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高校教諭とわが子と入学式

 高校の教諭が、自分が担任を受けもつ生徒たちの入学式を欠席し、自分の子どもの高校の入学式に出席したということで、物議を醸している。私のフェイスブックやツイッターのタイムラインを見ていると、「わが子の入学式に出席して何が悪い。そういう親心がわからないようなら教師の資格はない」みたいな論調が強い。私の知り合いは基本、育児に熱心な人たちが多いからだろう。その延長線上で考えると、私を知る多くの人は「おおたなら当然、わが子の入学式を優先するだろう」と思っているのではないかと思う。しかしあえていう。今回のケース、私なら息子の入学式には出席しない。

 とはいえ、まず前提条件がわからない。もしかしたら、この高校教諭はシングルマザーなのかもしれない。この高校教諭のお子さんは、中学で不登校を経験し、高校入学を機に新しいスタートを切ろうとしているのかもしれない。あるいは極端な話、余命幾ばくもないという状態かも……。であれば、判断は変わるだろう。それなのに、問題を一般化してしまって、当事者でもないのに、高校教諭を非難したり、それに注意を与えた教育長を非難したりというのは、自分の立場だけに立脚した感情論でしかないと私は思う。

 しかも「入学式の担任紹介の中で校長が女性教諭の欠席理由を説明。女性教諭は『入学式という大切な日に担任として皆さんに会うことができないことをおわびします』という文章を事前に作成し、当日、別の教諭が生徒らに配った」というのだから、誠意は伝わる。何かの事情があって、熟慮の上の決断であったことがうかがえる。私も『オバタリアン教師から息子を守れ』なんていう過激なタイトルの本をつい先日出させていただいたばかりだが、今回のような状況で、一概に教員を非難する気にはなれない。

 ただ、私が、今の家庭状況のまま、その教員の立場になったとしたらどうするか、結論は前述の通り、息子の入学式には出席せず、勤務先の入学式に出席するということだ。私が、わが子のハレの日には万障繰り合わせて出席するタイプであることは、私のことを知っている人なら、誰でも知っていることだろう。たった今も、「6月の講演の時間、早めの時間帯に設定していただけるとありがたいです。ちょうどその日、娘のバレエの発表会だってことがわかったので、すみません。無理なら気にしないでください」と担当者にメールを出し、調整に成功したばかりである。にもかかわらず、今回のような状況であれば、私は勤務先の入学式を優先すると思う。

 判断の前提として、幼稚園や小学校ではなく高校の入学式であること、そして私が参加できなくても妻が参加してくれることという2点があっての判断だ。幼稚園や小学校であれば悩むと思う。子ども本人も、パパにも来てほしいと願うだろう。でも中学生や高校生になるのであれば、父親にも仕事があるということは理解できるはずだ。そして子ども自身が、父親が入学式に来ていないとそれほどさみしいとは思わないだろうと正直思う。その前提として少なくとも妻が入学式に参加できるのであればということになるのである。もし私がシングルファーザーであったり、妻がいても仕事で息子の入学式にはでられないとう状況であれば、もっと判断は難しい。そのときの親子関係や職場の雰囲気など、さまざまな変数を考慮に入れて決断をするだろう。そのときになってみないとわからない。

 逆に、妻が息子の入学式に参加できるというのであれば、「あーあ、重なっちゃった」とは思いつつも、それほど気にせずに、勤務先の入学式を選択するだろう。理由は、息子ならわかってくれる自信があるからだ。どうしても仕事と入学式が重なってしまって調整が付けられないというのであれば、それを説明すれば息子もわかってくれると思う。きっと「オレより仕事をとった」とはいわない。「いいよ、母さんが来てくれるんでしょ」とあっさりいってくれるのではないかと思う。妻も苦渋の決断を理解してくれると思う。強固な信頼関係があるから。

 でも、入学式で初めて出会う子どもたちや保護者は、私がどんな人間かを知らない。だから「生徒より、わが子をとった」といわれてしまってもしょうがない。私の事情をいくら説明してもクラスのみんなが理解してくれるとは限らない。期待に胸を膨らませて臨んだ入学式でいきなり担任が欠席ではがっかりするのは当たり前。しかも理由がわが子の入学式に出るためだと知れば、複雑な気持ちにはなる。それは仕方のない感情だと思う。そしてそのネガティブな感情をフォローするのはきっと容易ではない。

 だから私は、今回のようなケースであれば、担任としての職務をわが子の入学式よりも優先させるだろう。クラスのみんなやその保護者に自分の事情を理解してもらうよりも、わが子に父親の事情を理解してもらうほうがはるかに楽であるからだ。そして担任として職務に就きながら、「今ごろ息子も同じようにやっているのかな」などと思い、ほくそ笑むことだろう。目の前の生徒たちと息子がオーバーラップして、それを見守る保護者たちの気持ちにも痛いほどシンクロして、普段よりなお一層気分が高まりさえするかもしれない。

