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Knight's & Magic 作者:天酒之瓢

第2章 魔獣襲来編

#21 陸皇討伐

 舗装された東フレメヴィーラ街道の上ではなく、街道沿いの森の中を数騎の騎馬が駆けてゆく。
 この騎馬はヤントゥネン守護騎士団の斥候部隊だ。
 本隊に先駆けてクロケの森を偵察し、目標である陸皇亀ベヘモスを確認することが目的だった。
 街道からそれて暫く進むと、一層木々の密度が上がる。
 クロケの森と呼ばれる場所は馬車ならば街道から半日ほどだが、単体の騎馬ならば更に短い。
 学生達との遭遇時よりベヘモスの位置がさらに街道よりになっていた為、斥候部隊はさほど時をかけずに本隊へと帰って来た。

「そうか、もはや目と鼻の先と言ってもいいが……街道まで来ないのはありがたいな」

 斥候からの報告を聞き、ヤントゥネン守護騎士団長であるフィリップ・ハルハーゲンは唸る。
 ベヘモスの進攻具合によっては街道上での戦闘も覚悟をしていたが、その心配は無さそうだ。
 そして斥候からもう一つの報告を聞き、微かに渋い表情になる。

「3機を保護、まだ1機が戦闘中か……」

 グゥエールの乱入によりその場を離脱した高等部の幻晶騎士シルエットナイトは、街道まで出たところで騎士団に保護されていた。
 うち2機は疲労、損傷とも激しく、後方で修繕を受けている。
 残る1機……アールカンバーは比較的損傷が軽かった為、魔力貯蓄量マナ・プールを回復させた後戦列に加わる事になっている。
 そしてまだ戦っている機体とは、グゥエールだ。
 斥候部隊が見たそれは、並の幻晶騎士をぶっちぎる勢いで戦闘していたのだが、彼らはそれについては伝えあぐね、結果として位置と戦闘の事実だけを報告していた。

 報告を元に、フィリップは騎士団へ作戦を伝達する。
 中隊単位(9機)に分かれて目標ベヘモスを半円状に包囲。
 実際に戦闘を行った生徒たちから得た情報により、巨獣に対する接近戦は危険と判断。
 魔導兵装シルエットアームズの波状攻撃を中心とした遠距離攻撃により、可能な限り打撃を与えることになる。
 ベヘモス側からも突撃や竜巻の吐息(ブレス)による反撃が予想されるが、彼らも元より無傷で倒せるなどとは考えていない。
 最悪、狙われた隊を囮として魔獣を足止めし、その間に撃破する――文字通り決死の覚悟をもって騎士団は森へと進んだ。

 
 巨獣の咆哮が木々を震わせる。
 騎士団がそれを包囲にかかる間も、巨獣はその場でぐるぐるとのたうつように暴れておりほとんど移動していなかった。
 予想外に包囲が簡単に完了したことに彼らは若干の訝しさを感じるが、その原因がはっきりと確認できるに至り、一様に絶句する。

 信じられないほどの速度で走る紅い幻晶騎士。
 片目から血を噴き、激怒の咆哮を上げながらそれを追う巨獣。
 ただの一撃で幻晶騎士を砕きうる巨獣の攻撃を、紅い機体(グゥエール)は速度でもって翻弄する。
 騎士団随一の腕前である騎士団長であってもあれほどの動きができるかどうか。
 彼らの間で思わず感嘆の声が漏れた。
 巨獣がその場から動かなかったのは、ひたすら紅い機体を追っていたためと理解する。
 目の前の敵に集中するあまり、巨獣は周囲の状況に気付いてすらいないようだ。

 
 俄かに、紅い機体が騎士団の存在に気付いたように立ち止まった。
 次の瞬間には走り出し、ベヘモスを騎士団に背を向けるように誘導すると、そのまま脇を駆け抜け騎士団の方へと向かってくる。
 即座に意図を理解したフィリップが全軍へと指示を出した。

「総員、炎の槍(カルバリン)構え!」

 高々と剣を掲げたフィリップの号令を受け、カルダトアが一斉に魔導兵装・カルバリンを構える。
 紅い機体が凄まじい速度で走り、騎士団の包囲の間を駆け抜けて行った。
 入れ替わるようにしてフィリップが剣を振り下ろす。

