第14話:エピローグ
ちょっとばかしグロい描写が含まれています。
もうすぐ雪がちらつくのではないかという話が、ちらほらと住人たちの間で流れる冬の日……その日のラステーラも、晴天であった。
ぽつぽつと浮かぶいくつかの雲、その下を、様々な種類の鳥たちがのどかに青空を飛び回っている。そんな穏やかな青空の下、今日もラステーラの町は、急ピッチで復興への道を進んでいた。
「19番! 接着粘土10kgとレンガ100kgが出来たぞ! 持って行け! 次は20番! 後ちょっとで精製が終わるから、今の内に用意しておけ!」
責任者の、酒で少し枯れた野太い怒声が、ごうん、ごうん、と喧しくフル稼働を続ける『循環形成装置』の騒音をかき消すように響き渡る。
『循環形成装置』とは、使用された資材等を元の新品同然の状態に形成し直す特殊な装置だ。形成できるのは、レンガや鉄といった物に限られ、植物等の生物には使えず、土木建設に特化した装置である。
その『循環形成装置』の前には、大勢の男たちが列を成して並んでいた。早朝の定められた時間前から並んでいる彼らは、自分の番が呼ばれるのを今か今かと、ふわりとそよぐ冬風に肩を震わせながら待っていた。
装置の前で列を成している彼らは、ラステーラ在住の土木業以外に就いていた男たちと、そして、『東京』から募集を聞いてやってきた様々な人たちだ。さすがに技術を必要とする場所は任せられないが、機材の運搬や、資材の調達などには男手が一人でも欲しい。町の復興が急ピッチで進めていけるのも、半分ぐらいは住人たちの努力のおかげであった。
その列の隣、今はもう瓦礫だらけとなった大通りには、いくつものテントが張られており、商売人たちが逞しく商売を行っている。さすがに以前よりも活気は落ち込んでいるものの、あの日から十数日……少しずつテントの数も増え、町に物流の息吹が吹き始めていた。
半壊した建物を修理する作業員たちの、きん、かん、と奏でる作業音が町の至る所から聞こえてくる。けっこうその音はうるさいが、まあ、仕方がないことだ。『東京』から運んできた装置を用いて鉄骨を打ち合わせたり、邪魔な瓦礫を力任せで砕いたりしているのだから、多少は騒がしくもなろう。
……とはいえ、騒がしいのはあくまで中央から南端までの間だ。そこから北は被害が少なかったこともあって、女子供たちはそこで毎日のように男たちの為に衣食住の用意を行っていた。
挨拶ぐらいしかしたことが無い相手であっても、同じ町に住む人間であることに変わりは無い。ラステーラの女たちは、疲れて帰ってくる男たちの為に、精一杯汗水を垂らして頑張っていた。
その女たちが食事の用意を始めている中で、マリーたちは何をしていたかと言うと……肉を食べていた。大量に集められた肉に囲まれたそこは、いわゆる『仮食堂』と呼ばれている場所だ。
机といすと、テントが取り付けられた、簡素な食堂。マリーたちはその食堂の末端にて、次から次へと運ばれてくる串焼肉にかぶりついていた。
「……いいかげん、肉は食い飽きた。野菜が欲しい、野菜が無ければ果物が欲しい。イシュタリア、ちょっとお前に頼みたいことが有るんだが……」
湯気立つ串焼肉にむしゃむしゃとかぶりついていたマリーは、物憂げな態度を隠そうともせずに、そう呟いた。同じように物憂げな表情で力無く肉にかぶりついていたイシュタリアも、やる気無さそうにため息を吐いた。
「そこらに生えている草の根でも齧るのじゃな。例外なく苦い上に臭くて食べられたものではないと思うが、頑張ればイケると思うのじゃ」
「そいつは盲点だったぜ……よし、誰かちょっとこれを齧ってみてくれ」
目についた雑草を引き抜いて、掲げてやると、サララが食いついた。躊躇なく、「マリーの為なら私が齧る」と言って葉っぱに噛みついたサララは……静かに、顔色を悪くした。
「マリー、これは食べられたものではないよ。砂の歯ごたえが悪すぎるし、滲み出てくる液がこれまた苦い……」
咳き込むサララに、ドラコとナタリアが不思議そうに首を傾げた。
「……私自身、そういった方面の知識に疎い事を自覚しているが、それでも分かることがある。それはさすがに洗ってから食べるものではないだろうか?」
「……時々思うのだけれども、サララは無性に男らしいときがあるわよね。もしサララが男だったら、年頃の女たちが放っておかなかったわね……」
……とまあ、マリーたちは相変わらずの調子であった。
そんなマリーたちの姿に苦笑いする女たち……惨劇前から変わっていない、相変わらずの光景であった。しかし、全てが惨劇前と同じと言うわけでは無く、マリーたちと女たちの間に、ぎこちない何かが横たわっていた。
ジロリと、どこかから向けられる、ドラコへと向けられる憎悪の籠った視線。言葉にこそ出さないものの、確実に向けられている悪意の瞳に……マリーたちは、表面上は何時もの調子を見せていた。
町を襲った竜人の仲間でもあったドラコと、救世主であるマリーたちが一緒に行動する。言葉にすれば、とても奇妙なことだ。しかし、その奇妙なことのおかげで、女たちはもちろんのこと、男たちも……最後の一歩を踏みとどまっていた。
今、この場にはドラコを責める者はいない。それを良しとするべきか、悪いとするべきか……今は誰の胸中にも答えが出ていない。
もちろん、中にはドラコのことを『殺してやる』と泣き叫ぶ人も居たが……今の所、ドラコは素直に殺されるつもりはないらしい。時折石を投げつけられる姿が見受けられるが、ドラコは気にした様子も無く飄々とした態度を崩してはいなかった。
マリーはため息を吐くと、右手の串に刺さった最後の一かけらを口の中に放り込んで、嫌そうに咀嚼を始めた。このような被害が出た状況の中、肉を食えるというのは非常に良いことなのに、この反応……普通であれば文句を言われても仕方がないはずなのだが、イシュタリアたちはもちろん、女たちも誰一人文句を言う者はいなかった。
というより、女たちもマリーの愚痴には正直なところ、同意したいのである。なぜかと言えば、先ほどからマリーたちが食べている肉……実はそれ、普通の肉では無いうえに、十日間ぐらい前から食べ続けているからであった。
「……しかし、やって来る商人と住人総出で食べまくっているというのに、まだ半分以上も残っていやがる……商人が一部を買って行っているはずなのに、どういうことなんだよ……」
「そりゃあ、アレだけデカければちょっとやそっと食べたぐらいでは目減りもせんじゃろう。神獣の肉が美味だったことは、不幸中の幸いじゃがな」
そう、マリーたちがたった今食べているのは他でも無い……神獣の肉なのであった。いくら貴重な肉とはいえ、毎日朝昼晩食べ続ければ……嫌にもなるだろう。
