皇孫殿下(アイコサマ)がお気の毒でなりません。もしキコサマが健康でなく、精神のご病気でいらしたら、たとえ実母であったとしても両陛下はヒサヒトサマのご養育をお任せしたでしょうか。悩ましいところです。

難しくてうまく言えませんが (ダニャン)
2013-07-26 21:52:59
紀子さまが皇室に入られた頃、紀子さまフィーバーがあったことはよく覚えています。どこのワイドショーでも紀子さまのことばかり。
私は当時の紀子さまは嫌いでした。当時の美智子さまのコピーのように感じて見るのも嫌でした。
で、ちょっとだけ意地悪な想像を。

若くて可愛いからマスコミは紀子さまばかり追いかけるので、美智子さまが取り上げられることが少なくなって多少なりともそれを不快に思われていたとしたら、紀子さまと全くタイプが違う雅子さん(高学歴とのふれこみでしたし)を皇室に迎え入れれば紀子さまが注目されるのが少なくなると思われたかな? と考えてみたりしました。

思い出したのですが、皇太子妃時代の美智子さまは公務と称してあちこちに海外旅行をしている、と言われていたような記憶がありますがどうでしょうか?
皇室外交(そんなものは存在しませんが)をさせてもらえると思って皇室に入られた雅子さんが外国に行かせてもらえないのを見ていて可哀想に思っていたから最近目にする雅子さんをかばうような行動をしているとは考えられないでしょうか?

すみません。書いていて頭が混乱してきました。
その2 (さら)
2013-07-26 22:06:44
たびたびすみません。それにしても最近の週刊誌報道は毎週のようにネタを探して白熱していますね。売れるからでしょうか。それと比例して、マサコサマがようやく夫の家族に目を向け始めてきたように思います。廃太子論なども発表されて、それに対する世論への危機感なのかな。

オランダのあとスペインにお出かけになる皇太子様を玄関で頭を下げて見送るマサコサマは、いつもより深いお辞儀でした。それまではおざなりのお辞儀しかおできにならなかったのに。

皇太子様が一本松のヴィオラを演奏されたコンサートでも、両陛下とお並びで、話しかけておられました。ノリノミヤサマの結婚式でも両陛下とは、ほとんど語らなかったのに。

皇后様のお身体の不調を見て、「そろそろかな」「今のうちに」と、おいたわりになる気持ちになられたのか、オランダに行かせていただいたお礼の気持ちなのか。いずれにしても、今まで疎遠にしてきた人が急に近寄って来ることには何かしらの下心があるのかもと思ってしまいます。

「親孝行、したい時には親はなし」ということわざもありますよね。皇太子様!せっかく20年前にご両親陛下がお認め下さった結婚です。配偶者と共に今こそ親孝行しましょうよー。するなら今、でしょー。
結局、小和田に騙された (ユーリ)
2013-07-26 22:44:43
皇太子が雅子さんに惚れたのを良いことに、小和田氏にとっては機密費流用疑惑を有耶無耶にし、なおかつ出世出来るチャンスだったのでしょ。それに外務省・草加信者グループの「大鳳会」が深く関わっていた。

私は、皇太子自身が「雅子さんでないと・・・」とゴネたと見てます。

当時の宮内庁は、雅子さんは気が強くて皇太子妃に向かないと反対。美智子様も「ナルちゃんが引きずられるのでは?」と恐れて反対でしたし、他のお妃候補に「この方なら」とお気に召した女性がいらした。

雅子さんは一旦お妃候補から外れ、再び浮上するまでに、他のお妃候補の皆様逃げちゃったから、あとが無くなった皇太子としては、幾度かめぐり合う雅子さんが運命の女性と思いこんじゃったのかもねw

両陛下は、皇太子がそこまで雅子さんを求めているのならと許したのではないか?要は皇太子が我を通したと。20年前の雑誌の記事を色々読んだ時はそうとしか思えなかったですが…

(宮内庁が雅子さんに反対したのは、チッソが・・というより、彼女自身の男性関係が派手だったのが理由みたいですね)


何故? (重陽)
2013-07-26 22:48:23
皇室の一大事は日本の一大事!と説得しても、最後に「じゃあ、なんであんなのが入れたのよ?」と言われると脱力する自分がいます。

本当になんであんな一般でも珍しいくらいの駄目駄目が入内できたのか?
こんなモヤモヤ抱いたまま死にたくない!
Unknown (憂子)
2013-07-26 23:47:34
そのような昔の冊子をお持ちだったんですね。書き起こしありがとうございます。
私の記憶では、候補の女性たちにことごとく逃げられ、34歳の時に「この先も独りでいるのはつらいです」と浩宮が嘆いたというのを記憶しています。そしてそれから一年ぐらいで雅子妃内定報道が出ました。
実際、くもの子を散らしたように逃げられたのでしょう。一般の若い女性の間では浩宮ってキモいよねと言われており、今でいう喪男だったと思います。
要するに、小和田のような野心と利権を狙うような家の娘しか残らなかったということでしょう。
もし、浩宮が候補のうちの誰かの心を捕らえていられたら利権屋の餌食にならずにすんだと思います。

