読むナビDJ :第106回:「ブラジル音楽の歴史」第1回~ボサ・ノヴァからMPB誕生まで~

2014/04/10(木)更新

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第106回:「ブラジル音楽の歴史」第1回~ボサ・ノヴァからMPB誕生まで~

FIFAワールドカップも近づいたのでシリーズものでブラジル音楽をお届けする第1回目は、1940年〜60年代編。当時の政情、ムーブメント、欧米から見たブラジルなどを立体的に紐解く渾身のコラムです。

この記事の筆者

沢田太陽

1970年生まれ。音楽ジャーナリスト。NHK-FMで「ライブビート」など制作後、1999年よりフリーの音楽ジャーナリスト。2004年、インディ・ロック雑誌「Hard To Explain」を立ち上げ現在も継続中。2010年、ブラジルのサンパウロに移住。ジャーナリスト活動は依然継続中でポルトガル語、英語の翻訳業も展開。海外エンタメの情報ブログ、THE MAINSTREAMは毎日更新中。

ブラジルというと、世界的に「独自の音楽文化が盛んなところ」というイメージを伝統的に持たれている印象がある。今回からはじめるこの「ブラジル音楽の歴史」は、そうした奥深い印象を持つブラジルのポップ・ミュージックがどういう発展を遂げて来たか。それをブラジルの歴史や社会の動きなどと連動させながら語って行きたい。第1回目の今回は、ブラジル音楽の中でも最も熱い時期で、日本の音楽ファンにもなじみの少なくない、1960年代について主に語って行く。

なお、はじめに断っておくが、「ブラジル音楽の基礎」とも言われる伝承音楽のサンバやショーロに関しては、源流を追うと19世紀にまで遡らざるを得なくなって際限がなくなってしまうため、今回は「レコード産業が成立して以降のブラジルのポピュラー・ミュージック」として語っていくことにするのでご了承願いたい。

ブラジル音楽ではじめて世界的に注目された音楽は?

ブラジル音楽が世界に注目されはじめたキッカケ、それは1940年前後のことになる。
パイナップルなどを頭にのせた「フルーツ・ハット」のイメージで知られた女優カルメン・ミランダがハリウッドのミュージカルに進出し、『The Gang’s All Here』のヒットなどで、高額スター・ランキングのトップになるほどの成績を収めたこと。そして、ちょうどそのカルメンのブームと同じ頃にディズニーが南米を舞台にしたアニメ「ラテン・アメリカの旅」(1942)を制作したことがあげられる。このディズニー映画からは、ブラジル人映画音楽家アリ・バローゾの作曲した「ブラジル(Aquarela Do Brasil )」が歌われたが、サンバのリズムやコードを取り入れたこの曲はアメリカのジャズ界に愛され、後にフランク・シナトラによるカバーでさらに有名になる。

この1940年代当時、南米はアメリカにとっての観光地としての印象が強く、 “リゾート音楽”としての魅力の開拓にアメリカの映画産業が白羽の矢を立てた側面があった。それは1928年に、リオのカーニバルが現在のようにエスコーラ・デ・サンバ同志によるデズフィーレ(パレード)をコンテスト化させることで商業規模を拡大し、 ブラジルの観光ビジネスの大きな目玉となったことも大きかったと思われる。

Carmen Miranda「The Lady In The Tutti Frutti Hat」


Saludos Amigos「Aquarela Brasil」



ブラジルの「良き時代」に生まれたボサ・ノヴァ

そんなブラジル音楽界が次に世界的に注目されることとなったのは1960年代前半のこと。それを可能としたのは、1950年代の後半にリオの中流階級の若者たちが作り上げた新しいサンバの文化「ボサ・ノヴァ(ポルトガル語で“新潮流”)」だった。その担い手となったのは、作曲家のアントニオ・カルロス・ジョビン、作詞家のヴィニシウス・ヂ・モラエス、ギタリストのジョアン・ジルベルトだった。アリ・バローゾの継承者的存在で、ジャズやクラシックの印象主義の影響なども強く受けているジョビンの作る多彩なコード進行による楽曲に、「劇作家も仕事の片手間にこなせる外交官」として当時のブラジル社会としては破格なまでに洒脱で多彩な趣味人ヴィニシウスによる瑞々しい言葉、打楽器的な感覚を持つジョアンによる画期的なギター奏法。

