二百四十一日目~
遅くなって申し訳ないです
でもその分内容はともかく、文量だけはやたらと多い――下手すりゃ三話分近い?――ので、勘弁してやってください
しばらくしたら前書きは消します
“二百四十一日目”
昨夜、俺達が一夜を過ごす拠点を築いたのはアス江ちゃんが掘削した洞窟内だった。
わざわざ閉塞的で逃げ場が限定される洞窟内にせず、これまでの様に自由度の高い野外に骸骨百足製拠点を築いて休む、という手法も一応選択肢にあったが、せっかく掘ったのだからどうせなら、と思って再利用したという訳である。
最初はふとした思いつきだったが、これはこれで悪くない選択だったと思っている。
というのも、現在地が他よりも安定した区画なので地形変動の心配をする必要が少なく、ダンジョンモンスターの総数と出現率が低いとはいえ、ダンジョン内では無防備に休むなど極力避けなければならない。
もし無防備に休めば、ダンジョンモンスターなどに寝込みを襲われる可能性が非常に高いからだ。
もちろん寝込みを襲われても即座に反撃できるし、これまで通り対応策など幾らでも用意できるが、しかし手間は少ない方が楽で良いに決まっている。
幸いここには地中を移動する類のダンジョンモンスターは居ないので、閉塞した洞窟内は色々と都合が良かった。
外と比べて動き難くはなるモノの攻撃される方向をコチラが自由に決定できるし、アス江ちゃんと俺で岩壁の強化を行えば多少の事ではびくともしない強度となるので防御面でも信頼できる。
メインとなる出入り口の他に、いざという時の為に隠蔽した逃げ道を三つほど確保していれば、崩落によって生き埋めにされる心配もない。
後は【上位鬼種生成】によって新しく生成が可能になった、ここの厳しい環境下でも活動可能で飛び切り強力な守衛――巨大な盾を所持した“ブラックブルオーク・ガードナイト”と、巨大戦斧を手足の延長の様に扱う“黒牛頭鬼”――数体にそれぞれの出入り口を守らせれば、ここのダンジョンモンスター相手でもそれなりに対応できるので、俺達が無防備な状態で不意打ちされる事も防げる。
ただ洞窟内は熱すぎて蒸し焼きにされそうになるなんて問題もあったが、それは骸骨百足によって解決した。
ここで入手した耐熱系マジックアイテムを追加装備した骸骨百足を岸壁に貼り付ける事で、燃えるような熱さがほど良い暖かさとなったのだ。
こうして簡易拠点を築いた後は、【フレムス炎竜山】内部では一度もなかっただろう快適さで、俺達はグッスリと休めたのだった。
この先もこういう休みが取りたいとは思うが、流石に無理だろう。
ここが特殊なだけであって、他では容赦のない襲撃に曝される。
満足いく睡眠は、これが最後になりそうだ。
と言う事で、俺達は大いに睡眠を堪能し、昨日消耗した気力体力魔力の全てを全快させた万全の状態で目を覚ました。
起きたタイミングは皆大体同じで、簡単な挨拶を交わしつつ洞窟の外に出ると、時間的に太陽はまだ昇っていない筈だが【フレムス炎竜山】は既に昼間の様な明るさに包まれていた。
これは四六時中様々な場所で溶岩が噴き出したり溢れていたりするからだろう。
太陽が無くても光源が至る所に存在している事によって、暗闇を探すほうが難しいのではないだろうか。
まあそれは今はどうでもいいとして、外に出てまずしたのは飯の用意だった。
朝飯は熾烈極まる攻略を乗り越える活力を生み出すのに、必要不可欠な要素の一つである。
これがあるのと無いのじゃ、やはりいざと言う時に結果を大きく変えてしまうのだ。
なんて事を思いつつ、今日のメインは一夜の守衛としての役目を完遂したブラックブルオーク・ガードナイトとブラックミノタウロス達である。
生成主である俺の加護能力によって通常よりも大幅に強化され、ここでも何とかやっていける実力を持つこいつ等は、さぞ美味いに違いない。
想像するだけで、涎が垂れそうである。
ちなみに、多少なりとも戦力になるんだったらここで喰わずに連れて行けばいいんじゃないか、と思うかもしれないが、こいつ等の気配に引かれて膨大な数のダンジョンモンスターが襲ってくるのは確実だ。
ダンジョンではパーティメンバーが多い程広範囲のダンジョンモンスターを誘き寄せやすいので、現在の九鬼も実はかなりギリギリだったりするのだが、それに加えてこいつ等を連れて行くとなると、どれ程の量が来るか、正直分からない。
それにそもそもの話、無理に連れて行く必要性など無い事に加えて、後々必要になったその時に新しく生成すればいいだけだ。
わざわざ回避できるリスクを背負う必要など無いのだから、こいつ等を連れて行くという選択肢は俺の中には無かった。
しかし、このまま放置していくのもどうかと思う。
何故なら、生成系のアビリティは下位、中位、上位の三つに分類できるのだが、中位から生成体に知性が宿る様になる。
当然【上位鬼種生成】で生成されたこいつ等にも知性が宿っている訳だが、上位で生成されたこいつ等には確固たる個としての自我が存在していた。
喜怒哀楽をハッキリと表現するし、頭が良いので下手な相手よりも会話が弾む。
下位の時の様な肉人形擬きではなく、一個の生命体として存在しているのだ。
それでありながら生成主である俺に絶対服従するこいつ等は、命令一つで命を投げ出す事も厭わない。
放置して先に進んでも、俺が戻ってくるまで傷つきながらダンジョンモンスターと戦い続けて、多分最後の瞬間には『主様……すいません。不甲斐なく……お先に失礼します』とか何とか言いながら死んでいくのだろう。
というか、最初に生成した一体を溶岩巨人にぶつけて戦闘力を確認した際、似たような感じのセリフを残して死んだのでほぼ間違いない。
別に知性があろうが無かろうがどうでもいいが、しかしそんな奴らをただ放置するのもどうかと思うので、俺達の血肉にしてやった方がいいだろう、と思い、だから俺達はこいつ等を喰うのである。
それで喰べるのは決定であるが、解体の手間を省くため、まず互いに解体し合う様に命じた。
これで作業が終わるまでの間に、俺達は簡単な身支度を整える程度の時間が出来た。
しばらくして一体残らず解体され、出来上がった大量の肉塊の山。
だがそのままだと流石に血が多すぎるので、【水流操作能力】を使って不必要な血を除去してから手頃な大きさの岩に乗せた巨大鉄板の上に並べていく。
ここの地熱によって鉄板は勝手に熱されるので、置かれた肉達はジュウジュウと音を立てながら焼けていく。
分厚く上質なブラックブルオーク・ガードナイトとブラックミノタウロスの肉は、見ただけで一級品だと分かる品ばかりだった。
それが豪快に焼かれていく光景は、視覚と聴覚、そして嗅覚を同時に刺激する素晴らしいモノだった。
思わずジュルリ、と涎が垂れる。
朝から大量の上質な牛肉と猪肉を使った焼肉パーティーとは何とも豪勢だな、と思いつつ。
焼肉だけだと栄養バランスが悪いので、ついでに迷宮の清水で洗浄した迷宮産野菜も一緒に喰べる。
口の中で蕩けるように柔らかく濃厚な肉に、シャキシャキとした野菜の組み合わせは最高だ。
大量にある肉と野菜を猛烈な勢いで消費していると、ふとした瞬間にブルーフレイム・デビルトォレントの破片を加えるのはどうだろうか、と思った。
早速実行してみると、コリコリとした触感と噛んだ時に滲み出る微妙な甘さが加わり、より美味くなっていた。
【能力名【植物操作能力】のラーニング完了】
美味しく食べられた上にラーニングまでできるとは、今日は運が向いている様だ。
もしかしたら攻略も、何かいい事があるかもしれないな。
活力が漲る食事を終えて、今日の攻略を開始する前の簡単な装備の点検をしつつ、【鬼乱十八戦将】に覚醒したという鈍鉄騎士とドリアーヌさんに連絡をとってみた。
これは勿論、【鬼乱十八戦将】に目覚めたのは何が切っ掛けだったのか、また覚醒する前とした後ではどう違うのか、といった事を聞く為だ。
それで二人から聞いた話を纏めると、切っ掛けは分からないらしい。
ただ、それぞれ仕事をしていて、ああ自分とはこういう者なんだな、と言葉では詳細に表現するのは難い心境になったら、気が付くと獲得していたそうだ。
確か『時と条件が満ち、自覚する事で』とか表示されていたので、まあそういった条件を二人は満たしたのだろう。
これには個人差がありそうだから二人の話は参考程度にしかならないだろうが、それでも一応は聞いておく必要があるだろう。
それで覚醒後の状態だが、全体的な能力の向上に加え、特定分野の伸びが凄まじい、という事が分かった。
鈍鉄騎士なら戦闘狂だからか戦闘関係の能力が、ドリアーヌさんならアロマなどのリラクゼーション関係が。
といった具合だ。
とりあえず鈍鉄騎士がどれ程強くなったのか知りたくなったので、朝から一緒に行動していた復讐者と素手で組手をしてもらった。
以前の鈍鉄騎士なら復讐者に圧倒されて反撃もままならず、しかし歯を食いしばっての防戦に徹して戦い抜く、という事になるのだが。
今回試してみると、なんと鈍鉄騎士は反撃できるだけの余裕を持って復讐者と戦う事が出来たのだ。
ざっと簡単な流れにすると、以下のようになる。
対峙した二人。短い睨み合いを終え、先に動いたのは鈍鉄騎士だった。
鈍鉄騎士の岩石さえ抉る左右のコンビネーションパンチ。殆ど同時に迫るそれを、残像が見える程の高速ダッキングで回避する復讐者。
攻撃を掻い潜ったその直後に復讐者が繰り出した反撃の一撃は、颶風を纏った強烈なアッパーカットだった。
直撃すれば間違いなく顎を粉砕する一撃に何とか反応した鈍鉄騎士は、大きく仰け反る事で回避した。
ギリギリの所で直撃は免れたが、拳圧に押されて鈍鉄騎士の体勢は僅かに崩れる。
それを逃さず追撃として繰り出された復讐者の右ローキック。常人ならば粉砕骨折するだろうそれを、しかし鈍鉄騎士は何とか足で受け止めた。
桁違いの破壊力にグラつきながらも耐え、鈍鉄騎士は復讐者の顎を狙った掌打を繰り出した。しかしそれは復讐者が首を傾ける事で回避する。
だがそれこそが鈍鉄騎士の狙いだったのだろう、鈍鉄騎士はそのまま復讐者の首に両腕を回し、後頭部で両手を絡めて固定する。
所謂“首相撲”と呼ばれる様な状態だ。
拘束から抜け出そうとする復讐者の体勢を巧みに崩しつつ、鉄さえ凹ませる膝蹴りを繰り返し叩き込む。
首相撲によって動きが制限された状態で、連続で繰り返される膝蹴りを防ぐ事はなかなかに難しい。単純に手と足では一撃の威力が違い過ぎるし、全体の力の流れが狂わされて思う様に力を発揮できないからだ。
しかも鈍鉄騎士相手となると、実力が無い者なら拘束から抜け出せないまま内臓破裂、頭部圧壊、なんて結末になったかもしれない。それほどまでに苛烈で執拗な攻撃だった。
だが今回の相手は復讐者。神が選んだ主要人物の一人であり、この程度でやられる漢でもない。
動きを阻害されつつも迫る膝を受け止め、あるいは流していく。だがそれでも防御は完璧とは言えず、数発の攻撃が復讐者に直撃する。
