親の顔が見てみたい - 脱構築教育の最高傑作としての小保方晴子

長く生きていると、世の中というのはどんどん変わる。10年、20年経つと、社会の外形や風景は同じでも内実は相当に変容してしまっている。まして、30年、40年経つと、変質していない方がおかしいのだ。日本国憲法はある。条文は何も変わってない。しかし、憲法の実態というか、この国の法制度の中味は大きく変わり、国防と治安法制の現実を見れば、そしてまた、NHKやマスコミの報道を見れば、この国が日本国憲法が生きていない国であることは一目瞭然だ。むしろ、エリートとして国家や組織の要職にある者たちは、両陛下を除き、現行憲法を真っ向から否定し、憲法の理念とは正反対の思想を担いで生きている人々だ。この国には<裏の憲法>が生きている。<裏の憲法>が各実定法を制定させ、教育や外交や他の行政を方向づけ、マスコミの報道と言論を拘束している。30-40年前は、不完全ながら憲法が生きている国だった。憲法の理想と精神を支える人たちが、多くの現場にいて、若い私たちを見守り育ててくれていた。30-40年前と較べて、地上に生きる人の内面がすっかり変わり、価値観が変わり、嘗ての常識が常識でなくなっている。そのことを、今回の小保方事件は痛感させられる。昔であれば、かかる不正事件の発覚後、これほどの同情論が噴出することはなく、擁護派が多数を占めるということはなかった。小保方晴子がヒロインとして世間の支持と共感を集めるという社会現象は考えられなかった。

この擁護論の横溢と跋扈は、単に判官贔屓の日本人の心性では説明できない。昔だったら、この不正は厳しく糾弾された。本人も断罪されて厳罰を受けたし、関係者や理研幹部も引責させられ、科技庁と文部省が乗り出して不正の全容を調査した。それをマスコミが報道した。過熱した騒動になり、週刊誌やワイドショーのネタになった点は同じだろうが、擁護派が大勢の状況になったなどということは考えられない。どういう展開になったかと想像すると、おそらく、一般の刑事事件のように、小保方晴子の家庭環境はどうだったのかという方向に関心が集まり、両親に取材陣が殺到し、ワイドショーと週刊誌で話題になっただろう。常田聡もマスコミのカメラに追い回されただろう。バカンティも批判的に取材され、大和雅之も雲隠れしたままでは済まなかった。例えば、田丸美寿々のような者がボストンに飛び、バカンティの欺瞞を暴き、小島宏司と小保方晴子の接点を解明するジャーナリズムを営為したに違いない。弁護団のあのような詭弁まみれの文書がまかり通ったとも思われない。社会からの反発と非難は必至だった。この事件に直面して、幾つかの不在と欠如を感じ、ソクラテスと立花隆の名前を挙げた。もう一つある。それは、「親の顔が見てみたい」という本音の一言だ。正直なところ、私は無性に母親である小保方稔子の顔を見てみたい。年齢は幾つなのだろう。 この碩学の心理学者は娘の問題をどうコメントするのだろう。

一部報道によると、4/9の会見で小保方晴子が着ていた紺色のワンピースは、母親が持参したものだと言う。衣装とメイクの作為と工夫も、謝罪会見の骨子も、弁護団の「不服申立書」の趣意と構成も、その弁護団の人選も、母親の関与と助言があるのではないかと推測される。理研に対して真っ向から戦う姿勢を演出して、世間の同情と支持を集める戦略を考案したのも、その勝算を周到に計算したのも、本人以上に母親の知恵なのではないのか。深読みはいけないが、ここまでの小保方晴子の反撃作戦の一挙一動は、30歳の女の子の単独の企画と行動としては出来すぎで、背後で誰かがサポートしていると考えるのが自然だろう。もし、小保方晴子の戦略を設計しているのが母親であったとすれば、これまでのところ、理研vs小保方の構図に見事に持ち込んで、世間の多数の同情を惹いた彼女の計略は見事に成功していると言える。現状では、理研は小保方晴子を懲戒解雇できない。トカゲの尻尾切りの図式になってしまっている以上、世間は理研叩きに染まっていて、野依良治や笹井芳樹が安泰でありながら、若い小保方晴子一人に責任を押しつけることなど許されない空気だ。また、擁護派を中心に、とにかく世間は「STAP細胞の有無」に夢中になっていて、小保方晴子に実験を再開させろという声に溢れている。論文不正の処罰なんていいから、本人にSTAP細胞の作製をやらせろという言い分が圧倒している。

