ピピピピピがブログを書きますよ。

運動もせず、ヘタレ顔でキーボードに手を置くピピピピピがブログを書く。野人の如き豪快さが欲しいね。

学校も会社も家具も、全て捨てて旅立つ事にしました

精神的な酸欠状態に陥り、顔の周りには雪の結晶のようなものがチラチラと飛んでいる。東京の街に出るだけで、ストレスが時速三百キロ以上の速度で体に突っ込んで来る。ゴキブリは緊急時に百五十キロ以上の速度を出す。おぞましい生物の速度が霞むほどの脅威であるストレスは、丸めた新聞紙で叩いても、いくら洗剤を掛けても死滅させる事など出来ない。目に見えぬ害虫はいつも、周りをうろちょろしているし、人間の毛穴からモゾモゾと侵入しているのだろう。ストレスの体内侵犯は許せない。実体がないから、捕らえて火刑に処する事も出来ず終い。まるで寄生虫に人体を乗っ取られたセミ、カマキリ、カタツムリだ。全てがパーになり、もう耐えられない。

ならば、全てを捨て去り旅立とう。

東京から逃げる事にした

忍耐メーターが尽きるまで耐えようと思っていたが、そもそも、そんなものは存在していなかったのだ。十オンスのコップ一杯ぐらいの潤いはあるのだと勘違い、早とちり、暴走していただけである。最初から一滴の水すらなくカラッカラなのだ。一日中、砂煙を浴びているかのように重々しく過ごしていた日々。

銭湯でコーヒー牛乳を片手に天井を見上げると、東京独特の汚れを感じずにはいられなくなり、息苦しさと非人情的な人工物による、おしくらまんじゅうイジメを受けている気分になった。人間の数センチ横を平気で爆走するチャリ、挨拶に顔を出すゴキブリ、構えるカマキリ。もはや、どいつもこいつも敵対者に見えてしまうし、東京中はコロシアムであり、いつなんどきバトルロワイアルが始動するのか分からない空漠とした不安誘発都市である。

東京で上手いことやれる人間は、真夏の太陽に焼かれるビーチをダッシュで駆け抜ける事の出来る人間だけだろう。「ガラスの破片が落ちているかもしれないから、サンダルで歩くのも嫌だ。登山靴が必須だ」と考えてしまう僕には、到底不可能なのだ。キャッチーな広告に目を引かれて走り出すと、そこには落とし穴。出られなくて困っていると、夏目漱石福沢諭吉のような顔をした人間達がケラケラと笑いながらやって来て、「東京は楽しいかい?」と言いながら土を落として来て、生き埋めになって後日死亡。僕は東京に対して、それぐらいの恐怖を感じてしまうのだ。

逃げて辿り着く理想の場所とは……

あどけない表情の子供が作った砂のお城の中で暮らして行きたい。幼き心が生み出した城の内部は不安定だけれど、争い、不平不満、ブーイングなど、大人の吐いて吐いて吐きまくるゲロのようなものは存在しないから、最上級のハピネスを感じられると思う。不安定な砂の上で王族を気取って生きている内に、いつしかマンネリを感じるのだけれど、退屈さが不幸とイコールになる前に、砂が崩れて生き埋め昇天達成。

なんてメルヘンは、冗談の切れ端のような無意味なものである。理想の場所は故郷の札幌。献身的と表現しても良いぐらいの澄んだ空気を肌で感じて一休み。否、永遠なる休暇を取ろうと思う。陳腐でちんけな人生で良いのだ。理想の全貌はS級モンスターのように手に負えない欲望であると思うし、倒れ込んでイビキを掻く生き方も正解の一つだろう。半紙、こんにゃく、レシートのように柔軟性を持ってふにゃふにゃと歩く人生を送りたい。今後の人生におけるベンチマークは、ぼってーんっと寝転がる捨てられた肉の塊。

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金玉を食った猫の話(実話)を知っているだろうか?