ちなみに、マリーたちの中で、唯一愚痴を零さずに食べ続けているのはドラコである。それはドラコ自身が負い目を感じているのもそうだが、「一度は神と崇めた存在だ。せめて、我の糧にしなければ……」という、独特の考えがあるらしい。
神の使いとして崇めた存在を、食べる。
弱肉強食の観点から言えば、それは間違ってはいないのだが……黙して食べ続けるドラコの想いを知る者は、ドラコ以外誰も居なかった。
(まあ、複雑だよな……ドラコもそうだけど、町のやつらも……)
べっ、べっ、と唾を吐いているサララの背中を摩りながら、マリーは町の中央に横たわっている神獣の亡骸へと視線をやる。そこには、身体の半分近くを解体された肉塊が、青空の下で異様なほどに目立っていた。
「……もういっそのこと焼いたらいいんじゃね?」
「焼けるのは表面だけじゃな。しかも、焦げた血の臭いで凄まじいことになるのじゃ」
「だったら町の外に居る動物たちに食べてもらおうぜ。あいつらが頑張れば、すぐになくなるだろ」
「ちょっとぐらいならそれで解決するじゃろうが、あの量じゃぞ? それで他所から動物たちが集まってきたら……というか、もう既に集まって来ておるではないか。人に慣れたうえに餌付けされた獣程面倒なやつはいないというのに、これ以上数が増えたら後々困るのは町のやつらなのじゃ」
もう何度目かとなるマリーの提案に、イシュタリアは律儀に何度目かとなる返答を行った。既に何度か試した後なので、マリーもそれ以上何かを言おうとは思わず、黙って亡骸を眺めた。
神獣撃破から、十数日。神獣の亡骸は、いまだラステーラのど真ん中に有る。そのあまりに巨大な亡骸は、たとえ住人総出であっても動かすことは容易では無い。
神獣と称えられた巨大な怪物は、今では巨大な障害物へと姿を変え……住人たちの悩みの種となっていた。
肉塊の頭頂部には、大小様々な数十羽の鳥が集まっているのが見える。鳥たちからすれば、これ以上ないぐらいの御馳走なのだろう。遠目からでも分かるぐらいに忙しなく肉塊を突いている鳥たちの中へ、また新たな数羽が降り立った……日に日に数が増えているらしい。普段であれば鬱陶しい鳥たちも、今ばかりは住人たちから非常にありがたい存在であった。
その肉塊にへばりつくようにしがみ付いている、幾人の人影がちらほらと見え隠れしている。彼らは、神獣の亡骸から売り物になりそうな部分を切り分けている肉屋の店主たちだ。例の爆弾によってジェル状になった臓腑交じりの体液にまみれながら、彼らは今日もナタを振っていた。
彼らの仕事は朝から晩まで亡骸にしがみ付いて肉を切り落とし、他の作業員と共同して神獣の解体作業を行うこと。早く処理をしないと、亡骸が腐ってしまうから、彼らは朝から日が暮れる晩までナタを振るいまくっているのだ。
一見すると自分本位の金稼ぎをしているようにも取られそうだが、決してそんなことは無い。肉の切り分けは非常に重労働だし、足場も悪い。血の臭いに酔って倒れる人もいるし、肉を食べられなくなった人もいる。
それでも彼らが頑張るのは、単に復興資金を得る為だ。売れるのであれば売って、少しでも復興の資金に回したい。そんな思いで一丸となっている彼らは、今日も解体作業に精を出しているのだ。
「さて、あれにハエが集るようになるまで、あと何日のことやら……」
ポツリと呟いたマリーのその言葉に、手を動かしていた女たちの肩がピクリと動いた。そして、誰しもが無言のままに顔を見合わせて……深々とため息を吐いた。彼女たちがため息を吐くの、無理も無い事であった。
寒空から絶えず降り注ぐ冷気と、強く吹きつけられる乾燥した季節風。この二つの恩恵もあってか、神獣の亡骸は未だ利用出来ているが、それも時間の問題だ。神獣の肉は他の肉よりも傷みにくいようで、まだ艶のある赤み部分は多いが、それでもいずれは腐り落ち、異臭を放つようになるだろう。
商人たちもラステーラの事情を知っているので、ある程度は融通をきかせてくれているが……さすがに、売り物にならない物を買い取ってくれるほど甘くは無い。
それに加えて、肉そのものは痛んでいないが、亡骸から流れ出した体液の一部から異臭が出始めているという話が出たのは、昨日の事だ。『東京』から持って来た『ろ過装置』と、ラステーラにある『ろ過装置』をフル稼働させ、昼夜を問わず処理を行っているが……こちらも、今のところは全く追いついていないのが現状である。
「しかし、まさかあんなデカブツが食えるとはなあ……見た目が不味そうなのはアレだが、それだけは唯一の救いだな……ああ、もう無理。これ以上食ったら吐くから……」
ハイッと横から差し出された串焼肉に手を振りながら、マリーはしみじみと呟いた。「ほら、見ろよこの腹……いつ破裂してもおかしくねえぞ」断られた女は、見せられたマリーのお腹を見て苦笑すると、その串焼肉をドラコへと手渡して、忙しそうに離れて行った。
「……はあ」
その後ろ姿を見送ったマリーは、けふっと息を吐いた。途端、膨れていたお腹がぺこりと凹み、若干のくびれすら見られる滑らかな腹部へと戻った。
「何じゃ、マリー……お主、もう限界か?」
もぐもぐと、この日15本目となる串焼肉にかぶりついていたイシュタリアから見つめられたマリーは、げんなりとした様子で力無く頷いた。
「元々小食の俺に無茶言うなよ。6本も食えただけで、俺としては上出来通り越して感無量の域なんだぞ」
ここ数日、マリーの胃袋は働きすぎた。太る気配こそ無いものの、正直何時食べ物が逆流してもおかしくないぐらいであった。
……こりゃあ、帰ったらしばらく野菜スープとパンだけでいいや。
そんな考えが脳裏を過る……ふと、満腹感に膨れ上がった腹部を摩っていたマリーは、「ところで……」顔をあげた。
「前に掘り出した金はいくらか寄付したことだし、そろそろ『東京』に帰ろうかと思っているんだが、お前らどうする?」
瞬間、周囲で作業をしていた女たちの視線が、一斉にマリーへと注がれる。今、マリーがあまりに聞き捨てならないことを言い放ったからだ。
誰も彼もが例外なく、驚愕に目を見開いてマジマジとマリーを見つめているのを他所に、尋ねられた3人は……しばし目を瞬かせ、ドラコはジッとマリーを見つめた。
昨日、『東京』から来たという商人からある程度の物資を購入したマリーたちは、そこでダンジョンの『増大期』が終わったことを聞いている。
なので、サララたちも、そのうちマリーの方から言い出すんじゃないかなあ……ぐらいに考えていたのだが、まさか昨日の今日で帰ろうという言葉がマリーの口から出るとは……些か予想外であった。
「……別に帰るのは私としても構わないんだけど、もう少し復興を手伝ってからの方がいいんじゃないかな?」
最初に返答したのは、サララであった。模範的ともいえるサララの返答に、イシュタリアは「ふむ、迷うのう」首を傾げた。