それに耐えながら攻撃と攻撃の合間を狙って首相撲を強引に振り解いた復讐者は、そのまま僅かな隙を逃す事なく鈍鉄騎士の心臓めがけて肩から突進する。
その速度は凄まじく、激しい衝突音を伴いながら吹き飛んだ鈍鉄騎士は呼吸が詰まるような激痛に顔を歪め、しかし倒れる事なく立っていた。
という具合である。
勝つ事は出来ないようだが、数回いい攻撃が復讐者に入り、苦戦させていた。
弟子である赤髪ショート――現在は王都にて育休中――に短期間で追いつかれ、追い抜かれそうになっていた鈍鉄騎士にとって、今回の強化は非常にありがたいモノだったらしい。
新しい力を嬉しそうに確かめながら、手頃な好敵手が出来ていい笑顔を見せる復讐者と朝から流血ありの訓練に移行していった。
戦わせておいて何だが、貪欲に強さを求める二人は波長が合いすぎる様だ。
類は友を呼ぶ、という事か。
次にドリアーヌさんの場合だが、丁度≪パラベラ温泉郷≫に泊まっていた父親エルフを実験台にしてもらった。
まだ微妙に早い時間帯ではあったが、父親エルフは既に起きて朝風呂に行こうとしていた所だったので丁度良かったのだ。
最初は楽しみにしていた朝風呂に行きたかったのか返事をやや渋ったが、ドリアーヌさんの新しい手技を無料で受けられると知ったら即座に承諾してくれた。
最初の頃の威厳に満ちた父親エルフの姿は幻だったのかもしれない、なんて思う程だらし無い笑顔は一先ず脇に置いといて。
掌から固有のアロマオイルを分泌し、マッサージベッドの上で俯せになった半裸の父親エルフの背面にドリアーヌさんは手を這わせていく。
皮膚に吸い付くような掌は滑らかに、しかし的確に無駄のない動作で父親エルフの身体を解していく。
アロマオイルはジワジワと浸透し、その効能を遺憾なく発揮した。
そして一分と経たず、父親エルフの意識は途切れた。
マッサージベッドは俯せになると丁度顔がくる部分に適した大きさの穴が開いているのだが、そこに嵌っている父親エルフの口は開いたままで、重力に引かれてポタポタと涎が床に垂れている。
あまりの気持ち良さに身体が弛緩している証拠だ。
最近は≪パラベラ温泉郷≫で定期的にマッサージを受けて身体を揉みほぐしている父親エルフがこの短時間で落ちるとなると、ドリアーヌさんの手技は一体どれ程のレベルになっているのだろうか。
これは攻略が終わったら是非やってもらおう、と俺は気持ち良すぎて寝てしまった父親エルフを見ながらそう思った。
ざっと確認を終えた後はもっと詳細に調べておいてくれと二人に任せ、俺達は今日の攻略を開始した。
しばらく歩いてお宝エリアを抜けると、これまでの地形とは大きく変わった場所に出た。
高さ約五十メートルの崖が左右に延々と伸び、そこで先に続く地続きの道は途切れているのだが、そこから先の崖下には終わりが見えない規模の溶岩の大河が広がっていたのだ。
この大河を抜ければ中央に聳える螺旋火山の入口に到着できる筈なのだが、轟々と膨大な量の噴煙を上げている溶岩の大河は遠い場所ほど見え難く、簡単には渡れそうにない。
大河の突破を困難にしている要因は、大きく分けて三つある。
まず一つ目は、溶岩の大河から発せられるその馬鹿げた熱エネルギーだ。
ここに来るまでも十分過ぎる程凄まじかったが、中腹を抜け、頂上までもう少しという所にあるここからは難易度が更に跳ね上がっているらしい。
五十メートル程度の高さなどあって無いようなモノで、生肉などを大河の上に少し晒しておけばいい感じに焼けそうだ。
実際、偵察する為に投擲した分体は数百メートルも進む事なく輻射熱でこんがり焼けてしまった。
輻射熱だけでそうなるのだから、当然落ちればよっぽどの存在でもない限り死ぬだけだと分かる。
俺はともかく、他の皆では確実に死ぬだろう。
次いで二つ目は、どうやら大河の所々に重力異常地帯が存在するらしい、という事だ。
というのも、大河の上空にはざっと見た限り数千個程、大河から噴出する蒸気や輻射熱に晒されながらも融解せずに存在する巨大な黒い金属塊が浮かんでいる。
この金属塊以外に大河を渡れそうなモノは何もない事から、単独で空でも飛べない限り、この先に進むには重力異常によって宙に浮かぶ金属塊を経由して行く必要がある。
金属塊という事で触れないほど高熱になっているかと思ったが、クギ芽ちゃんによれば金属塊は熱を吸収して内部に圧縮しているらしく、大河の上にあってもその温度はさほど高くない。
直接触っても『温かぁ』と思わず癒される温度だそうだ。
その程度なら問題は無いし、大きさも数メートルから百数十メートル規模のモノまであるので、金属塊で休憩しようと思えばできそうだ。
それから金属塊と金属塊の間の距離はそれぞれ異なるが、全く移動できない程離れている訳でもなく、ゆっくりとだがそれぞれが動いているので、最適な金属塊を選んで行けば短時間で大河を渡る事も可能だろう。
金属塊の近くの重力は他よりも弱いらしく、思ったよりも高く軽やかに跳躍できる事も渡る為の助けになりそうだ。
だが油断できない事に重力が弱い場所もあれば逆に強い場所もあるようで、ゆっくりと移動していた金属塊が急に大河へ落下したりする事が度々あった。
これは飛行可能な攻略者が調子に乗った所を強制的に沈める為の罠なのだろう。
よっぽどの事が無い限りは飛行できても浮いている金属塊を経由していく方が安全そうだ。
ただし金属塊を経由していっても油断は出来そうにない。
大河で活発に活動している溶岩流が、上空にまで引っ張られて来る事があるからだ。
金属塊を浮かせるような重力異常によって大きく跳ね上がり、不規則に空中を蠢く図太く長大な溶岩流はまるで溶岩の大河で巨大な蛇竜が暴れている様にも見えた。
小規模ならまだいいが、その規模が大きいモノになると複数の金属塊をまるまる包んでしまう事もあるので、逃げ遅れたり運が悪ければ骨も残らず蒸発するのは間違いない。
そして最後の三つ目は、ここに生息しているダンジョンモンスターの存在だ。
ここに生息してるのはこれまで出てきた種族もいるが、それに悪魔系のダンジョンモンスターが色々と加わっている。
その例として――
赤黒い金属質の皮膚と筋骨隆々な肉体を持つ巨大猿に、二角二翼を加えたような外見の“フェイメタル・デビルエイプ”
青白い金属質の皮膚と鬣をもつ五角魔馬に騎乗し、紅蓮の騎槍と逆三凧盾、そして禍々しい形状の全身鎧を装備しその全身を獲物の血で染める悪魔の槍騎兵“ブラッドレッド・デビルランチェーレ”
十メートルを超す巨躯と黒銀の強固な楯鱗、そして身体の三分の一を占める異常に大きな口にダガーの様な分厚い鋭牙を無数に生やした“ビッグマウス・デビルシャーク”
獣の様な頭部に生えた角は深紅に染まり、赤黒い人間の様な上半身の背面から蝙蝠の様な翼を生やし、剛毛に覆われた肉食獣を彷彿とさせる下半身を持つ、様々な生体武器を備えた二メートルサイズの“ラヴァリア・レッサーデーモン”
数体のラヴァリア・レッサーデーモンを引き連れた、その上位種である三メートルサイズの“ラヴァリア・デーモン”
――などがいるのだが、それ等は金属塊の上で待ち構えていたり、空を飛んでいたり、時折噴出した溶岩流に乗ってやって来る。
常に全方位を警戒する必要があるそんな場所を抜けるのは、俺達でもかなり苦労させられた。
ここではもたもたしていると金属塊が落下したり溶岩流に飲み込まれてしまうので、機動力と殲滅力を両立させる必要があった。
しかし普通に行っては後衛組、特にセイ治くんとクギ芽ちゃんの体力が持つかどうか不安が残る。
高熱に弱いカナ美ちゃんやイロ腐ちゃんにはここの高熱は幾重の対策をとっていても辛いもので、万が一が無いとも限らない。
そこで俺がカナ美ちゃんを右肩に乗せ、ミノ吉くんがセイ治くんとイロ腐ちゃんを担ぎ、アス江ちゃんがクギ芽ちゃんを抱え、ブラ里さんがスペ星さんを背負って駆け抜ける事にした。
こうする事で機動力はもちろん、それなりの殲滅力を確保できている訳だ。
準備が整えば俺が先頭を走り、その後ろにミノ吉くん、アス江ちゃん、ブラ里さんと続いていく。
寄ってくるダンジョンモンスターは片っ端からクギ芽ちゃんが感知してくれるので不意打ちされる事は無く、こちらは準備万端で迎え撃つ。
ざっと説明するなら――
俺の右肩に腰掛けたカナ美ちゃんは、元はエルフの家宝だった【必中の名弓】の弦を引き絞る。
【吸血貴族・亜種】の膂力によって引かれた強弓はギリリと軋み、カナ美ちゃんの上質な魔力で編まれた蒼銀色の【凍てつく氷魔矢】を恐るべき速度で射出した。
氷魔矢は咆哮を上げながら迫るフェイメタル・デビルエイプの防御をすり抜け、その眉間に突き刺さる。
そして氷魔矢に込められた魔力が解放され、フェイメタル・デビルエイプの血が強制的に凍結、全身から赤い氷棘が肉と皮膚を突き破って外に露出した。
文字通り内部からズタズタにされた事で大ダメージを負ったフェイメタル・デビルエイプだが、しかし即死はしていない。それだけ馬鹿げた生命力を持つ生物であるし、数分も経てばダメージなど無かったかの様に動けるだけの超回復力を持っている。
だが、今回は環境が悪かった様だ。
周囲の高熱が露出した血の氷棘を容赦なく蒸発させていく。
水蒸気爆発に近い急激な変化によってフェイメタル・デビルエイプの肉体は内部から弾け飛び、残る血煙も吹き上がる気流によって即座に吹き散らされていく。
フェイメタル・デビルエイプが居たという事は、その場に残されたドロップアイテムだけが示していた。
その脇を抜けるようにして迫るビッグマウス・デビルシャークの口腔に、クギ芽ちゃんから放たれた怪光線が集中する。
全ての眼球から放たれたそれ等が一点に集中し、ボッ、と僅かに音を発しながら肉体を貫通した。
ただ即死する程強力な攻撃ではないのでビッグマウス・デビルシャークは激怒しながら突っ込んできたが、イロ腐ちゃんが投擲したナイフが巨大な尾鰭に突き刺さり、数秒で腐食させた事で動きが止まった。
流石に尾鰭が腐り、根元からもげてしまった状態では動きたくてもどうしようもない。
必死に動こうとした結果ビタンビタンと打ち上げられた魚の様な状態になったビッグマウス・デビルシャークは、格好の獲物である。
クギ芽ちゃんを抱えたアス江ちゃんが、その鼻先を思いっきり蹴飛ばした。重機が正面衝突した様な音を響かせながら、容赦の無い蹴りが肉片を周囲に撒き散らす。
相変わらずアス江ちゃんは豪快だと思いつつ、俺達は先に進んだ。
所変わって長方形のそこそこ大きな金属塊に到着すると、ブラッドレッド・デビルランチェーレ達が隊列を組んで待ち構えていた。
その数は十。統率された動きで構えられた騎槍の穂先がコチラを真っ直ぐ狙い澄まし、逃げても追いかけ追い詰める、と動作で語っている。
先に進むには他の金属塊では色々と都合が悪いし、金属塊の形状的に正面から来るブラッドレッド・デビルランチェーレ達からは逃げられない。
仕方なく、ミノ吉くんを先頭にした防御陣形をとった。
