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【芸能・社会】中村翫雀 来年1月大阪で襲名披露 「鴈治郎はんと呼ばれる役者に」2014年4月15日 紙面から
歌舞伎俳優の中村翫雀(55)が来年1月に上方の大名跡である中村鴈治郎を四代目として襲名することが決まり、14日、東京・銀座のコートヤード・マリオット銀座東武ホテルで会見した。 三代目鴈治郎だった父(82)が上方歌舞伎の創始者とされる坂田藤十郎の名跡を231年ぶりに復活させたのが2005年。以来、10年空白になっていた「憧れの名前」を襲名する翫雀は「私の初舞台が初代鴈治郎の33回忌だった。来年は2代目の33回忌。これは運命かなと思う。鴈治郎の家紋が入った裃(かみしも)に袖を通して鏡を見た時にうれしくて、やっぱり鴈治郎って名前が好きなんだと思った」と喜びを語った。父の藤十郎はこの日の朝、翫雀の自宅を訪れ、「おめでとう」と喜んでいたという。 鴈治郎を愛してくれた大阪への思い入れも。襲名披露は本人の希望で東京の歌舞伎座ではなく大阪の大阪松竹座(来年1〜2月)からスタートさせる。長男の中村壱太郎(23)とともに大阪に引っ越す計画も明かし、「大阪に根付く役者でいたい。『鴈治郎さん』ではなく『鴈治郎はん』と呼ばれる役者でいたい」と強い決意を見せた。 曽祖父、祖父、父と受け継がれてきた名跡だが、翫雀は「子どものころから鴈治郎といえば二代目だった。最近、芸風が二代目なんじゃないかと思う。もしかしたら目指すものは父ではなく二代目じゃないか」。父に対しては「父が藤十郎になってくれたおかげで鴈治郎が継げる。山城屋(藤十郎)と成駒屋(鴈治郎)の両方が世の中に存在するということを父も認識してくれればいいし、お互いこれからも、いい役をやっていけたら」と語った。 襲名披露は1、2月の大阪松竹座の後は、4月に東京の歌舞伎座、6月に福岡の博多座、12月の京都の南座。 ◆歴代の鴈治郎1878年(明治11年)3月、實川鴈二郎(1860〜1935年)が大阪戎座で初代中村鴈治郎を名乗る。江戸の「荒事」と対照的で、上方歌舞伎の特徴とされるやわらかで優美な「和事」の芸で人気になり、当たり役を集めた「玩辞楼(がんじろう)十二曲」を選定する。 二代目(1902〜1983年)は初代の三男。中村好雄、中村扇雀、中村翫雀を経て1947年、大阪歌舞伎座で二代目鴈治郎を襲名。立役、二枚目、女形と幅広く活躍した。 三代目は二代目の長男で、現在の坂田藤十郎。1941年、大阪角座で二代目中村扇雀を名乗り、初舞台。戦後は武智鉄二の「関西実験劇場」に参加。1953年、父の二代目鴈治郎が徳兵衛、扇雀がお初を演じた「曽根崎心中」が評判になった。以後、1300回以上演じる当たり役に。1990年、三代目鴈治郎を襲名。1994年、人間国宝に認定。2005年12月、上方の伝説的な名跡・坂田藤十郎を復活させた。 <中村翫雀(なかむら・かんじゃく)> 1959(昭和34)年2月6日京都生まれ、2代目中村扇雀(後の3代目中村鴈治郎、現坂田藤十郎)と扇千景の長男。本名・林智太郎。弟は三代目中村扇雀。慶応大学卒。1967年、中村智太郎を名乗り初舞台を踏み、1995年、五代目中村翫雀を襲名した。近松座公演、「NINAGAWA十二夜」などで海外公演も経験。長男は歌舞伎俳優中村壱太郎。 PR情報
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