これについても、弁護士の(あるいは大和雅之の)入れ知恵はあったかもしれないが、その路線を決定づける主因となったのは母親ではないか。世間に「STAP細胞」の幻想をふりまき、「STAP細胞」の真偽に関心を集中させ、「STAP細胞」の可能性を膨らませる形で、主役であり作製者である小保方晴子の可能性に期待を集めさせること。捏造だ改竄だの不正の問題は、すっかりどこかへ消えてしまった。真っ黒であるはずの小保方晴子は、逆にピカピカと光り、全身に後光が差し、科学の世界では致命的な不祥事が、未熟者だからよくある些細な不注意の失敗に化けてしまっている。自分が小保方晴子の親の立場だったら、一体どうしただろうかと思う。母親は、こうして弁護士を構えて正当性を言い張り、理研と徹底抗戦するという行動を財力で支援することもできた。逆に、本人を諫めて、謝罪をさせ、全ての不正を認めさせ、実験過程の真実を告白させ、「STAP細胞」が幻想に過ぎないことを認める発言をさせることもできた。後者を選択すること、させることは、まさに本人が科学の世界で生きていけなくなることを意味し、社会から罵倒を浴びせられ、屈辱的な人生を背負うことだ。けれども、そうやって、犯した過ちを自ら認め、反省することで、30歳の若い人間は立ち直りの活路を見出し、新しく再生することができる。親として二つに一つだったと思うのだ。どちらを選ぶかなのだ。それは今でも同じなのだ。母と子の前にあるのは二つに一つの決断なのだ。

冷静に考えれば、破滅は必ず来ることが見えている。佐村河内守と同じカタストロフとラストが訪れることが分かっている。この種の社会事件は曖昧には終わらない。渡辺美樹のような中途半端な幕引きにはならない。「パンとサーカス」の庶民はドラマの派手な結末を待っている。問題が論文不正から「STAP細胞」の実験に及び、実験過程が検証されることになった以上、破局が来たときの規模と衝撃は、ほとんど想像を絶するものがある。後で、あのとき素早く、論文不正の段階で過誤を認め責任をとっておけばよかったと、そう後悔することになるに違いない。今、小保方晴子を「悲劇のヒロイン」に祭り上げて喝采し、マスコミが悪い、理研が悪いと気炎を上げている無知な野次馬たちは、そのとき、掌返しで小保方叩きに一転し、裏切られたと言い、狂ったようにバッシングの暴走を始めることだろう。さて、母親の方に関心が向かって前置きが長くなったが、問題は多数派を占める擁護論の精神構造である。私の仮説は、耳にタコで恐縮だが、脱構築の相対主義に秘密があるというものだ。まず、若い世代は、90年代以降の学校教育で、脱構築の相対主義を最強の真理として徹底的に仕込まれている。何が正しいか答えは一つではない。これが正しいと誰かが言ったら、それは疑ってみよう。Aが正しいかもしれない、Bが正しいかもしれない。いろいろ正しいと言い合うのが、本来の社会のあり方だ。こんな具合に正義と善に対する懐疑の励行を教師から指導されている。

だから、若い世代は相対主義の認識と態度こそ正当なものだと信じている。一つの理念や理想へのコミットはよくないのだ。誰かがこれが正しいと強く主張し、不正を批判し始めたら、それは違う、正しいのは一つとは限らないと言い返し、あれこれ理屈をつけるのが学校の成績で満点を取れるあり方なのである。相対主義を生徒に教え込むことが、90年代以降の日本の教育だったのだ。脱理念、脱理想、脱信念、脱正義、脱責任、脱規範。それが、この30年間の日本の教育の根本思想だった。つまり、ソフィスト主義の教育が徹底して行われたのであり、日本の若者にとってソフィストこそ本来の自由な哲学で、ソクラテスは忌み蔑むべき敵の教条主義なのだ。不正は頭から憎んではならず、不正にも動機や理由があり、絶対的な正義などなく、正・不正は相対化できるものであり、これが正義だと振りかざして誰かを非難する方が間違っている。それが正義かどうかは根拠を怪しむ必要がある。そういう思考を訓練された。だから、若者世代は小保方晴子という対象に生理的な拒絶反応がない。「不正を憎む心」よりも「正・不正は相対的なものと捉える心」の方を涵養されている。相対化の弁証を上手にできた生徒が教師に褒められ、優秀だとされたのだ。彼らにとって「不正を憎む心」だとか「知は善の生き方のため」とするソクラテスの倫理は、古臭い過去のドグマの残骸であり、終わった考え方であり、歴史の中で敗北して退場した思想なのだ。こう教育されて、日本の若者は「空気を読む」生き方の人間となった。