今上はその昔、正田美智子さんの心を捕らえたのですね。それは「家族の愛を知らないお気の毒な方」という憐れみににた感情だったかもしれませんが、それが憐れみであったとしても美智子さんの心を捕らえたんでしょう。

どうして雅子が入内できたかという話に戻りますが、「この先も独りでいるのはつらい」とナルちゃんに嘆かれて、美智子さんも息子が可哀相だからと問題まみれの雅子でも目をつぶったんじゃないでしょうか
息子がもう嫁探しは疲れたよと言い、両親がじゃあ今残っていて向こうも乗り気なあの人で妥協しましょうという感じだったんではないでしょうか。
Unknown (くるみ)
2013-07-27 00:02:29
最近の両陛下をみていると、意地になっているような気がします。
自分たちが一生懸命公務をすることで、皇太子夫妻に対する批判をかわそうとしているのか、それとも忙しくしていやなことを忘れたいのかと庶民レベルのような行動にみえます。
今 陛下がしなくてはならないのは、どうでもいい公務はもういいです。
あんなにやつれた皇后陛下を連れまわさないでくださいといいたいです。
公然と両陛下にたいする批判がでてきている意味をお考えいただきたいと切に願います。
舵取りを間違えた (なつ)
2013-07-27 00:55:03
紀子様が素敵過ぎる説、成る程〜と思いました。
当時の記憶を辿りながら、ふぶきさまの記事を読んでいて、あぶり出しのように浮かんできたのが

・浩宮の意思も尊重されたが、両陛下の意向もお妃選びに強く反映されていたのではないか?です。←吉野さんがお気に入りだと書かれているあたり。

美智子様の入内には明らかな反対派がいたけれど、チッソを理由に反対しても押し切られるほどの推薦派がいたということでしょう。
それはほかならぬ両陛下だったかも。

そう考えると、現在の東宮家やりたい放題野放し状態の説明がつくように思います。

当時の記憶で、フォーカスか何かに「美智子様が最近明るい」と題されて、笑顔の美智子様の写真が掲載されていた覚えがあります。
それ以前は、お気の毒な美智子様路線があったので変わったな〜と思ったものです。

昭和帝と香淳様の影響力が薄れ、次代への準備が進められていたのかもしれない。
あの時代の世の中の空気や雰囲気も後押ししたと思う。
世の中の空気という点では、正田美智子さんお妃決定の時もそうだったのかも。

今上のように、お子さまもすんなり出来るだろうと思われたのかもしれない。
何よりここまでの惨状が待っているとは想像出来なかったとしても仕方無かったかもしれない。

あれが分岐点だったと気付くのは後になってからのことが多いけれど、その都度上手く舵取り出来てたら、東宮一家も今でも何とな〜く認められていたかもしれません。
男子が誕生してたらなおのこと。

考えてみると、ことごとく舵取りを失敗した意味もあるのかもしれないと思います。

このままでは本当に困るのですが、、

おかわいそう路線はずっと続いているんだけど、うんざりです。






Unknown (かえで)
2013-07-27 01:00:35
両陛下の「人権保護洗脳を根幹とする自由主義(リベラル思想)」が要因だろうと考えます

先の大戦後、アメリカ人女性の家庭教師に師事された今上天皇
改宗前はキリシタンだった皇后陛下

高円宮と売国外務省に雅子を推されて徳仁も気に入ったのならば、拓かれた皇室をアピールする絶好の演出だと思われたのでは?
そうでなければ昭和天皇の進言を無視してまでチッソ江頭一族の創価朝鮮血雅子を皇室に入れないでしょう、普通は…

徳仁雅子の廃位を心底懇願しますが、今の両陛下は動かないような気がします
両陛下が動かなければ、内閣も動かない

異常気象、自然災害、殺人事件、イジメ問題…
八百万の神々がぶちギレてるとしか思えません

大英断が・・ (ネコバス)
2013-07-27 04:35:03
私自身は、雅子妃入内云々より、もう、すでに皇太子妃として雅子妃は現実にいらっしゃいます。
これから先のことのほうが、もっと大事ではないかと考えていますが・・。

天皇、皇后両陛下は、80歳近いご高齢です。
私は、皇太子が大英断をし、弟である秋篠宮に、その座を譲るのが、今の皇室の現状を考えると、一番ベターな道ではないかと愚見いたします。
以前、海外での秋篠宮夫妻の報道が少なすぎると、コメントさせていただきました。
やはり、両殿下がいらっしゃる、その意義は大変に大きいものがあります。
紀子妃は、表敬訪問などの時は、着物で華やかにお出かけになられてます。日本という国を背負っての訪問なのですから、失礼のないような配慮がなくてはならないでしょう。
(それに反し、皺だらけの着古したドレスでお出かけになる雅子妃はどうかと思いましたので。)

明治、大正、昭和時代より、平成になってからの天皇、皇后陛下の仕事量は、格段に増大しています。
いままでの雅子妃のような外国からの訪問客に、ドタ出ヤド欠は国益に関係します。まして皇后としては、より許されない行為です。
しかし、皇太子殿下の、オランダ訪問の時の笑顔が忘れら得ません。雅子妃を大切に思っておられるのでしょう。

