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朝日新聞社が7、8日に行った世論調査で、野田内閣の支持率が25%に下がった。不支持は、その倍を超える58%だった。消費増税、原発再稼働、環太平洋経済連携協定交渉参加、オスプレイ国内配備—。反対の強い政策をこれだけ進めれば当然だろう。
現在、民主党は衆院に会派として250議席を持ち、全議席の52%を占めている。これまた内閣支持率の倍だ。小沢一郎議員らが離党してもなお民主党が過半数を維持できるのは、2009年の総選挙で大勝し、全議席の64%、308議席を得ていたからだ。
ただ、09年の総選挙の時点でさえ、議席数ほど支持があったわけではない。民主党の得票率は小選挙区で47%、比例区は42%で、いずれも半分に満たなかった。議席数は得票率とはかけ離れたバブルだ。バブルを踏み台にして公約違反をゴリ押しするのはいかがなものだろう。
05年の郵政選挙は自民党がバブルだった。刺客を送り込み296議席を得たが、得票率は小選挙区47%、比例区38%だった。1位だけしか当選しない小選挙区制は、実は、半数に満たない民意を、あたかも過半数や圧倒的多数に見せかける制度だ。
今、難解な比例代表連用制の導入や、1票の格差を縮めるための「0増5減」が議論されているが、どれも小選挙区制を基本にしている。もう小選挙区制は廃止して、どの党も得票数に見合った議席数を持って丁寧に合意を目指す政治をして欲しい。(朝日新聞前橋総局長・高谷秀男)

先月、開業30年を迎えた東北新幹線に乗って青森市に行った。大宮から「はやて」で4時間。大学受験の時は、荒天で札幌行きの飛行機が欠航し、仙台駅から満員の特急の通路で青森まで数時間。船酔いに苦しみながら、今はない青函連絡船で津軽海峡を渡った。
一昨年、青森まで延びた新幹線の新青森駅は郊外にできた。在来線でひと駅、4キロ離れた青森駅は昔より小さく感じた。地元は国やJRに青森駅への乗り入れを強く求めたが、かなわなかったという。駅前から乗ったタクシーの運転手は「街中はますます寂しくなるね」。
新駅の周りに、商業施設はほとんどない。コンパクトシティーを掲げる青森市は「新駅は玄関口で、大規模な商業地にはしない」(都市政策課)方針だ。だが、いずれ出店が進めば市街地への影響は避けられまい。
前任地の新潟県上越市も、2014年度に金沢まで開業する北陸新幹線の新駅が郊外にできる。同市は城下町の高田市と、交通の要衝の直江津市が合併して生まれた。大型店が郊外にでき、街の拡散が進んだ。新駅周辺が開発されれば旧市街の衰退は歯止めがなくなる。
そうした地域に比べ、在来線と駅が一体で、二つの新幹線が乗り入れる高崎駅は、全国でも非常に恵まれた存在だ。県と高崎市は、駅東側に大型展示場や集客施設を造る計画を打ち出した。今以上に駅を生かせるかどうかを左右する事業になるだろう。上越新幹線は11月に満30歳になる。(朝日新聞高崎支局長・遠藤雄二)

夏の高校野球の県大会が7日開幕した。開会式は小雨の中、参加68チームが元気よく入場行進した。開会式で拍手が一番大きかったのは前橋市の小学6年生、八重樫航君が高校生に贈った応援メッセージだった。6年後の「第100回大会に出場したい」と高校野球への憧れを語った。
夏の高校野球は朝日新聞社が1915(大正4)年に全国中等学校優勝野球大会として始め、24年の10大会から甲子園球場が会場になった。第2次大戦で中止された年があったため、今年は94回大会だ。78年の60大会から1県1代表となり、毎夏、群馬球児が甲子園の土を踏んでいる。
この百年の歴史は生徒、指導者、関係者、ファンと、高校野球連盟、朝日新聞社が力を合わせて作り上げてきたものだ。夏を迎えるたびに、そう思う。今年も県高野連は役員を先頭に50人以上が大会の運営を担う。群馬の良き伝統として、理事OBも応援にかけつけ、グラウンド整備も厭わない。
審判員は全部で約90人。ほとんどがサラリーマンや自営業の方々で、みなさん、仕事の日程をやり繰りし、休みをとって球場に来る。ただし、仕事上は休日でも、強いられる緊張は並外れている。ミスジャッジは球児の将来も左右しかねない。審判にかかる重圧を考えると、本当に頭が下がる。
医療スタッフは約120人にのぼる。理学療法士、医師、養護教諭のみなさんで、やはり勤務を縫って当番につく。全国でも、これほど多数の医療関係者の協力を得ている地方大会は珍しい。高校野球のためにご尽力頂いている全てのみなさんに御礼を申し上げたい。(朝日新聞前橋総局長・高谷秀男)

1日朝、JR高崎駅の近くに蒸気機関車を見に行った。D51とC61がそれぞれ信越線と上越線の列車を引いて、同時に発車し、並走するというからだ。発車の40分ほど前、線路際に着いたが、すでに数百人のファンが集まり、カメラの三脚が並んでいた。
定刻、汽笛が響き、二つの前照灯が動き出した。黒煙をあげ、蒸気の音が徐々に迫る。そして動輪の金属音、懐かしい茶色の客車が続く。走り去った後は煙のにおいが残った。私が撮った映像を朝日新聞デジタルに載せたので、インターネットでご覧下さい。
ただ、電化区間のため、架線があって電柱が並び、汽車好きには、どうにも気になって仕方がない。撮影の邪魔にもなる。来年からは電化していない八高線でもSLを走らせたらどうだろうか。八高線は1970年までD51が走り続け、首都圏のファンが通った路線だ。
県内の非電化路線といえばもうひとつ、旧国鉄足尾線、わたらせ渓谷鉄道があるが、こちらはD51やC61は大きくて走れない。昔はC12という小型蒸機が走り、森繁久弥さん出演の映画にもなり、人気を集めた。栃木県の真岡鉄道が復活運転しているC12を借りたらどうか。
わ鉄の樺沢豊社長に尋ねると、やはり、そんなアイデアがあったそうだ。ただ、C12を走らせるにも橋や枕木の補修に2千万円かかるため諦めた。独力ではどうにもならない。郷愁に浸っていたら現実に引き戻された。(朝日新聞前橋総局長・高谷秀男)

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