捏造を知るにはこれを読め!
 『背信の科学者たち』の緊急再版を訴える

仲野 徹2014年04月14日 印刷向け表示
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背信の科学者たち―論文捏造、データ改ざんはなぜ繰り返されるのか (ブルーバックス)
作者:ウイリアム・ブロード
出版社:講談社
発売日:2006-11-21
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背信の科学者たち』、この刺激的なタイトルの本が化学同人から出版されたのは四半世紀前。1988年のことである。かけだし研究者であったころにこの本を読んだ。驚いた。捏造をはじめとする論文不正を中心に、科学者のダークな事件をあらいだし、その欺瞞から科学をとらえなおそうという試みである。最初におことわりしておくが、この本、後に講談社ブルーバックスとして出版されているが、いまは絶版になっている。

科学というのは、基本が正直ベース。性善説にのっとった営みである。こういったことと自分はまったく無縁だと思っていた。まさか、10年後に捏造事件に巻き込まれるとは夢にも思っていなかった。そして、今回のSTAP細胞騒動である。

STAP細胞について、直接は関係していない。しかし、主人公以外の登場人物は、論文調査委員会のメンバーも含めて、個人的に知っている人ばかりである。そして、専門領域が近いこともあってか、あるいは、私のブログを読んでか、テレビ、ラジオ、新聞、週刊誌からの取材が引きも切らない。

“捏造事件フリーク”を自覚してはいたが、こんなところで役に立つとは思ってもいなかった。以前から、捏造について知りたいという人には、バイブルとしてこの本を薦めていた。とはいうものの、古い本である。内容の細かいことは忘れてしまっていた。

あらためて読み返して驚いた。この本には、捏造をはじめとする、科学者の欺瞞がすべてといっていいほど網羅されている。STAP騒動について議論されているさまざまなことは、この本からみればデジャヴにすぎない。この本に記されている不正事件のいくつかについて、どう論じられているかをオムニバス的に紹介してみよう。

まずは、スペクター事件。ノーベル賞に近いといわれていた生化学者・ラッカーの研究室においておこなわれたデータの捏造である。スペクターという若い研究者が次々と素晴らしいデータを出し続けたのだ。しかし、その実験は、スペクターのいる時しか成功しなかった。そして、でっちあげ実験がおこなわれていたことが明らかになった。

マーク・スペクターは実験結果のすべてを捏造したのか、あるいは全く捏造していないのか、それともある一部分だけを捏造したのか。こうした疑問に対する明確な答は見いだすことはできないのかもしれない。ただ一つ確実に言えることは、彼の実験データのいくつかについては、故意に、かつ巧妙にでっちあげられていたということである。

血液細胞について、まったくのでっちあげをおこなっていた、有名研究室の研究者ロングの例もあげられている。そのロングがでっちあげをした理由についての結論はこうなっている。

皆目わからないに違いない。たぶん彼自身でさえわからないのだ。

我らが野口英世についても、当時、進行性麻痺という精神疾患と考えられていた病気が梅毒スピロヘータによる、という研究以外は、ほとんどが誤りであったことがわかっている。それこそ悪意のある捏造であったかどうかはわからないが、後に否定される間違った論文を二百報も発表し続けていたのだ。野口をお札の肖像に奉っていることは、日本の科学者として恥ずかしい。

これらの研究が、一時的とはいえ、優れた業績として発表され認識されたのは、スペクターとロングの場合は有名な研究者の後ろ盾があったから、そして、野口の場合は生命科学の殿堂ともいえるロックフェラー研究所からの論文であったから、であろうと断じられている。

ニューヨークにあるスローン・ケタリングがん研究所におけるサマーリンの事件も有名だ。移植したマウスの皮膚の色をごまかすため、こともあろうにフェルトペンで色を塗っていたのである。もちろん、発覚後すぐに研究からはずされた。一般向けの著書でも有名な、当時の研究所長、ルイス・トーマスから発表された理由はサマーリン博士の最近の行動は、博士の情緒的障害によるものと考えられます。よって、博士は自分の行動や発表に対する責任を問われる能力を欠いていました。というものであった。

