人気「中華大戦争」生んだ周さんの面倒見
料理を愛するプロだからこそ「ネギの青い部分を捨ててこっぴどく叱られた。周さんは“食材に捨てる部分はない”と言って、ゴミ箱にまで目を光らせる人だった」(別の調理スタッフ)。
そんな周さんは1990年代にテレビに出始めた。そもそものきっかけは「赤坂璃宮」をテリー氏がたびたび訪れていたこと。テリー氏は「すごくおいしいからよく行ってたけど、周さんはいつも僕のテーブルまで来てくれていっぱいしゃべるんだ。その話が面白いから『一度出てもらおう』と思ったんです」。
最初は周さんだけが番組に出ていたが、その後、弟の周富輝氏(63)や金萬福氏(59)ら多くの料理人が出演し始めた。その料理人が対決する「中華大戦争」が人気コーナーとなり、周さんの知名度は一気に上がった。
ただ、これはテリー氏が企画したわけではなかった。「周さんはすごく面倒見がいい人で、『いい腕をした料理人がいるから彼らも出してあげて』と言ってきた。富輝さんとか金さんとかは、みんな周さんの紹介。そんな感じで出演する料理人が増えてきたから『だったら料理対決をやろう』となったんです」
「中華大戦争」が大人気となり、その後、フジテレビが「料理の鉄人」を立ち上げた。「だから料理人の対決番組は、周さんが先駆者。彼がいなかったら『料理の鉄人』も生まれてなかったと思いますよ」
番組の収録自体は周さんも楽しんでやっていたという。「どんな注文をしても嫌な顔をしたことは一度もない。料理対決の敗者が罰ゲームで、中華鍋に乗ってスキー場を滑走したりムチャクチャやったけどね(笑い)。あの企画、オンエアは15分くらいだけど、撮影は丸1日か2日はかかる。周さんは店を休んでもやってくれた」
番組の演出では、対決を盛り上げるため周さんの両サイドにチャイナドレスを来た女性を2人置いたことも。「レースクイーンのイメージでやったんだけど、そうしたら周さんが気に入って喜んじゃってね。撮影の合間は女性に話しかけてずっと口説いてましたね(笑い)」
料理に対する飽くなき探究心も人一倍だった。「常々『ネオチャイニーズ』、つまり『新しい中華料理を作りたい』と言っていた。例えば“海老のマヨネーズ和え”なんて今ではよく見るメニューだけど、当時の日本では周さんしか作れる人がいなかった」。料理にささげた人生だった。
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