「私としては正直、どっちでもいいのじゃが……竜人はどうするのじゃ? まさか、ここでお別れするつもりじゃなかろうな?」
「そんなわけねえだろ……普通に連れて帰るつもりだよ。ここに置いて行ったらどうなるか目に見えているしな……ドラコ、お前はそれでいいか?」
嫌なら断ってもいいんだぞ。そんな言葉を言外に臭わせたマリーの問いかけであったが、ドラコは静かに首を振る。そっと身を屈めてマリーの頭に鼻先を擦りつけると、くるるぅ、と喉を鳴らした。
「元より、私にはもう行く当てなどない。お前が私を必要としてくれるのであれば、この命……潰えるまで傍に居よう」
「はい、ドラコの行き先は決まり。それじゃあ……うん、サララ、帰ったら一緒に風呂に入ろう。背中も流してほしいし、ご飯も食べさせて欲しい。というか、もう色々俺に尽してほしいんだ……だから、その握りしめた拳から力を抜こうな? な?」
「……マリーがそう言うなら、私はマリーに従う」
例の目つきになったサララを内心必死になりながら、マリーは思いっきりサララを抱きしめる。すると、サララの腕がそっとマリーの背中に回され、自然と抱き締めあう形になった。フンフンとサララが臭いを嗅いでいるのが分かったが、マリーは何も言わなかった。
いつものプレートを着ていないので、服越しにプニプニとした弾力が伝わってくる。二つの小粒も相まって、非常に心地よい。さり気なく胸を擦り合わせてみれば、さらに気持ちいい。
(……ふむ、間に服を挟むのも、また乙な感じだな)
サララの首筋から伝わってくる臭いに、マリーはゆっくりと目を瞑る。決して嫌では無いその香りは、サララのボーイッシュさを表しているようで、マリーはけっこう好みであった。
周囲の女たちからの視線を受けながらも、サララは全く離れようとはしない。当たり前のようにマリーの手がサララの尻を掴んでいても、されるがままだ。どうやら今日は、何時にも増して寂しがり屋な気分のようだ。
(……やべえ、サララの身体あったけえ……)
じんわりと伝わってくる体温に、眠気が湧き上がってくる。もう今日は帰って寝ようかしら……そんな考えが浮かび始めた頃。ざわめきが遠くの方から聞こえ始めて来て、フッとマリーの意識が浮上する。
気を引かれたのはイシュタリアたちも同様で、自然とざわめきがあがった方向へ視線が向けられる。どんどん近づいてくるざわめきに、周りで作業をしていた女たちも手を止めてそちらに目をやり……通りの角から姿を見せた絶世の美女に、女たちは思わず息を呑んだ。
現れたのが、嫉妬する気すら起きないレベルの金髪碧眼の美人であったからだ。粗を探すのに小一時間は掛かりそうな美女は、キョロキョロと辺りを見回し……マリーたちに視線をやって、ほころぶような笑顔を見せた。
ざわっ、と女たちの空気が変わる。何事かと立ち尽くす女たちを他所に、その美女は小走りに女たちの横を通り過ぎると……マリーたちへと大きく手を振った。
「――良かった、みんな大丈夫そうね!」
「おお、マリア。久しぶりに顔を見たのじゃ」
そう、美女の正体はマリアである。『東京』のラビアン・ローズから遠路はるばるやってきたマリアが、ひょっこりと食堂に姿を見せたのであった。
さすがに立ち話も何だということで、マリーたちは場所を現在寝泊まりしている宿屋へと移した。周りの目が、というよりも男連中が仮食堂に集まり始めたからでもある。どうやら、マリアの色気はラステーラの町でも十分に通用するようだ。
今現在、マリーたちが寝泊まりしているのは、『りゅらん亭』よりもいくらかランクが落ちるが、中々に悪くない宿屋である。マリアの第一声も「よく宿を取れたわね」というものであった辺り、テントに寝泊まりしているのを想定していたのかもしれない。
部屋に戻ったマリーたちは、早速これまでの経緯を話した。狩猟者生活のこと、竜人のこと、神獣のこと……数か月にも及ぶ話は夜まで掛かり、一通りの話を終える頃には日が暮れていた。
夕食を交えながらのお話にじっくりと耳を澄ませていたマリアは、深々と安堵のため息を吐いた。それは何も、夕食に出された神獣ステーキが嫌だったわけでは無かった。
「ラステーラが怪物に襲われて壊滅したっていう噂を聞いて、私も皆も居ても経っても居られなくて……でも、無事で安心したわ。代表して私が来たけど、みんな凄く心配していたのよ」
「無事といっても、実質は大損したんだけどな」
そうマリーが言うと、マリアは静かに首を横に振った。
「それでも、五体満足でいるのでしょ? だったら儲けものよ」
……その言葉でイシュタリアがこっそり苦笑いしたことに、マリアは気づかなかった。下手に話すと面倒なことになると思ったのだろう。そんなイシュタリアの気遣いを他所に、「ところで……」と、マリアは視線をドラコへと向けた。
「ドラコと呼ばせて貰っていいのよね? 私はラビアン・ローズの前当主を務めていた、マリア・トルバーナよ。今のオーナーはマリー君だけど、館の運営は今も私が担当させてもらっているわ」
よろしくお願いするわね。
そう言って差し出されたマリアの手を、ドラコは興味深そうに眺めた。己とは違ってとても繊細で、磨かれた大理石のように滑らかな指先をジッと見つめていると、マリアは困惑気に首を傾げた。
「もしかして、あなた達には握手をする文化って無いのかしら? それだったら、あなた達のやり方で挨拶をするわよ」
「……いや、そういうわけではない。ただ、お前も我のことを怖がったりはしないのだな……と思っただけだ」
優しくマリアの手を握る。今まで握った中では最も柔らかく、それでいて温かい。思わず手を放すと、マリアはふわりと微笑んで、「あら、そんなこと?」うふふ、と笑みを零した。
「あなたを怖がる必要なんて、どこにも無いもの。怖がる理由が無いのに怖がるなんて器用な事、私には出来ないわ」
「……言っておくが、我が少し気紛れを起こせば貴様の顔をズタズタに引き裂くことも出来る。それを、お前はマリーの話を聞いて理解出来ていないのか?」
「理解出来ているわよ。あなたは私の100倍力持ちで、私の100倍素早く動けて、私の100倍頑丈で、私の100倍ぐらい本当は優しいってことをね……あらやだ、あなた、私のことをお馬鹿さんだと思っているでしょ?」
唖然。ぽかんと口を開いたままのドラコを前に、マリアはおかしそうに笑い声をあげる。うふふふ、笑みを抑え込む為に口を抑えていた手で、マリアはそっとドラコの唇を押した。
パチパチと、目を瞬かせるドラコを前に、マリアはにっこりと笑みを浮かべた。
「あなたが本当に残酷な人物だったら、私の手を怖がったりしないからよ」
思わず、ドラコは爪を引っ込めていた手を上から押さえた。途端、「うふふ、あなたって隠し事下手ね」マリアはさらに笑みを深めた。