皇太子さま、大英断をなさり、一宮家になる、という決断は如何でしょうか。
宮家の妃殿下ならば、雅子妃の負担も少なくなり、限られた予算の中で体面を保たなくてはなりませんから、スケート場の貸し切りなど出来ません。
税金泥棒、という罵声も浴びせられることもないのでは・・。精神を病んでいらっしゃる雅子妃は、体調の格段に良くなるのではないでしょうか。

「壬申の乱」というようなことも長い歴史の中ではありました。
しかし、皇太子殿下ご自身が、「雅子の健康上の問題もあり、弟に皇太子の重責を担ってもらいたい」と発表されれば、四方八方、何とかうまくおさまるのではと考えています。
そして、皇太子様、ご決断なさるのなら、一日も早いほうが、と思います。
皆さま、如何お考えでしょうか。
そもそもの問題ですよね。 (さくら)
2013-07-27 07:26:47
ふぶき様。私の年代はちょうど皇太子世代。お妃選びの基準が当時はまことしやかに庶民にも伝わっておりました。まず、子供を産めること。兄弟に男の子がいて女バラではないこと。精神病の家系でないこと。代をさかのぼって犯罪者がいないこと。政治的に思想が偏ってないこと。が大前提だったように思います。容貌や頭が良いことはたぶん二の次さんの次。その前に立ち居振る舞い教養が来たと。和歌、書道、華道、茶道、香道、音楽、舞踊の知識と所作は必要なものとして両家の子女ならこの中のいくつかは一流の師についてあたりまえだったと記憶しております。以上のようなことからも雅子の名前が挙がった時まず大前提にチッソですから、ないと思っていました。調べる以前の問題ですよね。宮内庁も調べたはずです。そうしたら出るは出るはで、ありえないお妃候補だったはずです。確か六本木あたりで遊んでいた方ですものね。素行を上記に挙げませんでしたが、私たちくらいの年代は庶民であったとしても素行調査は就職や見合いには必須事項でしたから問題外。一流企業につと見るには、下宿経験者は不可の時代です。(表向きにはそんなことはなかったけど実際問題はそう)ここのところが疑問なんですよね。こんな悪条件を飲んだのは雅子のほうでなくはじめから浩宮のほうだったこと。浩宮の強い意志みたいに語られているけどあの方そんな、強い意志を持ち続けるようなお方ではないのではと思います。強く反対されたら逆らえないバカボンのはずです。代りにこっちの方のほうがと強く押せば何のことなくそうしたと思うのですが。入内の謎はやはりあったと思います。紀子さまの入内の時はとにかく貧乏なうちからシンデレラが現れたごときに報道されましたが、紀子さまの家柄ことに鎌倉のおばあ様、という凛とした方がおられ自身も学生時代から様々なボランティア活動に携われ、琉球舞踊も身に付け、語学は堪能上記の大前提から何の齟齬もなかったかたでしたからね。いったい何が動いて雅子が入ったのかがそもそも大問題なのですよね。そこに20年にわたってかばい続けなくてはいけない何かがあるとすれば怖いですね。不適格だったのは今ではなく20年前からなのだから。
Unknown (もなか)
2013-07-27 07:31:39
私も大胆に予想します。

両陛下が許した理由は、

U+24602chなどでまことしやかに流れてる「(皇太子の)弱味を握られてるから」コルマールで、何かあった?!

U+2461両陛下、特に美智子様が「カワイイナルちゃん、生涯窮屈な思いをするだろうから、せめて結婚相手は、好きな人とさせてやりたい」という、親心から?
両陛下も、秋篠宮も恋愛結婚でしたものね。


と私は思います。

さすがに、三代前が不明でも、チッソでも、ここまで、アレとは、思わなかったでしょう。
それを打ち消す位、肩書きが、ものすごかったんですもの。
「これ程の才色兼備は、日本に数人しか居ないのでは?」とまで言われてた気がします(私の出身の地方でですが。)

80年代から宮内庁に、外務省の人が入ってたんですね。そして、他のお妃候補への、謎の怪文書等々で、大半の候補者は早々に辞退。
着々とM妃誕生への準備は進められてたんですね。
東宮妃候補者 (しまき)
2013-07-27 09:13:05
結論から言うと「他に誰もいなかったから」だと。

皇太子のお妃選びは、リアルタイムだったのですが、記憶と、読んだ話とあわせて考えますと。
まず、皇太子のお妃選びは、皇太子17歳からスタートしています。
そして随分候補者も挙げられました。ところが、名前が挙がったお妃候補者。あっという間に婚約したり、外国へ行ったりで、圏外から外れてしまいます。体に瑕疵ある者もダメということで、「ピアスの穴1個」開けて、候補者からさよならした人もいるという。(刺青話もありました)