で、この思想を身につけたのは、勿論、教育を受けて育った子どもたちだけではなく、大人たちである。大人たちが相対主義になったから、子どもたちへの教育が変わった。つまり、大人たちが転向したのだ。ソクラテスからソフィストの思想に転向した。ソクラテスの徒だった者たちが、いつの間にかソフィスト主義者に変わり、子どもたちに相対主義の神に仕えよと教育をしている。言うまでもなく、ソクラテスとは戦後民主主義の思想と教育の代名詞である。吉野源三郎と丸山真男だ。マルクスとウェーバーの戦後社会科学である。日本人はそれを捨て、脱構築主義(相対主義の宗教)に転向した。大人たちも「空気を読む」生き方をしている。相対主義だから、場の「空気を読む」ことが何より重要だから、憲法など紙切れだし、学術研究倫理ガイドラインも紙切れなのだ。ルールはその場のシチュエーションで決まるもので、その場その場の人間関係とコミュ力で従うべきルールが決まるのである。憲法も、学術研究倫理も、個人の内面にインストールされるものではなく、個人の行動を律する規範ではなく、ただのタテマエの飾り文句に過ぎないのだ。この事件に関心を持って追いかけている者は、大和雅之と栗本慎一郎の関係という事実に行き当たっている。大和雅之が何者なのかに興味を持ち始めている。脱構築が小保方晴子と無縁ではないのは、そういうところからも臭いを嗅ぎ取ることができる。結論を言うのはまだ早いが、私なりに直観を早漏すれば、小保方晴子は日本の脱構築教育の最高傑作なのである。こういう人格を大量生産してしまった。

社会の中で最も高度な倫理が必要とされるエリート層で、小保方晴子が無数に蠢いている。最後に、蛇足ながら、小保方晴子の近辺についてはネットでもほとんど情報がない。昔と較べてプライバシーが重視される社会になり、個人情報が尊重され、そこへのアクセスが慎重になった。記者たちが自粛している。それは、個人の人権の観点からは結構なことで、大いに歓迎されることだ。だが、奇妙に思うこともある。渡辺喜美の一件では、DHC会長の吉田嘉明の写真が一度もマスコミに出なかった。ネットにも上がっておらず、われわれは尊顔を拝していない。が、それが果たして許されることで、堂々まかり通ってよいことなのだろうか。人権は尊重されている。けれども、社会正義は尊重されていない。私はそう思う。この社会における人権と正義のアンバランスを感じる。例えば、こういうことがある。先日、百貨店で買い物をしたら、レシートにレジ担当者の氏名が印刷されてあった。売り場の販売員がネームプレートを付けていて、そこに本名があるのはよく見るが、個人情報全盛の時代に、こんなことまで強制されるのかと、そう思ったのである。他にも、ホテルの部屋の清掃員とか、ビルのトイレの清掃員とか、「私が掃除しました」と本名を書いたプレートが洗面所に置いてあったりする。私はあれを見るのがイヤだ。立場の弱い者、末端で働く者には、個人情報の全面公開が強制され、厳しい責任の引き受けが強いられている。逆に、大手企業の電話相談室みたいなところに電話をかけ、商品やサービスのクレームを言うとき、相手は名前を明かそうとせず、「個人情報です」とリーガルを楯にして責任を回避する。

それが許される。立場の強い者には「個人情報」の法的なカバーとプロテクトが行き届くのだ。昔はそんなことはなかった。マスコミの取材の行き過ぎはあったが、こんな権利の不平等はなかった。小保方晴子の両親は、顔を出さなくていいのだろうか。



by yoniumuhibi | 2014-04-15 23:30 | Trackback | Comments(5)
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Commented by かまどがま at 2014-04-15 19:02 x
集団的自衛権もそうですが、理念などどうでもいい、口がうまい奴が上手に言い逃れればそれで通る世の中になってしまったのでしょうか。

企業の相談室の電話の担当者が匿名なのは、そもそもその企業で電話を受けずに沖縄や北海道のコールセンター専門の会社で電話を受けていることが増えています。その企業と関係ない安価な地元時給のコールセンターで企業が直接電話を受けているようなマニュアルで受け答えをするパートタイムの仕事があります。内容だけを本社にレポートする。大企業の社員は顧客からのストレスの多いクレーム対応からも解放されている。