 ただし、ただ単に「オレは仕事に行く」と息子に告げるのではない。「キミは高校の入学式を楽しみにしているだろ。どんな友達に出会えるのか、どんな先生に出会えるのか、ドキドキするだろう。でもそこで、担任の先生がいきなり休みだったらちょっとずっこけるだろう。同じ気持ちを父さんの生徒たちに味わわせたくないから、父さんは仕事のほうの入学式に出たいと思うんだ。キミの入学式の現場に父さんがいなかったとしても、キミの入学をどれだけ父さんが喜んでいるかは、キミは十分わかっているよね。帰ってきたら家族でお祝いしよう。そのときに母さんからキミの入学式の様子を詳しく聞かせてもらうよ。いいかい?」と説明すると思う。絶対にわかってもらえる自信がある。仮に息子が多少さみしい思いをするとしても、親子であればいくらでもフォローする方法はある。正直なところ、堅苦しい式典の類が嫌いな私としては、「結婚式やお葬式ではなく、たかが入学式だし。行かなくても死ぬわけじゃないし」という本音もある。(もし、高校入学時点で親子関係があまりに複雑になっていたら、判断はこの限りではない。もしかしたら、息子の入学式を優先せざるを得ないかもしれない。そしてもし、息子の余命が幾ばくもないというような状況なのであれば迷わず息子の入学式を優先させてもらうに違いない。)

 つまり、息子の入学式を欠席しても私たち家族に実害はない。しかし勤務先の入学式を欠席すれば、新しい生徒や保護者を不安にさせてしまったり、場合によっては不愉快にさせてしまったり、その結果として信頼関係がマイナスからのスタートとなってしまったりという実害が生じる可能性がある。だから、私だったら担任として入学式に出席するほうを選ぶだろうと思うのだ。

 今回のようなジレンマに陥ったとき、感情と理屈がこんがらがるとみんなが納得できる解は得られない。Aという選択をしたときにどんな実害があるのか、Bを選択した場合はどうか。冷静に見極めて、どちらのほうがリカバーしやすいかを判断しなければならない。それが第一の判断基準になると思う。一方で、Aという選択をしたときに誰がどんな感情になるのか、Bを選択した場合にはどうかということも、考え合わせなければならない。そして感情面での問題が生じるのであれば、どうリカバーすればいいのか、作戦を立ててから選択をすべきである。

 そして、もう一つ、論点を提示したい。仮にその高校教諭が、シングルマザーであったとしたら、息子にひとりぼっちの入学式に行かせることを回避したいという気持ちになるのは当然だと思う。では、その延長線上で考えてほしい。もし、その高校教諭には夫もいるとする。しかし夫は仕事で息子の入学式に出席できないのだとする。母親が参加しなければ息子はひとりぼっちの入学式ということになってしまう。それで今回のような事態になってしまったのかもしれないということだ。仮定の上での仮定の話になってしまうのであるが、もしそうだとしたら、夫が仕事を休めば良かったじゃんという話になる。だとすれば、非難されるべきは、高校教諭ではなくその夫のほうかもしれないし、もしくはそもそもその夫の職場環境および上司が悪いのかもしれないということだ。

 ま、実際の状況がわからないし、犯人捜しをしてもしょうがない。ただ、ワーキングマザーとしての女性教師が、母親としての立場とビジネスマンとしての立場のどちらを優先するかというよくあるジレンマを突きつけられてしまったのかもしれないという視点は忘れてはいけないと思う。これは共働きの子育て夫婦ではよくある状況だ。子どもの行事に仕事が重なった場合、暗黙の了解で母親が仕事を犠牲にしなければならないことがまだまだ多い。今回もしそれと同じ状況であったのなら、問題の本質は、「担任としての立場と親としての立場のどちらを優先するのか」という問題とは別の次元にあることになる。共働き夫婦の役割分担とか男女の働き方という次元の話になるのである。もちろん、今回のケースではもしかしたらその高校教師は夫婦そろって息子の入学式に参加したのかもしれないけれど……。

 「生徒よりも、わが子の入学式を優先することは、ありかなしか」とか、「仕事とわが子の入学式とどっちが大事か」みたいな雑な問いを立てれば、賛否両論を煽ることはできる。しかしそれではなんの解決にもヒントにもならない。表面的な報道を見てにわかに「白か黒か」「YESかNOか」「右か左か」を宣言することよりも、犯人捜しをすることよりも、このようなことが生じた背景にどんな状況があったのか、想像力を膨らませることが大事ではないか。状況によって当然判断は変わる。「そのとき自分ならどうするか」、それを各々考えればいいのではないか。

 玉虫色の結論でごめんなさい。だって世の中、白か黒かではなく、玉虫色だから。

 個人的には、今回の件で渦中の人となってしまった高校教諭のその息子さんというのが気の毒でならない。ただ、自分が入学式に親と一緒に出ただけなのに……。もしかしたら「僕のせいで母さんが……」と思ってしまっているかもしれない。ここでいっても届かないとは思うが、いっておく。「少なくとも、キミはなんにも悪くない」。

 最後にもう一つだけ。大学生のころ、担任のアメリカ人の先生がいった言葉を今でも忘れない。「僕は授業中に寝ている人がいても大勢の前で叱ったりはしない。もしかしたらその学生の家に、夜中に急な来客があったのかもしれないし、夜通しお婆さんの介護をしていたのかもしれない。もしそのような事情があったとしても、その学生はみんなの前で、ごくプライベートなことまで言い訳として話したりはしないだろう。それはフェアではない。居眠りが続くようなら個別に、問題はないか聞くことはするが、みんなの前で叱ったりするようなことはしない」。正しい考え方だと思う。今回の件、これだけ大ごとになってしまったのは式に参列した県議会議員が翌日のツイッターだかフェイスブックだかで憤慨をぶちまけたからだろう。今回の件で、私がいちばん疑問に思うところは、この県議のやり方である。状況を把握して、適切な対処をとりたいのであれば、もっと賢い方法はあっただろうに……。

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