第6話:買い物(荷物持ち)
それから、ちょくちょくマリーとサララは一緒にお茶をするようになった。30分少々。それが、二人のお喋りの時間。待ち合わせや、約束などはしなかった。
再会したときに予定が無ければ、という暗黙の了解と思いがあったからなのだが、不思議と予定が重なるようなことは無かった。
毎回の支払いは、決まってマリーが行った。サララは「折半、折半」と何度も提案したが、マリーは絶対に首を縦に振らなかった。事情がどうあれ、年下のサララに奢られるのは、我慢ならなかったからだ。
1,2歳ぐらい離れている程度であれば、たまには……という気持ちもあった。しかし、サララがまだ十代であることを知った以上、マリーの選択肢は一つしかなかった。
6度目となるお茶会にて、サララの口から「年齢、教えない方がよかった」とジト目で睨まれても考えを改めないのだから、もはや頭が固いとかそういう問題ではないだろう。奢られることに抵抗を覚えるサララであったが、さすがに11度目となる頃『この人は、こういう人だ』ということで折り合いをつけたようであった。
「ふと、思うことがある」
カップをソーサーの上に置いたサララが、唇に付いたクリームを舐めとりながら、ポツリと呟いた。湯気を立てているカフェモカから、甘い匂いが立ち上っている。15度目となるお茶会は、通りから少し離れた所にある、小さな喫茶店であった。
「マリーは、探究者、前に聞いた……っと、前に教えて貰ったけど、実力としてはどれぐらいの位置になるのかな?」
最近になってマリーが気づいたことであり、サララから教えて貰ったことだが、サララは会話をする際、単語だけで話す癖があった。
本人もそれは分かっているようで、矯正に努力しているらしいのだが、ふとした拍子で癖が出てしまうらしい。中性的な話し方も、矯正による影響だとか……。
サララの問いかけに、ゆっくりとカップを傾けていたマリーは、静かにカップの縁から顔をあげる。眉根を困惑に寄せた、サララの顔を見つめた。
「位置にも色々あるけど、そうだな……単純に戦闘能力だけを考えれば、マリーはどれくらいの位置になるのか……最近、気になっている」
「……位置、ねえ……」
マリーはソーサーの上にカップを置く。かちん、とカップが音を立てた。
「……『俺は強い』とか公言しているやつは、たいてい弱かったりするから一概にそうとは言えないけど、二つ名とか付いているやつは、たいてい強い。そんで、俺には二つ名は無い。それが答えだよ」
「……そう、探究者の世界って、けっこう広いんだね……ああ、そうそう……」
だいたい、二人の会話はこのようなものであった。片方が質問をしたり、されたり、また片方が一方的に話したり、あるいは逆だったり……特別なことは何も無かった。もちろん、色っぽい話も。
サララの話す内容は、いつもとりとめのないものばかりだった。いつも決まって『客を取ることを許されていない』というようなことを、愚痴交じりに話した。客を取ることを許されない娼婦とはなんだろうかとマリーは思ったが、尋ねようとはしなかった。
サララは、あまり表情を変えるようなことはなかったが、とても楽しそうに話をしてくれるので、マリーは毎回退屈することはなかった。マリー自身は、そのことに気づいてはいなかったが、むしろ、そんなサララの話にいつしか夢中になってすらいた。
けれども、一つだけ、二人の間にタブーがあった。サララは決して自らの交友関係を話そうとはしなかった。槍術を習っている話とか、気功術の話とか、そういったサララ自身のことはあっさり話してくれる。けれども、サララの交友関係にまで話が及び始めようものなら、頑ななまでにサララは口を噤んだ。
疑問を覚えなかったと言えば、嘘になる。言動や素振りが少年のようなサララの身の上話に、興味を抱かなかったかと問われれば、抱いているとマリーは答えるだろう。しかし、それを尋ねるだけの度胸と勢いは、マリーには無かった。
そこまでして話したくないのであれば、話さなくていい。そう思っていたマリーは、サララの交友関係を無理に尋ねるようなことはしなかった。何か訳があるのか、申し訳なさそうな素振りをサララが見せたから、尋ねようとは思わなかったかもしれない。
……そのタブーが、あっさり解禁されたのは、あの夜からしばらくの時間が過ぎた頃。切っ掛けは些細なもので、マリーが買い物をするために外に出ているある日のことであった。
