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先日、高山社跡を訪ねた。藤岡インターチェンジから車で20分ほど行くと、谷間に大きな蚕室の瓦屋根が見えてくる。到着すると、3メートルはある石積みの上に立派な長屋門があり、奥が見通せない。門をくぐると、蚕室は外壁の改修の準備が始まっていた。
高山社跡は富岡製糸場と一緒に世界遺産登録の推薦が決まった。高山社は明治時代前半、清温育という養蚕法を開発し、全国に広めた養蚕教育機関。全国各地、中国、台湾、韓国からも実習生が集まった。後に別の場所で養蚕学校に発展し、1万人以上が出たという。
しかし、教科書に載っている富岡製糸場と違って、私は群馬に来るまでもちろん知らなかった。3年前に国の史跡に指定されてから県外でも知られるようになりはしたが、上毛かるたに詠まれているわけでもなく、群馬生まれの県民でも最近まで知らない人が結構いたはずだ。
藤岡市教委の寺内敏郎さんの説明を聞いて感心したのは、高山社がただ養蚕法を教えていただけでなく、カイコの卵「蚕種」を全国に売っていたことだ。育て方を習って全国に散った実習生や指導員のネットワークがものを言った。現代に通じるビジネスモデル、才覚を感じさせる。
高山社の創始者・高山長五郎は明治19年に56歳で亡くなった。一族とも言われる、現在の太田市出身の尊皇思想家・高山彦九郎は戦前、上毛五偉人とまで崇められた。今、長五郎の足跡はもっと知られていい。(朝日新聞前橋総局長・高谷秀男)

俳優の大滝秀治さんが亡くなった。群馬交響楽団をモデルにした映画「ここに泉あり」に彼が出演していたと聞き、この機にDVDで鑑賞した。彼は弦楽器奏者だが、早々に楽団に見切りをつけて出て行ってしまう役。台詞は3つ、4つくらいだった。
映画では楽団が県内を行脚し、学校や農村で演奏を披露する。満員の汽車やトラックの荷台に乗り、雷雨に打たれ、ぬかるみにはまったオート三輪を押す。会場では子どもが騒ぎ、老人が昼寝をする。練習場所は喫茶店の2階。給料は遅配。草創期の苦労はさぞやと思わせる。
9月に初めて群響の演奏会に行った。合唱付きの演目のため群響合唱団の家族の客が多く、演奏中に声をあげる子どもがいて、少し気になったが、楽団の生い立ちや環境を考えると目くじらを立てることもないだろう。むしろ合唱団員の高齢化の方が心配になった。
来春、指揮者の大友直人さんが群響の音楽監督に就任する。今月から5週に1回ほど朝日新聞の群馬のページにエッセーを寄稿して頂くことになった。初回の6日付は、一般に楽団では、楽譜が受け継がれ、歴史と伝統を刻んでいくという興味深い話だった。
オーケストラは東京に拠点を置く組織でも経営は楽ではない。クラシックファンの数が違う地方都市ではなおさらだ。おまけに群響の本拠地である高崎は新幹線であっという間に東京に行ける。戦争直後とは別の苦労が多いだろうが、豊かな泉を守り発展させて欲しい。(前橋総局長・高谷秀男)

前橋に越して来てしばらくの間、JR両毛線の新前橋・前橋間が単線だと気付かなかった。高架のため下から線路が見えず、高架の幅が複線分ある所ばかり目にしていた。前橋まで特急が走っていることも、複線と思い込ませた。総局員から真実を聞き、驚いた。
6月、台風4号が群馬県を縦断した時はダイヤがずいぶん乱れた。私は、妻を前橋駅に迎えに行って30分近く待たされた。台風は通り過ぎた後だったが、単線のため、平常ダイヤに復旧するまでの「平復時間」が複線よりも長くかかるそうだ。
前橋から東へ2つ目の駒形までは複線なのに、どうして西は単線のままなのか。JRは「利根川の橋に膨大な設備投資が必要だが、利用増が見込めない」と説明する。確かに、JRが公表している両毛線の2011年度の利用者は1992年度の4分の3くらいに減っている。
これでは単線で我慢するしかない。と思いかけたが、9月の県商工会議所議員大会の議案に、いい反論を見つけた。両毛線は首都圏の最外縁部を走る環状路線の一つだから、東京有事の代替輸送手段として複線化が必要という主張だ。確かに東京で大震災となれば、迂回の鉄道は重要だろう。
本格的な複線化となれば、相当な金額がかかるが、鉄道の公共性を考えれば、検討してもらってもいいはずだ。JR東日本の今年3月期の連結決算は売上高2兆5千億円、純利益1087億円。もうかって仕方がないのではないか。(朝日新聞前橋総局長・高谷秀男)

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