「第一列、法撃開始!!」

 ベヘモスをめがけ、一斉に魔導兵装カルバリンが火を噴く。
 中隊はそれぞれ3機ずつ3列の形態をとっている。
 同時に攻撃するのはそれぞれ1列の3機ずつ。
 次に2列目の3機が撃ち、そして更に続いて3列目の3機が撃つ。
 交互に攻撃することにより幻晶騎士の魔力貯蓄量マナ・プールの消費を抑えながらも、間断なく炎の槍による攻撃を可能としていた。

 
 紅い機体(グゥエール)を追いかけることしか眼中になかったベヘモスを、突如として無数の炎の槍が襲った。
 轟音と共に炎の槍が次々にベヘモスに突き刺さる。
 戦術級魔法オーバード・スペルによる炎の槍が炸裂して火柱を上げ、いくらも経たずにベヘモスの巨躯を炎が包む。
 それはまるでバルゲリー砦の光景の再現。
 しかしかつての数倍の規模で炎は燃え盛り、森の一角を紅蓮に染め上げた。
 巨獣の影は完全に炎に飲まれ、その姿は見えなくなっている。
 それでも騎士団は攻め手を緩める事無く、炎の槍を撃ち込み続けた。

 
「は! うはははは!! どうだ! どうだ魔獣め!!
 これが我らが守護騎士団の力だ!! はははははははは!!!!」

 騎士団の間を抜けたグゥエールは攻撃が始まると同時に立ち止まり、その様子を見ていた。
 隊の後ろに陣取った後は機体を休め、魔力貯蓄量を回復させている。
 シートの後ろで笑い狂うディートリヒに顔を顰めつつも、エルは油断なく目の前の地獄を観察していた。
 いまだ撃ち続けられる炎の槍。全てを焼き尽くさんと炎は更に規模を増してゆく。
 これだけの攻撃だ。如何に頑丈さが売りのベヘモスといえど、決して無傷では終わらないだろう。

「(でもこれで終わるほど、安くないんやろなぁ)」

 エルの思考が契機になった、などと言うことはないが俄かに炎に満ちた空間に変化が発生する。
 それまでは轟と燃え盛るばかりだった炎が渦を巻くような動きを見せる。
 渦を巻いているのは炎だけではない。
 むしろ周囲の大気が渦巻くように荒れ狂い始め、炎はそれに巻き込まれているのだ。
 それはすぐに炎の竜巻とも言える状態になる。
 一拍の後、それは攻撃を続ける騎士団へと向けて放たれた。
 考えるまでもない、ベヘモスの竜巻の吐息(ブレス)
 意図したわけではないだろうが、炎を巻き込みより凶悪になったそれが騎士団を襲った。

「なっ、何だ!? あれは!!」

 騎士団はある程度距離をとって法撃を行っていたため、竜巻の吐息(ブレス)も完全な致命の威力は持っていなかった。
 のたうつ炎蛇が騎士団を舐めてゆき、元は彼ら自身が放った炎を盛大に周囲へと撒き散らす。
 竜巻の吐息(ブレス)の存在は把握していたが、まさかあの炎の中から放たれるとは思っておらず、彼らは動揺し大きく体勢を崩していた。
 一角が崩れた分、炎の槍(カルバリン)による攻撃が緩む。
 その瞬間に残る炎を弾き飛ばしながらベヘモスの巨体が飛び出してくる。
 鉄をも溶かすような獄炎の坩堝にあった甲殻は所々が赤熱し、少なくないダメージが見て取れる。
 グゥエールによりつけられた四肢の傷は炎を浴びたことにより更に焼け爛れ、四肢へのダメージは相当なものになっているはずだ。
 実際にベヘモスの動きは最初に比べ明らかに勢いが落ちていたが、それでもさすがは耐久力ならば並ぶ物なき魔獣である。
 その突撃は体勢を立て直す途中の騎士団を蹂躙するのに十分な力を持っていた。