陽気な日差しが実に心地よい。ここしばらく、懐にかなりの余裕があった彼は、保存食等の買い物も兼ねて、市場の中を散歩していた。人の波でごった返す中を、マリーはするりと通り抜ける。
多少は人通りの少なくなった辺りになって、伸びてくるスリの指先をへし折ったりしながら歩みを進める。売り子たちの、威勢の良い呼び掛けに視線を向ける。漂ってくる臭いは、実にマリーの食欲をそそった。
買い物をする前に、腹ごしらえでもしようかな。そう思って人の波を抜けて店の前に立った……マリーの視線が、数点の出店の先に居た、サララの横顔を捉えた。
「あ、サララだ」
思わず、ポツリとマリーは呟いた。別段、名前を呼ぶつもりは無かったので、マリーの出した声は小さい。市場の喧騒は相当なもので、耳を澄ましても聞こえない程であった……が、サララはまるでマリーの声が聞こえたかのように、くるりと振り向いた。
サララと、目が合った。そうマリーが思ったと同時に、サララはほんのわずかに唇の端で笑みを作ると、大きく手を振った。誰に振っているのかは、考えるまでも無かったので、マリーも応える様に手を振った。それがよほど嬉しかったのか、サララは抱える様に持った鞄を強く抱きしめると、小走りに移動を始めた。ちらちらと視線を投げかけられているのに気づいて、マリーは苦笑しながら市場から少し離れた場所に生えている樹木を指差した。
視線を向けたサララが、右手をあげて、大きく振った。伝わったが分かったマリーは、人の波を掻い潜って、樹木へと急いだ。距離的にマリーの方がはるかに近いというのに、いざ人の波を抜けて顔をあげると、樹木の下でサララが手を振っているのが見えた。
今日のサララの出で立ちは、わずかに水色が混じった長袖のシャツと、脛のあたりまであるズボンであった。相変わらず、ボーイッシュな格好だ。ぴったりとしたサイズのシャツは、身体のラインを分かりやすくマリーに教えてくれる。
うむ、大きくもなく、小さくも無い、手ごろなサイズだ。眼前に立つサララの全身を見やったマリーは「おいすー」と軽く手を振りかえした。脳裏に浮かんだ感想は、億尾も出さなかった。
「こんにちは、マリー。買い物? 散歩?」
そう尋ねるサララに、マリーは頷いて答えた。
「買い物だよ。家に置いてある保存食が少なくなってきたからな……サララは?」
「私は、マリア姉さんと買い物」
マリーは目を瞬かせた「へえ、姉さんが居たのか」気になったマリーはサララの背後に視線を向けると、少し離れた所を流れていた人波から、一人の女性が出てくるのが見えた。ゆったりとしたシャツとスカートを身に纏った女性は、誰かを探すかのように周囲を見回した後……マリーへと顔を向けて、目じりをつり上げた。機嫌を損ねているのが、遠目からでも分かった。
「サララ、お姉さんってのは、あの人か?」
マリーが女性を指差すと、サララは顔色を変えて振り返った。小走りで迫ってくる女性の姿を見て、サララは跳び上がる様にマリーの背後へと隠れた。
「お、おい」
「ごめん、今だけ、姉さんに怒られるから」
どうやら、女性の正体はサララが言った姉のマリアのようだ。それだけをマリーに告げると、サララは縮こまってしまった。わけもわからずマリーが狼狽していると、マリアはマリーの姿に視線を和らげて……マリーの前で、静かに立ち止まった。
実に美しい女性であった。陽光にきらめく金色の髪が、女性の青い瞳によく合っていた。顔立ちはもちろんのこと、衣服の胸元を押し上げる膨らみは、サララとは比べ物にならない程に素晴らしい。スタイルを強調する衣服ではないのに分かる谷間と腰のくびれは、如何にマリアのプロポーションが素晴らしいものであるのかを物語っていた。
男が望む欲望が、そのまま形を取ったかのようなマリアを前に、マリーは振り返って、サララの頭頂部を見つめた。マリアが傍に来ていることは分かっているのだろう。わずかに震えているのが、掴まれたシャツから分かった。
「おーい、お前の姉さん来ているけど、いつまでそこにいるつもりだ?」
そうマリーが尋ねると、サララの頭がぴくりと震えた。マリアもサララの様子には気づいているようで、先ほどとは打って変わって頬を緩ませると、マリーの身体越しにサララを覗きこんだ。むにゅ、とマリーの頬が柔らかい膨らみに押された。
(……この世全ては儚く、無常なり)
