■特派員リポート 鵜飼啓(台北支局長)

 11日朝に訪れた台湾立法院(国会)の議場は、何事もなかったかのようにすっかり元の様子に戻っていた。

 10日夜までの23日間、立法院では異様な光景が繰り広げられていた。学生らが議場に突入し、たてこもったのだ。出入り口にはバリケードが築かれ、標語やポスターなどが所狭しと張り出された。学生らは寝袋などを調達して泊まり込み、生活感があふれる空間にもなっていた。その痕跡が、一掃されていた。

 議場に戻ってきた立法委員(国会議員)たちが、自席の引き出しを点検する姿が多く見られた。「私たちを失望させないで」。そんな手書きのメッセージが残されていた議員もいた。歯ブラシや、ビタミン剤が入ったままになっていた引き出しもあった。

 確かに、彼らはここにいた。

 占拠の引き金を引いたのは、3月17日に立法院であった一つの動きだった。内政などの合同委員会が、昨年6月に調印した中国とのサービス貿易協定を審議することになっていた。この協定は中台がサービス業を開放し合う内容で、対象項目は中国が80、台湾が64。馬英九(マー・インチウ)政権は「損失よりも利益の方が大きい」として承認を求めていた。

 だが、調印直後からこの協定への反発が噴出していた。調印まで中身を伏せたままだったため、交渉は「黒箱(ブラックボックス)」と批判された。台湾のサービス業は85%が従業員5人以下の零細企業といい、資本力に勝る中国企業が入ってくれば勝ち目がない、との悲鳴も上がった。野党・民進党は「開放の度合いが不平等で台湾に不利」と主張。広告業を開放することで中国の台湾メディアへの影響力が高まり、言論の自由が失われるのでは、などと中国の存在感の高まりにも懸念が高まった。

 民進党はあの手この手で審議を妨害、引き延ばしを図った。中国との関係改善に積極的な馬英九総統はいらだちを強め、審議の加速を指示。与党国民党がこの日、ついに動いた。与野党はもともとこの協定を逐条審議することで合意していたのだが、委員会の議長を務める委員が審議をしないまま、本会議に送付すると宣言したのだ。しかも議長席にも上がらず、部屋の隅で、服の下に隠した無線マイクでの「不意打ち」だった。

 庶民の生活に大きな影響を与える法案を、立法院は審議もせずに無理やり通そうとしている。民主主義を踏みにじった――。そんな怒りを抱いた人たちがいた。その一人が、実家のある台南にいた台湾大学大学院生の林飛帆氏。林氏は急きょ台北に入り、サービス貿易協定に反対する活動を組織していた弁護士の頼中強氏らと連絡を取り合い、18日に立法院の前で抗議集会をすることを決めた。

 複数の中心人物によると、立法院への突入はもともと企図していたわけではなかった。だが、集会の参加者の中に、中央研究院の黄国昌・副研究員がいた。若手研究者の黄氏は社会運動に積極的にかかわり、やはりさまざまな運動に参加している林氏ともよく知る間柄だった。その黄氏の一言が全てを変えた。

 「立法院に突っ込んでみないか」