下半身裸で飯を掻っ食らっていたじいさんが、刺身を喉に詰まらせて死亡する。そこにお腹を空かした飼い猫が登場。刺身も残っていないので、ご馳走代わりに金玉をもぎ取って食す。うまいニャーって話である。

世の中はこれぐらい弾けた不思議が至る所にあるのだ。最近の若者は金玉であり、その金玉に齧り付く猫である人生の大先輩がいる。世の中は金玉と猫で構成されていて、金玉はぶらぶらと怠惰な時間を過ごし、猫は金玉を必要以上に食べ散らかす。金玉がどんな暗闇に逃げたとしても、照明弾を投げ込んでは追いかけてくる猫。いつだってトムとジェリーなのだ。

世の中は、無残な死体への成長過程が描かれた阿鼻叫喚の物語だ。理不尽と不条理が雨と霰になって降り注ぎ、体をいとも簡単に凸凹にした後に精神世界にまで侵入し、内側から破壊工作を展開する。

ジジイの腹で余ってるぶよついた肉の如く、ストレスは当たり前に存在しているし、ダイエットの成功者の横には、更なる太りに向かうババアが、ふてぶてしくあぐらを掻いている。それと同じく、ストレスは破壊と再生を繰り返し、永久不滅の称号を与えられて、世界中を闊歩しているのだ。綺麗な新品のトイレもいずれは汚物塗れの汚れとなるように、純粋で綺麗だった赤子はいつしかストレスに浸食されて、汚れた大人となって行く。血で血を洗うように、糞尿塗れトイレに糞尿を流し、ストレスを受けた自分の為になると勘違いして更なるストレスを受ける。良い事も悪い事も汚い事も全ては重なるのが歴史であり、一生であり、生なのだ。

僕らもいずれは、猫の口の中で粉々になった金玉のように朽ちるのだろう。

十畳の部屋だけが世界であれば良いのに

顔面の皮膚を剥ぎ取って壁に貼り付けると、世の中には自分の顔が二つ存在する事になる。数年単位で繰り返して行けば、部屋中に自分の顔を貼り付ける事が出来るし、仲間意識が芽生えるだろう。友達も彼女もいなくたってへっちゃらかもしれない。

クローンで自分の腕を複数作り出し、壁に埋め込むのも良いだろう。お風呂に入る時は、「行って来ます」と、何十本もの自分の腕と固い握手を交わす。お風呂の扉には、片思いの女の子の唇を所狭しと埋め込み、五月雨式のキスをお見舞いする。僕がシャワーを浴びている間にも、顔面は喜怒哀楽を表現し、腕は無目的な動きを繰り返し、唇はキスの練習に明け暮れる。

自分の部屋に自分が複数いる生活は気持ち良さそうだ。

真剣に働く能力を持ち合わせていない

僕は、屁理屈をこねて逃亡をする習性がある。微細な変化にまごつく、脆弱系男子の最前線を走る男なのだ。ここまで、フンコロガシが転がしているモノのような文章を書いて来たのは、僕の中にある薄ぺらな理想と情熱が、働きたくないと言う思いに失神KO負けをしたからである。地位、名誉、財産がある人間であれば、心に負担がのし掛かった時に、歯を食いしばって踏ん張る選択をするだろう。僕の場合は、持たざるモノの為、逃亡一択なのである。貯金は百万円程度は残っているが、消費税が上がった今、もはや本の栞としての使用価値しかなくなってしまった。

僕が会社に出勤すると、浅瀬に打ち上げられたクジラのように瀕死の重傷を負ってしまう。魚は海、鳥は空、僕は部屋。生物にはそれぞれ生きやすい場所が存在する。早朝から、健康の為に乾布摩擦やラジオ体操を行うおじいちゃんと同じように、僕は健康の為に逃げるのだ。ライオンもチーターもヒグマも危機を感じた時は、あさっての方向に走り出すものだ。僕も野生の動物に習い、生存の為の逃亡を行っている。一度しかない人生、死にたくない。

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知らない人の会社で働く事に向いていない

「おはようございま~す」と出勤して、ずらっと知らない人が並んでいるだけで、ヌンチャクで叩きのめされたかの様な衝撃を受けてしまう。初日から辞めたい進捗率は百パーセント。休憩中に電車に乗って自宅に帰って達成である。知らない顔の上司に命令を受けるだけで、朝も昼も夜も意識朦朧としてしまう。背中にはひんやりとした寒気が乗っかっている気がするしで、いてもたってもいられない。

ホワイト企業ならまだしも、ブラック企業であった場合は尚更の事だ。東京中の釣具屋で、ウジ虫が大量に入ったパックを購入して、社内の至る所に放ってやりたくなる。きっとこうした思考をしてしまう事自体がモンスター社員としての素質があり、社会の産業廃棄物なのだろう。