 隊を組んでいるがゆえに、騎士団の動きが鈍いことも災いした。
 中隊のど真ん中にベヘモスの巨躯が突き刺さる。
 進路上の機体は跳ね飛ばされ、倒れた機体は踏み潰され鉄屑へと変わってゆく。
 何機か迎撃を試みた機体も居た。高熱で脆くなった甲殻を剣が削るが、それでも内部に届く前に尾に薙ぎ払われ、無残にも粉砕されてゆく。
 如何にダメージがあろうと近距離での戦闘能力には絶望的な差がある。
 一個中隊が見る間に壊滅に追い込まれていった。
 突撃の途中にも加えられていた法撃は、さすがに味方部隊との混戦となった事により徐々に散発的な物になっていた。

「2番、4番、8番隊! 鎚用意!」

 残る中隊もその様子を指をくわえて見ているだけではない。
 もとより彼らは被害は覚悟の上で此処にいるのだ。
 フィリップの号令が戦場に轟き、動きの止まったベヘモスへと彼らの切り札が突撃を開始する。
 ベヘモスを左右から挟みこむように、数機の幻晶騎士が大型の武装を抱えて走る。

 それは4機もの幻晶騎士を必要とする対大型魔獣用改造破城鎚――詰まる所、至極単純な巨大な杭だ。
 巨大な金属の塊を杭の形状に成型しただけの代物。
 しかしその名が示す通り、幻晶騎士4機でもって打ち付けられるそれは、堅牢な城壁すら打ち砕く破壊的な威力を秘めている。
 まさに要塞の異名を持つ魔獣への切り札として用意された武器だが、実は武器としてはかなりの欠陥品である。

 当然のことながら破城鎚は重い。この武器は重量を破壊力に変換する類のものだからだ。
 そのため運用には幻晶騎士が4機は必要になり、巨大さもあり取り回しは劣悪極まりない。
 原理が単純なだけに、威力を高める為にもある程度の速度まで加速して叩きつける事が望ましいが、走りながら動く目標を狙うなどと言う芸当は到底望めるものではない。
 幻晶騎士にも劣らぬほどの速度で移動する魔獣に対して命中させるためには、何よりも相手を足止めする必要があるのだ。
 さらに突撃という攻撃の方法上、至近距離での危険性は非常に高い。
 特にベヘモスは大半の攻撃が幻晶騎士にとって致命的である。下手な使い方をしてはただの特攻に成り果ててしまう。
 これらを併せて、十分な効果を発揮しなかった場合は反撃で倒れる危険が高く、その場を直ぐに離脱しなければならない。
 つまりかなりの場合において使い捨てにされる。
 当てるは難しく、機会も少ないと極めて使いどころが限定される武器だが、ベヘモスの防御を貫くだけの威力を持つ武器はそうはない。
 味方の犠牲の上にでもこの攻撃は成功させる必要があった。
 事前に全ての騎士団員に破城槌の問題点を通達してある。
 それは今ベヘモスと交戦中の中隊も例外ではなく。
 彼らは壊滅を目前にしながら一歩も引かず、むしろベヘモスへと喰らい付くようにしてその動きを止めていた。

 破城槌を抱えて走る機体からもその光景は見えている。
 その操縦席では操縦桿を握る騎操士ナイトランナーの手が軋みを上げ、脚が鐙を蹴り飛ばしている。
 犠牲は覚悟の上とは言え、仲間を蹂躙する魔獣への怒りが収まるわけではない。
 彼らの犠牲に応えるために、雄叫びを上げながら破城槌部隊は走る。

 1本目の破城槌がベヘモスへ辿り着く。
 そも細かな狙いの効く代物ではない。最も巨大な部位である横っ腹めがけて、破城槌を叩き込む。
 4機もの幻晶騎士を必要とする重量が生み出す破壊力は凄まじかった。
 火炎に炙られ甲殻の強度が落ちていたとは言え、ベヘモスの甲殻をあっさりと貫き腹部に突き刺さる。
 一瞬その巨体が揺れたかようにベヘモスが震え、一拍置いて眼を討たれたときよりさらに苦悶を滲ませた咆哮が響き渡った。
 天を仰いで上げた咆哮が大地を揺らし、破城槌の突き刺さった腹部からは夥しい血が噴き出す。