Commented by 港島太郎 at 2014-04-15 21:33 x
ずっと抱いてきた違和感の正体がわかった気がします。

小保方本人の男女関係や些細なプライバシー情報は垂れ流されている一方で、家族関係や家庭環境、成長過程に踏み込んだ報道が一切なされない。

これはエリートたる小保方に限らず同様の事件を起こした佐村河内もそうで、所属事務所や関係者、家族への追跡取材のひとつも行われない。本人から周辺へなぜか取材が広がらない。社会が生んだ病理に対して社会の病根を問う視点を、報道が喪失している。

酒鬼薔薇事件や宅間守事件では社会はまだ事件当事者としての家族に対する関心があって、メディアも執拗に追跡して追い詰めたはずだった。

理研に対する世論の感情もそうで、理研は小保方の責任をなすりつける先としてしか理解されておらず、小保方の事件を産んだ現場たる研究室スタッフへの聞き取りや張り込みなどの取材は一切ない。現場は神戸であるはずなのに、ここ神戸にいてメディア表層の狂騒と現場の静けさのあまりのギャップにただただ戦慄を覚えるのだ。
Commented by 梅子 at 2014-04-15 22:08 x
小保方の母については小保方が記者会見で着ていた服が母からの差し入れであったと聞いたときから考えが変わりました。もはや小保方の共犯者でしかなく、「この親にしてこの子あり」を地で行く存在になった。私立大学で心理学を教えている傍ら、スクールカウンセラーをしたり、講演会をしたりしているそうだが、少なくともスクールカウンセラーは辞任すべきであろう。私が自分の子どもが通う学校のカウンセラーであるなら、強くそれを望むであろう。
一部の小保方を神のように崇める小保方信者は、未踏の領域の研究に踏み込んだ小保方を凡庸な人間が理解できず云々と言っているのがいるが、笑止。
確かにそのようなことがないことはない。あまりに今までの常識と外れているため発表しても理解されなかったことが。
何も彼らがよく言うガリレオなど例に取らなくても良い。例えばfedex
創業者フレッド・スミスの話・・・(続く)
Commented by ヒムカ at 2014-04-15 22:16 x
バカンティ教授4月15日、「世界気管支学会議」(京都市)にて講演。
講演では、「STAP細胞論文」にも触れて、小保方晴子ユニットリーダーは単純ミスをしたに過ぎないと主張したという。そうして、小保方晴子に対して「ボストンに戻っておいで」と呼びかけたという。

以前私は、この問題はアメリカをまたぐ利権の争いが絡むと思う、と書いたけれど…はぁ~ん、である。
生命科学の研究は実利に直結するので、端から収益の権利化のために『STAP細胞』という名称で複数の特許を取得していたと思われる。

特許出願及びそれに続く審査段階の手続きに係る手数料、先行技術の定義が異なる場合を想定しての権利化を目的とする「出願、審査、及び維持料金」…アメリカ市場の吸血鬼は、その発明がまだ形をなしていないとしても高所から投げ縄打つように「億単位」の金額を投資すると聞いたことがあった(親しい知人が『ユーロ特許庁』で働いている)。時には1000億単位の金が動くというので驚嘆したものだった。

この度の「小保方晴子『STAP細胞』」問題は、実は、科学技術研究において、ことに「特許」問題において、いかに日本が後手に回っていて懸崖に立っているかを露わにしたものと思う。
Commented by 梅子 at 2014-04-15 22:16 x
(以下Wikipediaから引用)
創業者のフレッド・スミスが、イェール大学の経済学のクラスでハブシステムの原案をレポートとして提出したとき、教授からC(日本の大学では「可」相当)と評価された。しかし、そのハブシステムこそが、アメリカの広大な国土のほぼ全域でオーバーナイトデリバリー(翌朝配達)を可能にした。このレポートは、現在もフェデックスの本社に飾られているという。(引用終わり)
つまりイェール大学教授は天才フレッド・スミスのそれまでなかったハブシステムの概念のすばらしさを理解しなかったのだが、世の中そういうことはあり得る。
ただし、彼らがなぜ小保方の粗だらけで嘘だらけの記者会見を聞いて小保方をそのように常識外れの天才と思うのか凡庸な私には理解できない。
だから以前から薦めているように小保方は民間ファンドを立ち上げ、信じる人々は出資すればよい。それならどうぞご勝手に、という話である。
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