前に働いていた営業会社では、一日に何度も、「さぁ、君ら底辺達の売り上げ競争を楽しみにしていますよ」と言った類いの、喧嘩を売っているとしか思えないメールを送りつけられた。他の社員は苦しみながらも我慢していたが、僕は本能の赴くままに椅子を蹴り壊したり、ぶん投げたりしてストレス解消を行った。世の中は理不尽に満ち溢れているなんて事は重々承知している。にも関わらず、理不尽と殴り合いの喧嘩を求める様な生き方をしてしまうのは、会社に属して働き続けるのに向いていない証拠だろう。

前世も現世も来世も、僕をデキる男になんかしてくれない

スピリットの質が悪い。腐ってドロベロになっているモモのような魂を持っている僕は、いつも逃げ腰なのだ。戦う前から負けている。腐ったリンゴは、手を出さなくても勝手にただれ落ちて来る様に、僕はたった一人で土を掘って深い場所で永眠するタイプだ。

遺伝子もバグっているのではないだろうか。僕の父親は年収一千万以上稼ぐ、いわゆるデキる男であるし、朝まで働いて短時間しか眠らず、また会社に出向くと言うバイタリティーを存分に発揮している時期もあった。それなのに、僕は真逆の道を走っていると言うか、逃げている。長時間睡眠も大好きであるし、それでも飽き足らずに昼寝もする。住民票を取りに行っただけで、「あ~今日は働いたなぁ~!」と大満足して、まだ夕方にも関わらず朝まで寝る。DNA異常なのではないだろうか。アメリカンコウモリとかアナコンダとか、そういうアホ面した動物との間に生まれた子供なんじゃないかと疑いを持つ様になってしまった

気迫とやらも同じ地球の生物と思えないぐらいに違うのだ。父親は、惨めな時代に「やってやるぜ!」となったらしいが、僕の場合は、「じゃー寝るわ」と布団に潜る。どうしてこうも使い勝手の悪い偏屈な枯れ枝の様な存在になってしまったのだろうか。せめて死後硬直が始まったら、物干し竿代わりにして欲しい。焼いて灰にして世界にバラまくのは大金が必要だし、所詮は棒だと考えて貰えれば良い。

デキる男になどなれないのだ。昔はそう言う人間を目指して走った事もあるが、精神的に全身を骨折したから無理だった。懐中電灯で照らした爺さんの顔で腰を抜かすヘタレには、目指す事も許されないのである。

恋愛も終わった

性欲と情熱がひた走っていた十代の頃とは違う。心臓の鼓動が乱れる恋愛などいつの日か消滅してしまい、残っているのは美化された記憶だけだ。艶が出る程に塗装した映像を巻き戻して見たところで、静寂と憂鬱しか残っちゃいない。今日までに消化して来たのは未成熟な時代の日常だけではなかったようだ。外界から受ける、幸福なはずの刺激も自動的に撃滅させてしまい、心底やるせない。

僕は、好みの子がいると秒速で話しかけるタイプの性格をしているのもあり、恋愛面に関しては相対的には恵まれているなと思う。しかしそれは、十回振られて2回付き合えると言った類いの、絨毯爆撃的な口説きでしかない。この人生では五十回以上は振られているし、その結果、「あぁ~大体この子は、僕に対してこれこれこーな思いを持っていて、こーだこだーな動きを展開してくるだろうな」とシミュレーション出来る様になった為、成功率は格段に上がった。だが同時に、理想も毎秒上昇しているし、最初からマンネリに近い感覚を持ってしまう様になったし、恋も愛も夢も薄れてしまっている。絶望的にモテなかった十代の頃を取り返すべく、蒸気を逸した恋愛への取り組みを行ってしまったせいで、精神も思考も重大なバグとウイルスを抱えてしまったのだと思う。

つまり、頑張るとは危険がつきまとうモノなのだ。結構な頻度で、「今死ぬ気で頑張れ! 若いんだから救急車に運ばれても大丈夫だ! 今は頑張れ!」と、ゴリ押しエールを展開している大人達を見掛けるが、デンジャラスなアドバイスだなと思ってしまう。若い頃は、「人間なんてほどほどがいいんだよ」ってセリフに対して、「何がほどほどだ! 情けないしダサいし落ちこぼれの発想じゃないか。何事もやり過ぎないと上に立てないだろ!」と見栄を張った思いを抱いていた。だが、今となっては、ほどほどが理想だって事が十二分に分かる。錯乱して突っ込むと精神に重大な傷が残る可能性があるのだ。