どうしてこんなに皆に逃げられたか
親世代が、娘を皇太子妃にすること、嫌だったんだろうと。
今でもありますでしょう。「農家の本家の長男には嫁が来ない。」回りにもいるのですが、「本家の長男」というのは、やらなきゃいけないことが多い上、跡取りを親戚一同から期待され、わいのわいの言われます。
皇太子の妃選びのとき、親世代は、美智子皇后と同世代でしょうから、美智子さんのご苦労というのを、まじまじ見てるんでしょうね。農家の家も、自分の娘は、気楽なおうちに嫁がせたいと思うらしいですが、それと同じで。何が悲しくて、窮屈で、旧弊で、周りの目が(当時は今よりものんびりしていたんですが)うるさくて、女官等が小姑みたいにわらわらいるところに、お嫁入りさせる「メリット」が全く親世代には感じられなかった。

で、その上に、ここが肝心なんですが、「皇太子に男性的魅力が全くなかった」

秋篠宮はね。男性的魅力があったんですよ。だから彼が長男なら、大学時代にちゃんとお嫁さんゲットして。それもすばらしい方を。
ところが、皇太子は、見た目さえずの上、えらく低身長。これだけでもダメなのに、頭脳も凡庸。それでいて、プライドだけはえらく高い。最悪です。
おまけに、面食いだったんですよね。ま、皇室に嫁がれる女性は、皆十人並み以上の器量の方でしたし、母親を見ていても、弟のお嫁さんを見ていても、「お嫁さんは美貌でなきゃ」みたいな刷り込みがあったのかも。(三笠宮系のお妃たちも皆それなりでしたし)

もう一つ。これは推測ですが、旧宮家は、親である天皇皇后が、できれば避けたかったのでは。特に久邇家。いろんな苦い思い出も旧宮家にはおありだったでしょうから。

そんなこんなで、お妃候補は、どんどん少なくなっていき。
絶望的な感じで皇太子は30歳を超え。一方秋篠宮は早くに結婚して子供もでき、周囲はかなり焦った感じだったのでは。当時はそんな雰囲気でした。
チッソのことは最後まで問題になっていたんですが、ここは最終的には皇太子の意思に押し切られるような形になったのではと。

「雅子さんがダメなら、僕の気持ちに寄り添う方、どなたかすぐにご紹介していただけるのですか?その方が確実に皇太子妃になってくれると承諾してもらえるでしょうか。僕好みの美人でなきゃ、嫌ですよ。しかも芸能界やらシモジモの話もでき、かつ、留学したイギリス等グローバルな話もできる方でなきゃ、僕は嫌ですけど」

……30歳過ぎ
容貌も頭も凡庸(今や凡庸以下が判明してますが)
か〜な〜りの低身長
プライドだけはチョモランマ
他に候補者はいない。。。。。。

結局は、親が娘の結婚にメリットを見出した、小和田家の、親から見ても「ちょっと不出来」な娘を、うまーく猫かぶらせて入内させられてしまった。
宮内庁等は、小和田さん、いろいろ調べて、「この人だけは困る」と思っていたでしょうが、(出自が不明とかチッソとか)「じゃあほかにいる?」と言われたときに、本当にいなかったんじゃないかと思います。
庶民だってわかるのに・・・ (ピーちゃん)
2013-07-27 22:05:30
小和田雅子さんが公式に言葉を発せられたインタビューで落胆したことをご記憶の方は多いのではありませんか?紀子さまのパーフェクトぶりから「ご次男でこれだけの方が来られたからご長男はさぞ!!」という期待が粉々に打ち砕かれ庶民でもしないような所作、発言「(皇太子の発言に)付け加えるといたしましては・・・」全然面白くないむしろ下品な「オーケストラジョーク」に腰を抜かしたことを・・・。

私も皇太子世代なんですが真面目な親に育てられたら「皇室云々」と口に出すのも申し訳なかった。だから「きっと庶民の私にはわからない良さが小和田雅子さんにはあるんだ・・・」と無理に思い込もうとしていました。

でも!!数年経ってネット検索したら出るわ!出るわ!
「雅子さんがハーバードや東大も出ていて外務大臣にさえなれそうな才媛。語学が堪能で両家の子女」というのが盛られた情報だったという事実。入学試験で正面突破したことが一度もなく「編入」「編入」で来たことなど。

何が言いたいかと言うとあのインタビューで国民の多くが感じた「これで皇太子妃?!」という印象は当たっていたということです。庶民でもわかることが両陛下がおわかりにならないはずがありません!!両陛下、宮内庁、政府要人みんな知っていたはずです。

皇位継承、皇室典範などにかかわる知識はありませんがそこをうまく利用し、両陛下を脅す材料もあった一部の人たちが暗躍したのでしょうか。庶民の私には昭和天皇が絶対にお許しにならなかった・・・というのが事実かどうかもわかりませんが「徳」仁という代々怨霊と化した歴代天皇に送った字をわざわざ皇太子に与えるくらいの危惧が皇太子誕生時にはあったのでしょう・・・。まとまらなくてすみません。
Unknown (浮世絵)
2013-07-27 23:17:18
ふぶき様
こちらの雑誌はお読みになりましたか?