これらの才能がぶつかりあうことで、それは「想いあふれて」「デサフィナード」などの名曲が次々と生まれ、1960年代前半までのブラジル・カルチャーを牽引した。

Joao Gilberto 「Chega De Saudade(「想いあふれて」)」


Joao Gilberto 「Desafinado」


そして、この「ボサ・ノヴァ」が生まれた時代は、ブラジルという国にとってのひとつの黄金時代だった。当時ブラジルは、「JK(ジョッタ・カー)」の愛称で、現在に至るまでの歴代大統領中屈指の人気を誇るジュセリノ・クビチェック大統領による新首都ブラジリアの建設を、世界的建築家のオスカー・ニーマイヤーと共に推進している頃。首都は1960年に完成し、ニーマイヤーの設計によるアヴァンギャルドな都市設計は後に世界遺産にも指定されたほどだ。また、1958年にはサッカー・ワールドカップのスウェーデン大会で当時17歳のペレを擁しブラジルのセレソンが初優勝を果たした。
奇しくもこの頃は日本も、岩戸景気を背景に、長嶋茂雄に石原裕次郎に美空ひばりといった“昭和の大スター”が揃っていた明るい時代で、国民が喜んで振り返りたがる点でも共通している。

そんなボサ・ノヴァは1964年から本格的なアメリカ進出を果たし、この年の7月にはスタン・ゲッツアストラッド・ジルベルトによる「イパネマの娘」がビルボードのシングル・チャートで5位まで上昇する大ヒットとなり、「ブラジル音楽、ここにあり!」と世界に示せる大チャンスだった。

ボサ・ノヴァの世界進出と「暗い時代」のはじまり

だが、この当時、実際のところ、ブラジルはこの快挙を祝えるような状況には決してなかった。それはこの年の3月31日、陸軍がクーデターを起こして軍事独裁政権が誕生してしまったからだ。当時は米ソ冷戦の最中で、特に南米はキューバ革命以降、国の共産主義化が恐れられていた時代。そんなタイミングで当時のジョアン・“ジャンゴ”グラール大統領が左翼的傾向の強い人だったことから、軍が恐れて無理矢理に政権を強奪してしまったのだ。そして、この独裁政権の輪は南米諸国に広がって行き、それをアメリカが支持したことから、南米は1980年代前半まで暗く混沌した時代へと突入する。

そんなこともあり、アメリカで1964年にはじまるボサ・ノヴァのブームは本国ブラジルの状況とは切り離された状況で起こった。

事実、このブームの立役者のひとり、セルジオ・メンデスは、リオの自宅を包囲されたのをきっかけに渡米を決意し活動を展開したほどだ。このブームは1966年頃まで続き、新進の黒人シンガーソングライター、ジョルジ・ベンによる「マシュ・ケ・ナダ」がセルジオ・メンデスのヴァージョンで1966年に46位まで上昇するヒットにもなった。

Stan Getz & Artrud Gilberto 「Girl From Ipanema」


Sergio Mendez 「Mas Que Nada」


ボサ・ノヴァは、その後もジョビンやジョアンが精力的に活動して代表作を絶えず生み出し、ヴィニシウスはフランスに渡って現地のアーティストと共演し「フレンチ・ボッサ」の開拓や自らシンガーとして活躍を展開。また、ナラ・レオンエリス・レジーナのような(当時の)若手新人シンガーが出るなど健在ぶりは示した。だが、1965年あたりになると、ブラジル国民に最も人気のある音楽はボサ・ノヴァではもはやなく、それは「ジョーヴェン・グアルダ」にとって代わられた。

空前の「ロックンロール・アイドル」時代

この「ジョーヴェン・グアルダ」とは、この当時爆発的人気を博したTVヘコルジ局で放送されていたのアイドルの歌番組の名称で、当時のブラジルのヒット曲はここから紹介される曲で独占状態となった。タイプとしては日本の「ザ・ヒットパレード」に出て来るような芸能界のアイドル歌手が、ビートルズローリング・ストーンズ以降のエレキギター主導のロックンロールを歌う、といったものだ。まだ、この当時、ブラジルでロックバンド編成はないわけではなかったが、主流にはほど遠かったのだ。

ここからは、ロベルト・カルロスエラズモ・カルロスの男2人に女の子のヴァンデルレアの3人がひときわ人気者となったが、とりわけ爆発的人気を誇ったのはロベルト・カルロスだった。彼は60年代のブラジルでのヒットチャートを英米からのロックやソウルの影響を受けた楽曲で独占し、ビートルズのように自身の主演映画が作られるほどの人気者だった。70年代以降はバラード路線に展開しレディキラーとして生き残り、今日に至るまで、「ブラジルのエルヴィス」のような立ち位置で、サッカーのペレと並ぶ「音楽界のレイ(王)」としてブラジル芸能界の重鎮となっている。なにせ、70歳を超えた2012年にまだヒットチャートの1位を出せたほどだ。

