2014-04-14

オタコミュニケーションのためにオタやってるオタク

2000年代オタク批評なんかでオタクの消費の仕方が作品鑑賞というより

コミュニケーションの道具としての鑑賞って性質が加速したとかよく言われるけど

そのコミュニケーションって要はオタ仲間内コミュニケーションなんだよね

TLの流れに乗るためにアニメ見るとか閲覧数評価数上げるためにイラスト描くとか

ネットが理由で加速しただけで昔からそういうオタはいたけど

コミケっつーかいわゆる同人界なるものが成立してから

オタ同士のコミュニケーションってものが一般と隔離されて育ってきた感じ

今じゃオタといえばオタ向け作品見てツイッター同人で楽しむ人って意味になってきてる

本来「オタ向け作品」なんてもんはないしオタだからって同人やるとも限らないのに

面白いとなったら呟かなきゃイラスト上げなきゃ本出さなきゃって

作品面白い同人やるツイートするの間になんの意図的決断もないんだな

何が言いたいかっつーと

仲間であるオタの姿だけを見てて作品のものを見てないオタが多いってこと

でもほとんどのオタは自覚してなくて自分作品を見てる味わってるって思ってる

作品は好きだけどツイッターブログで語らないし同人にも興味ないって人は

可視化されないから一部のオタはそういうオタがいることすら知らない

オタである=見えるとこでオタ作品についてオタ語りして同人やることみたいに考えてる

仮にこの人たちからネット取り上げてオタ仲間も近くにいなければ

彼らは漫画とかアニメを見るのかね?

自分作品コミュニケーションの道具とすることは悪くないっつーか

最近だけじゃなく太古の昔からその側面はあるし仕方のないことだと思うけど

からさまに道具として消費しててそのことに何の自覚も考えもない人に

時々ふっと猜疑心が浮かぶのはたぶんそのせいだ

この人は誰かと共有できなきゃ作品に興味なんかないのかもな、って思ってしまうんだ

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