「大丈夫よ。確かに人間はあなたが考えているようにとても脆い生物だけど、怪我を負えばあなたと同じように傷は塞がるから。怖がってばかりでは、何時まで経っても前には進めないわ」
唖然。再び馬鹿みたいに口を開いたままになったドラコは、ふと我に返って……苦笑した。
「……お前は、母と同じことを言うのだな」
ポツリと、ドラコは呟いた。「えっ?」と首を傾げるマリアに、ドラコは何でも無いと首を横に振って背を向けた。そのまま離れて行くドラコの背中を見て、マリアは訳が分からず首を傾げるしかなかった。
「ところで、マリアは何時頃『東京』に戻るつもりなんだ?」
「え……あ、ああ、うん。いちおう、マリーくんたちと一緒に帰ろうかと思っていたんだけど……この様子じゃ、無理そうよね?」
ドラコの様子を見て助け船を出したのは、マリーであった。幸い、マリアも空気をしっかり読む方だ。尋ねられた直後には、ごく自然に気持ちを切り替えていた。
「いや、別に帰るだけなら、それこそ今日にでも帰ることは出来るぞ。ただ、帰るまでに一悶着ありそうな感じだな」
「あら、そうなの?」
マリーの言葉に、マリアは驚いて目を見開いた……が、すぐに目を瞬かせた。「あなた達、何かしたの?」と首を傾げるマリアに、イシュタリアが困ったように笑みを零した。
「別に何もしておらんよ。ただ、私たちが居なくなるとあのデカブツの解体作業が少し遅れるのじゃ」
「……ああ、マリー君もイシュタリアちゃんも、とっても力持ちだものね」
そう素直に納得するマリアであったが、イシュタリアの説明には、少しばかり間違いがある。それは解体作業が少し遅れるという点で、遅れるどころの話では無く、実際はストップするに等しいというのが正しい内容であった。
解体作業において最も時間が掛かっているのは、血のろ過分解作業でも無ければ、肉の解体作業でも無い。皮膚の表面にびっしりと張り付いた鱗を剥がす作業こそが、実は一番手間と時間が掛かっているのだ。
なにせ神獣の鱗は、マリーの全力パンチでヒビが入るのがやっとの強度だ。熱や冷気にも強く、わざと湿潤による劣化も見られず、乾燥による劣化も見られない。現状、鱗そのものを破壊することは不可能に近い。
なので、今は鱗の破壊を避けて解体作業を進めているが……いずれは神獣そのものを移動させる為に、その身体を細かく解体する必要がある。
避けて通ることが出来ない問題の一つである為、解体の邪魔となる鱗をどうにかしなければならない。
試行錯誤を繰り返して、ようやく『切ったり砕いたりするのではなく、剥がすことで処理が出来そうだ』ということを知った……までは良かったのだが、住人たちの前に立ちはだかったのは、これまた厄介なことだらけであった。
まず分かったのは、びっしりと揃った鱗には梃子を使う隙間すら無く、スムーズに梃子を差しこむことは不可能に近いということ。
それでも四苦八苦してようやく梃子を差しこめたと思ったら、今度は一人の力では数センチと持ちあがらない。最低でも、大人四人が必要だ。
おまけに鱗と皮膚を繋いでいる、靭帯にも似た組織の強度も異常に強く、伸縮性が非常に強い。鱗の位置によっては、持ち上げた鱗を人力で固定しなければならなかった。
身体を痛めないように何人かでローテーションを組みながら、ようやく出来た隙間からナイフを差しいれて、十数回に渡って角度を変えながら少しずつ組織に切れ込みを入れる。その作業を十数回に渡って繰り返し、ようやく一枚の鱗を剥がせる。それが、全体の工程であった。
手間取って時間が掛かっていた当初よりもかなり時間の短縮が進んできているが……鱗を10枚も剥がし終えた頃には、だいたいの作業員が汗だくになっている辺り、如何にそれが大変なのかがよく分かる。
しかし、そこまで苦労する作業も、マリーたちの手に掛かれば一枚当たりの所要時間は10秒ぐらいで済む。加えて、マリーたちは事情を理解しているので、足元を見たりはしない……住人たちからすればメリットしかないのだ。
神獣の解体作業も寝床となる住宅の建築も、並行して進めたい。
けれども、冬を越す為に必要な家を作る方に人が回されて、解体作業に人をまわせない。
だからといって外から人を呼び寄せようにも、今以上に出せる金が無い。
しかし、解体を早く行わなければ後々の作業に酷い悪影響が出る……住人たちにとって、亡骸の処理は本当に頭を悩ませる問題なのだ。
そういった経緯もあって、マリーたちが居ないと神獣の解体作業がストップしてしまうというのも、あながち誇張ではないのだ。
「町のやつらからすれば、せめてある程度復興の目処が立つまでは留まっていて欲しいというのが本音じゃろうな。本格的な冬が目の前に差し迫っている今、仮設テントでは凍死する可能性もあるからのう」
実際問題、ラステーラの半数近い建物が倒壊してしまった現在、寝泊まりできる建物が物理的に足りない。中には素行の悪い者がいることもあって、部屋を無償で提供している人たちからも少しずつ苦情に近い愚痴が出始めている。
「けれども、その目処までどれぐらいの時間が必要なのかっていう話になると、一年、二年でどうにかなる話じゃない。それこそ、五年十年……俺としては、さすがにそこまで面倒見るつもりは無えってだけの話さ」
そうため息を吐くマリーであったが、その場にいる誰もがマリーを責めようとは思わない。皆、マリーと同じことを考えていたし、この場に居る中では一番情の深いマリアですら、マリーの愚痴に同意見であった。
「いくら何でも、5年はさすがに……ねえ?」
「マリアもそう思うだろ?」
賛同してくれたマリアに笑顔を浮かべるマリーであったが、すぐにその笑みは曇る。深々と、マリーは先ほどよりも重苦しいため息を吐いた。
「とはいえ、この時期に帰るのも心苦しい部分があるのは事実なんだよなあ……マージィには恩が貸しがある。けれども、だからといって、下手に先延ばしにすると、あの手この手で情に訴えてきそうで、すげえ面倒くさそう何だよなあ」
……ありえそうだ。
ポツリと零したマリーの愚痴に、その場に居る(ドラコを除く)全員が納得に唸る。現時点ですら、言外の引き留めを受けているのを実感する時があるぐらいだ……これ以上となると、正直想像したくはない。
「……正直、私は助けたいという思いはあるよ」
ポツリと、サララの声が室内に響いた。
「ここの人達は良い人ばかりだし、親切にしてくれたし……マリア姉さんも、ここに来る途中で分かったでしょ?」
「……んん~、サララ、それは少し違うわよ」
マリアは首を横に振った。
「町の人達が優しかったのは、君たちが『良質なお客さん』だったからよ。これでマリーくんたちが『碌でもないお客さん』だったら、多分もっと早くに追い出されていたか、あるいはもっと粗末な扱いをされていたと私は思うわね」