 それを見た騎士団から歓声が上がる。
 使いどころの難しい武器だが、その威力は十分に通じることがわかった。
 破城槌はまだ2本あり、今しも巨獣へと到達しようとしている。
 巨獣はいまだ苦悶に呻いており、破城槌を避けるどころか気付いたそぶりも無い。
 残る2本が狙うのは逆側の腹と頭部。これが直撃すれば如何な要塞とて致命傷だ。
 騎士団の大半が勝利を確信し、期待を背負った破城槌部隊が巨獣を撃ち貫かんと、最後の距離を詰める。

 それまで苦悶の声を上げていたベヘモスが突如下を向いた。
 騎士団はおろか、エルもその行動の意味がわからず、行動の意味を訝しむ。
 ましてや破城鎚を抱え走る騎士団員がそれを悟れる訳は無く――。
 そこでベヘモスは、あろう事か下を向いて全力を込めた竜巻の吐息(ブレス)を放った。

 極至近距離の地面へと放たれた暴風は荒れ狂うままに大地を抉り、狭領域内で圧縮された大気は岩石を撒き散らしながら爆発と化す。
 命中を目前にした破城槌部隊にそれを避ける暇などない。
 頭部を狙っていた部隊は岩石に打ち据えられ、爆発に巻き込まれそのまま地面と共に粉砕される。
 更に信じられないことに、爆発と竜巻の衝撃の全てを下面で受けたベヘモスが、その勢いを利用して立ち上がった(・・・・・・)

 離れたところにいた騎士団員が、唖然とした表情でホロモニターに映るその光景を見つめる。
 全長50mにも及ぶその巨体が、莫大な重量にも関らず前足を完全に浮かし、起き上がっている。
 あまりの事態に、全員それに対する反応が遅れた。

「!! しまった!! 逃げてくれ!!」

 フィリップが叫ぶまでもなく、腹部を狙っていた部隊は突然の事態に混乱しながらも回避を試みていた。
 しかし彼らは破城槌という超重量の武器を持ち、全力で走っていたのである。
 その一瞬での急な回避など望むべくも無かった。
 そこへ重力に従ったベヘモスの巨体が、落下してゆく。
 魔獣の巨大な重量が生み出した破壊力は、破城槌とは比較にならないほど莫大だった。
 それは周囲に小規模な地震を引き起こし、その身が叩き付けられた地面は砕け抉れ、周囲に散弾のように岩石を撒き散らす。
 逃げられなかった破城鎚部隊はひとたまりもなかった。
 金属の塊であったはずの破城槌すらひしゃげ、それを持っていたはずの幻晶騎士は既に原形を留めていない。

 余りに壮絶なその攻撃に、放ったベヘモスも無傷とはいかなかった。
 破城鎚に貫かれた腹部から流れる血は勢いを増し、全身あちこちの甲殻にひびが入っている。
 外からは解らないが、いくつかの内臓器官が強化を突き抜けたダメージにより損傷を受けている。
 ベヘモスとてもはや相当に追い込まれているのである。

 しかし、騎士団が被った被害はさらに深刻だ。
 最初に襲われた中隊とあわせ、騎士団は凡そ2割の戦力が完全破壊、飛来した岩石により1割が中破。
 何より切り札である破城鎚を失い、騎士団の打撃力は大きく落ちている。
 その上必殺の攻撃を無力化された衝撃は、むしろ彼らの心に打撃を与えていた。
 騎士団を最初に倍する緊張感が包む。
 単純にその力のみならず、巨獣の存在と言う圧力が、彼らの心を蝕んでゆく。

 
「…………」

 その光景を見ていたグゥエールの中では、ディートリヒが声もなく震えていた。
 守護騎士団の一部を犠牲にした必殺の一撃すら、その力の前に粉砕された。
 果たしてこの魔獣を倒すことなど可能なのだろうか。
 実際にはベヘモスのダメージも決して浅くはないのだが、信じていた力が通用しなかったと言う事実の前に動揺する彼に、そこまでの判断は不可能だ。
 震えるディートリヒを正気に戻したのは、前の座席から聞こえてきた呟きだった。