皇太子と雅子妃「苦悩の結婚16ヶ月」
VIEWS 1994年11月号
http://kabanehosi.seesaa.net/article/170365786.html
東宮妃候補者 (バカン)
2013-07-27 23:37:38
当時、皇太子妃にとされた方の近辺で怪文書が回ったりつけ狙われた方もいらっしゃたよう。
今の、小和田家のスライドだと思われる、皇后様、紀子様を卑しめるような捏造バッシングと同じ。
皇太子にファンだと言われた柏原芳恵は、根も葉もないとんでもない噂を立てられ・・・。お気の毒です。
それで、皇太子妃候補は逃げてしまわれたのだと思います。すべては、雅子が皇太子妃となるように仕向けられていたということでは?
チッソもさながら、素行に問題ありで、お妃候補から外れ、NGだった雅子、皇太子の「小和田雅子さんではいけませんか?」も疑問。
アメリカ発の「皇太子妃に小和田雅子さん」という報道、これで雅子入内となったのでは?天皇皇后両陛下も皇太子も寝耳に水で驚かれたとか?そもそも、何で宮内庁発表じゃなかったか?そこが一番の疑問。
紀子様のお父様が皇居に怒鳴り込んだ→小和田のジジンのスライド。天皇皇后両陛下は、恫喝、脅されたのでは?それで許さざるをえなかった?
小和田は、他を批判しながら、自分らのことをスライドで暴露している。賢い人ならやらない。
Unknown (K)
2013-07-28 00:24:00
 こんばんは、何時もブログアップ有難うございます。
 20数年前は、ネットもなく美容院で女性週刊誌を観る程度でした。 そして民間出身の美智子様の大変なご苦労が知れ渡っていましたので、話題に上がると、急遽ご結婚なさったり海外に行ってしまわれたりという事で、もう誰も居られないのではと思っておりました。 そこへ雅子様のご発表で、よくぞ決断して頂いたと思っておりました。 チッソの事もありましたが、それを超えるだけの魅力のある方なのだと思っておりました。 御妃教育も短く、余程ご優秀な方なのだと思っておりました。(この発表の少し前に某大新聞の社会面に外務省に入られたお二人の女性の一人として紹介記事が載っておりました) 今から考えると東宮が雅子様に固執し、そして雅子様以外の方は居られなかったのではないでしょうか。 彼女を諦めれば独身のままになりそうで、それは避けたかったのではないでしょうか。 弟宮がすでに結婚されていたので親としては尚更だったのではないでしょうか。 旧宮家の方が居られたのは最近知りましたが、元々東宮と話が合わず(芸能界の話では合いませんよね)、皇太后ご存命中でそこに繋がる方は今までの経緯や遺伝的な事からも避けたかったのではないでしょうか。 しかし、今から思うと調べれば皇太子妃に不都合な事が結構分かったのではと思うのですが、或いは結婚すれば何とかなると思われたのでしょうか。 ひょとしたら今生両陛下も熱心に薦められたのではないでしょうか。 だから今更お二人に厳しい事を仰ることが出来ないのではないでしょうか。 しかし、皇室の弥栄をお考えて頂きたいと思っております。 何時も長文失礼致します。 特に夏休みはお忙しいでしょうか今後ともどうぞ宜しくお願い致します。
う〜〜ん・・・ (sayuri)
2013-07-28 09:43:34
許したと言うより、許さらざるを得なかったのかなぁ・・・と。
色んなブログを読むと、小和田は雅子入内にありとあらゆるコネを使い、高窓様まで使ったのでしょう?でも、昭和帝がお許しにならなかったので頓挫していたけれど、水面下では画策していた。そして昭和帝がお隠れになったのを待ってましたとばかりにまたニョキニョキと出てきたのですよね。で、決定的なのは海外のメディアに「皇太子妃は小和田雅子嬢」と勝手にリークして両陛下も「え?」とビックリ!日本のメディアも煽り立て、雅子はマスコミに「ありがとうございます」な〜んてやっちゃったから、にっちもさっちもいかなくなった・・・と思うのですよ。ふぶきさんの小説もそうでしたしね(一応フィクションですが)それが雅子入内の一番の理由だと思うんです。だから私の雅子入内は小和田の策略にまんまと両陛下がひっかかったと(言葉が悪くてすみません)温室育ちのお坊ちゃまと令嬢を騙すのなんて、半島の血が混ざってると言われる小和田恒には赤子の手を捻るより簡単でしたでしょう。

昭和帝があと5年、いえ3年長生きされていたら・・・残念でなりません。
Unknown (ふぶき)
2013-07-28 10:03:26
>美絵理さま
なるほど。紀子妃に全部頼り切っているというわけですねーーそりゃ困りますよね。