モテない時代を払拭する為に、遊んだ女の子の情報をストーカー並みに細かく書き出したり、職業別、年齢別反応表を作成なんて事もした。看護師もしくは28歳の女の子は、最も落としやすいと言う偉そうな分析も行った。ナルシズムに浸り、これらの事が恋愛レベルを越えて人生の豊かさを積み上げる事になっていると勘違いしていた僕は、心底KYであるし、バルコニーの端っこで放置された害虫の様に気色悪い。やはり、ロミオとジュリエットの様に、願いが成就する前に拳銃で殺されるのが一番なのかもしれない。恋愛が生み出す妄想で敷衍した不安、恐怖、更なる欲望は、人間の幸福を下降させて、不幸の血の海に墜落させてしまう。そうなる前にシャットダウンが健康的なのだ。

非常にワガママな存在となった僕は、良い感じで進展しそうな子がいても、「あ~メールも電話もしなくちゃいけなくなるよな。その時間があれば本を読みたいよ」などと、クズが進行する。その結果、自分から、「どうしてもこの時期は仕事が忙しい」などとメールを送り、進展をストップさせてしまう。

こんな思考の流れがあると、もう一生恋愛は出来ないのではないかと思えてくる。しかし、そうやって自らに、「恋愛なんて出来ないよ」と言い聞かせ、制限を設ける事により、それが刺激となり恋をしてしまうなんて事もある。だが、せっかく得た恋の感情も、付き合いが進むと薄れてなくなる。こうやって奥の奥の森の奥まで見ようとする癖がついてしまった為、どう足掻いても恋に歩み寄れなくなった。そして、「どうせ恋をしないんなら年齢とか、顔とか全く関係のない女友達を作って健全に過ごすのが一番」と考え出す。そこまでは良いものの、ここでもまた奥の奥の森の奥まで見てしまう。「あー、でも一緒にいる時間が長くなれば、全くタイプでない子に恋の感情を持ってしまうかもしれないよな。それはまだ良いけれど、どうせその感情もいつか消滅するし、虚しさだけが残るんだろうな」と考え始める。もはや救い難いバカだなと自覚中だ。

そして色々と考えに考えを深めた結果、「アニメの女の子が一番だ」と言う考えが王座に座る。中原岬・羽瀬川小鳩・能美クドリャフカ高山マリア櫛枝実乃梨・坂下ゆずゆ・徳永心・戦場ヶ原ひたぎ・木山春生・ころね・神楽まりえ・明石さん・伊波まひる・ニノここに書いたのは僕が大好きな女キャラの一部だ。こうした子達を神格化してひれ伏す気持ちで生きる日々は最高に気持ちが良く幸福である。アニメキャラは現実の子達よりも、光沢感がある。そして俗世間では、「アニメキャラに入れ込むなんてバカじゃないの?」と言う常識が存在するからこそ、ロミオとジュリエット効果が生まれ、「それでも俺は愛しているんだ!」と、永遠に適わない愛を持ち続ける事が出来るのだ。これこそが恋であり愛であり生きる意味である。僕の中で一般的な恋愛は終わったが、ニュータイプの恋愛が走り出した。

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全てを捨てて、旅立つ

と言うか、舞い戻りだ。今現在、目黒に住んでいる。この街の高級車の多さや、顔に勝ち組とマッキーペンで書いても怒らないんじゃないかってぐらい余裕感溢れる成功リーマンの自信に満ちた歩みを見ていると、メンタルを握りつぶされた感覚に陥る。ベンツ・BMW・クラウン。外を歩けば、必ず三台以上見掛ける。「これが格差か。自分の臓器を天ぷらにして献上しないといけないんじゃないか」と、思えて来る。それほど無価値な人間と価値のある人間の差は激しいと言う事を、身を持って痛感してしまう街なのだ。目黒は治安も良いし、空気も綺麗で、最高の街なのだが、底辺には辛いと言う難点がある。

最近、皇居の辺りを散歩したのだが、ここも辛かった。僕は高級車にトラウマがあるのかもしれない。渋いオッサンがタバコの煙を吹かすのだけれど、万札を人差し指で擦った時の様な匂いがした。努力も忍耐力も欠落した僕が、高層ビルを見上げて思うのは、「あー金持ちってのは良いなぁ~、高級車ってのは良いなぁ~。でもその次元にまで昇り詰める程の精神力を持ち合わせちゃいない僕には無理だから、ママチャリで我慢しようっと」って事だけだ。全てを捨てて、舞い戻るしかない。