言葉には到底表すことの出来ない、天上の柔らかさであった。今まで触れてきた何よりも柔らかく、何よりも優しい……マリーの全神経が、膨らみに触れた左頬に集中する。わずかに香るマリアの匂いに、マリーの意識は涅槃へと旅立った。
「も、もう少し……」
「何が、もう少しなの?」
「ま、マリア姉さん」
「いつまでも友達の後ろに隠れていないで、私に何か言うことがあるんじゃないかしら?」
「……ご、ごめんなさい」
「よろしい。それと、次からは一声掛けてから行きなさい」
……頬に触れていた幸せが離れる。ハッとマリーが現実世界に帰って来たときには、マリアの隣にサララの姿があった。
「あなたが、マリー……くん、と言った方がいいのかしら?」
悪い意味の無い、困惑の眼差しを向けられて、マリーはサララを見やった。申し訳なさそうにマリアの後ろに隠れようとするのを見て、マリーは察する。前にお茶をしたときに己は男であると告げた記憶がよみがえる。
信じて貰えるのに苦労したが、そういえば、黙っていて欲しいとかは言っていなかったような覚えがあった。
マリーの視線から逃れようとするサララの様子に、マリーは苦笑した。おおかた、友達の秘密を不用意に話してしまったことに対して、引け目を感じているのだろう。別段、秘密にしてくれなどと言った覚えがないというのに……生真面目な性格をしている。
「チャンでも、クンでも、好きなように呼べばいい。自分で言うのも何だが、俺はどこから見ても美少女だからな……今更ちゃん付けで呼ばれるぐらい、どうってことはないぞ」
そう、マリーは答えた。見た目美少女のマリーの口から飛び出した男口調に、マリアは呆気に取られた。異様な者を見るかのような視線をマリーに向けた後、我に返って軽く頭を振った。
次いで、目を伏せると、マリーへと頭を下げた。
「ごめんなさい。失礼だったわね」
「あんたも大概生真面目な性格をしているな」
マリアは頭をあげた。
「えっ?」
「いや、こっちの話……ところで、名前を教えてくれないか? あいにく、あんたのことはサララから何も聞いていないんだ」
「あら、サララからは何も聞いていないの?」
マリアが振り返ってサララを見やる。サララは静かに首を横に振ると、ポツリと呟いた「誰のことも、言ってない。不用意に伝えない、皆との約束だから」
その言葉にマリアは眉をしかめた。はあ、とため息を吐く。呆れから来るアンニュイな仕草が、マリアには良く似合った。本当の美人は、何をしても美人なのだと、マリーは彼女を見て思った。
気を取り直したマリアは、マリーへと向き直った。
「遅くなったけど、自己紹介しておくわね。私の名前はマリア・トルバーナ。サララの友達なら、だいたい察しがつくでしょうけど……」
そこでマリアは背を屈めて、マリーの耳元へと唇を近づけた。ふう、と熱っぽくも湿った吐息が、耳をくすぐった。
「娼婦よ。これでも『ラビアン・ローズ』っていう娼婦館を経営しているのよ」
実にエロチックな声色だ。ふっ、ふっ、と女の吐息が鼓膜を振動させる。鼻腔に広がる甘い香りと共に走る、背筋の痺れ。体中の力が抜けていくような錯覚に、マリーは頭をくらりとさせる。初心な反応に気を良くしたマリアは笑みを浮かべながら身を離した。
直後、後頭部に走った痛みに、マリーは振り返った。そこには、そっぽを向いて口笛を吹いているサララの後ろ姿があった。これ以上ないぐらいのわざとらしさだ。
「……お前、本当に娼婦だったんだな。今の今まで冗談だとばかり思っていたぜ……」
ポツリと呟いたマリーの一言に、マリアが思わずといった調子で、あはは、と笑い声をあげた。しばらくして、ごめんなさい、とマリアは一言詫びを入れた後、マリーへ唇を開いた。
「ねえ、買い物っていうのは今日中に済ませないと駄目なのかしら? それとも、買い物以外に何か予定でもいれていたりする?」
「えっ?」
マリアの言葉に、マリーは再びマリアへと向き直った。反射的に家に保管している保存食の在庫を数える……三日後に無くなるのを計算したマリーは、首を横に振った。
「それじゃあ、お昼はこっちが奢るから、ちょっと付き合ってくれないかしら?」
朗らかに提案するマリアの姿に、マリーは「いいよ」と気安く了承し……少しだけ、邪な妄想を脳内に浮かべた。その彼の頭を、サララの軽いチョップが襲ったのは、そのすぐ後であった。
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