「……許せませんね」

 ディートリヒにはエルの後姿しか見えない。
 しかし、エルから立ち上る尋常ならざる気配だけは理解できた。

「僕の目の前で、ロボットを壊すなんて」
「えっ」
「ロボットを壊していいのは……ロボットだけなのですよ……?」
「ええっ!?」

 ディートリヒには全く理解できない理屈を呟きながら、エルはグゥエールを立ち上がらせる。
 その表情は薄く微笑んでいるが、並々ならぬ意思を込められた蒼い瞳の輝きが、彼の雰囲気を修羅のそれへと変えている。
 エルは素早くグゥエールの状態を確認する。
 魔力貯蓄量の残量は5割強、武器はまだ使用可能、損傷は無いに等しい。
 一人の悲鳴を後に引き、紅い幻晶騎士(グゥエール)は再び戦場へと走り出す。

 
 ベヘモスはまだ動く。
 もはや満身創痍といってもいいダメージを負いながら、まだ行動可能なその耐久力は驚嘆に値した。
 冷静に見ればそれも最後の足掻きにも近いものだと解ったかもしれない。
 しかしすでに精神的に圧倒されつつあった騎士団は、ベヘモスがまだ動くと言う事実の前に積極性を失っていた。
 炎の槍(カルバリン)による法撃が応戦を始めるが、まとまりを欠いた攻撃は十分な効果を発揮しない。
 騎士団の包囲自体がベヘモスの動きに圧され、崩れかけていた。
 騎士団長であるフィリップが盛んに檄を飛ばしているが、一度下がった士気は容易には上がらない。

 
 歪な包囲を紅い風が突き抜けた。
 金属地そのままの色をしたカルダトアの中にあって、一際目を引く紅い幻晶騎士。
 誰もが止める暇もなく、それは一直線にベヘモスへと向かって疾走する。

「お前それは無理やばいあれは無理騎士団いる逃げ無理うぅっおぉぉぉぉぉぉわぁぁぁっぁぁぁぁぁぁぁ!?」

 グゥエールを操るエルは騎士団の様子など頓着してはいない。
 そして叫びが意味不明の領域に入ったディートリヒも彼の意識の外だった。
 彼の深い蒼の瞳は一直線にベヘモスを捉えている。
 騎士団を後方に突き放し、グゥエールはベヘモスへと迫る。
 満身創痍のベヘモスではあるが、記憶に残る紅いヒトガタの姿に再び咆哮を上げた。
 互いの距離が詰まる。
 近寄るにつれエルはベヘモスの様子をはっきりと確認していた。
 その甲殻には遭遇時には見られなかった亀裂が縦横に走っている。
 最も巨大な破壊跡は腹部の破城槌による攻撃部分だが、エルはあえて罅の入った甲殻を攻撃する。
 紅い機体が疾風と化し、速度を乗せた斬撃がベヘモスへ繰り出される。
 剣の軌跡は正確に罅の一つを捉え、硬質な音と火花を残して甲殻の破片が飛び散った。

「(速度乗せたら斬撃も通じるんか)」

 両足で滑るように勢いを殺したグゥエールは反転し、そのまま再びベヘモスへと踊りかかる。
 脚だけでなく全身のあちこちに攻撃は通用する。
 回避を中心とした動きから攻撃へ。此処に来て攻守が逆転を始めていた。

 その光景は、魔獣に気圧されていた騎士団員に衝撃を与えた。
 彼らからすれば、グゥエールはライヒアラ騎操士学園の生徒が乗っている機体だ。
 騎士団員よりも若いはずの人間が、恐るべき魔獣に対して未だ戦意が衰えることなく立ち向かい、しかも果敢にそれを攻め立てている。
 一見蛮勇とも取れるその行動。
 しかしそれ故に、その姿は幾万の言葉よりも遥かに雄弁に騎士団員を説得・・していた。

「各隊、包囲を再構成! 列を立て直せ! 攻撃を再開する!!」

 騎士団員は実際に目にした巨獣の力に押されていた自分を恥じ、一層奮起した。
 次はベヘモスを中心とした円形包囲。
 各中隊はそれぞれに移動し、紅い機体を巻き込まないようにしながらベヘモスの足止めとダメージを意図して法撃を再開する。
 紅い騎士の剣が魔獣の甲殻を削り、炎の槍の爆発がその脚を縫い付ける。
 巨獣はその攻撃力を封じられ、逆に巨体は攻撃の的になる。
 一挙に形勢は傾き、次はベヘモスが追い詰められてゆく。
 それを見た騎士団の士気は上がり、グゥエールはもとより縦横無尽に駆け回っている。