クズを受け入れて生きて行こうと思う

会話をしない引きこもりニートを三年して来たり、大学を数回の登校で辞めたり、車の免許すらもなかったり、稼ぐ能力もなかったり、忍耐力もなかったり、サボリ癖ばかりあったりと、一から十まで底辺の土を口に運んで食べては吐いて、喉に入れては胃液をセットで吐き出してと言った、底辺物語を繰り広げているクズだと自覚を持って生きて行こうと思う。中途半端に、「人生大逆転物語を作ってやる!」などと意気込むと、他者に被害をぶつけるだけになる。「身内に頼る事はせず、何がなんでも成功する!」などと、拳を掲げて叫ぶのも禁止しよう。

ここ最近までは、「精神力が弱いと思われるのは絶対に避けなくてはならない」と、格好付けていたのだが、辞める事にした。そもそもが僕は、カッコ良いとは対極にいる人間なのだ。スマートにこなせる事なんて何一つないのだし、自然体がクズなのだから、地べた這いずってゾンビの様に厚かましく生きて行けば良い。胃液とヨダレと毛と爪と垢を、この地に落として生きていた証しを残せばそれで良いのだ。

モテたい、仕事出来ると思われたい、特別な人間になりたい、羨望の眼差しを向けられたい、街中で握手求められたい、芸能人になってちやほやされたい。こんな風に無数の欲望で溢れていた人生を過ごしたが、そんなものにはオサラバして、もっとお気楽な生活を送ろうと思う。出来ないモノは出来ないし、クズなモノはクズだと開き直って生きて行くと決心した。とは言っても、この決心すら、しょうもない僕の心と精神が生み出した吐瀉物のようなモノなので脆い。まぁーそれでもなんでも良い。ゆったりと思い浮かぶままに言葉を飛ばし、遊園地の様にアトラクティブな思考を展開し、長寿の亀の様に二百年生きるつもりでゆったり暮らして行く事にする。

フリーで働いていく事になった

親や知人のコネで、好きな時にだけ働ける会社がいくつかあるので、精神的に豊かな働き方をして行こうと思う。「さすがどら息子ですねぇ~。クズは違いますよ」と、誰かに拍手されてしまうかもしれないが、それもそれで構わない。親の会社であれば、簡単な入力仕事と、資格の勉強をしていれば時給を出してくれるとの事なので、脳天気にスローモードで能力を高めながら暮らして行こうと思う。

僕は基本的に、読み書きとアニメさえあれば、心底幸せだ。その為、お金もそんなに必要がない。本を読んで、勉強して、ゆったり仕事して、気の向くままに思い付きをブログに打ち込む。そんな堕落した生活もありだ。いや、ありかなしかを選択できる程に能力もなければ忍耐力もないのだから、「ありだ!」と無理やりでも断言して生きて行くしかない。

とは言っても、僕を助けてくれる親や会社の人間に恩だけ貰ってバイバイって事はしない様にしたい。僕のペースだと十年間、勉強と仕事をしても、新卒に毛が生えた程度のレベルにしかならない可能性は高い。けれど、スローモードで勉強と仕事をして行く中で、たった数人だけにでも喜んで貰える能力ぐらいは付けられるように考えて行こうと思う。

僕は長い引きこもりニート、そして仕事をしては辞めての繰り返し期間を過ごして来た。その結果、「本当にこの子は危ない子なんじゃないかしら」と、親に思われるようになった。そしてそれすらも乗り越え、「犬だってバカだけど、それなりに生きてる。それなりで良いのよ。無理せず自分にあった生き方をしなさい」と言われるようになった。その為、僕の親は一般的な家庭よりも、子供に対して甘いと思う。だからこそ甘えすぎない様に気を付け、給料もギリッギリで生活出来る程度しか貰わず質素に暮らそうと思う。現物支給でも構わない。本と食料。これだけで十分なのだ。勉強も好きだし、縛られない範囲での仕事は楽しい。昔働いていた営業会社は、初期の頃は縛りがなく自由度があったから、一日十三時間働いていたが、何一つ苦じゃなかった。縛られなければ絶対にやっていける。

僕は、学校も会社も家具も全て捨てて、本当の意味で気楽に生きて行く事にする。