まるで目の前に城壁が出来た様な圧倒的存在感をミノ吉くんは纏うが、そんなものなど関係無いとばかりにブラッドレッド・デビルランチェーレは五角魔馬の腹を蹴り、風よりも速く突進してくる。
それなりにあった距離は数秒で踏破され、ミノ吉くんに穂先が衝突する直前、まるでそれを阻む様に金属塊の一部が大きく隆起した。
俺ではなく、アス江ちゃんの能力によるものだ。
普通なら急激な地形変化によって隊列が乱れたり落馬しただろうが、ブラッドレッド・デビルランチェーレ達はそれを物ともせずに障害物を跳び越した。
軽快な五角魔馬の跳躍は思わず見とれる程雄々しいものだったが、地に足がついていないのでは最早どうする事もできなかった。
跳躍した事によって数瞬の間は回避不可能となったブラッドレッド・デビルランチェーレ達に対して、スペ星さんの魔術が炸裂した。
繰り出されたのはスペ星さんが最も得意とする炎熱系統魔術と、努力によって使える様になった岩土系統魔術を掛け合わせて生み出された混合系統第七階梯魔術“灼岩鬼の榴散弾”だ。
鋭角な形状で大鬼サイズの燃える岩塊を数十以上も放つこの魔術は空中で身動きの取れないブラッドレッド・デビルランチェーレを容赦なく撃ち抜いた。
堅牢な城壁すら跡形もなく破壊するレベルの魔術の集中砲火によって、隊列前方にいた者から死んでいく。
しかも岩塊は敵に接触すると同時に爆発する効果もあるので、直撃を避けても近距離から襲いかかる衝撃波と爆音によって即座に動けないだけのダメージを与えられる。
その為後方にいたブラッドレッド・デビルランチェーレは死なずに残る事もあったが、全身が傷だらけでその動きは鈍い。
それを皆で袋叩きにしてしまえば、それほど手間取る事も無い。
――といった具合だろう。
簡単に進めた時もあれば何度も苦戦させられた時もあるが、全体的にイケイケで行ったら案外ノリと勢いでどうにかなった。
ここの環境的に足止めされれば危険度がグンと増すので皆の一撃一撃に普段以上の力が込められていた事や、ここに来るまでの大幅なレベルアップと、致命傷や重度の損傷以外なら無視して強引に進んだ事などが上手い具合に積み重なった結果だろう。
苦労しながら進んでいくと、ようやく螺旋火山の入口が見える距離にまで到着した。
大河を進み始めてから既に数時間は経っている。
金属塊の上で立ち往生したりダンジョンモンスターと戦闘したりしてそれなりに時間が潰れてしまったが、それも終わりが見えてきた。
という所で、大きな障害が立ち塞がった。
そう、ここにいたフィールドボスである。
何もこんな所で来るなよ、と思いつつ、螺旋火山入口手前に存在する一際巨大な金属塊の上にて、俺達は戦った。
フィールドボスの名は“トーラスデーモンロード・アーダーディア”
簡単に言えば背丈が七メートルを超える巨大な牛頭鬼の悪魔バージョンとなるだろう。
大きな外見的な違いと言えば、背面に生えた蝙蝠の様な二対の黒翼と、頭部や胴体や手足を保護する禍々しいデザインの生体防具、手に持つのが斧ではなく巨大な黒い鎌型生体武器といった所だろう。
もちろん細部にも違いはある。
全身を覆う禍々しい赤黒い極太の剛毛はまるで金属繊維を束ねた様なシロモノで、下手に触れれば肉が抉られそうだ。
純白の鋭牙を剥き出しにして俺達に敵意を向けてくる獰猛な頭部の額には、普段は閉ざされた三番目の黄金瞳――視線を合わせた敵に様々な状態異常を付与する【魔眼】――が存在する。
これに対抗するには【魔眼完全耐性】などを持つ俺か、自身も【魔眼】を有するカナ美ちゃんとクギ芽ちゃんでもないと、正面から対峙するのは難しそうだ。
そんな強敵トーラスデーモンロード・アーダーディアは口から呼気とともに黒炎を吐き出しながら、俺達に向かってその鎌を振り下ろした。
眼前に、黒炎の巨大竜巻が巻き起こった。
【フィールドボス[トーラスデーモンロード・アーダーディア]の討伐に成功しました】
【初回討伐ボーナスとして宝箱【灼牛魔の宝骸】が贈られました】
そして苦戦の末、俺達は勝利した。
トーラスデーモンロード・アーダーディアの強さは、これまでの全モンスター内で最高ランクなのは間違いない。
その動きは外見からは想像できない程速いのだが、身に纏う黒炎によってその姿が視認し難くなる事が多々ある為、実際に対峙すると本来の速度よりも三倍は速く感じられた。
そしてその剛力はミノ吉くんの防御を真正面から崩す程強力だ。
鎌による斬撃と打撃を複合した様な重い一撃はミノ吉くんの盾を強引に押し込み、即座に跳ね上がる蹴りは盾を容易に跳ね上げ、砲撃の様な殴打はミノ吉くんの頑丈極まりない肋骨を砕いた。
という具合に肉体面だけでも驚異的なのだが、行使する黒炎は【呪炎】の一種らしい。
状態異常を付与する呪炎に焼かれれば治るまでかなり長い時間が必要であり、粘液の様な特性を持つこれはベッタリと付着して消火する事が困難で、【耐性】持ちでも油断は出来ない。
大河に浮かぶ金属塊ですら燃やす程なので、もし全身を焼かれれば、焼かれた部分を切り落とす必要がある。
これは皆を庇って全身を焼かれ、【脱皮】する事で生還した俺だからこそ黒炎の恐ろしさを断言できる。
超痛い。生きたまま焼かれるとか、耐えれない事はないが何度も味わいたいものじゃない。
しかもトーラスデーモンロード・アーダーディアは生成能力まで持っているのだから、もう凶悪の一言だろう。
もし【上位鬼種生成】などが無ければ、生成され続けて最後には数百体にまで膨らんだ“トーラスデーモン”の大軍勢に飲み込まれていたかもしれない。
数十ならともかく、流石に数百体に囲まれては色々とキツ過ぎる。
ともかく、俺達はトーラスデーモンロード・アーダーディアを討伐し、大河を抜けて螺旋火山入口にまで到着できた。
重度の疲労と怪我で流石にこれ以上進むのは困難なので、宝箱や死体を全て回収した後は螺旋火山入口にて一夜を過ごす事にした。
ここでは散発的に強力極まりないダンジョンモンスターに襲撃されるが、それでも襲撃の間隔は他よりもかなり長いので、まとまった休憩をとる事ができそうだ。
夕飯はトーラスデーモンロード・アーダーディアやトーラスデーモンを食べ、明日の為に早めに休む事にする。
噛めば噛むほど旨味が肉汁と共に溢れ出る、これまでの中でもトップクラスの極上の肉に、俺達は大変満足である。
【能力名【呪炎】のラーニング完了】
【能力名【悪魔の因子】のラーニング完了】
【能力名【魂狩りの鎌】のラーニング完了】
【能力名【下位悪魔生成】のラーニング完了】
【能力名【中位悪魔生成】のラーニング完了】
【能力名【上位悪魔生成】のラーニング完了】
一回で下位から上位までの悪魔生成が揃っちまったよ、と思いつつ。
環境に合わせたセッティングによって日々快適さを増していく骸骨百足製拠点は、今日も大活躍で快適な休息を確保してくれていた。
本日の合成結果。
【下位悪魔生成】+【中位悪魔生成】+【上位悪魔生成】=【大悪魔精製】
【脱兎】+【緊急離脱】=【緊急脱出】
【黒使鬼吶喊】+【狂象行進】=【黒王狂進】
【切断力強化】+【斬貫強化】=【大斬貫強化】
【吸血搾取】+【血喰いの獣】=【血餓の吸血鬼】
【剣嵐の舞】+【曲芸剣舞】=【曲剣嵐の舞踏】
【黒使鬼の咆撃】+【亜竜の咆哮】+【幽霊の叫び】+【肉亜竜の慟哭】+【死を招きし鬼声】=【告死鬼の奪命声】
“二百四十二日目”
昨日合成して出来た【大悪魔精製】によって、俺はブラックトーラスデーモンロードなどを精製する事が出来る様になった。
流石にトーラスデーモンロード・アーダーディアを精製する事は出来ないが、【神級】のフィールドボスになる様な存在なのだから精製できなくても、それは仕方のない事だ。
最初から期待はしていなかったし、ブラックトーラスデーモンロードが精製出来る様になっただけでも僥倖だった。
俺がもう一段階進化すれば精製できる様になる気もするが、それは実際に成ってみないと分からないので一先ず置いとくとして。
早速ブラックトーラスデーモンロードがどれ程使えるか試してみたが、かなりの手応えを感じられた。
消費魔力は大きいし、精製するのにそこそこの時間を必要とするが、そんなデメリットなど問題にならない程のメリットがある。
単純に強いし、飛行可能である事に加えて様々な特殊能力を秘めているからだ。
それからブラックトーラスデーモンロード以外に何が精製できるのかも知りたかったので、できる範囲で色々とやってみた。
その後は昨日のブラックミノタウロス達の様に今日の朝食の材料になってもらい、極上の肉を朝から堪能する。
やや硬めの肉質だが、その分噛めば噛むほど中から濃厚な肉汁が溢れてくるので、俺はこの肉がかなり気に入った。
昨日食べたトーラスデーモンロード・アーダーディアには劣るが、それでもそこまでの差は感じられない程良い肉だ。
それにしても、ただ焼いただけでこれなら姉妹さん達に調理してもらえばどれ程美味くなるのだろうか。
これは早く攻略して、姉妹さん達に調理してもらわねば、と思いつつ上質な活力を得て、今日は早朝から元気に螺旋火山の攻略へと乗り出した。
螺旋火山は螺旋とあるように、頂上に到達するにはグルリと続く螺旋状の坂道を進んで行くという構造になっている。
空を飛べれば直接頂上に行けそうな気もするが、多分ここにも重力異常地帯といった罠があるだろう。
もしくは重力異常地帯よりももっと悪辣な、それこそ螺旋火山が突如噴火して逃げる間もなく火山灰やマグマに覆われて何もできないまま蒸発する罠がある、なんて事も考えられる。
いや、見上げていると螺旋火山上空に鎮座している黒雲内部で雷光が迸り、雷鳴が轟く回数が明らかに増えたので、飛行すれば無数の雷撃が降り注ぐのかもしれない。
あるいはそれ等全てが同時にやってくる、なんて事も考えられる。
ともかく、飛行した時に降りかかる困難がどうであれ、全員が自力で飛行できる訳でもないのだから、普通に歩いて行くという以外に俺達に選択肢は無かった。
それで螺旋火山の螺旋の坂道だが、冷え固まった溶岩で出来た道幅は約百メートル程だ。
ただ登るだけなら広すぎるが、戦闘になれば若干の狭さを感じる微妙な幅である。
そんな坂道を進んで行くには、どうしても坂道で待機しているダンジョンモンスターをどうにかする必要があった。
逃げ道は後方以外に存在せず、逃げても上方から追撃されるのは分かっているので、遭遇すれば俺達は全て殲滅するしかない訳だが。
流石にほぼ最深部といってもいい場所なだけあって、出てくるダンジョンモンスターは全てが全て、かなりの実力を伴っている。
派生ダンジョンのダンジョンボス級が出てくる最低ラインの強さで、最高だと【亜神】級深層の階層ボスと同等かそれを上回る様な存在が複数同時にやってくる、と言えば多少は分かり易いだろうか。
幸い【亜神】級深層の階層ボスレベルのダンジョンモンスターの数はかなり少なく、引き連れる取り巻きの数も数体程度だ。
