奥山晶二郎
2014年4月15日01時10分
東日本大震災発生時、被災地の自治体は自らの公式サイトから様々な形で情報を発信していた。福島県はアクセス数の急増に備え文字だけの簡易版を用意。宮城県でも画像などを省き、緊急性の高い情報を目立つ場所に掲載した。一方、震災から3年経ち、これまでの復興の歩みを載せる自治体も出ている。
公式サイトの情報は、国立国会図書館がインターネット資料収集保存事業で集めたデータを使用した。
「福島県ホームページ(暫定版)」。真っ白な背景に太字の文字。福島県の公式ホームページが、文字だけになったのは震災発生から数日後だった。当時の対応について県庁広報課は「アクセスが急増して見られない人が出てくる心配があった」と振り返る。「暫定版」では、「被害速報」と「相談窓口」に絞って掲載。他の情報は「暫定版」からリンクさせる形で誘導した。県では現在も、災害などに応じていつでも切り替えられるよう「暫定版」を用意しているという。
宮城県は、地震の発生直後からトップページの半分以上のスペースを震災関連の情報で埋めた。約1週間後の3月17日には、「県政だより」「お役立ち情報」などのリンクを集めたスペースが無くなり、震災関連情報がさらに目立つようになっていた。4月に入ると県のマスコットキャラクターと「復興へ頑張ろう!みやぎ」という文言をページ上部に掲載。2012年5月にはバナー広告に被災地で募集している任期付き職員の案内が載るようになった。
岩手県が発生直後に掲載したのは、津波の行方不明者の安否情報を確かめられる相談ダイヤルの電話番号だった。不通になっている鉄道など交通情報は英語で載せていた。3月20日には、福島県と同じく「暫定版」として、文字情報だけのトップページになっていた。6月になると震災前の形に戻るが、ページ上部に「がんばろう!岩手」という文字を掲載。以降、トップページの目立つ部分には県内の観光地の写真などを載せている。
原発事故によって住民が避難した福島県双葉町は、11年4月に「暫定版」を開設していた。当時の井戸川克隆町長のメッセージと共に、埼玉県に移転させた役場支所の案内を載せた。8月には、ページ上部に大きな文字でフリーダイヤルの問い合わせ先電話番号を掲載していた。
宮城県女川町は、震災から約1カ月後の4月までトップページが震災前のままだった。当時の状況について担当者は「庁舎が津波で流され、それまでのデータが丸ごとなくなってしまった。震災後数日はネット回線も寸断されていた」と振り返る。震災直後の混乱の中、約1カ月後にウェブ発信を再開。公式サイトを通じて、町外に避難している多くの町民に、支援制度などの情報を届けた。現在のサイトには、震災後の町の動きを振り返る情報を掲載している。ボランティアなどで震災後に町と縁ができた人に向けて、復興の歩みを知らせたいという思いから、新たに追加したという。(奥山晶二郎)
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