若くして波乱の人生を歩んできただけあって、意外とマリアの思考はシビアである。情けを掛けるべき場面と、そうでない場面をきっちり分けたマリアの意見に、マリーたちは苦笑いするしかなかった。
「……いちおう、復興を進める手段は有るにはあるのじゃ」
夜も更けて、宿の主人たちも寝静まった頃。ポツリと、イシュタリアが呟いたのは、宿の厨房をこっそり借りたナタリアがお茶を持ってきてくれた辺りであった。
「実はな、私が習得している魔法術の中に、『壊された住宅を復元する』というものが有ってなあ……昔、ダンジョン内でたまたま見つけた魔本から習得したのじゃが、それを使えば数分で家一軒を復元することが出来るのじゃ」
イシュタリアのその発言は、「いっそ夜逃げでもするか?」という結論になろうとしていた場の流れを、ガラリと変える一言であった。
「おい何だ、そのあまりに限定的な魔法術は……まさしくこの時の為だけにあるような魔法術じゃねえか。なんでそれをもっと早くに言わねえんだよ」
苦くて渋い味に歪んでいたマリーの表情が、目に見えて明るくなった。まだ半分以上残っているお茶をテーブルに置いたマリーは、ナタリアからの視線を半ば無視してイシュタリアに詰め寄る。
「なんでも何も、この魔法術は恐ろしく魔力を消耗するからのう。私ですら10件も家を復元すれば、疲労でしばらく動けなくなるのじゃ……あ、マリア、期待している所悪いのじゃが、ラビアン・ローズのような大きな建物は復元できぬのじゃ」
しかし、イシュタリアにはどこ吹く風であった。胸倉を掴まれているというのに気にした様子も無く、平然としていた。その様子に毒気を抜かれたマリーは、仕方なく手を放した。
けれども、イシュタリアはまだ話を終わらせるつもりはないようで、ぽんぽん、とイシュタリアは衣服の胸元についた皺を伸ばすと、「気落ちするのは早いのじゃ」と話を続けた。
「要は、魔力さえ事足りればいいだけの話なのじゃ。つまり、魔力を外部から補給出来れば、理論上は無限に魔法術を行使できるというわけじゃな」
えっへん、と薄い胸を張るイシュタリアに、マリーたちはなるほどと頷いた……が、その中で、すぐにマリーは「んん?」と内心首を捻った。
消耗した魔力の回復は、とにかく安静になって食事を取って時間を置くこと。以前にマリーが魔力を枯渇させてしまって寝込んだ時も、同じ方法で回復した……言うなれば、自然回復が一番手っ取り早いのだ。
魔力を外部から補給する方法もあるにはあるが、それはダンジョンで手に入るアイテムを使った荒業だ。それ以外の方法で魔力を回復出来るなんて、マリーは聞いたことが無かった。
しかし、イシュタリアなら知っているのかもしれない。根拠は無いが、ありえそうな話にマリーは一人納得する……と、チラリとイシュタリアと目が合った。それはただの偶然というよりは、明らかにマリーを見つめていた。
思わず首を傾げるマリーを他所に、イシュタリアはそのまま何度かマリーに視線を送ると……静かにため息を吐いた。そして、自らが来ているドレスの裾を掴んだと思ったら。
それを、一気に頭上へと引っ張った。直後、殺風景の室内にはあまりに不釣り合いな存在が出現した。
白雪のような肌に映える、ぷくりと膨らんだ乳房。おおよそ女を感じさせるには少しばかり早い体格。幾分かくびれた腰に引っかかる、あまりにセクシーな亜麻色の紐ショーツ。
ふわりと、黒い長髪が気流を舞って、ぱらぱらと身体に降りかかる。唖然とした様子のマリーたちから強烈な視線を受けたイシュタリアは、その一身をぷるりと震わせると、素肌に少しばかり食い込んでいる腰ひもに指を差し入れ……一息に下ろした。
「……さすがに、寒いのじゃ」
露わになる、真っ白で滑らかな亀裂。ほんのわずかに飛び出している敏感スポットを隠そうともしないイシュタリアは、そう言って両足から紐ショーツを抜き取ると……それを、テーブルに置いた。
室内とはいえ、あまりに突然の行動に、言葉を失うマリーたち。その中で、一人伸びをして盛大に骨を鳴らしているイシュタリアは、ふう、とため息を吐くと……チラリとマリーへ視線を向けた。
「ほれ、お主も早く脱ぐのじゃ」
何を言っているのだろうか。
「……ああ、うん、待て。とりあえず、脱ぐ前に一言だけ尋ねさせてくれ……どうしてそういう結論になったんだ? というか、なんで服を脱ぐ?」
湧き上がってくる疲労感と嫌な予感に思わず頭を抱えそうになったマリーは、ジロリとイシュタリアを睨みながら言った。
「何故と問われれば、魔力補給の為に致すからとしか言えんのじゃ」
イシュタリアの答えは至極あっさりしていた。反して、マリーはイシュタリアの言っている事が全く理解出来なかった。みんなも、理解出来なかった。特にサララは理解出来なさ過ぎて、槍を構えようとしていた。
「……すまん。俺の聞き間違いで無ければ、致すというのは、その、男と女の共同作業で魔力補給をすると言っているように聞こえたんだが……」
「それで合っているのじゃ。まあ、だからと言って普通に致すわけでは無いがのう……要は、繋がることに意味があるのじゃ」
どうやら、聞き間違いではないらしい。突然の展開に付いていけずに呆然と目を瞬かせるしかないマリーたちを他所に、イシュタリアは腰に手を当てて胸を張った。
「ほれ、ナタリアと出会った時のことを覚えておるか?」
忘れたくとも忘れられない。というよりも、忘れさせてくれない。マリーは嫌々ながら頷いた。
「あれと原理は一緒なのじゃ。繋がることで互いの魔力を行き来させる、ただそれだけなのじゃ。あくまで理論の域を出ない話じゃし、ただ魔力を行き来させるだけじゃから、混ぜ合わせるよりは成功しやすいかもしれぬ……試してみる価値はあると思うのじゃ」
思うのじゃ、と言われても困る。しかし、そうマリーが思っている間にも、イシュタリアはベッドに身体を預けると、マリーへと大きく股を開いた。ぱっかーん、と露わになった真っ赤な粘膜の中で、くぱぁっと小さな黒穴が覗いていた。
イシュタリアのような女の子が好きな人からすれば、血走った瞳を浮かべているであろう光景。色素の沈着すら見られない粘膜と皺の窄まりが、マリーの到着を催促するかのように、パクパクと伸縮していた。
「ほれ、やり方を知らぬ坊やではあるまい。さっさとその股間の小指をここに差し込むのじゃ」
「ええ、分かった、わ」
笑顔を浮かべたサララが、全力の一閃を放った。
「いや、お主では無いのじゃ」
音も無く空気を貫いて放たれた槍を、イシュタリアは予測していたようだ。両足の裏で白刃取りをするという信じがたい離れ業をやってのけたイシュタリアは、そのままの体勢で足を振るう。ぶんぶん、と前後に動く刃がギリギリのところで粘膜の前を掠めた。