個としてはここのフィールドボス達の方が圧倒的に強いし、それを倒してきた俺達が負ける程ではない。
このレベルなら個々で戦っても倒せるだろうミノ吉くんやカナ美ちゃん達が揃っている現状は、俺が単鬼で攻略していた時よりも遙かに楽に倒す事ができている。
実際、多少の苦戦はあれ、そこまでダメージを負うことなく狩れていた。
だが、やはり数が多い。多すぎると言っていいだろう。
連戦に次ぐ連戦で休む間が無く、それに比例しただけの疲労が蓄積して皆の動きが鈍くなる。
セイ治くんと俺で治療と疲労回復を行うが、身体の芯にまでこびり付いた疲労をとる事は中々に難しい。
それに肉体だけでなく、装備も多少草臥れている。
まだまだ壊れる程では無いが、酷使した事で得物の切れ味が普段よりも鈍ったり、無数の傷跡が防具に刻まれていたりする。
それぞれこまめに整備しているので大きな破損こそみられないが、いざという時の為に、今後はもう少し細部まで気をつけておくべきだろう。
そんな感じで無数の怪我を負いつつも進み続けた結果、俺達は夕暮れには頂上手前にある小さな洞穴に到着できた。
ここに入って精製したブラックトーラスデーモンロード達に護らせれば、一夜くらい問題もなく過ごせそうである。
だから守りは任せ、俺達はここで一泊し、明日はダンジョンボスに挑戦する事になった。
明日の為に、今日は早く寝る事にしよう。
本日の合成結果。
【巨人王の覇撃】+【巨人の鉄槌】+【装甲圧殺】+【肉潰す怒涛の破拳】+【衝圧雷砲】=【黒覇鬼王の金剛撃滅】
【理外なる金剛の力】+【狂い猛る黒鬼の本能】+【体力値上昇】+【強靭な象騎の肉体】+【剛力】=【黒覇鬼王の蹂躙暴虐】
【発火能力】+【水流操作能力】+【発電能力】+【大気操作能力】+【地形操作能力】+【植物操作能力】+【光子操作能力】+【重力操作能力】+【精霊使い】=【森羅万象】
【響く雷雨の両腕】+【灼沸の赤腕】=【灼雷雨の両腕】
【治癒せぬ呪刻の傷】+【呪炎】=【燃え腐る呪炎の傷】
【消化吸収強化】+【大鯨呑】=【特大鯨呑】
“二百四十三日目”
快適な休息により、皆の体調は万全だ。
心身の疲労による気だるさは一切無く、魔力は手足の先に至るまで充実し、気力は激しく燃え上がっている。
これなら激戦が予想される今日のボス戦も、どうにかなりそうだ。
そう思える程度には、非常に良い状態になっている。
柔軟したりして入念に身体の調子を確認した後は、武装の点検も入念に行った。
まだまだ使えるが、今日の戦いを想像すれば、僅かな差で負ける事も考えた方が良い。
殆ど刃毀れしていなくても携帯用の高級磨石で得物の切れ味を良くしたり、防具の僅かな破損も直せる範囲であれば手早く直す。
幸いどれも簡単なほつれや小さな穴が開いている程度で、それほど手間取る事もなく点検作業は終わった。
確認と点検を済ませた後は、これまで通り一夜の守衛任務を完遂したブラックトーラスデーモンロード達を朝食に変え、それで腹を満たす。
迷宮産野菜や大森林の拠点でとれた白米などもふんだんに使い、今日はその味を普段以上にジックリと、時間をかけて噛み締める。
朝食中は終始無言で、皆黙々と手と顎を動かしていた。
皆、何となくではあるだろうが、戦いが終わった後にはこの九鬼の中から誰かが居なくなっているかもしれない、と感じているのだろう。
もちろん俺達は負けるつもりなど全く無いが、これが最後の朝食になるかもしれない。
そう思い、皆が覚悟するくらいには、予感がある。
これまでの経験によるものか、ここ独特の雰囲気によるものか、あるいは本能の部分でそう思うのかは分からないが、それは確信にも似た予感だ。
この先で待っているのは、個々の強さ云々ではなく、そもそもの種として現在の俺達よりも上の相手なのだと。
少しのミスでアッサリと殺されるかもしれない存在が待っているのだと。
そう感じてならないのだ。
皆の命を預かる身としては、ここで戦わずに引き返す事が正しい判断だ。
今でも戦果は十分過ぎる程あるのだから、わざわざ高確率で死ぬ危険を冒してまで挑む必要性は無い。
ここ以外にも迷宮はあるのだからそちらを回って行けばいいし、力をつけて確信を持てたのなら、その時に再戦してもいい。
なのに、俺達は誰一鬼として帰ろうとは言わなかった。
そんな雰囲気にすらならないし、そもそもここで帰ろうと思っている者すら居なかった。
多分、いや確実に、俺達は馬鹿なのだろう。
頭のどこかがブッ飛んでいる。
わざわざ自分から蛇の口に飛び込んでいく蛙の様に、壊れているのだ。
長めの朝食が終わると、少し間を置いてから頂上に向かった。
螺旋の坂道の終わりは洞窟から百メートルも離れていない場所にあり、そこまでの間にはダンジョンモンスターが居なかったので楽なモノだ。
そうして長い道程を経て、ようやく到着した螺旋火山の頂上には、まるで地獄の入口の様な火口がポッカリと空いていた。
数キロはありそうな断崖絶壁が下に下にと伸び続け、その底には煌々とした溶岩が沸いている。
底の溶岩から噴出する熱波は最深部だけあってこれまでの比では無く、もし落下でもすれば落下中に焼死するだろうし、何の対策もなく身を晒せば数秒で身体が発火しそうだ。
【ハイパークールリキッド】を数本煽り、耐熱耐火防具で身を包んでいても、カナ美ちゃんやブラ里さん達の肌はチリチリと焼けているのだから、その想像もあながち間違いではないだろう。
そんな膨大な熱エネルギーを吐き出し続けている火口には、大河に在った様な巨大な黒い金属塊が浮かんでいる。
火口中央にあるそれは、直径は数百メートル程とかなり広い円形で、また平坦で戦い易い構造になっている事から考えて、ここの神が用意した≪決闘場≫といった所だろう。
そこに行くには飛び石ならぬ飛び金属塊を経由する必要があるのだが、頂上に来ても肝心のボスがその姿を現さない事から推察するに、多分だが俺達が中央に到着すれば飛び金属塊は何処かに消え、ボスが出現する仕組みになっているのだろう。
つまり、決闘場に渡る前のこここそが最後の決断の場である。
逃げるのならここで決める必要があり、一度進めばもう後戻りできない。
それを皆が理解しつつ、ただ無言で互いの顔を見て、頷いた。
これでどうするかが決定し、俺達は決闘場に続く飛び金属塊へと踏み出した。
地獄の上に浮かぶ、自分達の命を賭ける決闘場。
まさにこの迷宮のボス戦に相応しい場所と言えるだろう。
そんな決闘場に俺達が到着すると、そこで予想通りに進んできた飛び金属塊は何処かに消えていった。
数秒と経たずに全ての飛び金属塊は消え、火口上に孤立した決闘場が整った、と同時に、上空から世界が罅割れたと錯覚してしまいそうな程強烈な咆哮が轟いた。
咆哮は聞いた者に様々な状態異常を付与するだけに留まらず、最悪の場合では死亡する事もある程強力な音による攻撃である。
非常に強力な先制攻撃に耐えながら、今日起きた時からずっと起動させていた【早期索敵警戒網】と【空間識覚】が俺達の頭上、つまり螺旋火山の上空に存在する黒雲の中から、途轍もなく巨大な生物が高速で降下してくるのを感知する。
思わず黒雲を見上げれば、そこには紅蓮の隕石の様な物体があった。
煌々と輝きながら勢いよく迫るそれは決闘場に衝突する手前で、雄々しく広げた巨大な翼を使って急制動を行い、落下の勢いを大幅に軽減した。
それに伴い発生した烈風は凄まじく、セイ治くんやクギ芽ちゃんなどは勢いに負けて決闘場から落下しそうになった程である。
ただそれでも落下の勢いは完全に無くならず、それが着弾した瞬間は決闘場がこのまま一回転してしまうのではないか、と一瞬思う程度には大きく傾いた。
幸い反転するというのは杞憂に終わり、傾斜が再び水平に戻った時には、俺達は降下してきた存在と数十メートル程の距離をあけて対峙した。
黒雲から降下してきたそれの正体は、巨大な紅蓮の【知恵ある蛇/竜】である。
ここの正式名称【フレムス炎竜山】からしてそうだろうとは思っていたが、実際に本物の竜を目の当たりにすると、思わず圧倒された。
竜は全長百メートルを超える巨躯を、隙間なく美しい紅蓮の竜鱗と竜殻で覆っていた。
金属繊維の束をギュッとより合わせた様な筋肉で覆われた四肢は数万トンはあるだろう自重を軽々と支える力強さに満ち溢れ、その極太の指先には魔剣聖剣の類よりも切れ味が良さそうな五本爪が伸びている。
背面に生えた二対の竜翼を広げれば、その幅は二百メートルを軽く超えるだろう。
大樹の幹の様に長く太い首の先には蜥蜴と鰐を合わせた様な頭部が存在し、黄金に輝く九個の【竜眼】が俺達の姿をそれぞれ捉えている。
家一軒飲み込めそうな程巨大な顎には巨大な牙が整然と並び、その隙間から長い舌と共に白く透き通った竜炎が漏れ出ている。
存在自体が一種の災害として認識される生物なだけあって、対峙しただけで身も心も消し飛んでしまいそうな程の威圧感を放っている。
そんな圧倒的強者である竜は俺達に向かって『よくぞ来た、資格ある者達よ。我が名は【フレルブ=イグナトス】、誇り高き“紅焔竜帝”の系譜に連なる“紅蓮竜帝”なり。我は我が神と妻が交わした盟約に従い、御主等の前に立ち塞がろう。ここで我が炎によって焼滅したくなければ、その生命を賭して我に向かって来るがよい。我もこの生命を賭し、全力で相手をしようぞ』と、身体の芯にまで響く様な重低音の声で宣言した。
一言一言に馬鹿げた量の魔力が伴い、心の底から逃げ出したいと思う程度には強い圧を生じさせた。
それによって周囲の熱気すらも一時的に吹き飛ばされたのか、急激な温度の落差で微妙な涼しさを感じた程だ。
そもそも竜とは、この世界では巨人種などと並ぶ最強の種族の一つにして災害だ。
その竜の中でも明らかに上から数えた方が早いだろう紅蓮竜帝は、災害を超えた天災であり、まさに【フレムス炎竜山】のボスに相応しい存在である。
そんな紅蓮竜帝を前にして俺は、いや、俺の影響を多大に受けているカナ美ちゃん達全員がゴクリと喉を鳴らし、それぞれの得物を握り締めた。
俺達は紅蓮竜帝の驚異を正しく理解していたが、それでもある思いを抱かずには居られない。
あのゴツイ四肢を齧れば、どんな食感がしてどんな味がするのだろうか。
見るからに分厚い頭蓋を噛み砕き、その中身である脳を啜れば、どんな愉悦に浸れるだろうか。
生きたまま臓腑を喰らえば、この肉体にはどんな力が宿るのだろうか。
力強く脈動する心臓を生きたまま摘出し、こんがり焼けばどんな香ばしい匂いを放つのだろうか。
百メートル級の巨体は、食べ尽くすのに一体どれ程の日数を必要とするのだろうか。
そんな考えばかりがグルグルと巡り、俺達は天災たる紅蓮竜帝を超希少な超高級食材を品定めする様に観察していた。
今まで受けた事など無かった類の感情を向けられてか、紅蓮竜帝は訳も分からずといった風に身震いしていたが、そんな事はどうでもよくて。
つまり、要するにだ。
これまで食べたどんな食材よりも、超美味そうな竜帝狩りじゃーッッ!! 竜帝肉を貪り食ってやるわいッ!!
