朝日ぐんまって?
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コラム 
記者の目
ジラード事件 [1月25日号]

 1月30日は、1957(昭和32)年にジラード事件が起きた日だ。榛名山の南東麓にあった米軍のキャンプウエア演習場内の「物見塚」付近で、薬莢を拾っていた農婦を、ジラードという21歳の米兵が射殺した事件だ。
 当時、薬莢は高値で売れ、危険を冒して演習場に入って拾う人がいた。しかし、彼が悪ふざけで故意に撃ったことが判り、大問題になる。国会で取り上げられ、罪名や日米の捜査権・裁判権を巡る論争が広がった。結局、彼は前橋地裁で傷害致死罪、懲役3年執行猶予4年の判決を受け、その年の12月、日本人妻と米国に帰った。
 先週、物見塚を訪ねた。今は民有地で、すぐ隣が自衛隊相馬原駐屯地だ。標高は600メートルほど。辺りは20センチくらい雪が積もり、事件の起きた地点を示すものは見つけられなかった。何かの作業所があったが、その日は無人。真っ青な空の下で、時折、雪が木々の枝から落ちる音が聞こえるだけだった。
 あれから56年、事件は遠い歴史になってしまった。帰途、近くの店に立ち寄って、事件を知っているかと尋ねたが、30代とおぼしき男性店員は「いやあ」と首をひねるばかりだった。地元で働く人でもこうだから、たぶん県内の若い世代はほとんど知らないだろう。
 しかし、全国を見渡せば、米軍人の犯罪は今も各地で繰り返されている。沖縄、横須賀、佐世保—。事件のたびに同じ疑問が頭をもたげる。日本に外国軍隊が駐留する必要が本当にあるのだろうか。(前橋総局長・高谷秀男)

 

伝える配慮 [1月18日号]

 先日、前かがみで洗顔中にせきが出て軽いぎっくり腰になった。高崎市内の整形外科で治療を受け、10日ほどして落ち着いた頃、治療スタッフに「腰のコルセットは、着け続けると良くないですよ」と言われた。3年ほど前から腰を支えるコルセットを常用していた。
 前任地の新潟県上越市で取材中に腰を痛め、医師からコルセットを渡された。以来、日中は着用するものと思い込んでいた。だが治療スタッフによると、コルセットに頼り過ぎると腰回りの筋力が落ちてしまうという。
 高崎と新潟の両医師に確認すると、ともに、私の場合は「痛みが引いたら、朝の洗顔時や重いものを持つとき以外はしなくてもいい」という。着用期間を自分から確認すべきだったし、医師にも丁寧に説明して欲しかった。
 直接話していてもこうだから、デジタルの世界では情報の過不足や誤解が生じやすい。先日も、知人からの電子メールに午前か午後の記載がなく、確認に手間取った。逆に読み手が苦労しそうな長文を送ったり、もらったりすることもある。メールチェックもひと仕事で、うっかり削除したり、見落としたり、もある。
 メールが一般的でなかった頃、同僚や先輩記者にFAXを送った後、「届きました?」と電話で確認していた。記録が残る今、そこまでの必要はないにしても、重要なことは口頭で伝えたり、メールのタイトルを工夫したり、伝える側の配慮が必要だと改めて感じている。(高崎支局長・遠藤雄二)

 

駅伝の正月 [1月11日号]

 正月を前橋で迎えた。元日は恒例のニューイヤー駅伝をスタート、ゴールとも沿道で観戦した。昨春、引っ越してきたばかりだから、もちろん初めてだ。1位は独走だったが、ゴール直前まで激しい2位争いが繰り広げられ、思わず「頑張れ」と大声をあげた。
 2日、3日はテレビで箱根駅伝を観た。高崎高出身、法政大の関口頌悟選手が上り坂の5区で8人抜きの快走を見せて、我が家の茶の間も盛り上がった。上武大は振るわなかったが、タスキをつないで完走した。練習を重ねて、次回の飛躍を目指して欲しい。
 それにしてもニューイヤー駅伝は箱根に比べると影が薄い。歴史の長さが一番の理由か。箱根は今年で89回、ニューイヤー駅伝は57回だ。年越しで夜更かしする人には元旦スタートが馴染みにくいかもしれない。箱根は東京発着で海あり山ありというのも有利だ。 ニューイヤー駅伝は、どこが舞台かもあまり知られていない。群馬開催になって20年以上経つが、私の周りには群馬に来て初めて知ったという人が多い。正式な大会名には地名がないし、通称は長いので、最後に「inぐんま」と付けたところで、誰もそこまで口にしない。
 群馬でも、赤城でも、もっと印象づける手はないものか。県はこれまで共催者として大会開催に様々な貢献をしてきた。今年は県勢のSUBARUが初めて入賞した。これを機に、例えば「新春ぐんま駅伝」に通称を変えてもらってはどうか。(朝日新聞前橋総局長・高谷秀男)

 

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