「いきなり何をするのじゃ……再生できるとはいえ、好き好んでやられたいわけではないのじゃ」
「何って、その腐って、悪、臭を放つ、○○○を、塞ぎたい、のでしょう? だから、私のコレ、であなたの、腐れ○○○を、綺麗に、してあげようと、している、だけだよ」
笑顔をそのままに下品な言い放ったサララは。さらに力を込めた。しかし、力量はイシュタリアの方が圧倒的に上な現状、どうあがいても主導権は握れそうにない。
訳が分からず思考停止に陥っていたマリアが、眼前の光景に慌てて我に返る。とりあえずはイシュタリアの安全を考えた彼女は、半ばサララにしがみ付くようにして引っ張る……が、動かない。それに気づいたナタリアとドラコも加勢して、ようやくサララの槍がことん、と床を転がった。
「――マリア、姉さん! なんで、止め、るの!?」
上から伸し掛かるようにして押さえ込まれたサララが、頭上のマリアをなじる。けれども、マリアも黙ってそれを受ける性格では無かった。
「そりゃあ止めるわよ! 色恋沙汰には手を出さない主義だけど、だからといって、目の前で家族が殺し合い始めそうになったら止めるでしょう! 普通は!」
ふー、ふー、獣の如く荒くなったサララの呼吸が、室内に響く。正気を半分以上失った瞳が、イシュタリアを見つめている。マリアが傍に居なかったら、確実にイシュタリアを手に掛けているところであった。
……やべえ、サララのやつ本気だ。本気でイシュタリアを殺すつもりだ……!
ブルブルと興奮で全身を震わせているサララを見やったマリーは、ゴクリと唾を呑み込んだ。突然の修羅場……なぜ、こんな事態になったのだろうか。
自然と、マリーの視線はイシュタリアへと向けられる。いまだお股ぱっかーんの姿勢を維持しているイシュタリアを見ていると、もう色々と考えるのが面倒になりそうだ。
「……ちなみに、それをやった場合はどれぐらい変わるんだ?」
「――ま、マリー!?」
真っ赤になっていたサララの顔から、血の気が引いていく。目に見えて青白くなっていくサララを他所に、イシュタリアは掌をマリーに見せた。
「最低でも五倍は固いのじゃ」
「え、マジで?」
己の魔力総量を、『贔屓目に見てイシュタリアに近いぐらい』では無いかと思っていたマリーにとって、その話は率直に意外だと思った。
「マジじゃ。お主は理解していないじゃろうが、お主の魔力総量は単純に私の数倍はあるからのう……あ、それと安心するのじゃ。お主が無駄に垂れ流している無駄な魔力を無駄なく利用させてもらうだけで、お主には対して負担はかからんと思うのじゃ」
「……ふーん……本音は?」
「私とて羞恥心はあるし、どうせなら気心の知れた相手がいいのじゃ……普段のお主なら、こういう実験に関しては面倒くさがって首を縦にふってくれぬ。 今を逃せば次は何時になるか分からんからのう……なあ、いいではないか」
可愛らしく小首を傾けるイシュタリア。ほんのりと紅潮した頬に、薄く汗が光る四肢、明かりに照らされた陰部にキラリと輝く粘液……羞恥心が有るとうのは事実なのだろう。開けっぴろげの股を閉じてさえいれば、少しはマリーも心動かされていたところだ。
「ダメ! 絶対、ダメ! それだけは、ダメ! マリー、そんなのに、入れないで!」
ドラコとナタリアに押さえつけられたサララが、涙を流しながら声を張り上げる。今が夜だということを忘れているのか、それとも気を回す余裕が無いのか……例の癖が出ている辺り、おそらく後者だろう。
(こんなに騒がしくしているのに誰も覗きに来ないってことは、イシュタリアが何かしているんだろうなあ)
そんなことを考えながら、マリーは半ば意識を彼方へと飛ばす。本当に、何をどう間違ってこんな状況に陥ってしまったのか……マリーは本気で分からなかった。ナタリアはどうしていいか分からずキョロキョロと視線を彷徨わせ、ドラコは状況を理解出来ず首を傾げている。
「……みんな、ちょっと落ち着いてちょうだい」
そんな混沌とした空気で満たされた室内に、マリアの声はよく響いた。「まずは話を整理しましょう。サララもいいわね?」という一言に、サララだけでなく、場の空気も少しばかり緩む。さすがは、若くして館を切り盛りする女だけある。
「とりあえず、マリー君は館に帰りたい。それは皆も同意していることで、今はそのことについて話し合っていた。そこまではいいわね?」
一同、頷いた。「イシュタリアちゃん、お願いだから、ちょっと股を閉じていてちょうだいね」と言われて、イシュタリアは素直に座り直した。美人の笑顔は、時に凄まじい迫力を見せる。
「館に帰るにしても、この町のことが気がかり。でも、だからといって何時までも留まっては居られない。極力早く、町をある程度復興させたい。その為にはイシュタリアちゃんの魔法術が有効で、でも、それをするにはマリー君の力を借りることが必要不可欠。ここまでで相違はないわね?」
有っても許さない。そう言外に語るマリアを前に、口を挟める者はいなかった。二人からの押さえが外されたサララも、思わず涙を引っ込めた。
「イシュタリアちゃん。魔力をすぐに回復する方法っていうのは、やっぱりそれしかないわけ?」
「んん……現時点では思いつかぬのう。握手や抱き着いたぐらいでは無理なことは、既に確認済みじゃからな」
「なるほど……それで、サララ」
「は、はい!」
ビシッと姿勢を正したサララは、床の上で直接正座になった。それを見やったマリアは、ニッコリと笑みを浮かべた。それを見たドラコが、きゅう、と喉を鳴らしてマリーの後ろに隠れた。
「何が嫌なの?」
「えっ?」
「マリー君が他の女性と致しちゃうのが嫌なのか、イシュタリアちゃんとマリー君が致しちゃうことが嫌なのか、それとも単純にマリー君がそういう行為をするのが嫌なのか、あるいはそれ以外なのか……まずはここでそれをはっきりしなさい」
非常に、答え難い質問だ。しかし、マリアは容赦しない。息どころか心臓すら鼓動を止めたのかと思う程に硬直したサララに向かって、「答えないことは許さないわよ」と追い打ちをかける始末である。まことに鬼畜の所業である。
無言のまま、サララは唇を噛み締める。額から、顔から、首筋から、身体から、全身から、滝のような汗が吹き出している。その汗がじわりと滴り落ち、俯いた顎先から5回目の滴が垂れた頃……ゆっくりと、サララは唇を開いた。
「マリーが……」
ギュウッと自身の胸に手を当てたサララは、ポツリと、本音を零す。
「マリーが、他の女とそういうことをするのは別にいい。私が最初じゃなくてもいいし、相手が男でも女でも構わない。でも、最初に子供を孕ませる相手は、私がいい……ううん、私を最初に選んでほしい」
(気になる部分はあるが、サララ……お前、そこまで……!)