という事である。
俺達は食欲全開で、喰らう為のドラゴンハンティングを開始した。
“二百四十四日目”
正直リスクを度外視して、食欲優先で行動した事は反省している。
後悔は全くしていないが、これからはもう少し気をつけよう。できるだけ、と最後に付くのだが。
それで昨日から続いた紅蓮竜帝との戦いだが、今日の朝、ようやく終わりを迎えようとしていた。
紅蓮竜帝はやはり恐ろしい程に強く、コチラの被害はこれまでに無い程甚大である。
九鬼の中で最後まで立って居られたのは、まだ奥の手を幾つか残している俺と、強靭な肉体を誇るミノ吉くん、それから後方で無駄なく立ち回っていたカナ美ちゃんの三鬼だけになっていた。
今回の戦いでは幸いな事に死者こそ出ていないが、他の六鬼はしばらく動けそうにも無い状態だ。
まずブラ里さんだが、ブラ里さんは近距離で濃密な攻撃を浴びせ続けた。
努力と実戦によって鍛えられた剣技によって強固な竜鱗を切り裂き、分厚い竜殻は罅割れた。その下の肉は能力を併用する事で深々と抉り、着実にダメージを蓄積していった。
そして戦いの中盤頃、ブラ里さんは紅蓮竜帝から流れ出た竜血を強引に支配するという離れ技を行った。
紅蓮竜帝の魔力が大量に溶け込んでいる竜血は、触れただけで発狂死する様な劇物である。それ支配するのは例え血の扱いに長けた血剣鬼・亜種といえども、並大抵の事ではない。
普通のブラッディロードならそもそもやろうとも思わない暴挙であり、できたとしても制御できずに死ぬだけだ。
しかしブラ里さんはジックリと時間をかけ、それを可能にした。
竜血はブラ里さんによって、巨大な剣状に収束する。
そしてそれは、ブラ里さんの渾身の剣技と共に振るわれた。
刃渡りが数十メートルにも及ぶ巨大な竜血剣はその姿さえ視認させない程の速度でもって、紅蓮竜帝の背面に生えた二対の竜翼を根元から切断する事に成功する。
竜血には再生阻害能があったのだが、例え元は自分の血液だとしてもブラ里さんの支配下に置かれた事により、その効果は紅蓮竜帝にも適用された様だ。
遅々として再生は進まず、紅蓮竜帝は少なくともこの戦闘中は空へと逃げる手段を失った事になる。
それは素晴らしい戦果であるが、しかし竜血剣を編み出した代償は大きかった。
ただ一度振るっただけだというのに、ブラ里さんは何度も何度も吐血して口元を濡らし、全身を朱に染めた。鎧で見えないが身体中の皮膚が裂け、筋肉も断裂したのだ。
普通なら倒れる様な代償を肉体で支払った訳だが、その後も治療を受けならが根性で戦っていた。
それも限界を迎えた後は、回復用の魔法薬を数本一気に嚥下して、後方で寝転がって回復を行っている。
次いでスペ星さんだが、前衛が稼いだ時間を使って練り上げた魔術で紅蓮竜帝に幾度も痛撃を与えていた。
残念ながら最も得意としている炎熱系統魔術は紅蓮竜帝が持つ【炎熱無効化】によって効果を全く発揮しなかったが、それでも多種多様な引き出しを持つスペ星さんならではの混合系統魔術を駆使し、様々な場面で活躍している。
後衛なので身体の怪我こそ酷くはないが、しかし度重なる大出力の魔術の連続行使によって、莫大な体内魔力も今では殆ど残っていない。
副作用はあるものの効果が強い【マナビタンK】や【濃縮魔力回復薬】などを服用していたので魔力欠乏症こそ発症しなかったが、かなりギリギリの状態だった。
もう少し無茶をすれば意識を失っていただろう。
今はブラ里さんの様にゴロリと寝転んで、少しでも早く魔力が自然回復する様に務めている。
アス江ちゃんの場合は紅蓮竜帝が吐き出す竜炎などから後衛組を守る為、俺が大河で回収していた金属塊の中から手頃な大きさのモノを見繕い、それを抱えて奮闘した。
金属塊は完全に竜炎を防ぐ事は出来ないものの、竜炎の大部分は問題なく吸収する事ができ、守るのに大いに役に立った。
が、吸収できなかった熱量はアス江ちゃんの金属塊を抱える両腕と、動く為の両足を焼くには十分過ぎる程だった。
揃えた装備とセイ治くんの治療によって四肢が炭化する事だけは回避できたが、それでも四肢には痛々しい火傷が残っている。
四肢の負傷に加えて、激しく動き回った事で体力も底をついて、今はスペ星さん達と同じように寝転がって体力を回復させている最中だ。
セイ治くんとクギ芽ちゃんの二鬼は、単純に体力不足だった事に加え、魔力欠乏症が原因で意識を失っている。
セイ治くんが魔力を使い過ぎた理由は、皆の治療を限界以上にやり過ぎたからだ。
九鬼の中で回復できるのは俺とセイ治くんだけなのだが、俺は俺でやる事があるので、皆に必要な治療の大部分はセイ治くんが一鬼で担当している。
全員を治療できるだけの能力が聖光鬼・亜種であるセイ治くんには備わっているし、これまではそれでも問題は無かった。
だが今回はそうはいかなかった。
俺も手伝いはしたがそれだけでは間に合わず、それを補う為にセイ治くんがこれまでの限界を越えて能力を行使した。
もし血反吐を吐きながら皆を治し続けたセイ治くんが居なかったら、確実に誰かは死んでいただろう。
その結果として魔力欠乏症を発症し、今は皆の近くでスヤスヤと眠っているが、起きればよく頑張ったと褒めようと思う。
クギ芽ちゃんは紅蓮竜帝の全体を観察し、攻撃を先読みして皆に情報を流しつつ、竜種に共通して存在する数少ない弱点を探していた。
弱点というのは全身に生えた鱗の中にたった一枚だけ存在する、【竜の逆鱗】という部分だ。
巨躯を覆う鱗の数は数え切れない程ある訳だが、その中から逆向きに生えた一枚だけを探すというのは現実的ではない。
しかも竜は膨大な魔力を撒き散らしているので、クギ芽ちゃんの感知能力は大幅に阻害されてしまう。
それを解消するには邪魔な魔力を突き破るだけの魔力が必要になる訳だが、その魔力を捻出したクギ芽ちゃんは魔力と脳の使い過ぎで目や鼻から流血しつつも、執念で逆鱗を探し出す事に成功した。
そのせいで魔力欠乏症になってしまったが、紅蓮竜帝の逆鱗を狙って攻撃できたのは、クギ芽ちゃんが居たからこそだ。
イロ腐ちゃんの場合は、単純に撃墜されたからだ。
皆の影に隠れてチクチクと腐食攻撃をする遊撃員として活躍していたのだが、運悪くブラ里さんに竜翼を切られて地に落ちた紅蓮竜帝が繰り出した巨大な尻尾の薙ぎ払いに巻き込まれてしまった。
咄嗟に行った回避行動によって全身が潰されて即死する様な事は免れたが、しかし下半身はグチャグチャに叩き潰され、瀕死の重傷を負った。
慌てて【秘薬の血潮】などを使って治療したのだが、まだ意識は戻らず、継続的に治療しながらスペ星さん達の近くに転がしている。
九鬼の中で一番の重傷者なのは間違いないのだが、『迸るパトス……美男と野獣の……滴る汗とぶつかり合う肉……』などと譫言を漏らしているので、死にはしないだろう。
イロ腐ちゃんは、殺しても死にそうにない。
という具合の六鬼を背に、俺達三鬼は眼前の紅蓮竜帝に止めを入れる事にした。
地面に転がっている紅蓮竜帝は、その体積が最初の頃と比べて四分の一程にまで減少していた。
美しかった竜鱗には裂傷や破損が目立ち、太く強靭だった四肢は全て根元から切り落とされている。
二対の竜翼は竜血剣によって切り落とされているので存在せず、俺とミノ吉くんで切断した胴体の半分はやや離れた場所に転がっている。
無数にある傷口からは今も膨大な量の竜血が溢れ、胴体切断部の周囲には内圧によって外に飛び出てしまった巨大な内臓が転がっていた。
そんな状態でもまだ生きているのだから、紅蓮竜帝とは何と頑丈な生物なのだろうか、と改めて思う。
ともあれ、そんな生物ももうすぐ死ぬ事には変わりない。
俺は紅蓮竜帝の喉元に隠れるようにしてあった逆鱗の中央を貫通し、柄の半分以上まで埋没している朱槍を一度引き抜き、今度は眉間にある黄金の瞳にズブリと突き刺した。
そのまま朱槍の能力【血塗られた朱槍の軍勢】を発動させ、体内から紅蓮竜帝の脳や内臓を徹底的に掻き混ぜる。
無数に出現する朱槍によって頭蓋の中の脳の大半はミンチになったはずだが、それでも紅蓮竜帝は死ななかった。
死ぬどころか、俺を噛み殺そうと暴れるくらいだ。
――紅蓮竜帝の生命力は化物かッ。
最後の最後で手痛い反撃を受けたくはないので、【燃え腐る呪炎の傷】を発動させる。
これなら例え【炎熱無効化】があろうとも、再生阻害能力と状態異常としての効果は期待できる。
少しでも再生能力を鈍らせられれば、流石に死ぬはずだ。
そして狙い通り、ここまでしてようやく紅蓮竜帝の残っている黄金の瞳から徐々に生気と光が消え失せて、完全に動きを止めた。
しばらく様子見をしても、動きはない。手早く調べてみたが、紅蓮竜帝はようやく死んだようだ。
それを確認して、ホッと気が抜けた。
俺達はこれでようやく【フレムス炎竜山】の攻略完了か、と思ったのだが。
【フィールドボス[紅蓮竜帝・フレルブ=イグナトス]の討伐に成功しました】
【初回討伐ボーナスとして宝箱【紅蓮の帝墓】が贈られました】
……うん、どうやらこれでもまだ終わりではないらしい。
その事実に驚愕と同時に脱力し、色々と思う所が無い訳でもないが、ささっと紅蓮竜帝の死体と宝箱を回収していく。
そして周囲に変化が無いかと伺ったが、変化はすぐに見つける事が出来た。
まず、消えていた飛び金属塊が再び出現している。
これで孤立していた決闘場から、外へと出て行く事が出来そうだ。
次に、火口の底に続く螺旋の坂道が新しく出来ていた。
火口の岩壁が変化して出来た坂道には、外に出る為の飛び金属塊の反対側に新しく出現した飛び金属塊を経由する事でその入口まで行けるようになっている。
そして、火口の底から飛翔してくる生物を感知した。
【早期索敵警戒網】と【空間識覚】によれば、その数は六匹で間違いない。
しかも独特な反応からして、全て生成体の様だ。
これらの情報から察するに、生成能力持ちのダンジョンボスは火口の底で待ち構えているらしい。
また面倒な相手だな、と思っていると、底から飛び上がってきていた六匹は決闘場の横を勢いよく通り過ぎ、その姿を現した。
六匹の内、“赤熱竜”が三匹、“赤火竜”が二匹、“緋炎竜”が一匹という構成の様だ。
ヒートドラゴンの体長は約十五メートル、ファイアドラゴンの体長は約二十メートル、フレイムドラゴンの体長は約三十メートルと、紅蓮竜帝と戦った後ではかなり小さく感じるが、しかし十分巨大である。
ちなみに、通常のヒートドラゴンはフォモールと互角かそれ以上の戦闘能力があるとされている。
実際にそうならどうとでもなりそうな相手だが、しかしダンジョンによる強化と地形的な恩恵を加味すれば、そこそこ手強そうだ。
それにヒートドラゴンの上位種であるファイアドラゴンと、その更に上であるフレイムドラゴンが居るので油断して戦わない方が良いだろう。
などと思っていると、六匹は数十メートル程上空で器用に滞空しつつ、一斉に炎の【竜の息吹】を放ってきた。
同系統のブレスは反発する事無く混ざり合い、効果を打ち消すどころか逆に勢いを増した。
一匹のブレスだけでも強力なのに、それが六匹分だ。
ブレスは例え【耐性】持ちでも焼死させるのに十分な、圧倒的な熱量にまで膨れ上がった。
もし決闘場に着弾すれば、即座に決闘場全域が紅蓮の波に飲まれてしまう事だろう。
全く容赦の無い事だ、と思いつつ、俺は【森羅万象】を使い、迫るブレスの流れを操作してギュッと圧縮してみた。ブレスの圧縮は、思ったよりも簡単に出来た。
六匹分のブレスといえど、正直紅蓮竜帝のブレスと比べれば大した事はない。
確かに強力ではあるが、しかしその程度である、ともいえる。
一メートルサイズの巨大な炎球となったそれは、圧縮されて尚轟々と燃えている。
何となく【高圧縮】を使えばどうなるか気になったので、やってみた。
するとブレスは親指程の大きさになり、まるで煌々と輝く宝玉の様だ。
そんな光景を見て、ドラゴン達が唖然としていたようだが、それはさて置き。
俺は炎の宝玉を、【魔力吸収】を発動させた状態でパクリ、と口に含んでみた。
途端に感じる充足感。失っていたモノが補充される独特の感覚である。
正直味がないので美味しくはなかったが、これで六匹がブレスに込めた魔力からやや減衰した、しかしそれでも十分過ぎる程の魔力を回復できた事になる。
多分出来るだろうと最初から思っていたが、無事にブレスを構成していた魔力を吸収した時にはホッとしたのは、俺だけの秘密にしておこう。
