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UEI shi3zの日記 RSSフィード

2014-04-15

科学技術が人を不幸にするとき

 ずっと以前、大学の同級生がこんなことを言っていた。


 「科学なんて人間を不幸にするだけだ。環境を破壊し、森林を奪い、海は汚れている。科学の発達が人類を豊かにするなんて幻想だ。電気なんか我々の生活に必要ないんだよ」


 じゃあ電通大になんて入るなよ、と思ったけれども、僕はそれ以前の段階でこの主張に疑問を感じた。


 「それじゃあ聞くけど、君はなぜ、科学が環境を破壊し、森林を奪い、海が汚れていると、それを知ることができたんだい?」


 「それは本を読んだからだよ。沢山の本をね」


 そうか。その分厚いメガネを使って、グーテンベルグが開発した活版印刷と、19世紀にドイツで生まれた苛性ソーダを用いた近代製紙技術の発達により、貴族でもない人間がその知識を得ることが出来たわけだ。


 この構造の滑稽さは科学技術を否定するための知識そのものが、科学技術によって齎されているというパラドックスだろう。中途半端な科学知識で安易に科学が人類の発展を阻害しているなどと心配をする人間を産み出してしまった点において、科学はまだ未熟なのかもしれない。科学技術がなければ、彼は不衛生な出産で乳幼児の頃に疫病に冒されて死んでいたかもしれないのに。



 「今の科学にはこういう問題がある」ということが、すなわち「科学は必要ない」ということには決してならないはずなのに、科学に問題があるから、科学をやめようという馬鹿げた主張がときたま繰り返される。科学は問題を解決するための手法であり、科学的に問題が明らかであれば、それを解決する科学的な道が別にあるはずだと考えるのが科学の根本だと思う。



 そしてそんなことを言う人ほど、海外でボランティアをするのが好きだ。実際、彼は海外NGOに所属し、カンボジアだかベトナムだかでボランティアをしていた。


 航空力学とジェットエンジンを彼らはなんだと思っているのだろう。

 それは科学技術ではなく黒魔術かなにかだと思っているのだろうか。


 徒歩では到底行くことが出来ないほど遠くの国で、どんな悲劇が起きているかということ、それ自体を知らしめたのも、また科学の賜物だと言うことにどうして無頓着で居られるのだろうか。


 ANAで東シナ海の上空を通過したとき、ふとそんなことを思い出した。


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 そんなわけで、香港に来ている。

 ワンチャイからの景色を眺めていると、丁度一年前、血相を変えて香港入りしたときのことを思い出す。enchantMOONの製造が本格的にトラブったときだ。


 いま、香港では年に二回の大規模な家電展示会が開かれていて、そこで数多くの工場とコンタクトをとることができる。


 技術の最新動向、という意味ではCESの逆だ。CESでは最先端の技術が披露されるが、香港のイベントでは、最後尾の技術が展示される。


 CESはコンセプト、香港は実体、と言ってもいい。CESよりも遅れるが、それでも中国の会社が必死で色々なものをキャッチアップしようという意志は伝わってくる。

 今年はもうあちこちでFUEL BANDのコピー商品が溢れていた。ただし一昔前のブランドロゴまでコピーするようなものと違って、ちゃんと似てはいるが違うデザインになってる。中国も日々進歩してるのだ。


 僕はAndroid Wearが展示されていないかと思ってあちこち回ったが、そういうのはなかったようだ。

 広大な会場のなか、ひとつだけ「Android Watch」として展示されていたのがこれ。

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 でもこれはAndroid Wearじゃない。正真正銘、ただのAndroidだ。

 3G回線をつけることも可能だと言う。


 製品にするにはあと半年から一年かかるそうだ。


 電池は待機状態で20時間。

 うーん、時計としては厳しいのかな。


 身につけて動き続ける限り、半永久的に使える自動巻き上げ式の機械式時計と違って、液晶を使うコンピュータ時計にはまだ壁がある。無線給電が発達するか、驚異的な省電力テクノロジーが生まれて一年間はバッテリーを気にしなくて良いという状態にならない限りはなかなか難しいのではないかと思った。


 いまや世界のハイテク機器の工場である深圳も、元は精巧なコピー品の腕時計を作る地域だった。

 中国の中でも精密機械に強い地域として知られていたのだ。


 腕時計のコピーから始まり、カセットやCDデッキ、ゲーム機、MP3プレイヤーの大ヒットを経て、ケータイ電話、スマートフォン、タブレットへと流れてきた。


 特にMP3プレイヤーのヒットは重要で、これが、AllWinnerやRockChip、MediaTekという中国・台湾にある新興のチップメーカーが躍進する大きなきっかけとなった。


 いまやコピーがホンモノを凌駕し、PS4はソニーが発注して台湾のASUSが設計し、深圳の工場で製造されている。


 ウェアラブル機械として腕時計よりも我々にとって身近なのは、やはりメガネだろう。

 視力補正装置としてのメガネは、近代文明にとってなくてはならないものだ。


 僕はよく、いずれコンピュータはメガネのようになる、というたとえ話をすることがある。

 その意味は、いずれコンピュータの形状がメガネのようになるのではなく、メガネがただ身につけるだけで視力を100倍増してくれるのと同じように、コンピュータもごく自然に知性を数千から数億倍に高めてくれる日が来るだろう、という意味だ。