改めて実感する、サララの好意。ある意味回りくどく、ある意味直線的なその言葉に、マリーは思わず胸を高鳴らせる。何だか、若かりし頃を思い出してしまいそうだ。
湧き上がってくる甘酸っぱい感情に、マリーは浸る。そんなマリーの前で、全員の話を聞いたマリアが何度か考え込むように頷くと……イシュタリアへと顔を向けた。
「さっきのやつって、お尻でも大丈夫かしら?」
「まあ、この際どっちでも構わんのじゃ」
「だってさ、サララ。お尻なら、あなたも文句ないでしょ」
「あ、それなら私はいいよ」
少し前の俺の感動を返せよ、お前ら。
その言葉を寸でのところで呑み込んだ己を褒めてやりたい。そう思うマリーを他所に、イシュタリアはいそいそとベッドの上で四つん這いになると、片手で己の尻を叩いた。
「こんなことも有ろうかと、後ろの用意も事前に済ませておいたのじゃ! ばっちこーい!」
ぱちーん、とイシュタリアの尻肌に浮かんだ紅葉が、ぷるんと揺れた。
「お前は俺を萎えさせたいのか、笑わせたいのか、それをはっきりしろよ糞ババア!」
そういった性癖の持ち主であったなら、それこそ金貨を積んででもむしゃぶりつこうとするだろうが……マリーとしては、もう残念な気持ちしかなかった。
「お前ら、それでいいのか? ていうか、俺がおかしいのか、これ!?」
全員の顔を見回しながら、マリーは言った。
「マリア、お前は売春云々をアレだけ禁止していたじゃねえか。これはそれに引っかかると思わねえのかよ?」
「あら、ソレとコレは別物よ。それに、マリー君は勘違いしているようだけど、私は別に致すことそのものは禁止していないの。女所帯に男が入ると大抵面倒事を引き起こすから禁止しているだけで、館の外なら私は一向に構わないわよ」
ちなみに、マリー君はオーナーだから例外よ。そう言うマリアの顔には、一切の嘘は見られない。いかん、このままでは……。
「いや、でも、これって世間的にどうよ?」
あ、いかん。マリアにこの手の質問を尋ねてもしょうがねえじゃん。
自分でそう言って、マリーは瞬時に悪手だと悟った。世間と言っても、マリーとて洒落た生活を送ってきたわけではない。確かに一般的には一対一が多いが、別にそれが絶対ではないのだ。
「別にそこまで難しく考える必要なんてないわよ。イシュタリアちゃんも望んでいるし、せっかくの機会じゃない……経験しておくに越したことは無いと私は思うわよ」
案の定の意見である。確かにマリアの言うとおり、経験しておくに越したことは無いんだろうが……。
(そう言われても、致すってことは……俺のコレを見せなければならねえってことだろ。ああ、嫌だ……せめて、もう少し大きかったら気持ちも変わるんだろうけど……)
まあ、マリーが抵抗するだいたいの理由は、それであった。半ば諦めの気持ちでサララに視線を向けると、そのサララは先ほどとは打って変わってにこやかな笑顔を浮かべていた。
「大丈夫だよ。お尻も慣れたら癖になるらしいから」
「……お前のことだからそういう斜め上の助言が来ると思ったよ、ちくしょう」
「私にはよく分からんが、強い男が大勢の女を囲うのは当たり前のことでは無いのか?」
「お前はそう言うだろうと思って、あえて話を振らなかったんだよ。人間の世界と竜人の世界では、ちょっと話が変わるんだよ、ちくしょう」
「それなら、ここは間を取って私がマリーのお尻を――」
「お前は黙っていろ。次に同じこと言ったら、その股に生えた汚物を引きちぎるぞ。少しは大きさを分けろよ! ちくしょう!」
そこまで相手をして、マリーは深々とため息を吐く。既に場の空気は完全に逆風だ。サララたちからすれば『なんで嫌がるの?』と思われている可能性が高い。マリーが言いたいのは、そういう話では無いのだが……まあ、理解はしてくれないだろう。
「……分かったよ、やればいいんだろ、やれば。言っておくが、今の俺のブツが使い物になるか、俺自身分かっていないんだからな」
もうどうにでもなれと言わんばかりに、マリーは身に纏っていたドレスをえいやと脱ぎ捨てた。露わになった華奢な素肌に残る毛糸のパンツに、女性陣の視線が集中したのをマリーは実感した。
……まさか、この身体になってからの初めてを、こんな形で失うことになるとは……おい、これは喜ぶところなのか?
己に自問しながら、マリーは一思いにスルリとパンツを下ろした。ピクリとも反応していないソコが外気に晒された途端、女性陣の口から歓声にも似た溜息が零れた。
「改めて思うが、お前のモノは小さくて可愛いな」
ドラコの一言に、思わずマリーは己の胸を押さえた。
「いや、身体が小さいから、むしろ相応……それでも小さい方か」
グサリと突き刺さる感想に、マリーは反射的に涙を堪える。熱い液体が、目尻を湿らせたのが分かった。
「……ドラコ、人間の世界にはな、言っていいことと悪いことがあるんだ。素直なお前は好きだが、時にその素直さが人を傷つけることがある。それを、覚えていてくれ」
「……ん、あ、ああ、分かった……う、うむ、お前のモノは、よく見ると中々立派だぞ」
「見え透いたお世辞は止めてくれ。そういう気の使われ方をされるのは堪えられないから……」
「……すまない」
申し訳なさそうにドラコから頭を下げられる。それが余計に情けなく思えてきたマリーは、気持ちを振り払うようにベッドに上ると、イシュタリアの尻を掴んだ……が、そこで動きを止めた。
「……おい、イシュタリア。何か俺が反応することをしてくれ。このままでは入らんぞ」
「ばっちこーい!」
「お前に聞いた俺が馬鹿だった……サララ!」
「――うん、分かった」
ぱちーんと眼前で己の尻を叩くイシュタリアから、サララへと視線を向ける。それだけで察したサララは、マリーに背中を向けてスルリとズボンを下ろすと、見せつける様にお尻をマリーへ突き出した。
逆ハート型の、綺麗な褐色である。ぷりっとした弾力を予感させるそこには、ボーイッシュな雰囲気からは想像出来ないぐらいに官能的なショーツが、むっちりと臀部を締め付けていた。ここしばらく、サララが愛用している下着の一つであった。
「……似合っているぞ」
胸中に浮かんだ感想をそのまま伝えると、ピクリと突き出されたお尻が震えたのが分かった。「あら、サララったら、しばらく見ない内に、ずいぶんと着飾るようになったのね」と、機嫌良さそうにサララの頭を撫でるマリアを見る限り……悪い気はしていないようだ。
さて、と。マリーは視線を下部に向けた。見れば、小指のように頼りなかった己の分身が、いっちょまえに背伸びをしていた。幾年ぶりにも思える感覚を不思議に思いながらも、マリーは改めてイシュタリアの尻を掴んだ。
「なんとか準備は出来たし、行くぞ」
「ばっちこーい!」
「頼むからそれは止めろ……!」
さり気なくイシュタリアの方からも位置を調整されながら、マリーは一気に腰を突き出した。
「――ぁ」
はあ、とイシュタリアの唇から、ため息が零れる。マリーの方からも、「俺、何やってんだろ……」ため息が零れた。気持ちいい……とは言い切れない、何とも不思議な感覚が伝わってくるのを、マリーは実感した。
暗い。そこは、とても暗かった。それでいて、とても冷たく、広々とした空間であった。暗黒に満たされたそこは、おおよそ温かみというものがまるで感じられない空間であった。
前、後ろ、右、左、上、下……全方向から伝わってくる冷気は、生命の息吹がまるで感じられない。原初の恐怖を蘇らせる圧倒的な何かが、その空間には満たされていた。
……?