そうこうしていると、ドラゴン達はブレスでは無意味だと思ったのか、俺に向かって真っ直ぐに降下し始めた。
どうやら肉弾戦に切り替えた様だ。俺を見据えて吼え猛り、鋭利な牙を見せている。
流石に真面目に相手するのは疲れそうなので、高速で近づいてくるドラゴン達の周辺の重力を【森羅万象】で操作し、一気に十倍ほど重くしてみた。
すると急激に加わった負荷に耐え切れなかったドラゴン達は一匹残らず決闘場へと墜落していく。
その勢いは凄まじく、強靭な竜鱗は剥がれ削れ落ち、強固な竜殻は砕ける程だ。中には落ちた体勢が悪かったのか、太い四肢の骨が折れている個体も居た。
六匹は激痛のままに暴れようとするが、墜落した後も続いている重圧のせいで満足に暴れる事もできない。
ただ痛みに耐え、苦しげに悶えている。
俺はそれを見ながら自然に近づき、朱槍でそれぞれの心臓を突き刺し、素早く抉り出した。
そんな非常に簡単な作業を六度繰り返し、出来上がった全ての死体を回収していく。
ドラゴン食材を大量ゲットで、個人的には有難い。
だが、六匹が倒されたのを感じたのか、追加のドラゴンが上ってきている。
その数は感知できただけでも十二匹と、先ほどの倍だ。
このくらいならまだどうにでもなるが、どう考えてもこれだけでは終わらないだろう。
これからも数は増えるだろうし、ドラゴンの質も向上していくと考えた方が良い。
まだ動けない六鬼を庇いながらでは、非常に厳しい戦いになるのは明白だ。
進むにしても、引くにしても、かなりの危険を伴っている。
しかもミノ吉くんとカナ美ちゃんもまだ動けるとはいえ、そこまで余裕がある状態ではない。
【神の加護】を持っていようが、日々の鍛錬によって強靭な心身をしていようが、種族としての、生物としての限界は確実に存在する。
紅蓮竜帝戦を終え、休む間もなくドラゴン達と連戦を繰り広げる事にでもなれば、二鬼は確実にその限界に達してしまうだろう。
そうなれば戦えるのは俺一鬼だけになる。
流石にそんな状態では【大悪魔精製】などがあっても完全にカバーできるかどうか分からないので、できればそんな状況にはなりたくないものだ。
このままでは俺達はドラゴンに喰われるか、あるいは燃えて灰も残さずに焼失する可能性が高い。
それは絶対に避けなければならない。
帰りを待っている者達が居るし、まだまだやりたい事は多いのだ。
そこで、俺は馬鹿げた作戦を立ててみた。
まず、ミノ吉くんとカナ美ちゃんには決闘場で六鬼を守ってもらう。
その間に俺が火口の底にまで向かい、ドラゴンを二鬼が適度に相手できる数にまで減らしつつ、単鬼でダンジョンボスを倒す。
それで攻略は完了して、憂い無く帰れる、という作戦とも言えない作戦だ。
この作戦を伝えた時には二鬼からかなり文句を言われたが、まあ仕方ない。
私欲混じりの作戦でもあるので、甘んじて文句を聞いた。
今回は関係のない普段の愚痴も混じっていたが、それは今は置いとくとして。
文句を聞いた後は、作戦を実行した。
二鬼はまだまだ何か言いたげだったが、『まあ、アポ朗だから仕方ない』と納得してくれている。
無茶な作戦も、日々の信頼の賜物によって無事実行する事が出来そうである。
後の事は任せて、俺は決闘場から身を投げ出した。
=====
これ以上は先に進めない自分自身の力不足に激しく憤りつつ、しかし新たな目標を得た事でやる気を燃え上がらせるミノ吉。
心底心配しているが無事に帰ってくると確信し、見る者全てを魅了する程美しく可憐な笑みを浮かべて見送るカナ美。
「それじゃ、後は任せた」
そんな二鬼にそう言って、朱槍と呪槍を携えた黒き使徒鬼――アポ朗は決闘場から飛び降りた。
落下するアポ朗をまず襲ったのは、凄まじいまでの熱気を伴った風圧だった。
通常進むはずの螺旋の坂道と比べ、落下しているアポ朗はかなりの速さで底に向かっている。
その為落下時に感じる風圧だけでなく、温度変化はあまりにも急激であり、それはアポ朗が装備している耐熱耐火装備の限界を超える程凄まじいモノだった。
非常に高額だったマジックアイテムはこれまでその役割を十全に果たしていたが、落下を開始した十数秒後には発火し、火の勢いは衰える事なく増していった。
そして火を消す間もなく留め具が壊れた上半身の防具は突風に煽られて何処かに飛んでいってしまい、アポ朗は下半身を保護している自前の生体防具だけという半裸の状態になる。
幸いな事にアポ朗は【炎熱完全耐性】に加え、【耐火粘液分泌】に【菫青流体】を重ねる事で体表を入念に保護し、更に周囲が熱ければ熱い程各種ステータスが上昇する【炎熱の体】を発動させていた事で焼死する事は無かった。
しかしこれはアポ朗だからこそ助かったのであり、他の者ならばまず間違いなく死んでいただろう。
決闘場から下は、まさに灼熱地獄である。
そんな地獄から、獄炎を背に飛翔してくるダンジョンモンスターが居る。
それは竜だ。赤色の鮮やかな鱗で巨躯を覆う、強靭で強大な最強種の一つに数えられる生きた災害達。
その数は十二匹。
“赤火竜”が六体。
“緋炎竜”が四体。
“紅蓮竜”が二匹。
という構成をしており、もし【フレムス炎竜山】以外で遭遇すれば、国の主力が集中している王都などでも容易く陥落する様な災害の集団である。
そんな十二匹は、上空から無防備に落下してくるアポ朗を見て嘲笑した。
本能のままに生きる亜竜と違い、その上位種である竜には高い知性が宿っている。
ヒトなど遥かに超えた知性を持つ十二匹の竜達は、落下してくるアポ朗が自棄になって投身自殺をしている様にしか見えなかったのだ。
仮にそうでなかったとしても、自由に空を飛べないただの鬼人が自由に空を飛べる竜達の前に身を投げ出している。
それは包丁を持った調理人の前に食材が自ら進み出て、自身を調理しろ、と言っている様なモノだ。
間抜けにも程があり、どんな意図があろうとも自殺としか言えないような愚行である。
そうアポ朗について何も知らない竜達は思い、判断した。
だが竜達は【偉大なる母】の命令に従って、落下してくるアポ朗を全力で屠る為にその口腔内で魔力を圧縮し、圧縮した魔力に一定の方向性を与えた。
鋭い牙が乱立する口から漏れるのは、全てを灰燼に帰す竜炎――竜種最大の攻撃法であり、圧倒的な破壊を齎す【竜の息吹】である。
それが、十二匹全てから一斉に放たれた。
まるで火山が噴火した様な勢いで下から上に向けて放たれた竜炎は、先の六匹と同じ様に轟々と燃え盛りながら混ざり合い、濃い赤紫色の大竜炎となってアポ朗に迫る。
それは範囲内の全てを焼失させる程の熱量を秘めた、炎の形をした圧倒的な破壊であった。
直撃を受ければ、流石のアポ朗といえども致命傷を避けられないだろう。
しかしそれを前にして、アポ朗はただ獰猛な笑みを浮かべる。
たかが飛べる様になった蜥蜴が、いい気になるなとでも言うように。
「――邪魔だ」
[アポ朗は戦技【聖滅十字斬り】を繰り出した]
[アポ朗は戦技【息吹殺し】を繰り出した]
急速に迫る大竜炎に向けて、アポ朗は朱槍と呪槍を使った攻撃を繰り出した。
破壊する為にアポ朗がまず繰り出したのは【職業・十字騎士】によって使える様になった戦技【聖滅十字斬り】だ。
【聖滅十字斬り】は【十字斬り】系の中で最も攻撃力が高く、攻撃範囲も広い、非常に優秀な戦技の一つである。
それにアポ朗はアビリティ【聖十字斬り・改】を上乗せする事で、更なる攻撃力向上を行った。
それによってアポ朗の一撃は大竜炎を破壊するだけの威力となっていたが、アポ朗は更に【職業・竜殺し】が持つ戦技【息吹殺し】を追加した。
【息吹殺し】はその名称通り竜のブレスに対して非常に効果的な戦技である。
二つの戦技によって朱槍と呪槍には大量の赤い燐光が宿り、次の瞬間にはその斬痕が空間に刻まれた。
そして鋭利なナイフが薄紙を切るようにアッサリと、迫る大竜炎はアポ朗の攻撃によって綺麗に四分割されたのだった。
ただ一から四となった大竜炎は勢いが大きく減衰したが、やはり元々の勢いが強すぎたのだろう、完全に消失するまでは至らない。
四分割されて出来た中央の空間を通過したアポ朗に大竜炎は掠る事もできなかったが、そのまま上昇し続け、火口上空に鎮座した決闘場の底に衝突して爆散する。
耳を劈くような爆音と共に底一面が燃え広がりはしたが、しかしそこまでだ。
四分割されて減衰した大竜炎は決闘場の上面にまで炎上する程の勢いが無く、上で休んでいたミノ吉くん達を驚かせはしたが、その身までは全く届かない。
竜達の初撃は、失敗に終わったのだ。
それを竜達は口を開いたままの状態で呆然と見ていた。
一体何が起きたのか、見ていても理解できなかったのだ。なまじ知性がある分混乱は長引き、本能だけで動く亜竜などよりも次の反応が遅くなる。
大竜炎をすり抜けたアポ朗はそれを嘲笑いながら【森羅万象】によって竜以外に被害が及ばないようにし、【告死鬼の奪命声】を発動させた。
「――シネ」
それは短く単純な二言でありながら、一瞬でファイアドラゴン六匹全てを殺害する力を持っていた。
ファイアドラゴン達の肉体からは生きる為の力の一切が消失し、しばらくは慣性で飛んでいたものの、その巨躯は重力に引かれて落下を開始する。
ファイアドラゴンよりも上位種であるフレイムドラゴンとグレーズドラゴン達は死ぬ事こそなかったが、しかし無事という訳ではない。
フレイムドラゴン達の動きは目に見えて悪くなり、飛行速度がガクリと落ちた。必死で竜翼を動かし、膨大な魔力を撒き散らす事で何とか飛行しているが、何かあれば即座に落下してしまいそうな程不安定な状態だ。
そしてそんなフレイムドラゴン達ほどではないがグレーズドラゴン達の動きも鈍くなり、目に見えて速度は低下している。
訳も分からぬまま自身に起きた変調と、唐突な同胞の死に竜達は驚き、しかし今度は呆然とせずにその原因を睨みつけた。
竜がその膨大な魔力を込め、燃え滾る様な憤怒のままに睨むのだ。
それを直視した大抵の生物は、ただそれだけで動けなくなるだろう。絶対強者を前にした獲物が意志に反して動けなくなる様に、理性を超えた本能の部分で身体が竦んでしまうからだ。
竜にとって睨みつけるという行動は、精神弱者が恐怖のあまり死ぬ事もある程の、基本攻撃の一つだった。
普段の相手ならば、悪くはない選択肢だっただろう。
しかし今回に限り、それは悪手だった。
睨みつけた事で竜達は真っ直ぐに元凶――アポ朗の眼を見てしまう。
見てしまった者を殺す【見殺す魔眼】を発動させた、獲物を狙っている捕食者の眼を、だ。
普段ならば【見殺す魔眼】を直視しても、竜達は幾つかの状態異常に陥るだけで済んでいた可能性が高い。
しかし今は【告死鬼の奪命声】によって弱体化していた事で、竜達は【見殺す魔眼】の効果が通ってしまう。
断末魔もなく、外傷も無く息絶えた四匹のフレイムドラゴン達はファイアドラゴン達の様に飛行を止め、地獄の底に向かって落下していく。
声と視線。
そんな攻撃というよりは動作とでも表現するのが適切な行動で、十二の災害の内既に十は無力化されたのである。
一般人どころか【英勇】といった特別な存在から見ても非現実的光景であるが、しかしそれは確かな現実だった。
そんな中、死んでしまった二種の竜よりも上位種である二匹のグレーズドラゴンはまだ生存していた。
万全の状態と比べて酷く弱々しい状態になっているものの、竜種という王者の血族の誇りにかけて、今や怨敵となったアポ朗に一矢報いる為に咆哮を上げ、瞳を血走らせながら空を飛んでいる。
「グゥオオオオオオオオオオッ!!」
それに対して、アポ朗は獰猛な笑みを浮かべながら歓迎した。
まるで活きのいい獲物を前にしたかのような形相である。
「――ッシ」
【鞘翅生成】によってアポ朗の背面に生えた薄い黒色の翅が小刻みに動く。翅が動く度に落下速度は速まり、落下軌道が細かく修正されていく。
そして瞬く間にグレーズドラゴン達とアポ朗の距離は縮まり、そして消失した。
[アポ朗は戦技【首狩り】を繰り出した]
【職業・首狩り処刑人】の戦技【首狩り】が朱槍によって繰り出され、それとほぼ同時にアビリティ【首狩り】が呪槍によって繰り出された。
朱槍と呪槍からそれぞれ繰り出された二振りの首狩りの斬撃は、赤い燐光を周囲にまき散らしながら、二匹のグレーズドラゴンの頸部を正確に捉えた。
頸部を守っていた強固な筈の竜鱗は斬撃に対して抵抗すら許されず、殆ど音もなく両断される。