>うさみみさま
両陛下は騙されてしまったんですね。

>Emi-さま
長男甘やかしの結果と・・

>mizunoさま
うーん。成程。皇太子の事になると公の気持ちを忘れてしまう・・

>さらさま
皇太子が固執した為に許さざるを得なかったというわけですね。ふたば繋がり・・なるほど。

>ユーリさま
皇太子がわがままをいい、候補が逃げ、結果的に彼女しかいなくなった・・

>重陽さま
ここではっきりさせようじゃあありませんか。
すっきりと。

>憂子さま
成程。妃選びに疲れちゃって・・・わかる。それ。

>くるみさま
その通りですね。もはや痛々しさを超えて嫌がらせ?と思いますもん。

>なつさま
今上は「自分らしい皇室」を作りたかったという事でしょうか。

>かえでさま
下地は両陛下が持っていたという事ですね。

>ネコバスさま
そうですね。未来を考えるべきですね。でも考えるとやっぱり原点から始めた方がいいかなと。気長につきあって下さい。

>さくらさま
そうですね。20年前、すでに不適格であった彼女が皇室に入る事が出来た謎が解けないと問題の本質がわからなくなりそうで。

>もなかさま
コルマール説、甘やかし説・・ですね。

>しまきさま
さすが!わかりやすい解説をありがとうございます。

>ピーちゃん
つまり確信犯であったという事。
これは重いですよね。

>浮世絵さま
はい。以前読みました。色々驚きました。

>バカンさま
騙され、陰謀に巻き込まれ、脅され。明らかにならないものでしょうか。

>Kさま
候補がみな逃げ、一生独身では困ると思った。妥協した・・的な感じでしょうか。
Unknown (MITUBA)
2013-07-28 11:52:16
私はアラ還世代のひとりですがーー。
元々明仁天皇と常陸宮様はバイニング婦人(福音会系)が家庭教師、
まさしくアメリカの占領政策。
美智子様と陛下は、陛下の教育係であった、小泉信三さんが妃殿下選びに動かれて、軽井沢のテニスコートの恋とさわがれた、いわゆるお見合い→恋愛 であると、親の世代からは聞いています。それも小泉信三さんは敬虔なカソリック信者、聖心、三笠宮様に嫁がれた麻生信子様も聖心。お兄様もーー。ご一家がカソリック
明仁殿下と美智子妃殿下のご成婚自体が、壮大なミッション。(ミッションスクールとはそして言い得て妙)
浜尾さんが熱心なカソリック信者。

私立女子は受験でも昔は親子面談入試が多く、母親が卒業生というのは結構多いケース。
これは想像ですが、プラス寄付金 ねじ込み成功確率大。
まさ妃motherは
チッソを隠すには、もってこいのステータス。
地域から離れて出自を言わなくてもいい世界。

たかまど宮久子妃もたしか 聖心つながり。
外交官夫人としてキリスト教学校出身というのは、ステータス。(?)
O氏は利用できる物はどんな手を使ってでも利用するーー。

昭和天皇は美智子様をキリスト教の件で強くお怒りになったとか。

美智子様は雅子様とキリスト教つながりなら話も出来るとお思いになった??そして誰もいなくなるように
ミッションが完徹された。
以上私の妄想です。

ふぶきさんに今回教えて頂いた妃候補者の中にも何人か学習院と並んで聖心がーー。

暑い中お子さんの夏休み中もお勉強、ご自愛下さいませ。
私のハンドルネーム、FUTABAにひっかけています。
当にミッション (重陽)
2013-07-28 18:52:51
東京オりンピック開催前年、小学生の私は「外人さんに道くらい教えてあげられないと!、英語を覚えよう!」のキャンペーンに対し、学校のオリンピック歓迎作文で『日本人は外国へ行くときに、その国の言葉を勉強しろといわれる。何故、外国人が日本国に来るのに、日本人が英語を覚えなきゃいけないのか?外人こそ日本語覚えて来い。それが礼儀でしょ!』てな感じの事を書いて「空気読めん奴。」「家庭は右翼か?」「英語は万国共通、日本語は日本でしか通じないよ!」と、複数の教師から家に訪問されて親共々に説教されました。
思えば此頃には洗脳ミッション驀進中だったのでしょうか。
ミッションスクール出身の友人が何人かいますが、親御さんが余程確りした人でないと、伝統とか躾とかがフワフワしています。キリスト教というと、禁欲的に思っていた日本人が多いのではないでしょうか。実際はそうでもないようですが。

美智子皇后陛下も今上陛下も、日本国民も大きな渦に取り込まれたのだと思います。
今、瀬戸際で沢山の人が覚醒したのでしょう。今上御成婚から東宮誤成婚までリベラルに振り切った世の中を中庸に戻す時期でしょう。

残念ながら、一般の幸福を少しでも望んでしまった皇室に、大いなる隙があった事を認めねばならないでしょう。
またまた怒られてしまうかもしれませんが、皇室が一般家庭に近付くのを良しとした国民も能天気でした。勿論、私も能天気の一人です。
こんばんは^ ^ (merry)
2013-07-28 21:18:41
皇太子は自分が皇太子である
将来てんのーになるの
という単純な知能しかないのだと
私は思います。

日本がどう進んでいくべきか
とか、将来天皇になる自分の
配偶者にふさわしいのは、どういう女性であるべきなのか?とか
考える、という知能がないと思います。

だから派手めな顔立ちの雅子と出会い
ぼくは雅子さんが好き!
ぜーったい結婚するもんっ!
みたいな単純なことだろうというのが
私の感じたことです。
子どもと同じですよね。

子供がいる方なら感じると思うのですが、
表情も非常に幼く
6、7歳の子供にしか私には見えないのです
雅子にいたっては、多動の子。

ここまでこじらせているのは両陛下である、
平成の代は神様がお怒り
というのが、一貫した私の考えです。

紀子妃殿下については、
天皇陛下は舅として可愛い嫁なのだと思います。
美智子さまは、紀子妃殿下のことナルちゃん夫婦と自分の保身で手いっぱい、構ってられない、眼中に無いって感じがするのは私だけでしょうか?