そんな場所で、彼はフッと意識を取り戻した。しかし、それ以上のことは何も出来なかった。視界全てを埋め尽くす暗闇もそうだが、思考の大半を埋めている強烈な眠気と倦怠感が、彼から意志を奪っていた。
フッと意識が遠ざかって、また浮上する。時間の感覚も無く、痛みも無い。寒さも、熱さも、何も感じない。冷静に考えれば異常極まりない状況だと言うのに、彼は不思議なほどに冷静さを保っていた。
……いや、違う。冷静さを保っているのではない。十数度目となる昏睡と覚醒を繰り返した今、彼は思考することを放棄していたに過ぎなかった。
「あらあら、失敗しちゃったのね。まあ、あの子には最後の手段としてアレを渡しておいたから、ある意味必然だったのかもしれないけど……それでも、あなた達はあまりにお粗末だわ」
水洗いしたうえに酒の中に5日間は浸けたかのように鈍くなった彼の頭がその声を認識したのは、半ば偶然に等しいことであった。
……誰、だ?
散ってバラバラになった思考をどうにか組み立て、それだけの言葉を発する。けれども、声の主はか細い問いかけをかき消すかのようにため息を吐いた。
「せっかくお膳立てしてあげたのに……所詮は、愛玩動物の子孫。あるいは人間に変わって私の元へ辿りつけるかもしれないと思ったけど……期待はずれだわ」
……誰、だ?
「……まあ、数人……いや、数匹かしら。ちょっとは頭の良いトカゲがいたようだけど、結局行動に移したのは一匹だけ……あの子は良いわね。喚くだけで何の役にも立たなかったお前とは根本的な性根が違うわ……先祖返りでもしたのかしらね」
……誰、だ?
「それにしても、あなたは本当に期待外れ。その捻じ曲がった欲望と凝り固まった怒りが、面白おかしく引っ掻き回してくれると思ったのに……結果は、自らが呼びだしたアレに押し潰されただけ。あなた、私が助けなかったら即死していたところよ……まあ、今も半分死んでいるようなものだし、大して変わらないのかしらね」
ほら、これを見なさいな。声がそう言うと、彼の前にポゥッと明かりが灯る。小さな光だ。その光の中には、ぽつんと丸い影が浮かび上がっている。
……誰、だ?
「……? ねえ、見えているはずよね?」
……誰、だ?
「もしもし? 私の声、聞こえているかしら?」
……誰、だ?
けれども、彼には関係なかった。頭に浮かぶその言葉だけを、繰り返し、繰り返し、声に出す。何度も何度も何度も何度も、繰り返す。
……誰、だ?
馬鹿みたいに同じ言葉を吐き出し続けている彼を見かねたのか……声の主は、今までで一番大きなため息を吐いた。
「やれやれ、脳の一部が反応したから少しは使えるかと思ったけど、あなたはとことん私を失望させるのがお上手ね」
……誰、だ?
「まあ、いいわ。どうせもう理解出来ないでしょうし、コレがなんなのか教えてあげる」
そう言うと、光の中に照らされた丸い影が、ぬうっと伸びた二つの腕に捕まった。途端、ほわっと光がさらに広がり、丸い影がその正体を見せる。半透明の粘膜に覆われたそれは……にゅるりと、彼の眼前にて静止した。
「これはね……あなたの頭の中身よ。医学的に言えば、大脳ってやつね」
ゆっくりと、ソレから粘液が滴り落ちた。
「細胞の2割ぐらいが壊死してしまったから、少しばかり色が悪いけど、見てくれはそこまで悪くなっていないわよ。興味があるなら、要らなくなった部分を食べさせてあげてもいいわよ」
……誰、だ?
「誰、と言われても、あなたに言っても意味はないわ。だって、もう理解する為の脳細胞が機能していないんだから……そうだわ、いいこと思いついた」
彼の大脳を光の中に戻した声は、そう言って手を叩いた。
「今さっきね、アレの幼生体を子宮内から回収してきたところなのよ。よかったら、あなたの脳をそいつに組み込んであげる……良かったわね、あなたはまだ生きられるわよ」
……誰、だ?
「まあ、そこまで喜んでもらえると私も嬉しいわ。お礼は……そうね……あなたが、自分の姉の頭に噛り付いて、その脳髄を啜る姿を見せてくれたら……私は満足よ」
……誰、だ?
「うふふ、楽しみが増えたわ。それじゃあ、今はおやすみなさい。次に目が覚めるときは、ダンジョンの中……それまで、ぐっすりと良い夢でも見てなさい」
……だ――。
プツン、と彼の意識は途絶えた。
第三章終了。
この章は、いわゆる『ただダンジョンに潜って生活費を稼ぐ』という今までの前提から、『ダンジョンには何かがあり、それはマリーにも関係しているかも分からない』という
新たな目標?を作る転換期のような章でした。まあ、色々伏線()みたいなものが出てきていますし、ちょっとはダンジョンに対する見方が変わるかな?
あくまで主役はマリーたちであるため、エピローグではマージィや菊池と言ったサブキャラクターは省かれています。まあ、この二人は間違ってもマリーたちを止めようとはしないでしょうし、それに時間を食うぐらいなら町の復興の為に駆けずりまわっているだろう……という思惑があったりなかったり。
あんまり長々と後書き書くのも何なので、ここらで終了。
物語は『東京』へと場所を移し、マリーたちは再びダンジョンを探求する『探求者』としての生活に戻ります。
+注意+
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