切り落とされたグレーズドラゴンの頭部にはまだ僅かに意志が宿ったままで、その瞳は悔しげに揺れ動き、一瞬だけアポ朗の姿を反射した。
「よし……うお、グレーズドラゴンの血か、これ」
そして切り落とされた頸部からは噴水の様に勢いよく竜血が噴出する。
火竜の竜血はここの高熱でも即座に蒸発する事は無い為、二匹の首を切り落とし、丁度その中間を通過したアポ朗の全身に竜血が降り注ぐ事になった。
劇物である竜血を直で、それも大量に浴びれば普通ではただでは済まない。
苦痛の果てに狂死する事になるだろう。生きたまま肉体が腐り落ちても不思議ではない。
「おお……思ったよりも、強化されるみたいだな。なかなか、悪くない感覚だ」
しかしアポ朗にとって、全身を濡らす竜血は劇物ではなくむしろ自身を強化する特上の液体だった。
発動された【血餓の吸血鬼】はグレーズドラゴンの竜血という最高級品を、それも新鮮な状態で摂取した事によってアポ朗を大幅に強化した。
ある種の万能感すら抱く程の強化に酔いしれはせずに自制したアポ朗は、全身の血が徐々に蒸発していく事で出来る血煙を置き去りにして、感知した竜の第三波が到達する前に地獄の底へ急いだ。
落下していた十二の竜の死体は、その最中に回収するという早業を見せながら。
結局アポ朗が底に到着するまでに、竜の襲撃は第五波まであった。
数と質は襲撃の度に向上しており、すれ違いざまの一瞬でその全てを殺害する事は流石のアポ朗も困難だった。
その為数匹はアポ朗の攻撃をすり抜け、カナ美達が居る決闘場へと向かっている。飛行速度から考えて、決闘場では既に戦いが始まっているだろう。
僅かではあるが稼いだ時間でどれくらい皆が回復できたのか、気になる部分である。
だがしかし、高さが数キロにも及ぶ断崖絶壁に周囲を囲まれて閉塞的な地獄の底に到着したアポ朗は、決闘場での戦いに対して意識を割く余裕は無かった。
「これは……流石に、巨大だな」
決闘場の様な金属塊が太陽の様に激しく燃えている溶岩の中心に浮かぶ、決闘場に似て非なる≪決戦場≫に立ち、呼吸するだけで肺腑が焼けそうな獄熱が支配する地獄の底でアポ朗が見たのは、一匹の竜だった。
その竜の全体的な姿形は決闘場で倒した紅蓮竜帝とよく似ていた。同種か、あるいは近親種だと一目で分かるだろう。
ただその竜は紅蓮竜帝と比べ、背面にある二対の竜翼が閉鎖的な地獄の底に適応したからか飛行能力は残しつつ巨大な四本腕としての役割を持つ様な独特な形状をしていたり、頭部にある十本の竜角がまるで王冠の様に規則正しく生えているなど、姿形が微妙に違う。
他にも違いを探せば、幾らでも出てくるだろう。
だがその程度の違いだけなら、単純な個体差や種族差として納得できる範疇である。
アポ朗が驚く事でもなく、気にする程でもない。
しかしアポ朗は驚いた。それは何故か。
その竜の大きさが、紅蓮竜帝を遥かに超えていたからだ。
竜の半身はアポ朗が居る決戦場ではなく、溶岩を間に挟み、寝所なのだろう岩壁に出来た巨大な横穴の中にあるので直接見る事はできないが、しかしアポ朗は【空間識覚】によってその全長を詳細に把握する事が出来た。
それによれば、竜の全長は紅蓮竜帝を超える百五十メートル程もあった。竜翼腕を広げれば、その幅は三百メートルを軽く超えるだろう。
その為各種パーツも比例して巨大であり、アポ朗との対比はまさにヒトと虫螻以下となっている。
そしてその巨躯故か、あるいは自然と放出される桁外れの魔力によるものか、巨竜が放つ威圧感は尋常なモノではなく、ただ眼前に立つだけで消し飛んでしまいそうな程の重圧がアポ朗を襲った。
精神強固なアポ朗でなければ、恐怖のあまり死んでいたかもしれない。
そんな圧倒的強者である巨竜は自身の棲家にやって来たアポ朗を見て、巨大建造物を丸呑みできそうなほど巨大な口を開いた。
「我の夫を倒し、よくぞ来られた、資格ある者よ。我の名は【ムスタリア=イグナトス】、誇り高き“紅焔竜帝”の直系にして、【再誕の神】との盟約に従い【フレムス炎竜山】を守護せし“灼誕竜女帝”なり」
巨竜――灼誕竜女帝の声は、非常に美しい響きだった。
ビリビリと周囲を震わせる桁外れの音量だったが、まるで身体に染み込むような慈愛に満ちている。
夫だという紅蓮竜帝を殺して来たアポ朗に向けて、そんな感情が篭る声音で語る灼誕竜女帝が何を思うのか。
アポ朗は癖で思考解析を行うが、しかし答えは即座に出ない。
僅かばかりでも怒りや憎しみが混じっていればそれがヒントになっただろう。
だが、本当に慈愛の念しか汲み取れない為、何を思い何を考えているのか分からなかった。
そして困惑するアポ朗の内面など露知らず、灼誕竜女帝は更に言葉を続けた。
「戦う前に、まずは礼を言わせてもらおうか。よくぞ、我の前に到達してくれた」
「……何故礼を言う? 俺は、お前の夫を殺したのだろう?」
小さく頭を下げ謝礼する灼誕竜女帝を前に、その行動は予想外だったのだろう、不可解そうな表情を浮かべるアポ朗は聞き返した。
ただ、聞き返しながらもその姿に一切の油断は無い。
隙あらば攻め入るつもりであり、攻め入られれば即座に対応するだけの準備が終わっていた。
「何、我は生まれ死んでここの主となった頃より幾星霜、ただ暇を持て余しておったのじゃ。というのも、【フレムス炎竜山】に幾千幾万の挑戦者は居れど、お主以外、誰一人とてここに到達する事は無かった。
ある者は溶岩に溶け、ある者は毒の大気に苦しみ果て、ある者はただ喰われて逝った。
ここの直前まで到達した者達も居ったが、それ等は夫が殺してしもうたしの。
……ああ、まてまて。確か、一組だけは夫を殺した事もあったか。あの時は我も思わず興奮したものじゃが、御主の同胞達の様に、疲労困憊の状態でな。逃げようとしたようじゃが我が子達に追われ、逃げれず果ててしまい、ここまで来れんかったのじゃよ。
そう、だから御主こそが初めてここに到達し、初めて我を見つけた存在なのじゃ。
そして、だからこそ、礼を言わせてもらう。ようやっと、ようやっと長き停滞が終わったのじゃから、な!」
過去を振り返り、何かしらの感慨を込めてそう言った灼誕竜女帝は、言い終わると同時に口を大きく開いた。
あまりに巨大な牙が乱立する口腔のその奥に、ありえない程の魔力が急速に圧縮されていく。圧縮の影響は空間にすら干渉しているのか、不自然にその周辺が歪んでいた。
それを見たアポ朗の全身に、悪寒が走った。
それは明確な死の予感だった。
動かねば確実に死ぬ、動いても高確率で死ぬ。
放たれようとしている攻撃を回避しようにも、【空間識覚】によって表示されたその範囲はあまりにも広すぎて、【緊急脱出】を使っても即座に逃げ切れる距離を超えていた。
不可避にして致命的。そんな理不尽極まる暴力が、アポ朗を襲った。
(まず――ッ)
「カッ――――!」
しかし事前に構えていた事が幸し、アポ朗は僅かにだが灼誕竜女帝に先んじて動き出した。
アポ朗はまず、【森羅万象】を使って無数の真空の層や重力場などを前面に展開した。それは光を捻じ曲げる程の強さがあり、下手に近づけばそれだけで生物を捩じ切り圧し殺すだろう。
凶悪極まる攻撃でもあるそれは、今回は防御の為に全力展開されたのだ。
そしてそんな力場の後方に、大河で回収した金属塊の一つが出現した。金属塊は長方形型の中で最も巨大なモノで、その重量は軽く数トンに達している。
非常に重く巨大ではあるが、そのままだとただ置いているだけで固定されていないので、決戦場に突き刺された朱槍の能力によって生じる無数の朱槍が金属塊を強引に固定する。
数十本の朱槍によって穿たれる事で多少強度が落ちたものの、しかしそれでも十分過ぎる程強固である。
そして無理やりだが固定された金属塊よりも後方に、朱槍による防壁が構築された。上空から見ればアポ朗の周囲を菱形に囲う密集した朱槍の軍勢であるそれは、構築している朱槍の強度もあり、半端な攻撃では揺ぎもしないだろう。
構築されたこれら全て強固な防壁と言って過言ではなく、これまでの相手ならば、これだけで十分防げる筈だった。
だが嫌な予感がしてアポ朗はそこで止めず、更に“炎溜噴鋼玉”を取り込んだ銀腕の形状を変化させて前面を守る強固な半円状の盾を造り、【外骨格着装】を使って最も耐熱耐火性に優れた【赤熊獣王の威光】を装備した。
その他にも生身を強化する【黒鬼王の積層竜鎧】を筆頭に、外骨格を強化できる【不破の鎧城殻】や黒いオーラを身に纏う【黒き不死族の騎士衣】。
銀腕製の盾をより強化する【職業・盾戦士】や【盾壁】。
物理・魔法ダメージを軽減する【下位物魔ダメージ軽減】や魔力を介した攻撃に対して効果を発揮する【対魔力】。
そして防御態勢を取る事で機動力が減る代わりに防御力を大幅に上昇させる【耐え忍ぶ】など、攻撃が直撃するまでの僅かな時間で許される限りのアビリティを発動させて、灼誕竜女帝の攻撃に備えた。
完璧ではないが、それでも許された時間の中での最善の行動だっただろう。
だが、灼誕竜女帝が放った攻撃は【終炎の息吹】と呼ばれるものであり、限られた存在しか放つ事のできない究極の一撃の一つであるそれは、余りにも強力過ぎた。
それはまるで白き炎光を撒き散らす暴風だった。
一瞬にして周囲は白く塗り潰され、音さえ一時的に消失させる程の蹂躙である。
「ッ――!!」
襲いかかる未体験の衝撃に、アポ朗は全力で歯をくいしばる。
その強さで歯が砕けたが、それに構う余裕など無かった。
灼誕竜女帝の膨大な魔力を極限まで圧縮する事で生まれた白炎のブレスは雷よりも速く、触れた物全てを蒸発させる程の熱量を秘めていた一閃だった。
防御陣の最前列にあった真空の層や重力場はその軌道を僅かにそらし、勢いを抑えるなどの効果はあったが、しかしあまりの勢いに押されて消失する。
その後方に控えていた金属塊は、十数秒程耐えた後に蒸発した。
尋常ではない熱量によって吸収限界に達し、これまで溜め込んでいた熱が一気に開放されてしまった事で液体にすらならずに気化したのである。
その後方の朱槍の防壁は【伝説】級のマジックアイテムによるモノだけあって、蒸発する事なく何とか持ち堪えた。
だが防壁は凄まじいブレスの勢いによって次第に歪み、あるいは捻れ、僅かにだが隙間が生じる。ブレスの本質は白炎である為、僅かな隙間さえあればそこから徐々に浸透してしまう。
やがて朱槍の防壁を抜けて銀腕の盾に到達したそれは、銀腕が盾の形を保てない程の衝撃と熱を加えた。衝撃に押され、吸収限界を超えた熱量によってその形状が歪んでいく。
灼誕竜女帝といえども神造品である銀腕を完全に破壊する事は出来ないようだが、その形状を変える事は可能だったのである。
やがて防壁に続いて盾も突破した白炎は、黒いオーラに包まれた外骨格に到達する。
無数のアビリティによって強化された外骨格は白炎に何とか耐えようとするが、しかしそれでも完全に抑える事は出来なかった。
黒いオーラは燃え散らされ、外骨格の表面は赤熱化し、限界を超えた部分から融解を始めた。そして剥き出しとなった生身は、容赦なく燃やされていく。
生身もアビリティによって強化されているが、それでも耐えれぬ白炎に焼かれ、アポ朗は自身の肉が焼ける臭いを嗅いだ。
それは生理的悪寒を感じさせるものだった。
喰べる為の肉ならばともなく、自身の肉が焼ける臭いなど嗅ぎたいものではない。
何とも言えない不快感を胸に抱きつつ、【超速再生】などによって肉体破壊と肉体再生を繰り返す事で終わる事の無い激痛を堪え、気を抜けばそのまま焼滅しそうな攻撃にただ耐える。
耐えるだけの、気の遠くなる様な時間は容赦なくアポ朗の肉体と精神を削っていく。
だが何事にも始まりがあり、終わりがあった。
「――ッッゥゥウウオオオオアアアアアアア!!」
ブレスによってかき消されていたアポ朗の咆哮が、次第に聞こえる様になってきた。
世界を蹂躙していたブレスも徐々に勢いを衰えさせ、やがて余熱と呼ぶには不似合いな獄熱を残して途切れる。
アポ朗は永遠にも感じられたブレスを見事に耐え抜き、圧倒的な死炎に飲み込まれながらも生還したのである。
しかし生還したその直後、急激な消耗によって立って居る事もままならず片膝をついた。その息は荒く、苦しげに肩で大きく呼吸している。
そしてその全身からは、肉が焼ける匂いと共に蒸気が立ち上っていた。
「おお、おお!