Roberto Carlos 「Quero Que Va Tudo Pro Inferno」


Roberto Carlos 「Eu Sou Terrivel」


この「ジョーヴェン・グアルダ」は当時の若者の楽天的なライフ・スタイルを映し出した番組として知られていた。ただ、軍事政権に対し何らの反抗もしなかったために、特に政治色を強め左翼化したボサ・ノヴァ勢からは「無思想な音楽」として批判の対象となり、その側面からネガティヴに捉えられることも少なくなかった。だが、この番組は、後のロック派から「若者の本音を表現した」「英米のロックのトレンドをいち早く消化して紹介した」などの観点から今日でのブラジルでの評価は決して低くない。とりわけ当時のロベルトとエラズモの両カルロスの作品は評価が高く、中にはロニー・ヴォンのように「サイケデリック・ロックの先駆」とも称されるカルト傑作アルバムを作り上げるアイドルまで出たほどだった。

Ronnie Von 「Meu Novo Cantar」


激動と混沌のMPB時代とトロピカリア

この「ジョーヴェン・グアルダ」によるロックンロール・アイドルのブームの一方で、自作自演系のアーティストや作曲家、実力派シンガーたちが、より本物志向の音楽をコンテスト形式で争うテレビ番組もあった。それが「フェスティバル・ムジカ・ポプラール・ブラジレイラ(FMPB)」で、この当時の主要TV局のほぼ全てでこの番組が放送されていた。

「ボサ・ノヴァの歌姫」のイメージが一般的に強いエリス・レジーナは、実はボサ・ノヴァ・ブームが去った1965年のこの番組での優勝者として、人気に火がついた。また、エドゥ・ロボジャイール・ロドリゲスナナ・カイミジェラウド・ヴァンドレ、そして後に大物となるシコ・ブアルキミルトン・ナシメントもこの番組の出身者だ。こうした才能がこの番組の音楽を活性化させたことは言うまでもないが、彼らは同時に血気盛んな若者でもあったため、同番組は次第にプロテスト・ソングの発表の場としての機能も帯びて来る。

Ellis Regina 「Arrastao」


そして、その中で最たる象徴となったのが、北東部の伝統的な文化都市、バイーア州サルヴァドール出身の2人、ジルベルト・ジルカエターノ・ヴェローゾだった。2人は共に1967年の同コンテストに出演。前者は、ブラジル初の本格的サイケデリック・ロックバンド、ムタンチスを従え「日曜日の公園」で2位、後者は強い皮肉の利いた強い意志のプロテスト・ソング「アレグリア、アレグリア」で4位に入賞。コンテストの話題をさらった。

Gilberto Gil 「Domingo No Parque」


Caetano Veloso 「Alegria,Alegria」


そして、このジルとカエターノがやったのはそれだけではなかった。1968年5月、2人は当時の気鋭のアーティストを集め、怒れる若い世代の新しい才能をひとつのアルバムの中で開花させようとした。そこには2人の他にムタンチストン・ゼーガル・コスタナラ・レオンらが集結し、卓越したアレンジャー、ロジェリオ・ドゥプラの手腕も手伝い、ビートルズの「サージェント・ペパーズ」を南米で突然変異させたかのような高い熱量のオムニバス・アルバムが出来上がった。その『トロピカリア』というアルバムは、ボサ・ノヴァの政治精神とロックの革新性を結びつけ(それまで両者は相反するものとして解釈されていた)、新しい時代感覚を示した。そして、こうした海の外からの影響を真正面から受け止めつつも、同時に「自分たちブラジルのオリジナルを新たに作ろう」という気概にも満ちていた。同作のアルバム・ジャケットが、1922年に当時の芸術家や作家たちが起こした「ブラジル現代アート週間」の際にとられた写真のパロディであったり、最新のロックを意識しつつも、カルメン・ミランダのサンバのリズム感やブラジル北東部の伝承音楽家のルイス・ゴンザーガなどからの影響も取り入れたものであったりしているのもそれが理由だ。



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このアルバムは大ヒットを記録し、また同時に、カエターノ、ジル、ムタンチスらは、この『トロピカリア』後の影響が色濃く出た各々のアルバムを次々と発表。これらの作品は、「先進的なサイケデリック・ロック作」として、ブラジル国内のみならず、アメリカをはじめとして世界的に、今日に至るまでカルト的な評価を集め続けている。

Os Mutantes 「Panis Et Circenses」


この流れは、1968年12月に軍が採択した「軍政令第5条(AI5)」により、不満分子に対する取り締まりが激化したことで潰しにかかられ、その結果、カエターノ、ジルもロンドンへの亡命を余儀なくされ、音楽家たちの作品発表の際の検閲も激しいものとなった。

だが、こうした新しい波から生まれて来たアーティストたちの創造性が息絶えることはなく、彼らを生み出して来たテレビ番組名でもあった「ムジカ・ポプラール・ブラジレイラ」の名称は、そのイニシャルをとって「MPB(エム・ペー・ベー)」として、その後もブラジル音楽の存在を象徴的に指し示す言葉として使われ続けることとなる。

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