美智子さまは結局自分が可愛いんじゃないのでしょうか?
多くの人が最近このことに気が付き、
慈愛ではなく自愛だと言っているのが
ものがったっていますよねq


今は歴史を検証する段階 (Chie)
2013-07-29 04:00:04
重陽さま。
歴史を検証する時にやってはいけない事が、今現在の価値観やものの見方を持ち込んだまま、当時の出来事を解釈してしまうとことだと思います。
皇室が一般家庭のよさを取り入れようとしたのは、当時としては仕方無かったのでは?
良しとした国民はそんなに能天気でしたでしょうか?
開かれた皇室と言われる今より、余程幸せな空気があったのではないでしょうか?
当時は多くの人々が当時の皇室のありかたに幸福感を抱いていたのなら、それを否定しなくてはいけないのでしょうか?
雅子妃が皇太子妃として決定した時、違和感を覚えた人は多かったはずです。

今、雅子妃欠格が庶民の口からも出る程になったのは、最高位に近い公人だからです。
けれど厳密なお妃候補調べの段階で関係者が内密に 無理 と思っても、一般人が一般人で私人の雅子嬢をあれこれ大っぴらに言えなかったのが当時は当たり前ではなかっかと思います。

信者ではありませんが、キリスト教を勉強したことがあります。
慈愛の皇后=キリスト教の教えがあるから。の図を半ば意図的に喧伝しているなら、キリスト教を深く理解していない証拠と見ています。

横から失礼しました。
このままあと40年以上? (ドラ吉)
2013-07-29 06:04:58
将来、今上陛下崩御の後、このまま何もなかったかのように皇太子が天皇になったらあと40年以上?今のような状況が続きます。国民の1人としてはちょっと耐えられないですね。
僕が雅子妃の父親だったら、ここまで両陛下、皇室そして国家に迷惑をかけている娘の身を引かせて貰うよう内々にお願いします。
両陛下はお立場上、はっきり不快を示したり、人に引導を渡すことが難しいでしょう。お気持ちを忖度して阿吽の呼吸で娘の親の立場でお願いするのが本来あるべき姿なのではないでしょうか?
それが出来ないのが小和田 恒 という一種異形の人間なんでしょうね。
色々残念なことばかりです。
Unknown (ふつこ)
2013-07-29 10:39:14
美智子様はご成婚以来,民間出身ということで苦労を重ねられ、やっとご自分たちの世代になったと思ったら、嫁のせいで庶民からも批判され・・何かそういう運命の方なのでしょうか。
天皇陛下だって皇太子と同じくご自分が見初められたのだから、皇太子が雅子さんを守る半分でも美智子様を守って差し上げたらと庶民目線で皮肉に思う時もあります。
正田家の亡きご両親も、皇室の現状に何のためにがまんをしてきたかと草場の陰でお嘆きなのでは?
そうしてみれば、小和田など、娘の頭が変なのを逆手にとりいい気なものです。

美智子様は何をしても批判されることに、疲れてしまわれていたのでは?
聖心出を選んでも学習院出を選んでも批判は自分にくる・・いっそ浩宮に任せたら・・雅子なら、高円宮に責任転嫁できる。だから、だまっていよう。違うでしょうか。

美智子様はお若いころ本当に美しく聖心で磨かれ洗練されていました。
それが、娘である清子さんには、おばあさんになってからでも着れるような服を着せていました。
あれは本当に残念でしたが、美智子様の性格を物語っているような気がします。

ただ、雅子さんて、喋ると変だけど当時きれいでした。
女性誌の特集号、恥ずかしながら私も買いましたもの。
でも、ご公務の服装が必ずどなたかとかぶっているのに気が付きゾッとしましたが・・・。