我の一撃を受けて原型を留めているとはッ、見事ッ! 見事なりッ!!」
灼誕竜女帝の【終炎の息吹】は、決戦場やその周囲に満ちる溶岩、そして周囲を囲う岩壁すら一直線に蒸発させながら突き進み、内界と外界とを区分する【境界圏】によって強制的に外に出る前に消失した。
今回はダンジョン内だった為その被害はダンジョン内に留まったが、もし【境界圏】が無ければ、確実にこの大陸に大きすぎる傷跡を刻んでいただろう。
数日は自然に消える事の無い竜炎はあらゆるモノを燃やし尽くし、生態系を徹底的に焼失させ、数多くの生物を死滅させたのは間違い無い。
強力過ぎる為普通はもう少し低威力で放つ様なレベルのシロモノなのだが、長き停滞に沈んでいた灼誕竜女帝はすっかり加減を忘れ、最大出力に近い一撃を放ってしまったのである。
そして、だからこそ、それを耐えたアポ朗に対して灼誕竜女帝は非常に嬉しそうに称賛の声をあげた。
「久しぶりでちと加減を忘れた一撃じゃったのじゃが、まさかまさか、偉大なる大神の加護を授かっているとはいえ、使徒鬼の身にて蒸発する事なく耐えるとはのッ!!
おお、おお。誇るが良い、誇るが良いぞ、その偉業をッ! 我のブレスの直撃を受け、それに耐えたなどという武勇は、これからも語り継がれるべき事であるからなッ。
流石は資格ある者、流石は大神に選ばれた者じゃ!」
いかな能力によるものか、灼誕竜女帝はアポ朗が隠していた加護神を見抜いてみせた。
これまでは誰も正確に把握していなかったそれをどう知り得たのか、今後の為にも聞き出す必要があるだろう。
だが現在のアポ朗には、そんな灼誕竜女帝の声は届かない。
「流石に……キツい、な。これは」
耐えたとはいえ、アポ朗の姿は酷いものだった。
外骨格の七割は大破したか焼失し、その下の肉体は酷い火傷を負って肉が爛れている。下半身を守っていた生体防具にも破損が目立ち、流石の銀腕も衝撃と高熱によって歪んでいた。
アポ朗は四肢よりも胴体と頭部の保護を優先した為その部位は比較的軽傷――それでも重度の火傷を負っている――で済んでいるモノの、生体防具に守られず生身のままだった右腕の損傷は特に酷い。
肘から先は焼失し、残りの部分も骨に至るまで黒く焼けていた。
【激痛耐性】によって痛みが緩和されていても、その痛みはアポ朗の脳を激しく責め立てている。
しかしそれ程の損傷を負いながら、アポ朗は有り得ない程の早さで肉体を回復させるのと同時に、肉体の強化を行った。
ブレスの中でも効果を発揮し続けていた【秘薬の血潮】や【超速再生】などによって爛れた皮膚は新しく生まれ変わり、不要になった部分からポロポロと剥離していく。
それでも失った右腕を回復する事は困難だった為、足りない部分はアイテムボックスから取り出した紅蓮竜帝の竜血滴る生肉を喰らい【補液復元】を使う事で補充する。
そして【超回復】によって回復していく肉体そのものをより優れたモノへと改造し、以前よりも数段身体能力を引き上げたアポ朗は、立ち上がって灼誕竜女帝に朱槍と呪槍の切先を向けた。
死にかける程の圧倒的な攻撃に晒されて尚、アポ朗の眼にはまだ絶望など浮かんでいない。
三大欲求の一つである食欲という欲望には染まっていたが、アポ朗の心はまだまだ折れず曲がらず砕けない。
むしろ、より強い意思によって灼誕竜女帝に刃を向けていた。
「ほう、もう動けるのか。回復するまで待とうとも思ったのじゃが、よいよい、よいぞッ! 長き倦怠を払拭するには、やはり、こうでなくてはなッ」
そう歓喜する灼誕竜女帝は棲家からのそりと這い出て、アポ朗が居る決戦場に降り立った。
その巨躯ゆえに小山が動く様な威容を誇り、それでいて何処か気品が漂う動作である。
生来の貴種にして支配者である灼誕竜女帝は、今度はその背面に生えた二対四翼の竜翼腕の内の一翼による攻撃を繰り出した。
硬い岩盤を簡単に掘削できそうな巨大で分厚い鍵爪を生やした竜翼腕の届く範囲は非常に広く、その巨大さからでは想像できない程の速さでアポ朗に迫った。
まるで重機が高速突進して来た様な一撃に対し、アポ朗は朱槍と呪槍を振るって迎撃する。
残像すら残さない程の速度で振るわれた瞬間、まるで金属を擦り合わせた様な不快極まる異音を発し、目も眩む様な火花が盛大に散った。
竜翼腕の鍵爪の一閃に対して、アポ朗が二本の槍を巧みに使い、見事にいなしてみせたのだ。
戦技を使用せずにそれを成すにはどれ程の技量を必要とするのか、常人には理解の範疇外だろう絶技である。
「おお、おお!
これをそうも容易くいなすのか。何と恐ろしい技量の持ち主よッ」
竜翼腕の一撃をいなされた灼誕竜女帝は、今度は逆の竜翼腕による一撃を繰り出した。
先ほどよりも速く力強い一撃だったが、それも先ほどと同じ様にいなされる。それに気を悪くする事もなく、即座に第三、第四、第五と休み無い連撃が続いていく。
その度に異音と火花が舞い散った。周囲には暴風が吹き荒れる。
いなされた竜翼腕の攻撃は、余波だけで決戦場に痕跡を刻んでいく程に強烈だ。
「ぐ――ゥゥゥゥゥゥウ!」
見事にいなし続けているものの、その苛烈な連撃に、流石のアポ朗も思わず呻いた。
いかなアポ朗とて、体長だけ見ても約七十五倍という桁違いの差がある灼誕竜女帝の連撃は、軽く捌けるものではない。
例え灼誕竜女帝にとっては何でもない、それこそ軽く虫を払う様な攻撃だろうとも、その全てが全て、アポ朗にとって必殺と同等以上の威力があるものばかりだ。
ヒトが虫を踏み潰そうとする様な気軽さで繰り出される一撃一撃は、確実にアポ朗の精神は削り、肉体に疲労とダメージを蓄積していった。
「これでもまだ防ぐか、まだ抗うかッ」
普通なら既に何十回と決戦場の赤いシミになっているだろう連撃を受け、しかしアポ朗は今だ生存している。
それは様々なアビリティをその時の状況に応じて使い分け、蓄積した戦闘経験と実戦で磨いた戦闘技術を惜しげもなく使用しているからだ。
その一挙手一投足には無駄が無く、まるで舞っている様な美しさである。
だがそんなアポ朗でも灼誕竜女帝の攻撃が激し過ぎて、反撃までは出来ていなかった。
ただいなすだけでは、勝機などある訳がない。それは勝つ事を放棄し、ただ負けないようにしているだけの悪足掻きでしかないだろう。
勝つ為には、必ず攻める必要がある。僅かな勝機を掴むには、好機を逃す事なく掴み取るしかない。
だからこそアポ朗は待ち続け、その結果として大事な一瞬を見逃さなかった。
「矮小なるその身でその様な勇ましき奮闘ぶりとは、実に実に素晴らしいものだなッ。何度驚愕させれば気が済むのだ、本当にッ。
ならばならば、次なる一手に、どう対処するのかの? ――“灼愚魔隕石”」
灼誕竜女帝は竜翼腕の連撃を続けながら、その膨大な魔力を使って竜の系譜だけが扱える魔法――竜律魔法を放った。
詠唱破棄によって即座に顕現したその竜律魔法は、恐るべき事に紅蓮の隕石を生じさせる桁外れのものだった。
灼誕竜女帝の後方斜め上からアポ朗に向かって真っすぐに迫る隕石の直径は六十六メートルとあまりにも巨大であり、しかも猛勢な灼熱に包まれている。
重量に速度が加算された隕石はアポ朗でも直撃を受ければ潰されるだけであり、先の【終炎の息吹】と違い上空からの攻撃である為、朱槍による防御なども使い難い。
それでいて竜翼腕の連撃は止む事がなく、いなし続けるアポ朗はその場に強制的に釘付けにされている。
だからだろう。
この状況を切り抜ける為には必要だと判断し、アポ朗はこれまで秘匿し続けていた奥の手を一つ、使う事にした。
「鬼珠――開放」
アポ朗の胸部と両肘両膝に埋まっていた黒と赤と金が混ざった独特の色合いの鬼珠が、ドロリと溶けた。
溶けたそれは、アポ朗の体表全てを覆い隠す様に広がった。

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