 もはや魔獣に抗する術は無いと思われた。
 しかし、誰もが想像だにしないところで、唐突に結末の頁が紐解かれる。

 突如、エルはガクッと沈み込むような感覚を覚えた。
 回避行動を取ったグゥエールを反転させようと、両足で踏ん張ったところで片足の力が抜け、大きく体勢を崩してしまったのだ。
 殺しきれなかった勢いに振り回され、グゥエールが地面を転がる。
 それまでは無傷だったグゥエールの紅い装甲が歪み、一部が宙を舞う。

「なんっ!? ですっ!? かっ!?」

 転がりながら地面を叩くようにして無理やり姿勢を立て直す。
 膝立ちのような姿勢を取りグゥエールがなんとか安定を取り戻した。

「(ベヘモスから攻撃はくらってない!! 何故、どっからダメージきたんや!?)」

 予想外の事態に、エルは素早く機体状況を走査する。
 地面を転がったことにより幾つかの装甲が破損したものの、それだけでは致命傷には程遠い。
 しかし脚部の反応が鈍い。
 関節の各部が軋みをあげ、装甲の隙間からは結晶筋肉クリスタルティシューの欠片が毀れる。

 それを見たエルが事態を悟る。
 攻撃を受けたわけではない。
 既存の操縦方法よりも自由度が高く、精密な制御が可能な直接制御フルコントロールだが、反面エルが要求する高度な機動戦法の負荷にグゥエールの機体が耐え切れなかったのだ。
 その上通常の幻晶騎士の想定を大きく越えた長時間の戦闘によりダメージは過剰に蓄積し、最も負荷の大きな脚部が、此処に来てついに限界を超えて自壊を起こしていた。
 生物であれば痛覚と言う形でその異常を事前に悟れたのかも知れない。
 しかし機械である幻晶騎士に異常を訴える機能はなく、限界を超え、破壊を起こすまでそれを知る術はなかった。
 エルの額を汗が流れ落ちる。
 それまでのエルとグゥエールの優位を支えてきたのは取りも直さず機動性に因るものだ。
 脚が自壊し、機動性が死んだ今、もはや戦闘の継続は不可能である。
 エルに出来ることは機体を捨て、脱出する事だけだった。

 事態に悩む時間すら残されていない。
 ベヘモスが、それまでと同様に、憎き紅い機体へと、既に突撃を開始していた。
 突如膝を突き、動けない紅い機体を助けようと騎士団から撃ち放たれた炎の槍が浴びせられるが、その歩みを止めるには至らない。
 ベヘモスの残された右目が怒りのために血走り、口からは憤怒の雄叫びが漏れ出でる。
 亀裂の走った甲殻も、流れ続ける血も構わず、魔獣は全てを粉砕すべく突き進む。
 その速度は見る影もなく衰えている。
 しかし、動けない今のグゥエールにとっては死を告げる存在に他ならなかった。

「(まさかのタイミングやな。脱出せんと……)」

 彼の能力ならば機体を捨て、突撃の範囲外へ逃げることは可能だ。

「(そう、俺は……俺だけは)」

 彼ならば。だが彼の後ろで恐慌状態の、ディートリヒにはそれは不可能だ。
 固定帯を解き、エルはホロモニターに映るベヘモスを睨む。
 もはや幾ばくの余裕もなく、巨獣の突撃はグゥエールを蹂躙するだろう。
 その思考は一瞬。

「(ここで見捨てるのも寝覚めが悪い……けど、揃って生き残るのは並大抵やない)」

 彼は可能性を模索する。
 エルに可能なこと、ディートリヒに可能なこと、グゥエールに可能なこと。

「(突破口は、ある。いけるやろか? チャンスは一度きり、チップは命……。

 まぁ、ロボと共に死ねるなら、最悪それも、有りか)」

 メカヲタクも此処に極まっていた。

「先輩」

 エルの言葉は場違いなほど静かだ。
 後ろのディートリヒに果たしてその言葉は通じているのか。
 彼は目前の絶望に恐怖し、喘ぐように何かをつぶやき続けている。

「今すぐ操縦を代わってください」

 エルの語調は変わらない。
 だがそれまでとは違う、声にこめられた異様な気迫にディートリヒがびくりと震えた。
 その様子を確認もせずエルは銀線神経シルバーナーヴごとウィンチェスターを引き抜き、ホロモニターにぶつかるように前に出る。