移植免疫の領域でノーベル賞を受賞したピーター・メダワーはより同情的で、サマーリンはおそらく実験に成功したのであろうけれど、その実験が再現できなかったのだろうと考えて、こう述べた。

自分が真実を述べていると心の中で確信していたので、
                                   偽らざるをえなかったのだろう。

もうひとつ、物理学における有名なトピックとして『N』がある。1903年、フランスの物理学者ブロンロが、X線についであたらしい光線であるN線を発見したと発表した。これは、測定を人間の目に頼るという非常にあいまいなものであったが、フランスを中心に数多くの研究者により『確認』されていく。

ある科学者の猜疑心から出たちょっとしたトリックで、N線の存在というのは完全に否定される。しかし、である。否定されてからも、N線の祖国フランスでは、しばらくの間、N線の存在を信じる科学者が何人もいたという。あると思って見たら、見えてしまう、自己欺瞞が蔓延し、それが長い間続いたのだ。

このエピソードの最も驚くべき点は非常に多くの人が騙されたということである。彼らはえせ科学者でも、いかさま師でも、夢想家でも、神秘主義者でもなく、それらとはほど遠い真の科学者であり、公平無私の、栄誉ある、実験手順に通じた、分別と健全な常識とを備えた人びとであった。

ある程度以上の年齢の方は、『超能力者』として名をはせたユリ・ゲラーを覚えておられるだろう。その『超能力』は、何人もの科学者によって支持され、ネイチャーにまで、それを証明したという論文が掲載された。しかし、超能力者バスターとして知られるジェームズ・ランディーは、ゲラーの『超能力』は、すべて単純な手品を使って再現できると看破した。

どんな手品師も、科学者ほど騙しやすい者はいないと言うだろう。
ゲラーは証人として科学者を好み、手品師の前では演技を行わないのだ。科学者は知的、社会的な訓練を受けているため、手品師にとっては最も欺きやすい種類の人間である…

科学者、なめられとったのである。返す刀で、研究機関に対しても手厳しい。

若手の研究者がデータをいいかげんに取り扱ったことが明るみに出ると、そのような逸脱行為によって信用を傷つけられた研究機関は、自体を調査するための特別委員会を組織することが責務であると考える。 <中略> 委員会の基本的な役割はその科学機関のメカニズムに問題があるわけではないことを外部の人びとに認めさせることにあり、形式的な非難は研究室の責任者に向けられるが、責任の大部分は誤りを犯した若い研究者に帰されるのが常である。

さらに、その理由もあげながら、再現実験の難しさについても言及されている。どうだろうか。STAP騒動で見聞きしたような、あるいは、これからおきるかもしれないようなお話ばかりだとは思われないだろうか。この本の原著は、30年前に出版されているのだ。あらためて読み直して、正直なところ愕然とした。自分のふがいなさも含めて…

残念ながら、この本は絶版になっている。こういった優れた本は、ある種の文化遺産ととらえるべきである。化学同人でも講談社でもいいから、すぐに再版してもらいたい。STAP騒動を考えるにこれほどすぐれた本は他にない。このレビューを読んだ皆さんもそう思ってくださると確信している。

 *

以下、騙されやすい科学者の一人としての反省文。

マスコミから取材をうけるたびに、繰り返し、科学は性善説にのっとっておこなう行為であるから、一部の極端な例をとりあげて非難しないでほしい、と言い続けてきた。それを言うために取材を受けていると言ってもいいかもしれない。

しかし、こういった考えに対して、この本の著者は手厳しい。ならばどうして、その科学の世界において捏造などの欺瞞が繰り返されるのかと。この本の出版当時より、状況は間違いなく悪化している。30年も前に発された問いかけに対して、私には答えがみつからない。

背信の科学者たち
作者:W.ブロード
出版社:化学同人
発売日:1988-01
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