誰かが鈴を (美絵理)
2013-07-29 12:23:52
両陛下がお立場上無理、小和田氏は元から
その気はないとなると、阿倍さんに託すのが
一番でしょうか?
ふぶき様、宿題として、明るく前向きに、
建設的にどうすればいいか
お題にして下さい。
Unknown (風喜)
2013-07-29 15:17:26
皇后様の若かりし日の写真を見て、とても美しい方だったんだなと改めて想いました。凛として、気品があって、それでいて華がある・・とても存在感がありますね。ただ、現在の皇后様は、見ていても痛々しい感じさえしてしまいます。雅子妃も結婚の時のパレードの姿はとても美しかったですが、その後というのは、残念ながらあんまり記憶に残ってないです。色々な意味で物議を醸し出しておられる張本人であるにも関わらず、存在感が感じられないのが不思議と言えば不思議です。回りの方々が必死に持ち上げておられても、肝心要の雅子妃の掴み所がなく、その割には多彩なイメージのみが一人歩きをして、実体が何もない感じられないです。
慈愛がすべて (きび)
2013-07-29 16:04:29
両殿下が 雅子さんの入内をなぜお許しになったか…。
もう私の 頓珍漢な頭で妄想するしかありませんが 美しくて優秀な美智子様は せっかくの長男が少し問題があって 可愛くて仕方なかった。カソリックゆえ 慈愛に溢れて愛していた。だから結婚相手も いささかオカシイとは知っていたけれど 排除出来なかった。他のお嬢様方は 非の打ちようもないけれど 雅子さんはチッソという大きなマイナスがある。だから 慈愛で慈しんでしまったと ふと思いました。一般人ではなく 公人が あまりに慈愛に過ぎたので 困った問題がおきてしまったということでしょうか。時として公人は 非常に厳しい選択をしなければならないこともあると思います。雅子さんを慈愛で包めば 良き皇太子妃になってくれると期待したけれど 両陛下の想像もつかないほどの人だったということですね。特に 父OWC氏が…。
影では着々と OWD氏の 乗っとり計画が進行していき 今のような状態になってしまったと思います。
問題は これから先のことですが もう私の頭では わかりません。
Unknown (ふぶき)
2013-07-29 20:39:55
>MITUBAさま
ミッション繋がりですか・・・予想とは全く別でしたけどね。でも何だかわかります。孤独な美智子妃は仲間が欲しかった?

>重陽様
あの当時の空気感はやっぱりおかしかったですよね。今になってわかっちゃうって事が・・

>merryさま
皇后が「自愛」であると・・・その通りだから仕方ないですよね。今の皇太子が大人になれなかったのもそこに理由があるのかなと。

>Chieさま
皇后がキリスト教との繋がりを殊更に言われるのは、多分聖書の「右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ」の論理だと思います。どこまでも相手を許して自己犠牲をはかる。ミリエル司教様とかジャン・バルジャンとか。
仏教思想にも「慈悲」や「自己犠牲」精神はあるのですが、皇后がよりキリスト教寄りに見せるのは、イエス的痛々しさが目立つからじゃないんでしょうか。
十字架にかけられたキリストをイメージしているのだと思います。
あの頃ねーーきちんと歴史を学ばなかった私達の責任は大きいですよ。本当に。すみません。

>ドラ吉さま
私も耐えられません。ただ気がかりなのは悠仁親王の事ばかり。

>ふつこさま
平成の「皇后バッシング」がトラウマになっている事は確かだと思います。
歳をとればとるほど痛みは深くなるので。
耐えられないんでしょうね。

>美絵理さま
勿論、明るく前向きに・・・行きますよ。
でもねーー安倍ちゃんはねーー奥さんが問題あるしーー

>風喜さま
私が美智子妃をテレビで見るようになったのは昭和40年代後半からですが、毎週皇室アルバムが楽しみで。憧れの服を着て、本当に綺麗でしたし。
あの頃は何だったのかと思う今日この頃です。

>きびさま
やっぱり「慈愛」に行きつくんですよね。
慈愛もゆきすぎると弱さに通じるのでしょうか。
今では、、 (ケイちゃん)
2013-07-29 23:58:22
両殿下の多忙なご公務をニュースや皇室アルバムや皇室御一家を見るにつけ、今までとは違う感覚になってきております
今までは、素晴らしいな、有りがたいな、でしたが今では、痛々しい、無理している、意地になっている・・です
美智子様は民間から初めて皇太子妃になり、それはそれは陰湿にいじめられましたよね。それを乗り越えるには私はやはりキリスト教の教えがあったればこそと感じています。
随分前に知り合いに聞いた話ですが、同級生のお母さんが自分の子を事故で殺されたのにいきなりその犯人を許したそうです。
それはあり得ないと知り合いは憤っていましたが、そのお母さんは熱心なキリスト教徒だそうです
全て自分の中でかまわないと処理しているのでしょうか?
美智子様もそうじゃないとナル一家のあれこれに腹の立つ事ばかりでしょうが、ずいぶん平気そうですので、そんな事思い出しました
それと私も不思議に思ったのはサーヤにはいつも地味な格好させていましたね。変なメガネ掛けさせて・・
ご自分は着るものや帽子に独自のこだわりやオリジナリティを出していらっしゃいますが、サーヤがいくら地味な性格かもしれませんがジュニアから20代はもっとオシャレして女子力アップさせてあげて欲しかったですね
Unknown (ふぶき)
2013-07-30 19:56:02
>ケイちゃんさま
サーヤが目を悪くしたのは「自分のせい」と美智子妃はおっしゃってました。でもコンタクトが嫌いでずっとメガネだったんですね。なんにつけてもサーヤは「将来降嫁し、一般人になるのだから」という教えに従って、何もかも控えめな性格になったのかと思いました。

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