「も、もう無駄だ! ここで、私が操縦などして何になるって言うん」
「そんなことはどうでもいいです。死にたくなければ今すぐ席に着いてください」

 死にたくなければ、の言葉にディートリヒが反応する。
 限界の状況に、それでも彼は這い出すようにシートへと滑り込む。

「そ、それでどうするんだ! なにが出来ると言うんだ!?」
「説明は一度しかしません。まず……」

 銀線神経の一部はウィンチェスターと共に引き出されているが、何本かは未だに操縦桿に繋がっている。
 現時点でも通常制御の操縦は可能なのだ。
 ディートリヒが操縦桿に手をかけるのを確認し、エルは自身の魔術演算領域マギウス・サーキットからグゥエールの制御を手放す。

 ベヘモスは目前に迫っている。
 傷を負い、追い詰められては居るがそれでも尚その巨体の迫力は圧倒的だ。
 エルは深く息を吸い、ホロモニターを埋め尽くすそれを見据えながらも集中を開始する。
 エル自身が持つ最大の異能、幻晶騎士すら完全に制御しうる莫大な処理能力を最大限に振り絞り、恐るべき速度で極大規模の魔法術式スクリプトを構築する。
 その規模は戦術級魔法オーバード・スペル――幻晶騎士で使用されるそれと同様か、更に巨大だ。
 彼は通常の人間としては大きな魔力マナを持っている。
 しかしそれもあくまでも人間としては、であり戦術級魔法を実行可能なほどの容量はない。
 幾ら構築が可能でも彼だけでは戦術級魔法は使えない。
 だが魔力ならば、グゥエールのそれを利用すればいいのだ。
 幻晶騎士だけでは任意の魔法を構築できない。エルだけでは戦術級魔法を使用するには魔力が足りない。
 操縦に関する処理を放棄した今、エルはその能力を最大に駆使して活路を開こうとしていた。

「~~~……!!~…??…!!!!!!」

 ディートリヒは自身が気付かぬうちに何かを叫んでいた。
 エルは只管に演算する。より巨大に、身を守るため、限界まで強力な魔法を。

 ベヘモスの顔面が、グゥエールの機体を粉砕すべく迫り来る――そして
 捧げるように伸ばしたグゥエールの両腕から前方に圧縮された空気の弾丸が生成された。
 巨大な大気弾丸エア・バレット。しかしそれは発射されない。
 エルが狙ったのは衝撃吸収装置エアバッグだ。
 彼自身が高速機動の緩衝材として利用することの多い魔法、大気衝撃吸収エアサスペンションを戦術級規模まで拡大し、実行する。

 大気の壁と巨獣が激突する。
 元々圧縮された大気は両者の衝突により更に圧迫され、緩和されたとは言え激しい反動がグゥエールへ襲い掛かる。

「今だ! 後ろへ飛べぇぇぇぇ!!!!」

 エルの叫びに反応し、思考ではなく反射的な行動でディートリヒがあぶみを蹴り飛ばす。
 グゥエールの脚部は歩行が困難なほど損壊していたが、それでも僅かに残る無事な結晶筋肉が指令に従い最後の力を振り絞る。
 大気の壁を押し切り、ベヘモスがその身体に突き刺さる寸前にグゥエールが後方に飛んだ。
 その時点で脚部の結晶筋肉は完全に断裂したが、それ自体は既に役割を果たしきっている。

「まだだ!! 耐えろ!外装硬化ハードスキン!!!」

 エルがグゥエールの前面装甲へと、硬化魔法を偏向形成する。
 ほぼ同時にベヘモスの頭部が叩き付ける様にグゥエールへ到達する。
 大気で減殺され、動きで衝撃を緩和し、硬化魔法で防御しても尚その突撃の威力は殺しきれず、周囲の装甲が弾け飛び接触した部分が歪む。
 操縦席ではホロモニターに罅が入り、目前の光景が歪むのを見てエルが息を呑んでいた。

