東京レター
東京で暮らす外国人たちが、手紙スタイルでつづる「東京生活」
【社会】福島の16歳「宝塚」合格 バレエ断念…新たな舞台へ
国際的なバレリーナを夢見て、小学四年からバレエの練習を続けてきた福島の少女が中学一年の時、原発事故で東京に避難した。異なる環境での練習に「もう、やめたい」と心が折れそうになった時、母と見たのが宝塚歌劇団の「ベルサイユのばら」。「私もあそこに立つ」と決心した少女はこの春、競争率二十六倍の狭き門を突破して、新たな一歩を踏み出した。 (相坂穣) 「発表いたします!」。三月二十九日、兵庫県宝塚市の宝塚音楽学校であった二〇一四年度入学試験の合格発表。合格者の番号が書かれた木の板を在校生が開くと、受験生から「キャーッ」と歓声が上がった。 その中に、福島県郡山市出身の杵渕麗奈(きねぶちれいな)さん(16)と、母親の美貴さん(45)もいた。二人で抱き合い、麗奈さんは「諦めなくて良かった」と涙を流した。福島県出身者は〇六年以来八年ぶりで、競争率は過去五年間で最高だった。 麗奈さんは小学四年の時、美貴さんの勧めで県内のバレエスクールに通い始めた。習い事の一つとして始めたが、実績のあるスクールだったこともあり、親子とも次第に本気に。米国など海外の教室でもレッスンを受けるようになり、国際的に活躍するバレリーナを目指した。 だが、中学一年だった一一年三月、東日本大震災と福島第一原発事故が発生。水素爆発が起きると、東京都練馬区にある父方の祖母宅に一時避難した。原発から六十キロ離れた自宅は避難対象区域ではなく、一カ月後に戻ったが、同級生は次々と他校へ転校していった。 二学期を前に、麗奈さんも父親を福島に残し、美貴さんや幼い妹二人と再び東京へ自主避難した。バレエは東京の教室を紹介されたが、地元の恩師と異なる指導法に戸惑い「やめたい」と意欲を失っていった。 見かねた美貴さんは麗奈さんが中学三年の時、東京・有楽町の東京宝塚劇場で公演していた「ベルサイユのばら」に誘った。麗奈さんは男役も娘役も女性のみで演じる芸術に酔いしれ、タカラジェンヌになるという新たな夢が芽生えた。 都内の宝塚受験スクールに入ると、バレエの経験が生きた。昨年、初挑戦した宝塚音楽学校の入試は最終選考で不合格。郡山市の高校に入学した後も週末を中心に一年間、新幹線で東京のスクールに通い続け、合格を勝ち取った。 麗奈さんは、一六八センチの長身から「男役」になる可能性が高い。伸ばしていた髪は数日前に切った。「まだ福島には苦しむ人がいる。ジェンヌになって夢を届けたい」。十九日の入学式を前に、今度は自分が夢を届ける番だと心に誓っている。 <宝塚歌劇団> 阪急電鉄の創業者小林一三氏が「老若男女が楽しめる国民劇」を掲げて1914年に初公演、今年で100周年を迎えた。太平洋戦争中の劇場閉鎖や、テレビの普及などで低迷期もあったが、74年初演の「ベルサイユのばら」が大ヒットして復活。2013年度は約1300回の公演で、観客261万人を動員した。宝塚音楽学校で2年間の教育を受けた卒業生が舞台に立つ。14年度の入試は1065人が受験、ダンスや面接などを経て15〜18歳の40人が合格した。 PR情報
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