ヨロブン アンニョンハセヨ
韓国では、大衆歌謡とは対照的な音楽として70年代から独特の民衆音楽というジャンルが出現している。
民衆歌謡を提起する金昌南は「歌は民衆の生から切り離すことのできない、生の一部分そのものであり、本質的に“한풀이 恨プリ”[プリは“解く”という意味の名詞形。恨プリは抑えられ、心にたまっている願望、生命欲求を解き放つことで、民衆的情緒の芸術的表出]の行為だと言える根拠もこの点にある。今日の大衆歌謡が消費的・享楽的・退廃的な虚偽意識の売り物にすぎなくなったことは、それが民衆の生活から完全に遊離し、恨プリの行為としての本質を失ってしまったことにほかならない。歌がつまるところ民衆の生活の一部であり、恨プリの行為だと認識するとき、今日の歌をどのような観点から理解し、またどのような尺度でもって評価すべきかは、よりはっきりしてくる。」と述べている。(京都大学朝鮮語自主講座編訳『韓国の民衆歌謡』p.61)
この民衆歌謡というジャンルの出現の背景には、1970・80年代に歴史学では강만길姜萬吉などに代表される民衆史学、社会学では韓完相に代表される民衆社会学を中心として、歴史の主体としての「民衆」(労働者階級でもなく、民族でもなく、市民でもなく、人民でもなく、庶民でもない)という独特な概念が出現したことにあるようだ。
ところで、金昌南の論考を整理した藤永壮によると、「ノレ運動」(民衆歌謡と関連した音楽運動)を
① 70年代以後、意識ある知識人たちによって作られた歌と大学街の創作歌謡
② 生活現場で生まれた替え歌中心の現場の歌
③ 口伝されたものでありながら、大学街を中心に歌われた「先駆者」などの“口伝うた”
④ 民謡に対する文学的関心から出発し、最近脚光を浴び始めた民謡運動
とまとめている。(京都大学朝鮮語自主講座編訳『韓国の民衆歌謡』p.8)
また、정경은 チョン・ギョンウンは、『한국현대민중가요사 韓国現代民衆歌謡史』で、民衆歌謡の形成期(植民地時代~1950年代)、民衆歌謡の展開期(1960年~1970年代)、民衆歌謡の全盛期(1980年~1987年)、民衆歌謡の現代的模索期(1988年~現代)と区分している。
したがって、民衆歌謡には、甲午農民戦争の時の「새야새야 セヤセヤ」のように封建末期には抑圧を受け、それに抵抗した民衆の意思を表す歌、1896年にスコットランドのAuld Lang Syneという曲に作詞された「愛国歌」のような愛国・啓蒙を表した教会唱歌(愛国唱歌)、そして日本帝国主義と戦う意思を表した抗日軍歌、独立軍歌なども、その系譜にあげられる。
植民地時代は日本と戦い、朝鮮戦争では同じ民族同士が殺し合い、その後の韓国でも独裁政権や軍事政権に抵抗して多くの人たちが命を落としてきたという近代現代韓国の厳しく困難な状況の中で、民衆歌謡が生まれ、歌い続けられてきたのである。
そのような韓国における命を懸けた厳しい政治状況とは異なる日本では、民衆歌謡というようなジャンルは生まれなかった。ただ、それと通じる日本の音楽の系譜には、明治期では自由民権運動の演歌が、戦後始まった歌声運動が、そして高石友也とか岡林信康などの反戦フォークなどが関連するものといえ、いずれにしても商業音楽とは一線を画した音楽がある。また、民衆のもっとも原初的な生の表現ということでは、鶴見俊輔の「限界芸術」と通じるところがある。
しかしながら、韓国で民衆歌謡という概念が70年代に成立したことを考えると、なんと言ってもその契機は김민기 キム・ミンギにある。彼の作った歌は軍事政権に抵抗した学生運動で歌われた。1980年代には노래를 찾는 사람들 ノレルルチャンヌンサラムドゥル(歌をさがし求める人々)<略称:노찾사 ノチャッサ>という音楽グループが登場し、1984年には第1集アルバムを出した。そして、정태충チョン・テチュンなども「ああ、大韓民国」を出し、この民衆歌謡の流れに加わっていった。
韓国の民衆歌謡は、時には音楽劇、舞踊劇、マダン劇という形式で、学生運動、政治運動、社会運動、労働運動、農民運動の場面など、前述したようにノレ運動という形で多様な展開を果たした。
その中ではさまざまな矛盾や問題を引き起こすことにもなった。
その一つは、学生と労働者・農民の間の生活観や意識の不一致である。김민기 キム・ミンギがその知識階級の観念性を批判され、労働運動の現場では学生出身の노찾사 ノチャッサの歌があまり歌われることがなかったともいわれている。
第二に、音楽性の問題がある。それまでの民衆歌謡の大衆歌謡化状況が表れている。もともと、アメリカでも日本でも、フォーク系のプロテストソングはアンダーグランドとして出発しながらも、大衆的な人気を獲得して、大衆歌謡へと展開することがあった。それは高度資本主義化にともなう大衆歌謡の制作販売構造の変化とも関連する。韓国でも類似した状況が出現している。
そして、現代韓国では、まがりなりにも政治的な民主化が実現していく中で、問題が潜在化して、これまでの時代とは異なって明白な「敵」が見えなくなり、民衆運動そのものが困難になっている。他方で個人主義的傾向が現れ、その意味でも民衆歌謡の前提が失われつつある。
ト マンナヨ