「(これだけじゃ足りないんか!!)」

 死力を振り絞っての抵抗も破られたかと諦めかけるが、しかし最後の幸運がベヘモスの突進を受け止めきる。
 ライヒアラで使用されている実習機は、搭乗者の保護を重視して胴体部の装甲が特に厚いのである。
 硬化魔法を併用した前面装甲はその目的どおり、歪みながらも搭乗者を守りきった。

 
 誰もが紅い機体の最期を覚悟したが、グゥエールはベヘモスの頭を抱えるようにして五体を残したまま存在していた。
 自らの突撃を受けても壊れないそれを見てベヘモスは何を思ったのだろうか。
 突撃は続き、グゥエールを押すようにしてベヘモスは前進する。
 そして此処からがエルの攻撃の始まりだった。
 エルは操縦桿からの制御に割り込み、グゥエールの機体を一部操作する。
 操るのは機体の右腕だけ。それを振り上げ、そのままベヘモスの頭部を殴りつけた。
 如何に甲殻が脆くなっているからとて、拳でそれを破壊することは出来ない。
 しかしその腕が突き刺さったのはかつて左眼があった部分だ。
 其処には半ばで折れた剣が刺さっている。
 エルはそれを掴むと、そのまま後のことは一切考えずに全身の結晶筋肉、そこに貯蓄された全ての魔力を動員する。
 安全装置リミッターも全て解除、その時機体に残っていた全ての魔力を使い、自身の持てる演算能力の全てを以って最大規模の魔術を構築した。

王手チェックメイト

 過去、この世界で発現したことのない規模の雷撃が、機体の腕から剣を通りベヘモスの頭部へ直接叩き込まれる。
 ベヘモスとて生物である以上、頭部には脳が存在する。
 眼窩で放たれた雷撃は視神経と血液を伝い、その脳髄を直撃した。
 ベヘモスの頭脳を途轍もない電流が蹂躙し、無慈悲な電子の流れに内部組織が灼かれ、破壊される。
 生命活動の中枢たる頭脳を灼かれ、ついに陸皇亀ベヘモスが絶命する。
 電流はそのまま神経を灼き、ベヘモスの全身が一瞬痙攣するように出鱈目に動作する。
 その動きに頭部に抱きつくような状態だったグゥエールが投げ出され、地面へと叩き付けられる。
 魔力貯蓄量が完全に尽きたその機体は、自身の構成を強化することすら出来ず衝撃でそのまま分解し、完全に大破した。

 

 巨獣がゆっくりと地に沈む。
 壮絶で、そして呆気ないその幕切れに、誰もが言葉を失っていた。
 やがて魔獣が再び動くことがないとわかると、徐々に騎士団に歓喜が広がってゆく。
 彼らが勝ち鬨を上げるまでに、さほどの時間は必要なかった。

 

「(最後はやばかったなぁ。下手したら挽肉んなって死んどるわこれ)」

 大破したグゥエールはひどい有様だった。
 四肢がもげたのは当然として、接合強化の途絶により金属内格インナースケルトンが分解、操縦席回りまで半分崩れている。
 無事な装甲は一枚としてなく、紅い色はまちまちにしか残っていなかった。
 操縦席も激しくシェイクされたのだが、吹っ飛びながらエルが自身の魔力で周囲に大気衝撃吸収エアサスペンションを展開し事なきを得ていた。
 反動でディートリヒはシートに押し付けられ圧死寸前だったが、挽肉になるよりはましというものだろう。

 殆ど刺し違えるような行動だったとは言え、エルも生き残ったことに安堵していた。
 深く息を吐き、直後にその表情が痛恨に曇る。

「(……ああぁぁぁぁ……ばらばらだ、グゥエールばらばらんなっちまった……)」

 白目を剥いて気絶するディートリヒを一顧だにすることなく、エルは的のずれた後悔に首を振る。

「(ああでも悲しんでばかりではいられん。
 グゥエール、ちゃんと俺が修理したるから、待っててくれ!)」

 さらにずれた決意を胸に、エルは半壊した操縦席から出てゆくのだった。
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