 その意味で、全ての人がプログラミングを行うようになる日は刻々と近づいていると思う。

 不気味な世界に思えるだろうか。


 視力補正具としてのメガネの歴史は13世紀にさかのぼるらしい。

 この時代は、「年を取って視力が落ちるのは神の与えた苦痛であるから、抗うべきではない」という迷信がごく常識的にとらえられ、メガネのようなものは悪魔の道具として忌避されたそうだ。いまとなっては馬鹿げた話だ。


 メガネがなければ、高校、大学に行けなかったという人の数はどのくらいだろう。

 少なくとも僕の妹は無理だっただろう。彼女は小学生の頃からメガネがなければものが見えなかった。


 僕は先天性緑内障で、先日、元眼科医でもある理化学研究所の藤井先生にそのことを話したら「え、それって直らないんじゃないの?」と言われた。それほど治すのが難しい病気らしい。


 実は僕は運がよいことに、生後三ヶ月で先天性緑内障と診断され、そのまま新潟大学附属病院で手術を承けた結果、今日に至るまで視力で苦労したことがない。


 乳幼児の眼球に対する手術という、当時として非常に症例の少なく、また挑戦してくれる先生も少ない領域だったから、本当に、単に運がよかったというだけ。これとて顕微鏡を見ながらの手術なので、レンズ(光学技術)が発達していなければ、僕は失明した状態で育っただろうし、そのような場合、いまほど饒舌に文章を書けたかと言えば疑問だ。プログラミングだって自由にできなかっただろう。


 つまり僕という人間は否応無しに科学技術の発展の影響を大なり小なり受けて今のような人格に育ったのだと言える。


 そして世の中にいる多くの人々が、それと意識せずとも、暗黙的に科学の発展の恩恵に授かっているのだ。


 そして科学の発展というのは、常に螺旋状に起きると相場が決まっている。

 腕時計にしろ、最初に発明された19世紀初頭から、自動巻き上げが発明されるのはその120年後の1926年である。


 今、一般的に用いられているクオーツ式の腕時計が発売されたのはなんと1969年のことで、アポロ計画で人類が月に到達したのと同じ年だ。


 クオーツ、つまり水晶振動子の発明は、単に腕時計が正確かつ安価になった、という意味を持つのではない。クオーツ時計の発明そのものは1927年、ベル研究所で行われている。


 全てのコンピュータに搭載されている水晶振動子は、クロック、つまりコンピュータにとって必須の、時の刻みを産み出す。言って見れば、今日、地球上に存在するあらゆるコンピュータは、時計のために実用化された技術によって動いているのだ。インテルと日本のビジコンが開発した初のマイクロコンピュータ、4004でもクオーツがクロックの発生のために用いられている。


 今日、我々が単に「クロック」と呼ぶ単位は、この水晶振動子が、1秒間に何回振動するか、という数値を意味している。クロック、つまり時計だ。


 しかも水晶と来た。

 水晶こそがコンピュータにとって最も重要な部品の一つなのである。

 

 これは確かに黒魔術的だ。

 クオーツはコンピュータはもちろんのこと、無線通信や時計など、様々なものにとってもはやなくてはならない存在である。


 時計の技術がコンピュータに影響を与え、そして今、再びコンピュータが時計に影響を与えようとしている。複数の技術がまるでダンスを踊るように、互いに影響を与えながらスパイラル状に高め合って行く。




 Android Wearがどんなものになるのか占う目的で、先日、サンフランシスコから帰る時にPebbleを買ってみた。


 これは電子ペーパーを搭載した腕時計型コンピュータで、iPhoneやAndroidと接続して使う。

 ゲームやEvernoteなどのアプリが配布されていて、最近はJavaScriptでプログラミングすることもできるらしい。


 いざつけてみると、機能性以前にその質感のチープさで身につけるのがちょっと嫌になってしまった。

 Bluetooth対応時計はいくつか出ているんだけど、今のところ、「これは良い!」と思えるものになかなか巡り会えていない。

 

 LINEやTwitterのリプライを腕時計で知りたいとあまり思わない。


 Google Glassもそうなんだけど、ハードウェアが先行していてアプリケーション、つまり本当はそれをなんに使いたいのか、ということがハッキリしていない。


 とはいえ、科学技術というのは、常にそういうものである。


 まずハードが進化して、次にそれで何をしたいのか考えるのだ。

 そのうち画期的なアプリケーションが生まれるのだろう。


 世界初の表計算ソフトが、AppleIIの2年後に生まれたように。

 そしてそれがマイクロコンピュータ、パーソナルコンピュータというものの「意味」を永久に変えてしまったように。


 あ、そうそう。

 今日の夕方6時から、ニコ生で開催される「仁義なきプレゼンバトル」にUEIも出場するのでぜひ見て下さい。え、香港に居るのにどうやって出場するんだって? それは見てのお楽しみ

【出展企業抗争】仁義なきプレゼンバトル -予選篇- |niconico プレゼンをチェックして投票しよう!

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